お願い
「何だったかなぁ……たしか何かしなくちゃいけなかったんだけど」
教室移動のために廊下を歩いていたユイは、ふと奥歯に物が挟まったかのような違和感を覚えると、ぶつぶつと独り言を呟きながら何度も首をひねる。
そんな彼の隣で一緒に歩いていたセシルは、挙動不審なユイの仕草を目にして不思議そうな表情を浮かべた。
「どうしたの、ユイ君? そんなに首を傾げて」
「ああ、なにか今週中にしなきゃいけないことがあった気がするんだけど、それがどうにも思い出せなくてね」
セシルからの問いかけに対し、忘れるようなことならあまり重要なことでもないかと思いなおしたユイは、そこでようやく首を傾げる仕草をやめる。
すると、そんな彼の反応に何らかの自己解決を見て取ったのか、セシルは異なる話題をユイへと振った。
「ふぅん。そういえばさ、この間の文化祭の服なんだけど、あれってユイくんのお母さんの着ていた服だったんだよね」
「ああ、そうだよ。と言ってももちろん、普段から着ている服ではなかったけどね」
セシルからの母への質問に対し、ユイはわずかに昔を思い出すと、苦笑を浮かべる。
一方、ユイからの返答を耳にしたセシルは、以前から一度問いかけてみたかった疑問を、やや緊張気味に彼へとぶつけた。
「へぇ、そうなんだ……あの、ユイくん。前から思っていたんだけど、ユイくんのお母さんってどんな人だったの?」
「え、うちの母親かい?」
思わぬセシルからの問いかけを受け、ユイはキョトンとした表情となると、そのままオウム返しのように問い返す。
「うん、ユイくんのお母さん。ほら、そのユイくんの艶のある黒髪も、お母さん譲りなんでしょ? この間の服のこととかもあって、東方の人なんだろうなって思っていたんだけど、実際どんな人だったのかなって」
「どんな人……か。そうだね、一言で言うと、変人……かな」
間違いなく当人がこの回答を耳にしていれば、次の瞬間に拳がこめかみにめり込んでいただろうなと思いながら、ユイは端的にそう答える。
しかしそのユイの回答に対し、セシルはやや困惑気味の表情を浮かべた。
「変……人? それは一般的な意味なのかな?」
ユイ自身が若干普通の学生と乖離していることから、彼の口にする言葉の意味に若干の疑義を抱いたセシルは、遠回しにそう問いかける。
「そうだね、一般的かどうかはわからないけど……でも、僕から見ると相当に変わっている人だったよ、うん。あと、めちゃくちゃ手が早い人でね、昔は本当に……あっ!」
頭を掻きながら自らの母親の思い出をポツポツと口にし始めたユイは、そのタイミングで前方の視界に一人の男の姿を認めると、突然少し大きな声を上げる。
すると、その声を耳にした銀髪の魔法士は、不機嫌そうな表情を浮かべながらユイを睨みつけた。
「なんだ、ユイ。人の姿を見るなり声を上げて……貴様には常識やマナーというものがないのか?」
「……なんか最近似たようなことを言われた気がするけど。ともかく、そういえば君に会いたいんだった」
「何だ急に? 俺は貴様となんか会いたくもなかったぞ」
露骨に嫌そう表情を浮かべながらリュートはユイに向かってそう述べる。
しかしそんなリュートの反応などかけらも気にする風もなく、ユイは彼に向かって口を開いた。
「そうなんだ。いや、別にそれはかまわないんだけどさ、実は君に一つお願いがあってね」
「あん、お願い? どうして俺が貴様のお願いなんかを聞かなければ……ああ、そう言えばそんな話もあったな」
拒絶の言葉を紡ごうと仕掛けたリュートであったが、ユイの意味ありげな表情を目にした瞬間、彼の脳裏には先月の苦い記憶がよみがえる。そしてそれとともに、リュートの表情は苦虫を噛み潰したかのようなものへと変貌していった。
「ありがとう。どうやら思い出してくれたようだね。いやぁ、話が早くて助かるよ」
「ふん、男と男の約束だ。約束通り、貴様のお願いとやらを聞いてやる。だから早く言ってみろ」
隠しようのないほど苛立たしげな声色ながらも、リュートは一切の言い訳を述べること無く、ユイに発言を促した。
すると、そんな彼の振る舞いに感心しながらも、ユイはあえて軽い口調でリュートに向かい確認を行う。
「あ、先に行っておくけど、聞くだけじゃなくて叶えてくれよ。話は聞いたから、約束は果たしたなんて無しだからね」
「そんな貴様みたいな事は言い出さん。貴様と違って、このリュートに二言はない。さあ、つべこべ言わず早く言え!」
自らを見くびるかのような言動を受け、途端に怒りをかき立てられたリュートは、やや強い口調でユイへと迫る。
そのリュートの反応を確認したユイは、思わず頭を二度掻く。そしてそれ以上間を取ること無く、ユイは彼に向かってそのお願い事を口にした。
「じゃあ遠慮なく。実はね、僕は家庭教師をしているんだけど、そこの子供に魔法を教えてあげて欲しくてね」
「魔法? 魔法の指導を俺にしろと言うのか」
想定していなかったユイのお願いに対し、リュートは訝しげな表情を浮かべる。
ユイはそんな彼の表情の変化を目の当たりにし苦笑を浮かべると、一つ頷くとともに、改めて彼に向かい口を開いた。
「うん。他に頼める人がいなくてね。だって、君ほど魔法が扱える学生なんて、この学校には他にいないからさ」
「む。ま、まあそうだな。まったくもってその通りだ。ユイ、貴様も意外とわかっているじゃないか」
ユイの言動を耳にして、わずかに気を良くしたリュートは、かすかな違和感を抱きながらもその発言を肯定する。
すると、間髪入れること無く、ユイはそんな彼に向かい言葉を重ねた。
「はは、まあね。だけどさ、一つだけ大きな問題があるんだよ」
「問題だと? 一体何だそれは?」
ユイの発言の中に含まれていた懸念されるべき単語。
それを耳にした瞬間、リュートはわずかに浮かべていた笑みを途端に消失させる。
「実は僕の家庭教師をしているお子さんの父親が、少し過保護な人でね。君を教え子に紹介しようとしたら、中途半端な魔法士には任せられないと言われてね」
「この俺が中途半端だと?」
「いや、そういうわけではないんだけど……ともかく君の腕を試させてもらいたいといっているんだ」
「ほう……つまりはこの俺の腕が信用ならないと、要するにそういうことか?」
自らの実力にそれなりの自信を持っているリュートは、ユイの言う父親の発言を傲慢に感じ、途端に不快感を言葉ににじませる。
「いや、別に君だからと言う訳じゃないんだけどね」
「ふふ、この俺を試すというのか、面白い。いいだろう、せいぜい首を洗って待っておけと伝えておけ」
「あ、ああ。わかったよ、リュート」
自信満々の笑みを浮かべながら拳を握りしめるリュートを目の当たりにし、ユイはやや引き気味の表情となると一歩後ずさる。
一方、リュートは以前からユイに自らの成長を見せつけてやりたいと考えていただけに、思わぬところから飛び込んできた実戦の機会を得て、自信ありげに右の口角を吊り上げた。
「ふふふ、最近歯ごたえのない相手ばかりだったからな。これは楽しみというものだ。貴様にも改めて俺の実力を見せてやろう。では、楽しみにしているぞ」
リュートはユイに向かって鼻息荒くそう述べると、実戦の機会を得て満足したためか、笑いながらその場から歩み去っていった。
そうしてその空間には、ユイとセシルだけが残される。
「あの……ユイ君。一つ確認したいんだけど、ユイ君の家庭教師相手って確か……」
「そういえば、前にグリーン邸で一度見たことあるよね。エインスって言う子でね、少しやんちゃだけど素直な子だよ」
陸軍の不良兵に絡まれていたエインスを助けた後、彼を引き合わせたことがあることを思い出し、ユイはセシルに向かってそう説明する。
しかしそんなユイの発言は、セシルの求める回答と若干ずれていたのか、彼女は最も懸念する内容を直接彼に向かって問いかけた。
「いや、そうじゃなくて、彼って確かライン家の長男……だよね?」
「うん、そうだよ」
引きつった表情を浮かべながら問いを口にしたセシルに対し、ユイはなんでもないことのようにあっさりと返事をする。
途端、その返答内容を耳にしたセシルは一瞬凍りついた後に、恐る恐るといった体で口を開いた。
「それって、つまりリュート君のテスト相手って……」
「ああ、ジェナード・フォン・ライン。つまりライン大公その人さ」




