問題編4
金の瞳はまっすぐに私を見つめていた。
豊かに波打つ菫色の髪に囲まれた顔は、目鼻立ちがくっきりとしていて、ぽってりとした唇がなんとも魅力的だ。美人だとは小耳に挟んでいたが、彼女、ヴィオラは私の想像をはるかに上回る美しさを誇っていた。
看守の言っていたとおりここでは金次第で、そう悲惨な生活を送らずに済むらしい。ヴィオラは悲壮感こそあれ、見た目的に凄く痩せているとか、みすぼらしいとかいうことはない。髪もきちんと手入れされつやつやしているくらいだ。
そう、髪の毛。
いや~、こんなこと言っても仕方ないってわかっている。わかっているんだけど、とりあえず一回は言わせてほしい。
どんな遺伝子働いたら髪が菫色になるわけ!?
私がこの世界の髪色の神秘に思いをはせている間に、ヴィオラは看守に手枷を外してもらった。
服装こそ質素だし、さっきまで手枷をされていたというのに、ヴィオラは悠々と主人のような態度で囚人用の椅子に腰かけた。
私は約束通り看守が退室するまで、口を開かず静かにすることにした。
けれどさすがに少し不安になって、ちらっと入り口のほうに視線を投げると、入り口の外の壁に寄りかかって待っているベルンの肘がちょこっとだけ見えた。それだけでだいぶん安心感がある。
ヴィオラはといえば最初は私が何者かということに興味津々といった感じだったのだが、看守たちが出ていくことに驚き、そこから自分の考えに確信を得たというように目を輝かせて私に向きなおった。
「どなたかしら?クレッツマン伯爵様?それともトーン子爵様?」
えっと、そうだなぁ……。
うん、誰だそいつら。
私はヴェールをしているので、向こうから表情は見えないが、私が困惑していることを敏感に読み取ってヴィオラは怪訝そうな顔をする。
「お二人の使いではないの?」
「…残念ながら」
明らかにがっかりした顔をして、それでも希望は失われていないと彼女は言葉を重ねる。
「私をここから、出しにきたわけではない?」
「ええ」
私が期待していたとおりの人物ではなく、ヴィオラははぁと重たいため息をついた。
私はといえば予想の斜め上な始まり方をしたせいで、まだ困惑状態にあったが、とにもかくにもこの主導権を握られっぱなしな状況を変えなくてはなるまい。
態勢を立て直すために、私は居住まいを正して名乗りを上げることにした。
「私はリジーア・リートベルフ。あなたのお知り合いの伯爵やら子爵やらの使いではなく、自分の意思であなたに会いに来たわ」
発起人はベルンだけどねとは、心のなかだけにとどめておく。
「リジーア・リートベルフ…」
綺麗な顔をしかめて、ヴィオラはリジーアと小さく繰り返した。しかし次の瞬間、キッと眦を吊り上げ、警戒したような調子の声を出す。
「なんの用。こんなところまで負け犬と笑いにきたわけ?」
はぁ~出たよ。
なんというか覚えのある展開というか、さっそく私は敵視されてしまっているらしい。
あまり歓迎はされないだろうとは思っていたが、こういう態度を向けられるとさすがにちょっと傷つくというか。
ヴィオラにとって自分がどういう存在なのか理解しようと、私は必死に考えを巡らせる。
私はクラリッサやライラの話を総合して、ゲームにはいなかった占い師ヴィオラを転生者ではないかと疑った。まだ本人の口からそうだとは聞いていないけれど、ほとんどそうだと思っていいだろう。ベルンもそういう感じのこと言っていたしね。
それにライラもまた、ゲームに存在してないかったベルンハルトの婚約者、つまり私を転生者ではないかと疑って、校舎裏にあった草原で私を問い詰めた。
となると、ライラやアロイスから話を聞いていたはずのヴィオラが、私のことを疑っていても何もおかしくはない。
おかしくはないが、それ以上はないはずだ。
だというのに、まるでヴィオラの私を見る目には、まるで仇敵を見るような激しさが含まれている。
というかこっちには全然心当たりがないのに、相手から敵意を向けられるみたいな状況多くない?私はいたって静かに、人に嫌われずに生きているつもりなのだが…。平穏に生きていくって、案外難しい。
とりあえずヴィオラが私のことをどう思っているのか、彼女の言葉から気になるところを拾って、情報を集めるしかないか。
上手くできるか不安だなぁ。
「どうして負け犬だなんて言うの?」
「だってそうでしょう。私の計画は上手くいっていた。あなたが余計なことさえしなければ」
「ごめんなさい、私あなたが何を言いたいのかよくわからないのだけれど、私がした余計なことって何かしら?」
ヴィオラは気に食わないふうに、ハッと鼻で笑った。
美人なのでこんな感じの悪い態度をとっても妙に様になる。あれか女王様って呼ばれる人たちか。
たぶん私がやったら、ダリウスあたりにお前無理すんなとか言われそうだ。
「白々しい。あなたもここがゲームの世界だってわかっているんでしょ」
おお、いきなり直球だな。
でも、これでヴィオラも転生者だと決定した。
そして彼女のほうでも、私のことを転生者ではないかと考えていたことも。
「…ええ、そうね。でもそれはあくまで、似ているレベルのものだと思っているわ」
「そう?」
彼女はどちらかというと、この世界とゲームの世界は一緒という考えであるらしい。
少し雲行きが怪しくなってきた、かも…。
「あなたも気づいているでしょうけれど、この世界は基本的には、全てシナリオ通りに物事が進むようになっているのよ」
ん?
「けれど私がアロイスのお母様の毒殺を防いで、そのまま彼女は助かったわけだから、もとの筋へ戻す強制力みたいなものはないみたいね。つまり誰かが、そう私たちみたいなシナリオを知っていて、それを変えることのできる人間が介入しない限り、シナリオからそれた事柄は決して起こらないのよ」
そ、そうなの?
そんなこと考えたこともなかった…。
私の知識にないことが起こっても、なんか変だよなぁ、でもまぁそういうこともあるかなぁくらいにしか考えてなかった。
いやだって、シナリオ通りじゃないといったって、私の存在自体がシナリオにないわけだし。
けれど言われてみれば、私が関わらなかったところでゲームと違っているところには、ライラかヴィオラがいた。それは彼女たちがこの世界の事柄に唯一介入できる存在であったからであって。
な、なるほど…?
うーん、なるほど、なのか?
突然そんな世界の真理みたいな話されても、判断に困るといいますか。
ヴィオラは自分の考えに絶対的な自信を持っているらしく、私が受け入れきれずに少し首を傾げたくらいどうというわけでもないという態度で話を進める。
「せっかくわざわざ遠くから来てくれたんでしょうし、私から質問しても?」
「…どうぞ」
なんだろう。
ヴィオラが私に聞きたいことなんてあるのだろうか。
話してみた感じ、彼女はけっこう頭がいい上に、自己完結するタイプみたいだけれど。
「あなた、どうしてルーカスとベルンハルトの橋渡しなんかしたの」
「はい?」
なぜここでルーカスが出てくるのか。
「二兎を追うものは一兎も得ずなんて嘘ね。私はアロイスだけを見て、彼のためだけに頑張ったのに、ベルンハルトとルーカスの二人にちょっかいをかけたあなたの方が最終的には勝ったんだもの。ほんと、生まれ変わっても世の中って不公平」
ヴィオラは悩まし気にため息をつき顔をしかめ、どうして私がこんなところにと忌々しげに呟いた。
こちらとしては、それだけ美人に産まれておいて不公平ってという感じだ。
私だってね、大声でね、同じ転生者なのにライラといいヴィオラといい見た目に関して不公平だと思います!って叫びたいですよ。ええ。
いやそんなことはいいんだ。よくないけど、いまはいいんだ。
「えっと、何か私たちの間には勘違いがあるみたい」
「勘違いですって?」
攻撃的な物言いをしてくるヴィオラを落ち着かせるように、私はゆっくりはっきり話す。
「そう、勘違い。私は別にルーカスにちょっかいをかけたりなんかしてない」
顔は好きだし、前世ではちゃっかりルート攻略もしましたけど、現実であのやばい人と恋愛しようなんてそう思わないと思う。あくまで個人的な意見ではあるが、いや、まぁ、ない、かな…。だって普通に怖いし。
「じゃあ、どうしてベルンハルトとルーカスが組むのよ」
「どうしてって…」
それはベルンのお母さんがルーカスの義姉で、初恋の人だったからであって。
いまいち要点がつかめない私にいらだったのか、ヴィオラはここにきて初めて声を荒げた。
「だってあの二人は、どのルートでも、何の接点もなかったじゃない!」
「え…?」
何の接点も、なかった…?
え、だって、エミーリアが……。
あれ?ちょっと待って。
たしかに何かが変だ。
だってゲームの中でも、ベルンとルーカスにいまみたいな繋がりがあったとして、私よりもゲームに詳しいというか、ベルンハルトルートもちゃんとやっているヴィオラが知らないはずがないのだ。
私はてっきりエミーリアの情報が厳重に隠されていたからだと思っていたが、そんな設定があってどうしてゲームで出てこないというのだろう。こんなに大事なことなのに。
ということは、ベルンとルーカスがお互いに知り合いで、協力しあっているいまの状況はありえないということ?
そしてヴィオラの言うところには、この世界は基本シナリオ順守で、私たちのようなイレギュラーな存在が介入するとシナリオからそれた事象が発生するのだという。
だからヴィオラはベルンとルーカスを結び付けたのが、私だと考えたというわけなのかな。
でも私がベルンと出会うよりもずっと前から、二人は知り合いどころか、甥と叔父であり、師弟関係でもあった。
むしろ私が何かする隙すらなく彼らの関係は完成していたし、ヴィオラもこう言っているわけなのだから、ライラや彼女自身が何かしたわけでもない。
となると。
…ど、どういうこと?
ヴィオラと話し始めてそう時間は経っていないのに、わからないことだらけだ。
いやそうではないな。
いままで見えていなかったものが見え始めているのだ。
ここでヴィオラと話し合って答えを導き出すことは、ちょっと、難しいかな。
明らかに彼女は私に好意的ではないし、そんな悠長な話し合いに応じてくれる気配もない。
ライラなら。
ライラに会えば、答えが出るかも。
たしか彼女もベルンハルトルートをやっていたし、ヴィオラと過ごした時間も長い。きっと私よりもずっとたくさんの情報を持っているに違いない。
あー、ライラに聞かなきゃいけないことが増えちゃったな。あとでメモとかで整理しとかないと、なんか頭の中でごちゃごちゃしてる。
いつも思うけど私ってほんとに呑気に生きてきてるから、何にも知らない。
無知だ。
無知すぎる。
というか普通に頼りになんねーな!自分!あ、いつものことか!
「はぁ」
なんだか頭が痛くなってきて、こめかみを指で揉む。焼け石に水感が否めない。
「言っておくけど、私は別にベルンを攻略しようとか、ルーカスにもちょっかいを出したとかいうことは決してないから。信じてはもらえないだろうけれど、本当に成り行きでこうなっただけ」
「そう」
絶対信じてないって顔してるよ~。本当なんだって~。自分でもなんでこんなことになったんだろうって思うし。平穏な生活を目指していたのに、我ながらなかなかに波乱万丈じゃない?そんなことない?
はぁ…。
さてどうしたものか。
このままベルンとルーカスの関係について、もう少し突っ込んでみる?
いやこの件に関しては、できればもう少し自分一人で考えたい気もするし、ライラとゆっくり話し合えば答えもみつかりそうだ。それに何もすぐに解決させなければならないというわけでもなかろう。私が何か本当に余計なことをしていたとか、早く知らないと手遅れになるとかならいざ知らず。
それに面会時間も無制限ってわけでもないし、何かヴィオラに聞いておきたいことってあったかな。
何か。
何か…。
あ、そういえば、
「どうしてあなたはライラを洗脳したりなんかしたの」
ベルンから聞いた話だと、ヴィオラはライラを殿下に近づけ、王妃に押し上げて、アロイスを取り立ててもらうつもりだったらしい。そうすれば次男のアロイスがデーニッツ家の当主になる可能性も高まると。
それはわかる。わかるのだが、それはライラの意思を犠牲にしてでも成し遂げなければならないことだったのだろうか。
アロイスとヴィオラが結ばれるなら、別にアロイスを当主にする必要はないんじゃないか。
ライラを巻き込んで、あんなに追い詰めて、ヴィオラはどう思っていたのだろう。
なんとなくそこに、私と彼女の違いがあるような気がした。
ヴィオラはなぜそんな質問をされるのかわからないという表情で、答えた。
「どうしてって、それが彼女にとっても幸せなことだったからよ」
この世界のルールを語った時と同様、彼女は微塵も自分の考えを疑っていないという調子だった。
「だってそうでしょう?ライラは主人公。エドウィン王子と結ばれれば、めでたしめでたし。世界の祝福を受けることが決まっていた。自分の兄に叶わない恋をし続けるより、ずっと幸せでしょ。あのままエドウィン王子と結婚までいったとして、きっとライラは私に感謝したはずよ」
その声はライラを憐れんでいるような調子を装っていたが、どことなく軽んじているような、熱心さのまったくない感じがした。
それは彼女にとって、ライラの気持ちなんて考慮に値しないものだと示しているようだった。
「それに私は前の人生でも、ずっとアロイスが好きだった。生まれ変わってデーニッツ家のメイドだって気づいた時は、運命だと思った!それに少し外れても大きな事件さえ当てれば、みんな私の言うことを信じた。私はね自分が生まれ変わったとわかったあの日、アロイスを私の力で幸せにしてみせるって誓ったのよ。だからライラに手伝ってもらおうとしたんだけれど、あの子ちょっと内気で…。だから積極的になるようにしてあげた。それだけよ」
早口につらつらとそう言って、それからヴィオラはぐっと押し黙った。
それからヴェールの奥の私の顔を長いこと見つめて、静かにしかし強い口調で言った。
「私は絶対に諦めないわ。これで終わったりなんかしない」
そこにはこちらが怖気付いてしまうような迫力があった。
「本当の主人公が誰なのか、いつか必ず思い知らせてやる!」
「……」
絶句するしかなかった。
彼女もまたゲームに囚われているのか。
私はもうがっくりと力尽きてしまい、小さく項垂れた頭を左右に振ることしかできなかった。
もう言い返す気力も、言葉も見つからない。
そして私が何を言おうと、もう手後れなのだ。
ここは誰も出ることのできない孤島の監獄。嘆きの孤島。
たとえヴィオラが期待しているなんとか伯爵だか子爵だかが交渉しようと、彼女がここにいるのは法と王の命によるのだ。
ただ、一言、私に言えるとするならば、
「そうね。きっとあなたは主人公よ。…私の人生では私が主人公であるように」
こんな陳腐なセリフくらいしかないのだろう。
それからいくつか言葉を交わしたが、険悪なムードのまま、謎は解決しなかったし、ただ単にどっと疲れて終わった。
ヴィオラがどういう考えであの婚約者騒動を引き起こしたのかも、だいたいわかった。
彼女は良くも悪くも自信家で、強烈なまでに幸せを求めていた。
そしておそらく、他人の痛みに鈍感だ。
彼女はきっとこれからもこの監獄で、絶対に諦めない、幸せになるのだと強い執念でもって生き抜くのだろう。それはとても哀れで、悲しいことのように思えたし、これから先一生ここに囚われ続けることは彼女の犯した罪に対して少々重すぎる気もした。まぁ私はヴィオラに騙された人たちが、どれくらいの被害をこうむったのかよく知らないからこんなことが言えるのだけれども。
時間が来て獄に戻されていくヴィオラは、最後までお前のせいだと全身で私に訴えていた。
否定はしないが、肯定もするつもりはない。
結局は悪いことや、他人を踏みつけるような行為は、最終的にツケが自分に返ってくるというだけなのだと、私は思うからだ。
だからってざまぁみろなんていう気持ちにはなれないから、なんだかなぁって感じなのだが。
「どうだった?」
面会室からとぼとぼ出てきた私に、ベルンが気づかわしそうに尋ねてくれる。
あまりに疲れた様子なのを見て、彼は私の首の後ろをさすってくれた。ベルンの手は珍しくほんのりと温かくて、自分の体が思ったよりも冷えていたことに気づく。
「……話せてよかったとは思う」
けれど余計わからないことが増えてしまった。
その謎の一部というか、当の本人に首の後ろをさすってもらっているわけなんですけど。
「これからどうなさいますか?」
案内役の看守が精いっぱい気をつかった様子で言った。
「よろしければ、せっかくなので牢獄の見学でもいかがです」
典獄からくれぐれも丁重に扱えとか言われたのだろうか。観光客にするような愛想のよさだった。
「どうする?リジィは疲れてるみたいだし」
うーん、どうしよう。
疲れてるっちゃ疲れてるけど、それはあくまで精神的なものだしなぁ。
「ううん、大丈夫。せっかくだし、案内してもらおう」
次から解決編に入ります。




