最終話3
え!?ライラのお兄さん!?
申し訳ないけど、全く似てないっていうか、お兄さん地味…。ベスト・オブ・地味な私には言われたくないだろうけれど。
びっくりしてベルンを見ると、彼はライラの様子をつぶさに観察していた。
よくわからないが、ライラの反応はベルンにとって満足のいくものだったのか、彼はほんのちょっと目を細める。見ようによっては冷たいというか、食い物にしそうな顔だけど。
う、うーん。なんか、今の顔正直、悪役って感じだったなぁ。
アロイスの悪事を暴いてるはずなのに、なんでベルンのほうが悪役っぽいんだろう。やっぱり悪役にも風格というか、威厳というものがあるのか。
「たまたま感謝祭準備でいらっしゃっていたので、隣室で待機してもらっていたのです」
絶対、嘘だ。
ほら、あの純粋と書いておバカと読む殿下でさえ、嘘やんみたいな表情してるよ~。
たまたまじゃなくて、むしろ出入りの業者に紛れ込ませて連れてきたんだろというのは、もはや誰もが思っていたが、そういうのに敏感に突っ込むアロイスは不自然に黙り込んだままだ。ライラもライラで、魂が抜かれたみたいに立ちっぱだし。
ライラのお兄さんは、ただの説得役ではないということなのか。
「この方は、ラウル・カーネイル。ライラのお兄様です」
「お初にお目にかかります。殿下」
「ああ…」
殿下は彼の登場をどう受け止めればいいのかわからないという様子でベルンとアロイスを見るが、アロイスは歯をギリギリと噛みしめてベルンを睨み付けていて、殿下の視線にすら気が付かない。
そんなアロイスの様子に、ベルンは小馬鹿にしたように軽く笑って挑発した。
ちなみに私は、今の感じ悪いけど、様になっててちょっとかっこいいかもなんて呑気なことを思っていた。一瞬だけど、間違いなく頭がわいていた。
なんかシリアスな雰囲気が続いているせいで、疲れてきているのかもしれない。
「今日は私の妹のお詫びに参りました。なんでも、カテリーナ様がいながらエドウィン殿下を誘惑したと…」
「違うの!」
「ライラ…?」
「違うの、お兄様、私…私…!」
よろよろとライラがふらつきながら後ずさる。
「ライラさんはあなたを人質に、殿下に近づくよう強要されていたのですよ」
ライラが目を見開き、ベルンを見る。
「あなたはお兄様を人質に取られ、アロイスの言いなりになっていた。そうですよね?」
「あ、あ…」
「変な言いがかりはやめろ!ベルンハルト、貴様の言動はあまりに目にあまる。名誉棄損で訴えてもいいんだぞ」
冷や汗を額に光らせアロイスがどなる。
「本当なのか、ライラ?」
知らないうちに人質に取られていたと知って、ラウルはどう解釈したらいいのか困ったようだった。
彼自身もあまり事情を知らされずにつれてこられたらしい。
「ライラ!私はいつだって君の味方だった、そうだろう?」
見苦しく髪を振り乱すアロイス。
「君は私のことを好きでいてくれたんじゃないのか!?」
彼女の浮気を知った彼氏みたいに、事実それに近い状況なのだが、取り乱す殿下。
ライラの視線がせわしなくアロイスと殿下、そしてラウルの間をさまよう。
三者三様がライラを追いつめるように、言葉を重ねるものだから、さすがにライラが可哀想になり、ちょっと黙らせてやろうと私が腰を浮かした時だった。
唐突にベルンが立ち上がり、ライラを問い詰めようとする殿下たちを、私のかわりに冷たい眼差し一つで黙らせてしまった。
さ、さすが…。
そのまま、壁際で荒く息をするライラの前に立ち、たまたま近かった私にしか聞こえないくらいの声量で語りかけた。
「ライラ、もし君が消えてしまうなら、もうとっくに消えていないとおかしいはずだろう」
「で、でも」
「恐れることは悪いことではない。けれど、よく考えて。君の本当に欲しいものは何だ?君の幸せはどこにある?」
「私、は…」
ずるずると床に座り込んでしまったライラに、跪いて目線を合わせベルンは続ける。
「ライラ、君が何にしがみついているのか、僕にはわからない。けれどね、この世にはそれ一つさえあれば、他の何も必要ないと思わせてくれる愛があるんだ。君にはもう、わかっているんじゃないのか?」
それは子供に言い聞かせるような、びっくりするくらい優しい声だった。
ついにライラはハッと、夢から覚めたように大きく目を見開いた。そして、唇をかみしめベルンの背後の誰かを見た。
ゆっくりと目の前で何度も手を開いたり、閉じたりして、その感触を噛みしめたのち、ピンクと水色が複雑に混じったトルマリンの瞳が溶け出したように涙がハラハラとこぼれ出す。
その表情には苦しみの影はなく、何か憑き物が落ちたように、すっきりとしていた。
なんとなく、ライラはもう大丈夫だと思った。
「それでは聞こう。ライラ・カーネイル、あなたは未来の王妃になる覚悟があるか?」
ベルンが問い、それぞれが自分勝手な期待を抱いてライラの答えを待った。
ライラはきつく瞼を閉じ、ほんの少し逡巡した。
けれど、次に目を開いたとき彼女の瞳は頼りなさは残りつつも、まっすぐとベルンを見ていた。
「……いいえ。私は…王妃にはなれません。私は、アロイスに操られエドウィン殿下に近づきました」
「ライラ!何をでたらめを…!」
「そんな…」
殿下が力が抜けたように、ソファに崩れ落ちる。
「殿下、しっかりなさってください、全てはベルンハルトが仕組んだこと。ライラも目を覚ますんだ!」
「いいえ、目を覚ますのは私たちのほうよ。例え、本当に消えてしまったとしても、もういいの。私は間違っていた。…ごめんなさい、殿下。あなたは私を好きになってくれて、たくさん良くしてくださいました。けれど、私の本当の幸せはあなたの側ではないのです」
そう言って、ライラは気まずげに殿下から視線をそらし、ちらっとラウルを見た。その視線が何よりも雄弁に、ライラが本当は誰を好きだったかを表していた。
あれ、でも、近親…。まぁ、今は細かいことはいいか!
「…本当に、ごめんなさい」
深々と頭を下げ、土下座の形でライラは謝罪した。
「ごめんなさい」
それは殿下だけでなく、彼女が直接的にも間接的にも傷つけてきた全ての人への謝罪に聞こえた。
その小さな体にゆっくりと歩み寄る人がいた。ライラの兄、ラウルだ。
「ライラ、顔をお上げ」
「お兄様、私、たくさん酷いことを」
「いいんだ。一人で怖かったろう。気づいてやれなくて、ごめんな」
「ううん。お兄様は悪くないの。全部私が!」
言いつのるライラをラウルは壊れ物を扱うみたいに、そっと抱きしめた。
「ちゃんと話をしよう。そうだ。昔よく、ライラは不思議な世界の話をしてくれたね。また聞かせてくれないか?」
「…うん。うん」
目元を真っ赤に腫れ上がらせたライラは、ラウルに支えられ何とか立ち上がった。
「このたびのこと、まことに申し訳ありません。しかし、俺にはいまだ事情が把握できていなくて…」
「この場は私が収めます。とにかく今は、ライラさんを落ち着かせてあげて下さい」
「重ね重ね、ありがとうございます。…ライラ、行こう」
きっぱりとフラれてしまったショックで口から魂が抜けている殿下と、ライラに裏切られて膝から崩れ落ちたアロイスを尻目に、ぺこりと頭を下げライラは兄とともに、扉前でずっと待機していたらしいダリウスに付き添われて談話室を出ていこうとした。
「ライラ!」
去りゆく背中に慌てて呼びかけると、バツの悪そうに彼女は振り返った。
呼び止めたくせに何を言うつもりとかは特になくて、言葉に詰まる。
な、なんて言えばいいんだろ。
またねじゃないだろうし、私は怒ってないよ、とか?それはちょっと、自意識過剰な気が…。いっそのこと、お幸せに!とか、は、ないか。うん、ないな。
はたと、私はライラのことを本当はどう思っているのだろうという問いが生じる。
かわいそうだとは思う。けれど、決して好きではない、と思う。
友達になれればいいなぁってのは変わらないけど、彼女のことを全て許せたわけではない。私が彼女の言葉に傷ついたことは、すぐに忘れられるようなことではないから。
思えば、私は今まで誰であろうと嫌いにならないでいようとし続けてきた。それは別に聖人君主みたいな立派な人間になりたかったからではなくて、誰であろうと嫌われるのが怖かったからなのだ。
だから、たぶんライラのことを嫌いになれないとか、そういうことは建前みたいなもので、本当は、
「私、あなたのことが嫌いよ」
ポッカ―ン。
まさにそんな擬音がふさわしい間抜けな顔をライラがするものだから、私は場違いだけれど少し笑ってしまった。
けれど、もうライラという皮をかぶっていない彼女のその間抜け面は、これまでの完璧な微笑みと比べてもずっと健康的で素敵に思えた。
だから、
「その分きっといい友達になれるわ」
冗談みたいだけど、心の底からそう思っている。嫌味に聞こえるのかもしれないけれど。
きっと、返事はないだろうと諦めのような少し寂しい気持ちで、ライラを見つめていると、意外なことに彼女はぎゅっと口を結んで、感極まったような顔をした。
「ちゃんと私を見てくれて、ありがとう。あと、たくさん酷いことを言ってごめんなさい」
そして、不器用に笑って、今度こそライラは兄に付き添われてドアの向こうへと消えていった。
「私は、間違えてしまったのだな」
フラれたショックで一言も発せなかった殿下が、ぽつりとこぼした。
なんとなく、嫌な言い方だと思った。
それはベルンも一緒だったようで、彼は冷え冷えとした眼差しを殿下へよこす。
「殿下は本当に何を間違えてしまったのか、理解してらっしゃいますか」
「何?」
「ライラ・カーネイルの正体を見抜けず、彼女に恋したことですか?アロイスの口車に乗って、カテリーナやリジィを責めたことですか?それとも、アロイスの言うことばかりを信じてきたことですか?」
「すべてだ。私はもっとこの国の王子という自覚のある行動をとらねばならなかった。…だが、一度でいいから自分の意志で何かを決めてみたかったのだ。私の人生は生まれたときからすべてが決まっていた。それこそ、着るものから話す内容、しいては眠りにつく時間までな。だから、王妃だけは自分の意志で選んでみたくなった。彼女だけは、自分で選びたかったのだ。…ふっ、その結果がこれだがな」
「自分の意志で選んでみたくなった、だと?」
くわっと目を見開いて、ベルンが鬼の形相を浮かべる。
彼がこんなにも怒ったところを私は初めて見た。
「押し付けられたものの意味も考えず、好き勝手したあげく間違えただの、自分の意志だの、甘ったれるな。そんなに自分の意志とやらを貫きたいならば、最初から嫌なものは嫌といえばよかったのだ。悔しいならば、うるさい奴らを黙らせるだけの努力をすればよかったのだ。お前もアロイスもライラも、全員が自分の責任を放棄して、他人のいうことに身を任せたからこうなったのではないか」
殿下はベルンの言葉遣いにムッとしたようだったが、自分の非を認めてか文句は言わず、あくまで真摯な態度をとった。
「すまなかった。私はまだまだ未熟だった、だが…」
「僕は。あなたのその、過ちさえ認めれば許されるという考えがずっと嫌いだった」
殿下が口の端をピクッと引きつらせる。かなりお怒りな様子だ。
少し冷静を取り戻したベルンは、打って変わって今度は静かに話し続ける。
「だけど、同時にうらやましくもあった。あなたは、きっと誰からも望まれて産まれてきて、許されて生きてきたのだろうと。僕とは真逆の人生だ」
「つまり、やはりお前は私が憎かったのだな」
「…そうかもしれません。同じ王族の血を引いているというのに、あなたは皆に守られ愛され、方や僕は常に命を狙われ続けてきた。僕は、…あなたを憎んでいました。未来の王座を奪ってやろうと、思ったこともありました。リジィが僕を変えてくれるまでは」
ん!?
突然自分が話題に上り、一瞬にして嫌な気配を察知するも時すでに遅しである。
恥ずかしがる素振りも見せず、むしろめちゃくちゃ真面目な顔をしたベルンの口は、次々と嬉しいような恥ずかしい内容を紡いでいく。
「リジィは僕に、存在を許される喜びを教えてくれた。この手が汚れていると知っても、手を握って、人は温かいのだといつでも教えてくれた。僕は初めて、自分が生きていてもいい人間なのだと言ってもらえた気がした。それが僕にとって、どれほど奇跡のようなことだったか、あなたたちにはわからないでしょう」
うわぁああああ!!は、恥ずかしい!恥ずかしいから、やめてくれぇええ!
そう叫びたいが、ベルンがこんなに自分の気持ちを包み隠さず話すことなど、めったにないので私は変な汗をかきながらも耳を必死に傾けていた。
私はそんな大層なことはしていない。けれど、ベルンが私の存在で救われたというのなら、こんなに嬉しいことはない。本当に、たいしたことはしてあげれていないと思うけれど。
あ~!ボイスレコーダーとかがあれば、永久保存するのに~!!せめて、魔法とかあったら、なんか、こう、がんばってだな…。
お馬鹿な私の脳内はほっといて。
「だから僕は、リジィを巻き込んだあなたたちを許すつもりはない」
ベルンの氷のような視線にアロイスはたじろぐ。
「お前がぁ!お前が、許さないと言って、どうなるっていうんだ!?私を訴えるか?いったいどんな罪でだ?私は何もしていない。私はライラが殿下を慕っているというから、協力しただけ。それが何の罪なんだ?なぁ、教えてくれよ」
「さぁ。ですが、今回のことをすでに国王は知っておられる。殿下がご自分の責務も忘れて、ライラにかまけて仕事をさぼっていたことも、カテリーナとの婚約の意味も考えず破棄しようと奔走なさっていたことも、ね」
「は?」
「そこにいるタイタス様は、王命で殿下の監視の任についていました。報告を受けて陛下は、王位継承権の順位について考え直したいとお考えだそうです」
タイタスが嫌に芝居がかった仕草でお辞儀をする。
ふざけた丸メガネが、きらーんと光った。もしかしなくとも、タイタスなりのドヤ顔ってことなのだろうか。
「なぜだ!」
泡を食って叫ぶ殿下に、ベルンは哀れみのかけらもない無表情で冷たく言い返す。
「学園は何も、息抜きの場ではないのですよ。あなたは資質を試されていた。そして、失敗した。残念だが、もう終わりです」
さすがにフラれた上に、王座も危ういという事実に殿下はキャパオーバーをしてしまったらしく、顔面蒼白で頭を抱えてしまった。なにやら小声でブツブツと呟いていて、なかなかにホラーである。
「まだだ!まだ終わってなどいない!」
どこからどうみても終わっているアロイスは往生際悪く吠えた。
赤毛が汗で顔に張り付て、生気のない顔は手負いの獣のように目ばかり光っていて、まさに凶相と呼ぶのにふさわしい。
ベルンは、そんなアロイスに心底馬鹿にしてますといった感じで言う。
「そういえば、レトガー公爵の件はどうなった。ルーカスに橋渡しをしてもらって、ライラを公爵の娘に仕立て上げるつもりだったのだろう?」
「ライラは…公爵の本当の娘だ。そうだ、貴様のしたことにレトガー公爵が黙っていないぞ!」
いまとっさに思いつきました感がすけすけの虚勢だ。
ここまでくると見ていて、もはや痛々しいレベルである。
「ああそれね、実は君が持ち掛けた取引のことは、まだ公爵には話してないんだよね~」
部屋の隅でニヤニヤしながら事の成り行きを見守っていたルーカスが、急に割って入ったかと思うと、内容に似つかわしくないのんびりとした調子でとんだ爆弾発言をした。
「なんだと!?ルーカス貴様、裏切ったのか!」
しかし、爆弾を一つ落とされたくらいじゃ止まらない残念男アロイス。
ルーカスはいつも通りの真意の読めない笑顔に、今回ばかりはあきらかな侮蔑の感情をのせてアロイスを見た。なんとなく、ベルンによく似た悪役顔である。
「裏切るっていうなら、最初っからさ。なんていったって僕は、裏生徒会の顧問だからね!いやはや、表向きはビットナー先生になってるけど、それをそのまま信じちゃうあたり、君も存外素直だねぇ」
裏生徒会の活動内容を聞いたとき、なんてクレイジーな部活なんだと思ったけど、本当にクレイジーな奴が顧問だったって感じだ。
というか、表向きはあのお爺ちゃん先生になってたんだ。たしかによく第五校舎で日向ぼっこしているのを見るけども。
もう驚く気力もわかないっていうか、妙に納得してしまって笑いしか出てこないし、ここまでおちょくられるアロイスも可哀想な気もする。
あ、でも、さんざん悪いことしてきた報いってやつだろうか。
「もう分かっただろう。お前は最初から負けていたんだ」
「だ、だからなんだというのだっ!もはや、レトガー公爵など関係のないこと」
ついさっき、レトガー公爵が黙ってないっていった舌の根も乾かないうちによく言うものだ。
「まだ、足りないか?ならば、とっておきを教えてやろう。すでにデーニッツ家には、監査局の役人とともに軍が向かっている。よく当たる占い師がいるそうだが、地方貴族から多数の詐欺被害訴えが出ているそうだぞ。必ず値が高騰するといわれ買った品々なのに、法外な値段を払ってまで受けた神託が外れて大損をしたと。ライラが王妃になればもみ消せるとでも思っていたのだろうがな。お前の頼みの綱のヴィオラとやらも今頃は捕縛されているころだろう」
「こんな…こんなはずじゃ…」
「占いにすがって自分の手を汚さずに手にできるほど、お前の欲したものは安くはなかったということだ。喧嘩を売る相手を間違えたな、アロイス。私とお前では格が違う」
ベルンのとどめの一言に、かくんと膝をついて、ついにアロイスは崩れ落ちた。ベルンにしてはえらく挑発的というか、やりすぎなとどめではあったが。
アロイスは、タイタスに後ろ手で拘束され、力の入らない足で無理やり立たされ連行されていく。
その様子をぼんやりと見守っていると、ああ、ようやく終わったのだと、酷い疲労感が襲ってきた。
なんというか、あんまりほっとしたとか、すっきりしたという感覚はない。
アロイスの往生際の悪さとか、殿下の情けなさを思い出すだけでも、なんだかえらいものを見てしまったという嫌な感覚が湧き上がってくるのだ。
きっと、ベルンもいろいろ思うところがあるだろう。あとでちょっと労ってあげようかな、なんて能天気に考えていたときだった。
タイタスが笑っていることに、私は気づいた。
彼は何事かをアロイスに囁き、にたりと口の端を吊り上げる。
それはとても嫌な感じがする笑いで、とっさに私は腰を浮かした。
次の瞬間、アロイスがどこにそんな力が残っていたのかと驚くほどの力でタイタスの腕を振り払い、ベルンのほうへ体を翻した。
その手には銀色に光る細いものが、握りこまれていた。
鋭く光る切っ先。見間違えようもない。短剣だ。
どうして、アロイスが短剣を!?
決着がついたと弛緩していた室内の空気が、一気に緊張するのが肌でわかった。
アロイスは発狂したように死ねだか消えろだかわからない奇声を発しながら、ベルンへ一直線に突進してくる。殺意が怒鳴り声とともに、びりびりと伝わってきて足がすくむ。
慌ててベルンを見ると、彼は構えることすらせず、両手をだらんとぶら下げ、アロイスをしかと見据えていた。
いつかの感謝祭で刃を向けられた時のように、何もかもがゆっくりに見えた。そのくせ体からは一切の血の気が失せて、感覚が酷く鈍く遠い。
なんで、突然アロイスが襲い掛かってきたのかとか、短剣を隠し持っていたのかとか、どうしてベルンはつったったままなんだとかそんなことは、今はどうでもいい!
とにかく今はベルンを助けなければ!!
その一念が瞬時に私を支配した。
「危ない…!」
私の体は無意識にベルンへ駆け寄り、その体を自分ごと突き飛ばそうとしていた。
駆け寄る私を見て、ベルンはわずかに焦ったように目を見張り、次の瞬間私は逆に彼の手によって突き飛ばされていた。
「ベルン!」
悲鳴のような声が、喉を裂いて飛び出す。
醜悪な笑顔でアロイスが短剣を振り下ろす。
短剣が冷たい光の筋を描く。
刹那、ベルンの柔らかな灰色の瞳がふっと私を見て、そして微笑んで。
伸ばした手の先で、目に痛いほどの赤が舞った。
ベルンハルト・ユース・ブルンスマイヤーの葬儀は盛大に行われた。
喪主は兄の跡を継いだカテリーナ・エマ・ブルンスマイヤー公爵が務め、国王が直接弔いに赴き、多くが彼の死を惜しんだ。
エドウィン王子婚約者騒動の幕引きともなったベルンハルトの死は、大きな波紋を呼んだ。
まず、故人が王族の血を引いていたこと、王妃が長年にわたり彼の命を狙っていたことが判明。さらに、殺害犯アロイス・デーニッツへ王妃が殺害をほのめかすような書簡も見つかり、王妃自身は罪にとわれなかったが王妃派の勢力は大きく削がれることとなった。
加えて、彼の死の発端となった婚約者騒動と、王妃派の衰退によってエドウィン第一王子は、第一王位継承権を返上。これにより、第二王子セリムが王太子として擁立された。後見人には地方貴族ながら勢力を伸ばすヴェーナー家とブルンスマイヤー家が共同でつき、その他多くの新興貴族が支持。急な継承権変更ではあったが、その基盤はすでに盤石といえた。
騒動の中心人物であるアロイスと首謀格の占い師ヴィオラは、孤島の監獄に一生幽閉されることなり、ライラ・カーネイルは恩赦が与えられたものの本人の意志によって修道院に入ることとなった。もちろん、デーニッツ家は領地を没収され、没落の憂き目を迎える。
仲睦まじいことで有名であった彼の婚約者リジーア・リートベルフは、彼の死のショックから立ち直れず王立学園を退学。一年経った現在は、婿養子をとり社交界にはほとんど顔を出さず、領地で静かに暮らしているという。




