にじゅうに
とはいえ腹が減っては戦はできぬということで、制服に着替え、食堂で腹ごしらえすることになった。
もうランチはとっくに終わっている時間で食堂は貸し切り状態だった。変に好奇の目で見られなくて済むから好都合だが、軽食メニューしかないのが残念だ。
まだ授業は終わっていないのに一緒についてきたダリウスにさぼりかと聞いたら、あっさりそうだと言われた。この不良め!
三人でもしゃもしゃサンドイッチを食べていたら、ダリウスがいつもはくれないのに付け合わせのピクルスをくれた。意味がわからなかったが、ピクルスに罪はないのでぼりぼり食べていたら、ベルンもピクルスをくれたので三人前のピクルスを食べる羽目になってしまった。
ピクルスってちょこっと食べるからおいしいのであって、こんなに大量に食べると嫌いになってしまいそうだ。いや、もらえるものはもらうけど。
そんなこんなで口がだいぶん酸っぱくなりながらも裏生徒会につくと、ダリウス同様まだ授業中だろうにそこそこの数のメンバーが何やら慌ただしくしていた。
まぁ、そこそこと言っても十人もいないと言ったところで、イオニアスやヘレナといった中心メンバーが主に集まっているようだった。
何事かと思っていると私の名前を呼ぶ声がして、クラリッサが駆け寄ってきた。
彼女は駆け寄ってきたものの私にどう接したらよいのか迷っているらしく、あと二歩というところで立ち止まりもじもじしている。私は彼女をすっかり許したつもりだったのだが、彼女はそうきっぱりと罪悪感を捨て去れないらしかった。
まぁ、クラリッサは真面目な子だし、人間複雑なもので許したとはいえここですっぱり切り替えられても逆に微妙な気持ちになるのかもしれない。
「具合はどう?どこか痛いところとか?」
「どこも悪くはないわ。むしろ寝すぎたくらい。クラリッサはどうしてここに?」
私に拒絶する様子がないのを見て、クラリッサはいくぶんかリラックスした様子になった。
「同室の子が襲われたのに授業になんて出てられないわ。それにアロイス様から報復されないとも限らないし」
それもそうかと納得しかけて、いやそうではないなと思い至る。
クラリッサがここにいる本当の理由はアロイスから身を守るためではないような気がする。
アロイスは腹の立つことにいろいろ仕掛けてくる割には、自分の手だけは絶対に汚さないから、今回の件だってドナルドとクラリッサの証言だけではアロイスを罪に問うことはできないだろう。
疑わしきは罰せずというのが貴族社会の特徴だ。
逆にアロイスが口封じをしてくるようなら、それが確固たる証拠になってしまうし、そんなことなら最初からこんな方法は選ばないはずだ。
おそらくクラリッサを裏生徒会が保護することは、アロイスに対する牽制なのだ。全部わかってるんだぞみたいな。
自画自賛だけど、私最近賢くなってきてない?前世足して四十路手前だけど、人間成長に遅すぎることはないって偉い人が言ってたのは本当だったんだなぁ。四十路手前の自覚全くないけれど。
「さて、会長と会長夫人も来たことだし、そろそろ作戦会議といきますか」
会長夫人ってなんだ。全部の指に凶器みたいな指輪を付けた奥様が浮かんでくるようなリッチな響きだけど、私はそんなものになった覚えはないぞ。
イオニアスの一言で個人作業に没頭していたメンバーたちがわらわらと集まってくる。各々適当に椅子を持ってきて集合し終わると、いびつな円形になっていた。
私もそれにならって椅子を探そうとしたら、もうベルンが用意していた。急にこういうことをさらっとされると、ちょっと照れてしまう。
「さて、クラリッサ。君がアロイスに協力させられていた話の続きなんだが、デーニッツ家にいる占い師とやらについて教えてくれないだろうか」
そういえばそんなことも言っていたっけ。
確かアロイスはその占い師をすごく頼りにしている、だったか。
クラリッサは一度に注目されるのに慣れていないからか、スカートの裾を意味もなく直して少し緊張した面持ちで話し始めた。
「その占い師の名は、ヴィオラといいます。もともとはデーニッツ家の侍従の子で、幼いころからメイドとして働いていたそうです」
「ただのメイドがどうして占い師なんかに?」
「私も簡単な話しか知らないのですが、アロイス様はある日ヴィオラは未来が見えるようになって、自分と母の暗殺を防いでくれたのだと言っていました」
アロイスの母親って何か特別な存在だったろうか。
私が首をひねっていると、クラリッサが補足するように説明をしてくれた。
「デーニッツ伯爵は正妻と愛人をお持ちになっています。アロイス様のお母様は愛人で、その、もとは、男性相手に商売をしている方で…」
「ああ、娼婦か」
言いにくそうに言葉をごまかすクラリッサの努力むなしくダリウスがあっけらかんと言い放つ。なんというか、本当にそういうところの気遣いがなっていないというか、彼の奥さんになる人はきっと菩薩か何かでないと務まらないのではないだろうか。
アロイスの母親が娼婦だという事実は私の記憶を呼び覚ましてくれるかと思ったが、おぼろげなままでなかなか輪郭がつかめない。
私を含めた部屋にいた人間は、静かにクラリッサが再び話始めるのを待った。
「ええ、まぁ、そういうご職業の方だったんです。何度かお会いしましたけれど、とても美しく、お優しい方で、もとはどこかの裕福な商家の出だったそうで教養もある方です。身分のために愛人という立場しか与えられていませんが、デーニッツ伯爵の寵愛をうけていらっしゃいました。そして当然、伯爵夫人からは激しい嫉妬と憎しみを…」
貴族でもない、ましてや娼婦に夫の愛を奪われた。プライドの高かった夫人の憎しみはつもりにつもって、とうとうアロイス親子の暗殺を企てるに至ったのだという。
「そして未来を透視したヴィオラが夫人の企みを暴き、アロイス親子の命を救ってみせたと」
「はい。それ以来、彼女はいくつか国内の大きな事件を当ててきたそうで、デーニッツ家専属の占い師になったのだそうです。アロイス様は命を救われたということもあって、すっかり彼女のことを信用していました。私との婚約も彼女の占い結果が良かったからだとも…。それにはっきりと言われたわけではないのですが、私と結婚したらアロイス様はヴィオラを愛人として迎えるつもりだったのだと思います」
伯爵がアロイスの母親を愛人として迎えたように。
全く持って自分勝手な話ではないだろうか。
女性メンバーの中には明らかにムッとした顔をした者もいる。
私ももちろん憤りを感じてはいたのだが、それよりもクラリッサの話を聞くうちになんとなく輪郭を掴み始めたアロイスルートの記憶に意識は向いていた。
アロイスにとって、母親の存在というのはとても大きいものだった。
美しく気立ての良いアロイスの母は、元娼婦であったために夫人の激しい怒りをかって毒殺され、アロイス自身も同じ毒で生死の境をさまよう。彼自身は奇跡的に助かるが母親は永遠に失われ、味方のいない屋敷で夫人からの冷遇を受け続ける。
アロイスは愛人の子でさらに次男なので世継ぎになれる可能性は非常に低かったが、夫人に再び命を狙われないよう、わざと遊び人のちゃらんぽらんを演じるようになる。女にうつつを抜かすアホなら、次男ということも加えて夫人も見逃してくれるからだ。
しかしアロイスは当主の座をあきらめていたわけではない。
遊び人な次男坊を演じながら、アロイスは人脈を着々と広げ、学園では殿下と親しい友人という地位を得るまでにいたる。すべては夫人の子である兄を押しのけ当主となり、夫人に復讐するために。
という設定だったような、そうじゃなかったような…。
いや、ごめん、正直自信ない。でも、こうだった気がする。たぶん、きっと、おそらく。
とりあえずアロイスにとって母親の死が大きなターニングポイントだったのは確かで、話を聞く限りこの世界では彼の母親は毒殺を免れている。
もしヴィオラがこの知識を持っているのだとしたら?
彼女が毒殺を防いだ後にする行動はおのずと見えてくる。
「ねぇ、クラリッサ。もしかしてそのヴィオラは、デーニッツ家のわだかまりを解決したんじゃない?」
「どうかしら…。夫人は暗殺の件で遠くの保養地に隔離されて、デーニッツの女主人は事実上アロイス様のお母様ということになっているわ。アロイス様のお兄様も気難しかった夫人よりも彼女を慕っている様子だし…。そうね。ヴィオラがきっかけでデーニッツ家の問題はひと段落したと言えるかもしれないわ」
「そこまでヴィオラがデーニッツ家に食い込んでいるということは、アロイスはヴィオラに操られているという可能性もあるか…」
少しづつ謎に包まれていた占い師の姿が見え始めていた。
まだ確かな証拠はない。もしかしたら、ヴィオラは本当に未来が見える超能力者なのかもしれない。
けれど、超能力者なんてそうそういるわけがないし、本当にみえるのならばアロイスはもっとうまくやれているはずだ。
そして私は超能力なんてなくても未来を知る方法、いや未来に見える記憶を持つ人たちがいることを知っている。
間違いない。ヴィオラは私やライラと同じ転生者だ。
ライラが五年前の感謝祭以来ゲームとは違う活発な動きを見せていると聞いたとき、私はライラ自身が転生者である可能性と、彼女またはアロイス、ヨハンの周りに転生者がいる可能性に思い至っていた。
まさかどちらの可能性も現実であったとは考えつかなかったけれど。
だいたいにして、ライラはともかく私みたいなモブみたいな存在でも前世の記憶を持っているのだ。他にいたって何も不思議なことはない。それが、デーニッツ家のメイドだったとしてもだ。
そうすると、アロイスがかなり早い段階からベルンを警戒していたことも説明がつく。
彼女と話す機会が持てれば確かめられるのだがと思う一方で、ライラの時のようになったら嫌だなとも純粋に思う。
そういえば、ライラはどうしているのだろうか。
今日もやっぱり授業を休んでいるのだろうか。
私が物思いにふけっていると、その思考を破るように勢いよくドアが開いた。
視線を一心に集める王妃教育を受けてきたとは思えない乱暴な登場を果たしたカテリーナは、私を認めるなり泣き出しそうな情けない顔になった。
「ごめんなさい。本当はすぐにでもあなたの顔を見たかったのだけれど、お兄様がわたくしまで学校を休んでは逆にリジーアは本当は無事ではないのではないかと勘ぐられるから、普段通り授業に出るようにと言われて。きっと、とても恐ろしい目にあったのでしょう。あなた本当にどこにも怪我はしていないの?イオニアスは大丈夫だって言ってたけど、あんな唐変木のいうことなんて信用できないし」
「よく唐変木なんて知ってたな」
「お黙んなさいイオニアス!」
カテリーナは失敬なイオニアスを懲らしめるのに躍起になって、扇子を振り回す。私は彼女の気遣いと普段通りの光景に思わず笑ってしまったのだった。
「大丈夫ですよ、カテリーナ様。ありがとうございます」
大丈夫だということをアピールするために腰に手を当てて、仁王立ちして見せる。いや、別に仁王立ちする意味はないんだけど、こう、元気だぞー!みたいな。
扇子を振り回すのをやめて、カテリーナは怖かったでしょうに!と言って仁王立ちする私を抱きしめてくれた。情熱的な抱擁に感極まって、ついでにあまりの力に呼吸も止まりそうになったが、こんなにも心配されて悪い気はしない。
私とカテリーナが感動的な場面を繰り広げていると、会室に新たな訪問者が現れた。
近くにいたヘレナがそれに対応しようとしたのだが、それはカテリーナによって阻まれてしまった。
私を抱きしめていたカテリーナが突然ベルンの前で見事な仁王立ちを披露しながら、お兄様!と張りのある良く通る声をあげたからだ。
「うっ」
カテリーナのただならぬ剣幕に、思わずといった様子でベルンがたじろく。珍しい。
「お兄様はなんのためにそんなに大きな図体をしていらっしゃるの!リジーアを危ない目に合せて!そこのハム役者のほうがよっぽどましだわ」
別にベルンが大きいのに意味はないと思うよ、カテリーナ。
ちなみにハム役者とは大根役者と同じような意味の言葉である。イオニアス、演技下手なのか。まぁ、下手そうだもんね。
「うう…」
返す言葉もなく大きな図体を小さくするベルンといきり立っているカテリーナは、まさにいつもと立場が逆転していて、部屋にいるメンバーたちは驚けばいいのか笑えばいいのかよくわからない複雑な顔をしている者が多かった。
「だいたい、わたくしお兄様には言いたいことがたくさんありましてよ」
それからしばらくカテリーナの説教は続き、最近の話から子供時代にいつも遠駆けでは自分を仲間外れにしたという古い話まで持ち出し、しまいには理由もなく変態とののしられていた。かわいそうに。
ベルンがカテリーナに怒られるという面白い状況をもう少し楽しみたいという気持ちもなくはなかったが、さすがにベルンが可哀想なのと、どうみても慣れないお説教のせいですっかり頭がゆであがってよくわからない状況に陥っているカテリーナをどうどうとベルンから引きはがすことにした。
途中から苦笑いするイオニアスに引き取られて、今は大人しくハーブティーとクッキーを食べている。
私もサンドイッチだけではどうにもお腹がすくので、少しつまませてもらった。クッキーにもハーブが練りこまれているのか、素朴な甘さと鼻から抜ける香りがなかなかくせになりそうだ。
「待たせてすいません。タイタスさん」
「いえ。面白いものが見られたので」
私がもさもさクッキーを食べている間に、お説教のせいですっかり放置されてしまっていた男子生徒にベルンが少しだけばつの悪そうにしながら謝罪した。
印象が薄かったので、彼を待たせていることを全員が忘れてしまっていたのだ。
彼も彼で気配薄く入り口で待っていたものだから、余計にである。
あれ、でもなんで敬語なんだろう?
生徒ってことは年上のはずないのに。会室で見かけたこともないし、メンバーじゃないのか。
そのタイタス本人と言えば、眼鏡をかけていて、よく言えば大人しそうな、悪く言えば地味な顔立ちをしている。たぶん、眼鏡が本体とか言われそうなタイプだ。そして、それに対して怒ったりもしなさそうな感じだ。
「あれって、三年のベーリヒか?どうしてここに」
「ベーリヒ先輩ね。彼もいちおうメンバーらしいわ。私にも詳しい事情は教えられていないからわからないのだけど…」
いつまでも傲岸不遜な態度のダリウスはヘレナに注意され一応はいはいと返事をしていた。いいぞーもっとやってやれヘレナさん!
どうやら、タイタスはそれなりに有名な人物らしい。
同じクラスの顔と名前さえ一致していない私などには、さっぱりわからないのだが。
ベルンはタイタスと二言三言交わしたのち、部屋で書いていた手紙を彼に託し、彼もまたベルンに折りたたんだだけの手紙らしきものを渡した。
短いやり取りを終えたタイタスはにっこりと会釈して、何食わぬ顔で校舎の裏の林に面する窓から軽やかに出て行った。
そう、ドアじゃなくて、窓からだ。決して見間違いでも言い間違いでもない。
とりあえずここ三階なんだけど、大丈夫なんだろうか…。
「彼は、まぁ、ああいう人だから…」
「そ、そうなんだ…」
たぶん、誰一人として納得できていないのだが、聞くだけ馬鹿馬鹿しいという雰囲気のために改めて質問する人はいなかった。
若干の困惑がいまだ漂っていたが、ベルンはそれ以上説明してくれる気はないようで、タイタスから受け取った手紙に目を通している。
彼は少し唸って手紙から顔を上げた。
「荷物が届いたようだ。カテリーナ、イオニアスを借りていくけどいいかい?」
「どうぞ」
いつもは聞かないイオニアス貸出許可なんてとったりしているあたり、お説教が効いているのだろうか。
それとも、何かやましい気持ちでもあるのか。
そこまで考えて、ピーンときた。そりゃもう、二時間サスペンスで犯人が分かった瞬間くらいにはピーンときた。
ただの荷物をベルンがわざわざイオニアスを連れてまで取りに行くとは考えにくい。時間的に考えても、荷物とはヨハンのことだ。カテリーナがいる手前、荷物という名前でごまかしているのだろう。
というかヨハンにも、ことによっては尋問するつもりなのだろうか…。物騒だ!
そこまで考えて少し試してみたいことを私は思いついた。
ちょんちょんとベルンの肩をつつき、周りには聞こえないよう声を抑える。
「お願いがあるの。私にも、荷物を見せてほしい」
てっきり驚いた顔をされると思ったのだが、ベルンは僅かに嬉しそうに目を細めてみせる。
なんというか、子供の成長を喜んでいるような顔にもみえた。
「…わかった」
やや逡巡したのち、あっけなくベルンは頷いてくれた。
「けれど、僕とイオニアスも同席するよ」
「わかってる」
私としても、最初から同席してもらうつもりだった。
私はヨハンとは一度昼食を食べたくらいで、面識なんてほとんど無いに等しい。けれど、ベルンやイオニアスよりきっと私はヨハン・ドレクスラーという人間のことを知っているのだ。
いまから私がしようとしていることは、ライラやヴィオラがやってきたことと同じことになるのだろう。
罪悪感とかずるをすることへの抵抗感とかは、ある。
けれど、もうこんなくだらない争いは、終わらせてしまうべきなのだ。




