重力に身を委ねて
「ユイさん、すいません……急に迷惑をかける形になってしまったみたいで」
「はは、構わないよ。僕も構造学は勉強中の身でね、君と一緒に勉強させてもらおうと思っているからさ」
ユイは苦笑いを浮かべながら、フェルナンドに対して気にしなくていいとばかりにそう口にする。
「ありがとうございます。そう言ってくださると助かります。しかしまさか、あのリュートさんと互角以上に戦える方と、こうやってお知り合いになれるとは思ってもいませんでした」
「リュートか……彼は君が学んでいたところでも、そんなに有名だったのかい?」
「はい! だってあの人、僕の師匠のところに学びにきて、半年で師匠の使う全ての魔法を覚えてしまったんですよ。あんな規格外の人を、僕は他に見たことありません」
彼にとっての憧れの人であったのか、やや遠い目をしながらフェルナンドはリュートをそう評する。
その発言を耳にしたユイは、納得だとばかりに彼に向かって相槌をうった。
「そっか。うん、まあ彼だったらあり得ることだね」
「しかもあの人って、無口でクールじゃないですか。それも凄くかっこ良くて、当時はあの人みたいになりたいと思って修行していたんですよ」
「無口でクール……いや、それはどうだろうか。でもまぁ、見方によっては、そういう見方ができなくもないのかなぁ」
先ほどの発言と異なりイマイチ納得がいかないのか、ユイは思わず首を傾げた。しかしフェルナンドを気遣って、一応頭からは否定しないでおく。
するとまさにそのタイミングで、突然後方からユイを呼び止める声が発せられた。
「なんだ? この俺に何か文句でもあるのか、イスターツ」
その鼓膜を震わせる声を受けて、ユイはカンニングを担任にばれたような渋い顔をすると、嫌そうに後方を振り返る。その彼の視線の先には、魔法科の研究室から出てきたばかりのリュートの姿があった。
「リュートさん!」
憧れの人物と偶然顔を合わすことになったフェルナンドは、驚きながらもその魔法士の名前を口にする。
一方、名前を呼ばれたリュートは、ほんの少し考えるそぶりを見せた後に、仏頂面をわずかにゆるめた。
「……たしか、フェルナンド……マットだったか。以前、アリソダ教室で何度か会ったことがあるな」
「そうです、アリソダ教室のフェルナンドです。僕のことを覚えていてくださったんですね。感激です!」
「ああ、確か非常に効率的な魔法式の編み上げをしていたことを覚えている。王立大学に飛び級で入ったと聞いていたが、その君がなぜよりにもよって、そいつと一緒に歩いているんだ?」
汚らわしい物を見る視線で、リュートはフェルナンドの隣に立つ黒髪の男を睨みつける。
するとその視線を浴びたユイは、二度頭を掻いて口を開いた。
「おいおい、その扱いは少し酷くないかい?」
「ふん、うるさい。おい貴様、一体フェルナンドに何を吹き込むつもりだったんだ。いいか、フェルナンド。こいつといると堕落菌が移るから、一緒にいない方が君のためだぞ」
「えっ、そうなんですか?」
尊敬するリュートの発言だけに、一概に否定しかねたフェルナンドは、困ったようにユイを見上げる。
「リュートが好き勝手に言っているだけだよ。僕は別に堕落していないさ。ただ多少効率的に生きているというだけでね」
「それが堕落だと言っている。ふん、まあそんなことよりもだ、この夏休みに俺は新しい魔法を編み上げた。そう、貴様と戦う時の為のな。ふふふ、もう少しで実戦でも使えそうだからな。精々首を洗って待っていろ」
「勘弁してくれよ。何で僕が理由もなく、君と戦わなければならないんだい。そういう面倒くさいことは、アレックスと二人でやっておいてくれ」
ユイは呆れたように両手を左右に開くと、大きな溜め息を吐きだす。
「あいつは剣士だ。もちろん剣に関しても、いずれ奴に追いつくつもりだ。しかしまずはお前だ、イスターツ!」
「へぇ、お二人はライバルというやつなんですね」
「……違うよ。彼はね、こんな無辜の市民にも暴力を振るう、凄く野蛮な男なんだよ。いいかい、フェルナンド。あの一見クールな見た目にだまされちゃ、絶対にだめだからね。彼は執念深くて、そして非常に面倒くさい人間なんだ」
呆れたようにフェルナンドにそう告げると、リュートは鼻息一つ放った上で、見下すような声を発する。
「ふん、言ってろ。そうやって余裕をかましていられるのも、今のうちだけだからな」
「はいはい、わかったから……それでリュートもこれから帰りかい?」
あっさりとリュートの発言を流した上でユイがそう問いかけると、根が真面目な彼は思わず素直に反応してしまう。
「お、おお。今、研究室の戸締りをしたところだからな。もう今日は校舎に用はない」
「そっか……じゃあ、彼に士官学校を少し案内してもらえないかな。君の後輩のようだし、せっかくだからね」
「ユイさん!」
ユイの発言を耳にしたフェルナンドは、弾む声で喜びを表す。
すると、その姿を目にしたリュートはやや渋い表情を浮かべながらも一度頷き、そして一つ気になっていた点を口にした。
「それは別に構わんが。しかし、フェルナンド。今日は妹は一緒じゃないのか? お前たちはいつも一緒にいるイメージがあったんだが……」
「「あ!」」
リュートの指摘を耳にしたユイ達は、彼の妹を探すという当初の目的を完全に見失っていたことに気がつくと、思わず顔を見合わせる。
「……そういえば、すっかり忘れていたね。どこにいったのかな」
「まずいですね、確かに失念していました」
ユイもフェルナンドも弱った表情を浮かべると、それを目にしたリュートは呆れたように溜め息を吐き出した。
「はぁ……仕方ない、俺も手伝ってやる」
「本当ですか? すいません……」
憧れのリュートの手を煩わせることとなり、フェルナンドは申し訳なさそうに頭を下げる。
そんな少年の姿を目にしたリュートは、気にするなとばかりに、彼の肩を二度ポンポンと叩いた。
「それで、取り敢えずどこから探したものかな」
ユイは頭を掻きながら、この広い校舎のどこから手を付けたものか悩むと、困ったように頭を掻く。
「あいつはちょっと理由があって、狭いところや暗いところがダメなんです。だからアズウェル先生の部屋も合わなかったみたいで……なので、この辺りで明るくて開けているところはありませんか?」
「明るくて、広いか……ふむ」
フェルナンドが口にした特徴から、リュートはわずかに考え込む。
そしてユイはこの別館の三階となる周囲をぐるっと見渡すと、この校舎に存在するにはいささかそぐわぬ身長の女の子が、彼の視界に映った。
「ねぇ、あの食堂の屋上で紙飛鳥を飛ばしている女の子……あれ、君の妹さんじゃないかい?」
少し遠くの学園食堂の屋上にて、空を舞うことができるよう鳥の形を模して折った紙を飛ばしている少女に気が付き、ユイはそちらへと視線を向ける。
すると、ユイの視線の方向を追ったリュートも、なるほどとばかりに頷いた。
「……明るくて広いか。なるほどな」
「ああ、コロネ! そうです、アイツです。全くあんなところに勝手に出てしまって」
「良かったじゃないか。さあ、迎えに行こうか」
ユイはフェルナンドに向かってそう笑いかけると、一同は学園食堂へと足を運び、その三階に当たる屋上へとたどり着く。
「あ、お兄ちゃん」
フェルナンド達の姿を目にしたコロネは、大きく兄に向かって手を振る。すると、フェルナンドは彼女のその姿を目にして、思わず叫んだ。
「ちょ、ちょっとなんて場所にいるんだい、コロネ! は、早くこっちに来なさい!」
彼女が立っていたのは、屋上の周囲に張り巡らされたやや低い安全柵の外側である。そんな場所で彼女は、柵を片手で掴みながら、建物のすぐ側にそびえ立つ巨木の枝に向かい手を伸ばしていた。
「だって、紙飛鳥がそこの木に引っかかっちゃって」
「待って、僕が今取りに行くから。絶対に、絶対にそこから動かないでね!」
フェルナンドは青い顔をしながら、コロネを刺激しないようにゆっくりと駆け出す。
しかし、彼が走り始めたまさにその瞬間、何の偶然か後方から突然強風が吹きつけてきた。
「あっ!」
「コ、コロネ!」
フェルナンドの妹は風に煽られてバランスを崩すと、そのまま屋上から転落しそうになり、慌てて向かいの樹の枝を掴む。
しかし、いくら彼女が幼く軽いと言っても、末端の枝では彼女の体重を支えきれず、不気味なメキメキという音が周囲に響いた。
「リュート、僕の背中を撃て!」
「なに? ……そういうことか。ホワールウインド!」
リュートは思わぬユイの言動に、一瞬戸惑う表情を見せる。しかし、彼に声をかけるや否や、その場をまっすぐに駆け出したユイの意図を把握すると、リュートは彼の背中目がけて風の一撃を解き放った。
その予め計算していた風の直撃を背中で受け止めると、ユイは一瞬で前方を駆けていたフェルナンドを抜き去る。そして、一足飛びに手すりを乗り越えると、向かいの木に向かってダイブした。
「捕まれ!」
コロネに向かって言葉を発した瞬間、彼女はユイに向かって手を伸ばそうとする。しかし彼女が手を伸ばした瞬間、樹の枝が折れる音が周囲に鳴り響いた。
「フェルナンド!」
ユイは前進する勢いに任せて彼女の腕を無理矢理掴むと、柵のところに到着した少年の名前を叫び、彼めがけてコロネを放り投げる。そしてその動きと引き換えに、彼自身はそのまま重力に捕まり、地面に向かって落下していった。
「ユイさん!」「ユイ!」
瞬く間に地面に向かって引き寄せられて行くユイの姿を目にして、コロネを受け止めたフェルナンドはリュート共々ユイのファーストネームを叫ぶ。
そうして彼らの声が発せられたと同時に、ユイは空中で身を反転させると、既に目前に迫った大地に向かい両足を揃えて下へと向けた。そして足先から地面に着地すると、脱力させた膝を左寄りに曲げてそのまま速度を吸収し、回転するように左の大腿、背中、右の肩先と順番に大地に接地させて一回転する。
「ふぅ……危ない危ない。しかし、母さんに五点着地法を習っておいて良かったな。あの訓練の時は虐待じゃないかと思っていたけど、人生どこで役に立つかわからないものだね……まてよ、この技術はやはりあいつにも習わせておくべきだな」
ユイはそう呟いて何事もなかったかのように立ち上がると、服についた砂をパンパンと払い、そのまま明日のエインスの訓練メニューへと思考を移す。
一方、良くて骨折、悪ければ命にも関わりかねないと思っていたフェルナンド達は、自分達の視線の先で起こった出来事を理解できなかった。
そして何事もなかったかのように独り言を呟きながらフラフラと歩み去って行くユイの後ろ姿を、彼等はただただ呆然とした表情で見つめながら、しばらくの間その場に立ち尽くすこととなった。




