理想の結末は
二学期の前期試験が終わり、結果発表の朝。
ユイはいつもの通り遅刻ぎりぎりの時間に、欠伸しながら校舎の入り口をくぐると、その扉の脇でセシルが不安そうな表情を浮かべて彼を待っていた。
「ユイ君、おはよう」
「ああ、セシルおはよう。今日もいい天気だね」
眠気のためにここまでの道中ほとんど周りが見えていなかったためか、ユイが条件反射的に適当なことを口走る。
「はぁ、朝が弱いのは相変わらずだよね。今日は曇りだよ……」
「え、ああ、ほんとだ。全然気づかなかったや」
反省を口にしつつも、未だに目をしばしばさせながら眠そうな声で返事を返すユイに対し、セシルはわずかに表情を緩める。
「君って、ほんといつも変わらないよね。私なんか、緊張して昨日は眠れなかったよ」
「ん……ああ、今日がテストの発表日だったか。まぁ、泥船に乗ったつもりで、安心していてよ」
「それ、全然安心できないよ……」
まだ寝ぼけているためか、相変わらず適当なことを口走るユイに対し、呆れたようにセシルはそう呟く。
すると、セシル同様にユイを待ち伏せていた、もう一人の男が姿を現した。
「ふふふ、泥船か。ようやく貴様も身分の違いという物を理解して、敗北を認めたようだな」
「ん?……ああ、ムリティナ君か。おはよう」
半分しか目の開いていないユイは、その限られた視界の中にムルティナを捉えると、彼に向かって眠そうに挨拶する。
「ムリティナではない、ムルティナだ。貴様いい加減に覚えろ!」
「まあ、どっちでもいいじゃないか、そんな事……それよりも教室で寝たいから、そこを通してくれるかな」
ムルティナよりも眠さの方が問題とばかりに、ユイはあっさりとそう言い放つ。
そんなユイの発言を受けて、ムルティナは彼なりにその言葉の意味を解釈し、思わず笑みを浮かべる。
「ほう、この私から逃げるつもりか。しかし今日の昼に貴様の敗北が明らかになった瞬間、そこの女は私の物だ。そうなるまでのわずかな時間、睡眠などに使うことなく、せいぜい大事にするのだな」
そう言い切るなり勝利を確信した表情を浮かべると、ムルティナは高笑いをしながらユイ達の前から歩み去った。
「ユイ君……」
「大丈夫だって、セシル。今更、焦ってもどうしようもないし、僕は僕なりにやれることをやったからさ。じゃあ、教室に寝に行こうか」
心配そうに彼を見つめるセシルに対し、ユイは眠そうな顔で必死に笑みを浮かべると、そのまま彼女を先導するように歩き出す。
「……本当に、君は無駄にマイペースだよね」
セシルは一度首を左右に振ってそう口にすると、先を歩くユイの背中を見つめ、大きな溜め息を吐きだした。
結果発表が行われる昼休み。
正午ちょうどに、中央廊下に成績の張り出しが行われることから、まだ時間前にも関わらず、中央廊下には学生の人だかりでごった返していた。
普段から成績発表の日は、学生で溢れかえるこの廊下であるが、今回はその人数が普段の比ではなかった。それはもちろん、ユイとムルティナがセシルを掛けて勝負をしているという噂が流れたためである。
学生たちの反応は、明らかにユイに同情的なものが多かった。
ムルティナの取り巻き達を除き、実力ではない成績で周囲を見下すムルティナに対し、正直多くの学生たちは辟易していたのである。
それ故に、勝てない戦いを挑むユイに対し、何かの間違いで彼の勝利が起こらないかと期待する者は決して少なくなかった。
もっともユイの勝利を願う学生の中には、「あいつに勝つのはこの俺だからムルティナごときに負けるな」という全く空気の読めない応援を行っている者も混じっていたが。
「イスターツ、いつもの敗北の味を味わう覚悟はできたか?」
「えっと……ああ、僕が君に負けるって事か。なるほど負けたときのことを考えてこなかったから、意味が分からなかったよ」
「ふん、なかなかの自信ではないか。まあ、それも今日この瞬間までのことだがな。四大大公家の子息に逆らうと言うことの意味を、お前も理解するがいい」
ムルティナは既に勝利を確信し、結果が張り出される成績ボードに視線を移す。すると、各学年の成績上位の者一人一人の名前と平均点が書き記された板が、事務員の手によって順に張り出されていく。
そしてユイ達一年次の成績が、事務員の手によって下位から順番に張り出されて始めると、その空間のボルテージは一層高まっていく。
自らの成績を目にしての悲哀や歓喜が廊下にこだまする中、一年次のそれまでの上位の平均点が八十点台であったのに対し、アレックス・ヒューズの名前と共に九十四点と言う成績が張り出されると、その場にいた者たちから次々と賞賛の声が漏れだす。
「やはり陸軍省では、アレックスがダントツか……」
「剣技だけでは無いってのが、あいつのすごいところだよな」
口々に賞賛の声が上げられる中、次のリュート・ハンネブルグの九十五点の成績が掲示され、再び感嘆の声が巻き起こる。
「さすが魔法科の麒麟児。やはり魔法科の中でも、奴は別格だな」
「ああ、あいつはまさに天才なんだろう。俺たちとは出来が違う」
再び各所で賞賛の声が上げられ、廊下は一層騒々しくなる。
そんな周囲が突然静かになったのは、次に張り出されたムルティナ・フォン・メニエルの百点と言う数字であった。
「見たか、イスターツ。貴様の負けだ」
その点数を目にした瞬間、ムルティナは勝ち誇った笑みを浮かべ、ユイを見下す。
しかし先ほどまでと異なり、その結果が張り出されても周囲の反応は冷ややかであった。
「やっぱりムルティナの勝ちか……」
「あれだろ、あいつって四大大公家だからって、どんな結果でも主席になるように手配されているんだろ。正直、やってられないよ」
「馬鹿。奴が近くにいるんだ、声が大きいって」
会場内でムルティナの存在に気が付いた生徒が、あわてて彼を罵っていた生徒の口を閉じさせる。
しかし時既に遅く、そのやりとりを耳にしていたのか、ムルティナはその学生たちに向かい侮蔑の視線を向けた。
「おい、そこの庶民。貴様は何位なのだ? 私がこの順位でいるのは貴様の言うとおり四大大公家の力かもしれんが、別にそうとは限るまい。ふん、ゲスの勘ぐりとは、庶民故の卑しさが垣間見えるな」
そうムルティナが高らかに宣言すると、彼の手下たちが、先ほどの生徒たちを取り囲むように歩み寄る。
そしてこれから起こるであろう理不尽な惨事を予期すると、その場に居合わせた他の生徒たちは、怒りを覚えムルティナを睨む者もいれば、かかわり合いになりたくないとばかりに下を向く者もいた。
そんな中で、先ほどまでムルティナの側にいた黒髪の男が、ツカツカと取り囲まれた生徒達の元へと歩み寄ると、周りを取り囲んでいる男の肩にポンと手を置いた。
「同じ同級生なんだから、揉め事は止めないかい?」
そうやって笑いかけたユイの腕にわずかに力が込められると、次の瞬間、急に肩を掴まれていた生徒は、肩を押さえてのたうち回る。
「イスターツ、貴様何をした?」
ムルティナから見ても、ユイはその男の肩に手を置いただけにしか見えなかった。それ故に、それ以上の非難の言葉が思いつかず、怒りと驚きがない交ぜになった表情を彼は浮かべる。
一方のユイは、地面にのたうち回る生徒に向かい再び近寄ると、その二の腕と肩とに手を当てて、力を込める。
「なにって言われても……どうも彼の肩の関節が不安定だったみたいでね。ちょっと手を乗せただけではずれてしまったみたいだね。ああ、心配しないでいいよ、今戻してあげたからさ」
涼しい顔をしながらそう返答するユイに対し、ムルティナは頬を引き攣らせながらも、すぐに気を取り直して彼に向かい宣言する。
「ふん、まあいい。今日の私は機嫌がいいんだ。負け犬の言葉を素直に聞いてやろう。さて、そんな事よりも、約束は守って貰うぞ、イスターツ」
「約束? 何か僕が守らなければいけない約束なんかあったっけ」
ムルティナは約束の履行をユイに求めるも、彼は首を傾げながら不思議そうな表情を浮かべる。
「忘れたとは言わさんぞ。俺がテストで勝てば、そこにいる貴様の女は頂くと言ったはずだ!」
歪んだ笑みを見せながらムルティナはセシルを指さすと、彼女はユイに近寄りその背中に隠れる。
「ああ……そういえばあったね、そんな約束。でもさ、あれってあくまで君が勝ったときの話だよね」
「その通りだ。だが我の前に貴様は敗れ去ったのだ。男なら潔く、その女のことは諦めるのだな」
ユイの確認するような問いかけに対し、彼を見下すような口調でムルティナはそう言い放つ。
すると、ユイは苦笑いを浮かべて頭を掻くと、ムルティナに向かって口を開いた。
「まあ、確かに約束を満たすことが出来なかったら、男は潔くすべきだよね。うん、僕も確かに同感だよ」
「だろう、だからあきらめて貴様の背後の女を私に渡せ」
「いや、だから男だったら約束を守れなければ、潔くするべきじゃないかい。ムルティナ君」
ユイの笑みの中に含まれた、わずかに彼を小馬鹿にするような成分に気が付き、急にムルティナは表情を堅くする。
「なに? 貴様、一体何を言っている」
「いや、そこの成績なんだけどさ。君の部下が肩を押さえてのたうち回ってる間に、もう一枚君の横に成績が張り出されたんだけど、気がつかなかったのかい?」
ユイはムルティナの背後に位置する成績表に視線を向けると、ムルティナは怪訝な表情を浮かべながら後ろに振り返った。
「何を言ってるのだ貴様は。私の百点で最後のはず。貴様はどうあがこうとも私以上の……な、なんだと!」
振り返ったムルティナが張り出された成績表を目すると、途端に彼は驚愕の表情を浮かべ、そして凍り付いたようにその場に固まる。
一方、ムルティナや彼の取り巻き以外のその場にいた生徒たちは、ユイの視線を追いかけてその成績表を目にした瞬間、割れんばかりの大歓声を発した。
その場にいた者たちの視線の先には、ムルティナの百点の結果の横に、ユイ・イスターツという名の板が百点という成績とともに張り出されていたのである。
「実に残念だけど、この勝負は引き分けだね。これで彼女は君の物ではなく僕の物でもないということさ。あ、そうそう。あの時に出した条件通り、君は勝てなかったのだから、二度とセシルには関わらないで貰おうか。まあ君もメニエル家の子息で男の中の男なのだから、一度認めた条件を潔く守らないはずがないよね、『ムルティナ君』」
いつもの苦笑いを浮かべながらユイがそう口にすると、ムルティナは歯ぎしりしながらユイのことを呪い殺さんばかりの勢いで睨みつける。
「……イスターツ、貴様、貴様、貴様ァ!」
「どうしたのかな、ムルティナ君。まだ何か僕に用なのかい?」
「こ、この借りは、この借りはいつか必ず返すぞ。覚えていろ。さあ、おまえたち行くぞ!」
今にも一気に溢れ出しそうな怒りを周囲に発散しながら、ムルティナは彼の取り巻きを従えてその場から立ち去る。
その姿を見届けたユイは、彼の背中の服を掴んでいたセシルに向き直り、彼女に向かって謝罪を口にした。
「ごめんね、セシル。君を賭けの対象にしてしまったりして。心配かけたね」
「ううん、いいの。元々は私があいつに絡まれちゃったことが始まりなんだから。でもいっそのこと、君が勝ってくれたら…………良かったのに……」
後半部分は、ほぼ口の中から外に漏れない程度の小声で彼女はそう口にする。
すると、彼女の言葉を聞き漏らしたと感じたユイは、セシルに向かって問いかける。
「何か言ったかい、セシル?」
「ううん、何にも! ……ふふ、ユイ君。ありがとね!」
一瞬プクッと頬を膨らませわずかに抗議の意を表情に表すも、セシルはすぐにいつもの優しい笑顔に戻ると、ユイに向かって微笑みかける。
こうしてユイの士官学校での伝説がまた一つ刻まれた。
四大大公家の人間に試験で勝たせなかった男。
ユイを中心とした悪夢の八十八期の伝説は、周囲を巻き込みつつ彼らの無自覚の上に、日々こうして築き上げられていく。




