じゅうに
ピリピリとした空気の中、イオニアスが代表して状況を教えてくれることになった。
彼の眉間には刻み込んだような深いしわが出来てしまっている。
「どうか落ち着いて聞いてほしい」
わかったから。そんなにもったいぶるなら、ドラムロールでも流せばいいんじゃないのかな。
ドキドキとうるさい鼓動を抑えつけて、イオニアスの言葉の続きを待つ。
「今日の放課後、ライラ・カーネイルが何者かに階段から突き落とされた。そしてその容疑者にリジーア、君があがっている」
「なんで!?」
驚きすぎて素で叫んで出てしまった。
ライラが階段から突き落とされたのも驚きだが、自分がその容疑者になっているという事実に後ろから殴りつけられたような衝撃を伴ってやってくる。
もちろん私はずっとダリウスと地下にいたので、ライラを突き落としてなどいないし、不可能だ。
「ラ、ライラさんは?」
とにもかくにもライラの様子を聞かねばなるまい。取り乱す私にイオニアスはゆっくりと言い聞かせるように言った。
「手をひどくねん挫したくらいだそうだ。命に別状はない」
ひとまずほっと胸をなでおろす。
だが、どうして私がやったということになるのか。
「ライラ自身は誰に突き落とされたか分からないそうだ。そこでアロイスが殿下と共に犯人探しを始めた」
「アロイス。殿下まで…」
なんてことだ。
こんなところでゲームにあったような出来事が起きてしまうなんて。階段から突き落とすなんて、そんなのいじめのテンプレみたいなものじゃないか!
となると、一番に疑われる人物は決まっている。
「…まず最初に疑われたのはカテリーナだった」
イオニアスはカテリーナ贔屓なので、苦虫を噛み潰したような顔を隠そうともしない。たぶん、カテリーナが犯人ではないかと言われたときはもっと渋い顔をしていたに違いない。
「彼女はその時サロンにいたと多くが証言したから、すぐに容疑者から外された。いちおう犯人探しの態を取っているから、証言がある限りあいつらも強くはでられない。だから、こっちも最悪証言を仕込んでしまえばいいとベルンハルトは考えたようだが、まぁそう甘くはねぇよな。…アロイスは、カテリーナが誰かに命令してやらせたのではないか、とふざけたことをぬかしだしやがった」
「どうやってもわたくしを犯人にしたいのよ」
鼻にしわを寄せるというご令嬢らしくない仕草をしながら、カテリーナは扇子をギュッと握りしめた。
つまりカテリーナはアリバイがあったので、彼女が他の人間にやらせたということになり、そのいわば実行犯として疑われたのが…。
「まさかそれで私がやったと?」
肯定を意味する沈黙がおりる。
「向こうが言うには、現場に落ちていたハンカチが君のもので、しかも授業が終わってからリジーアの姿を見たという証言もなく限りなく怪しい存在である、と」
「ハンカチ?」
念のためポケットを探って、ハンカチがあることを確認する。よかった、ちゃんとある。これで無いなんてなったら余計面倒なことになってしまう。
いや、向こうからしたら私がいまハンカチを持っているかどうかは大した問題ではないのかもしれない。
話を聞く限り、アロイスたちが本当にライラを突き飛ばしたのが誰か突き止めたいという考えで動いているようには思えないし。
ってそれもっと最悪じゃないか!!
「わたくしだけでなくリジーアまで犯罪者扱いして、殿下までたきつけるなんてあの男!…それにリジーア!あなたもあなただわ。こんな時に限ってどこに行っていたの!?反論したくても当の本人がいないものですから、わたくしには何もできなくって噂ばかりどんどん広がってしまったのよ」
もう我慢ならないといったふうに声を荒げたカテリーナだったが、次第にその声には悔しさや情けなさそうな響きがまじっていく。
外界と遮られた狭い学園では、こういった刺激的な事件の噂はすぐに尾ひれ背びれがついて広まってしまう。一部ではもう私がやったということになってしまっていてもおかしくはないだろう。
彼女は私がライラを突き落とした犯人だと、根も葉もない噂でも言われることを私以上に悲しんでくれいるのだ。
ようやくことの重大さが呑み込めてきた私は、全身からぶわっと冷や汗が吹き出すのを感じた。
「…ダリウスと地下の物置みたいなところで遊んでいたら、扉があかなくなってしまって」
「それでずっとそこに?」
「はい。…ベルンが探しに来てくれて」
もし、私が本当に犯人だということになってしまったら、どうなるのだろうか。ベルンは、カテリーナは…。
周囲に薄い膜が貼られたように現実が遠のいて、ひどい耳鳴りがする。
「なんでそんなところで遊んでいたのよ!あなた子供じゃないんだから!」
本当は遊んでたわけじゃないんだけど。でもダリウスに勧誘受けてたとか言っていいかわからないし。く、くそう!覚えてろ、ダリウス!!
「ご、ごもっともです」
「とりあえず、ダリウスはそのことを証言してくれるか?」
「はい」
しなかったらベルンに何されるかわからないだろうから、そこはダリウスも必死に証言してくれると思う。
ベルンはダリウスに話があると言っていた。おそらく今回の騒動についてダリウスが関わっていないのかとか、関わっていなかったとしてどこまで協力する気があるかとかを聞くためだろう。
私の勘もあるけど、普通に考えてダリウスがアロイス達に加担しているとは考えにくい。
というかベルンがえらく怒っている気がしたのは、このためだったのか。
「大丈夫?リジーア」
ヘレナが優しい手つきで背中をさすってくれる。
おかげで少し力が抜けて、握りしめていた指先が氷みたいに冷えていることに気付く。
カテリーナもイオニアスも他のみんなも私が犯人に仕立て上げられそうになっていることに、憤って心配してくれている。
それにベルンももうすぐ来てくれるはずだ。
そう思うと、感覚のなかった足元が急にしっかりと感じられるようになった。
大丈夫。きっと大丈夫だ。だから、もっとしっかりしなくては。
気を取り直した私は、情報の整理に努めることにした。
「つまり。現状は私がカテリーナに命じられて、ライラさんを階段から突き落とし、そしてその場に落ちていたハンカチが証拠だと向こうは主張しているわけなのですね」
「ああ」
「その落ちていたハンカチが私のだっていう証拠は?」
「R.Rのイニシャルが入っていたらしい」
なるほど。イニシャルがR.Rの人物は決して多いわけではないし、私はカテリーナと親しくしている。しかも、一時期はライラにベルンを取られたという腹立たしい噂まであった。
加えてライラと表立って対立していると思われるのは、私たちだけ。
ますます、今回の騒動が私を使ってカテリーナ、ひいてはベルンを貶めることが目的であると思えてくる。
「でも、それは私のハンカチのはずがありません」
「あなたそれを証明できるの?」
「はい。だって私のハンカチのイニシャルは全部R.Bなんです」
とたん緊迫していた室内に変な間が生まれる。
これがマンガだったら、きっと全員の頭上に大きなハテナマークが描き込まれていただろう。
「えっと、それは…?」
どういうことだとカテリーナが場を代表して聞いてくる。
それに私は堂々と胸を張って答えた。
「ベルンが刺繍にはまっていた時期があって、私が学園に持ってきたものは全て彼がくれたものです。ちなみにR.BのBは、ブルンスマイヤーのBとベルンのBだそうです」
何ともいえない空気が一同のあいだに漂った。いや、私もね、ちょっとどうかな?とは思ったよ?でも一生懸命作ってくれたものを無下になんてできないじゃないか。
堂々と言い切った反動で急激に恥ずかしくなって、身を縮こまらせながら私はハンカチを証拠に広げて見せる。
「いまも持っているんですけど…」
「うわ、本当だ」
「お兄様…」
ご丁寧にブルンスマイヤーの印章まで刺されたそれに、一同はさっきまでのシリアスな雰囲気を一転させなんともいえない微妙な表情を各々浮かべた。
そして見計らったようなタイミングで現れたベルンに、生暖かい視線が注がれたのだった。
さすが、ベルン。彼はいつだって良くも悪くも人のペースを崩す男である。
とりあえず一旦寮に戻ろうということになり、私はベルン達に周りを固められて第五校舎を出た。
さながらSPに身辺警護される大統領である。警官に囲まれて護送される容疑者の図とも言えそうではあるが。
ハンカチの件で実の妹からも引かれていたベルンだが、裏生徒会メンバーからの信頼というか忠誠は厚い。
なんでもメンバーのほとんどは爵位や血縁問題のために本人が優秀であってもなかなか出世が厳しいという不遇な者たちなのだそうだ。それをベルンにスカウトされ、実力を王宮の偉い人に売り込める千載一遇の機会を彼らは得た。
現に三年のヘレナとかは卒業後に外務省で秘書見習いになることがほぼ決まっているのだという。
動機はどうであれ、ベルンが誰かに慕われ、感謝されているという状況に感動を禁じ得ない。
私のしてきたことも決して無意味でなかった。そう思える。そうして回り回って、いま助けてもらっているのだから世の中案外上手くできているもんだ。
「リジィ、今夜は用心してカテリーナの部屋で休むといい。カテリーナ、お前たちの警護にヘレナたちも待機してもらおうと思うがいいか?」
「わかりましたわ」
こんな状況でさえなければ、立派なパジャマパーティになっただろうに。この騒動が解決したら、みんなを誘ってみようか。
困難に立ち向かっている時ほど、楽しいことを考えてモチベーションをあげよう。昔みたいにひたすらグロッキーになったって、なるもんはなるようにしかならない。
ひたすらに自分を励ましながら歩いていると、女子寮の前に人だかりができているのが見えた。
うわぁ…。もしかしなくても嫌な予感がする。いままでテンプレなんて知りませ~んといった展開だったくせに。
女子寮に入らないわけにもいかず近づいていく私たちに気付いて、人垣が勝手に割れる。まるでダンスホールのように、円形に人に囲まれた正面玄関前で私たちは待ち構えていたらしき二人と対峙する。
「やぁ、待っていたよ。リジーア・リートベルフ」
アロイス・デーニッツは蛇のような狡猾な笑みをたたえて、一歩歩み出る。その動作はまるでパーティの始まりを告げるかのように優雅であった。
盛り上がってきたところなのですが、私生活が多忙のため、次の更新は一週間後の水曜22時を予定しています。よろしくお願いします。




