ライバル
「先輩、もういいだろ? そろそろ普通の体術を教えてくれよ」
何度も地面を転がり続けたためか、全身砂だらけのエインスは、自らの衣服をはたきながらそう口にする。
この日、エインスは座学の授業が終わるなり、延々とユイから受け身の訓練を取らされて、何度も地面を転がり続けていた。
「ん、これだって立派な体術の一つだよ。一体、何が不満なんだい?」
「いや、今日は先輩が特別な技を教えてくれるって言うから、期待していつも以上に勉強したんじゃないか。なのに、なんで延々と受け身の練習をさせられるんだよ。これって、詐欺じゃねえか?」
少し頬を膨らませながらエインスが不満げに反論すると、ユイは頭を掻きながら口を開く。
「だけどね、受け身は全ての基本であり、そして一番重要な技術の一つだよ。僕も昨日、しっかりとした受け身を取ることが出来たから、こうして今日も君に指導ができているんだしね」
ユイがそう説明した途端、エインスは訝しげな表情を浮かべると、彼に向かって疑問を発する。
「昨日? 先輩が受け身を取らなきゃいけない事態があったなんて、なにか女絡みでもめたりしたのかよ?」
「だから、君と一緒にしないでくれ。ちょっと高いところから飛び降りた時に、受け身を取ることが出来たから怪我せずに済んだという話さ」
「突き落とされたんじゃなく? ……ちなみにどれくらいの高さから落下したんだよ?」
「だから君と違って、後ろから落とされることなんて、僕にはないよ……ともかく、高さに関しては、だいたい君の部屋の高さくらいかな」
視線を屋敷の三階の高さに持って行きながらユイがそう答えると、エインスは口をぽかんと開けて、彼の言葉の意味を理解できずに戸惑いを見せる。
「は? だって……え……俺の部屋って三階だぜ……」
「うん。だからそれくらいの高さ」
別に誇張した様子もなく、あっさりとそう答えるユイを目にして、エインスはある最悪の仮定が脳裏に浮かんだ。
「あの……つかぬことをお伺いするけど、もしかして最終的に俺をその高さから突き落として、受け身を取らせるつもりだったりしない……よな?」
「はは、安心してくれ。最終的には、屋上からでも受け身を取れるように鍛えてあげるからさ」
ユイの視線が先ほどの三階の高さより更に上へ向けられたことに気がつくと、エインスは思わず頬を引き攣らせる
「……先輩、それはしごきを通り越して、殺人行為だよ。先輩は俺に何か恨みでもあんのかよ」
「いや、案外人間って死なないもんだけどね……だって、僕は五歳くらいの頃から、母親によって崖から突き落とされていたからさ。しかし君の反応を見ていると、案外みんなそれくらいの訓練はやっているものだと思っていたけど、やはりそうでもないんだね」
「……先輩のお母さんってどんな人だったんですか?」
前々から疑問に思っていた問いかけを、エインスは恐る恐る発する。するとユイは頭を掻きながら、視線を空に漂わせつつ呟いた。
「少しだけ変わった人だったのかな。当時はそれが当たり前で、他の家も同じようなもんだと思っていたんだけどね。ほら、昔の言葉に『獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす』ってあるじゃないか。あれって、皆がやっている実話なんだと考えていてさ」
「あの……俺は獅子じゃなく人間だからさ……できたら、その辺りを考慮してもらえると助かるんだけど」
「ふむ、そういうものか。まあ、受け身に関しては今日はここまでにして、気長にやっていくことにしようか」
ユイが仕方ないとばかりにそう口にすると、エインスは曇っていた表情を明るくさせ、にこやかな笑みを浮かべる。
「というわけで、組手しようぜ、組手。実は先輩がいない間に、すごい技を思いついちゃったんだ。ふふ、これで先輩から一本をとって、剣の練習に移ってみせるからな」
体術でユイから一本取ったら、次は剣技を教えるというユイとの約束をくちにしながら、エインスは自信ありげに胸を張る。
「へぇ、すごい技か。それは楽しみだね。いいよ、かかってきなさい」
「それでは……っつと、その前に今日一回だけ見せてくれた、五点着地法っていうあの変な受け身の取り方。あれをもう一度だけ見せてもらえないかな?」
「五点着地法? ……まぁ、いいけど。高いところに登るのは面倒だから、ここで動きだけ見せるよ」
エインスの突然の頼みにユイは首を傾げるも、仕方ないとばかりにユイはその場で軽く飛び上がる。そして、昨日同様に両足先から接地し、体を丸めて転がりながら脛の外側、臀部、肩と順番に接地させていった。
そうして回転し終えたユイが、ゆっくりと片膝をついて起き上がろうとした瞬間、彼の目の前にはエインスがものすごい勢いで迫っていた。
「今日こそ貰ったぜ、先輩!」
本日、受け身ばっかりさせられていたエインスは、溜まっていたストレスをぶつけるかのようにユイの片膝に片足で飛び乗ると、そのままもう一方の膝をユイの顔面に向かって放つ。
とっさの事で、わずかにユイの反応は遅れたものの、彼は慌てて顔の前に両腕を持ってくると十字ブロックを形成し、その膝蹴りを受け止めた。
「くそ、このタイミングでも止められたか……でも、どうだい先輩。先輩の見せてくれた技を改良して、最後を膝蹴りにしてみたんだよ。まぁ、本当のところは、先輩みたいに空中で色々動けなかっただけなんだけどね」
「いや、これが本来の原型の技だよ。僕が初めて母さんに教わったのも、この形だったんだ。先日見せた三角絞めは、あくまで派生系さ」
「ええ……せっかく自分で編み出したと思ったのに……でもそれなら、なんでこれから教えてくれなかったんだよ」
「だって、打撃技って痛いじゃないか。私が君に打撃技を見せたことはあるかい?」
ユイがエインスに向かってそう口にすると、確かにとばかりにエインスも一つ頷く。
「そういえば……ないな」
「だろう。痛いのは良くないよ」
「でも、見せてくれないと、何時までたっても俺は打撃技を覚えられないじゃないか。今度バシッと教えてくれよ、バシッと」
エインスの言葉をユイは耳にすると、仕方ないとばかりに大きく溜め息を吐く。
「……そう? じゃあ、ちょっとだけね」
「え、いや、だから別に今でなくても――」
エインスが慌ててそう口にしかけた瞬間、ユイはすごい勢いで全身を回転させると、そのまま瞬時に体を沈み込ませ、エインスの右足を前から刈り取るように足払いのような回し蹴りを放つ。
すると、右足を後方へ払われたエインスは、左膝立ちの状態となった。それを視界に収めたユイは、まるで階段を駆け上がるかのようにその左膝に自らの右足で飛び乗ると、そのまま左の足の裏でエインスの顔を蹴飛ばした。
「一応、こういった派生系もまだあるから覚えておくと良いよ……あれ、エインス? 大丈夫かい?」
「全然大丈夫じゃないから。今度からやるときはやるって言ってくれよ。というか、別に俺自身が技を食らって覚える必要はないだろ。やり方さえ教えてくれればいいんだからさ」
自分が奇襲をかけたことを完全に棚に上げ、地面に大の字で倒れ込んだエインスは、顔面を抑えながらふてぶてしくそう口にする。
「ああ、そうか。それもそうだね。いやぁ、私は母さんから全て技を食らって体で覚えさせられたからね。やっぱり一般的じゃなかったんだな、あの訓練」
「先輩のお母さんって、明らかにどこかおかしい……」
地面に寝転がったまま、エインスは首を左右に振りつつそう呟く。そうして、ユイが今日はこれ以上の訓練は無理かなと考え始めたところで、突然後方から彼に呼びかける声を耳にした。
「ユイさん!」
「ん? あれフェルナンドじゃないか。どうしたんだい、こんな所に」
ここまで走ってきたためか、息を切らせながらユイの後ろに立っていたのは、先日アズウェルに紹介されたばかりのブラウン髪の少年であった。
「アズウェル先生が、ユイさんに会いたかったら、ここにいるだろうって言ってくださって」
「あの人がか……それで、今日はどうしたんだい?」
「いや、昨日は妹を助けて貰ったにもかかわらず、ユイさんがそのまま何処かへ行っちゃったので、お礼さえ言えてなくて。妹を助けてくださって、本当に、本当に有難うございます」
一切の曇りがない感謝の気持ちをユイに向かって伝えると、フェルナンドは深々と頭を下げる。すると、ユイは先日彼女の妹を助けた後、完全に彼等の存在を忘れていたことを思い出し、やや気まずそうな表情で頭を掻いた。
「ああ、そういえばそうだったね。はは、あの後受け身の訓練の事で頭がいっぱいになってしまってね、すっかり忘れていたよ」
「……先輩、それは今日俺にさせた訓練の事じゃないよな?」
「いや、そうだよ。さっきも言ったじゃないか、三階くらいの高さから飛び降りて受け身を取ったって」
ようやく少し痛みが引いたため体をゆっくりと起こしてきたエインスは、今の二人の会話を耳にして、嫌そうな表情を浮かべながら問いかけた。
しかし、ユイからの返事はあっさりしたものであり、再びエインスは表情を引き攣らせる。
「……やっぱりマジだったんだ。絶対にこの人、頭がイカれている」
他の人には聞こえないよう口の中でエインスはそう呟きながら、表情を凍らせた。
一方、ユイに向かって尊敬の眼差しを向けるフェルナンドは、そんなエインスの表情など眼に入ること無く、やや緊張した面持ちでユイに話しかける。
「それでユイさん。今日来させて貰ったのは、妹のお礼を伝えたかったの以外にももう一つ理由があるんです」
「ん、なんだい?」
「僕を鍛えて貰えませんか? 僕は妹を守れる男になりたい。それを昨日のユイさんの姿を見て改めて強く思ったんです」
どこかで聞いたことのあるような言葉を耳にしたユイは、弱ったように頭を掻く。そして彼が答えを口にするより早く、彼等に向かって歩み寄ってきた少年が、怒りを隠せない表情で言葉を発した。
「待て! お前が誰だか知らないけど、ユイ先輩に教えてもらっているのは俺なんだ。先輩には、お前に教えている暇なんかないんだよ」
嫉妬心をにじませながら、エインスがフェルナンドを睨みつける。
しかし、そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、ユイは一度溜め息を吐き出した後に、あっさりとした回答を口にした。
「いいよ」
ユイのその言葉を耳にした瞬間、フェルナンドの表情はパッと明るくなる。
しかしもう一人の少年は、呆然とした表情を浮かべた後に、ユイに詰め寄るように抗議した。
「せ、先輩……嘘でしょ。何でなんだよ」
「いや、君と僕の二人だけだと訓練に限界があるからさ。たまにはある程度近いレベルの人間と訓練するのも、それはそれで大事な修練さ。そう考えると、彼がいてくれたほうが都合がいいと思わないかい?」
「……俺と奴を訓練させておいて、自分はその間休むなんてことを考えていたりしないよな?」
最近、うすうす感づき始めていた目の前の男の性質のようなものを踏まえて、エインスはそう問いかける。
すると、ユイはほんの一瞬だけ動揺の表情を浮かべ、明後日の方角に視線を向けながら回答を口にした。
「えっ……やだなぁ、そんなわけちょっとしか無いに決まっているじゃないか」
「やっぱりあったのかよ。何となくだけど、先輩の性格がわかってきたよ」
ユイの返答を耳にしたエインスは、脱力したように肩を落とす。
「というわけで、フェルナンド。大学の暇な時で、かつ僕が彼に稽古をつけている時でいいなら、一緒に教えてあげるから遊びに来なさい」
「先輩、待った! いくら先輩が教える気でも、ここはライン家の敷地だぜ。無関係の者を、ここに出入りさせるわけには――」
「ああ、それは大丈夫です。先ほどアズウェル先生からの手紙を、ライン公爵にお見せしたら、いつでも来なさいと言ってくださったので」
そのアズウェルからの手紙の文面を目にして、頬を引き攣らせながら許可を口にしたライン公の姿を思い出しながら、フェルナンドはそうエインスへ告げる。
「あの糞オヤジ、肝心の時に使えねぇ」
エインスがジェナードに向かって怨嗟の声を発しながら悔しがるのに対し、そんな彼を微笑ましげに眺めていたフェルナンドが、二人に向かって優雅に頭を下げる。
「という訳で、これからよろしくおねがいしますね。ユイさん、それとエインス君」




