フェルナンド
王都北に位置するオルミット地区。
王都の中でも比較的緑の残された地域であり、王立大学と士官学校の両学校は少し離れてはいるが、どちらもこの地域に設置されている。
ユイが所属する士官学校は、この時期は夏休みの真っ盛りであり、校内は閑散としていた。しかし、幼年学校などと異なり、研究者も少なからず存在することから、全くの無人というわけではない。むしろ、学生への指導をせずに済むということで、普段以上に研究に熱の入っている研究者も散見される程である。
そんなわずかに人の気配が残る校内を、ユイは一人で歩いていた。
「全く、休みだというのに人使いが荒いんだから」
そう愚痴を呟きながら、彼は校内の本館ではなく別棟、それもその外れに位置する教室に向かって歩を進めていた。そして、周囲に比べてやや薄暗い部屋の前へ辿り着くと、ユイはノックをしてから部屋の中へと足を踏み入れる。
「やっぱり汚いですね、今日も。もう少しは掃除くらいしてくださいよ」
もともと書類が散乱し、大量の本が無造作に積み上げられ、紙のジャングルと化したこの部屋ではある。しかし、今日のその部屋は普段に増してひどかった。そのため、ユイは足の踏場をゆっくりと確保しながら、一歩一歩中へと歩を進めていく。
「ふん、遅いぞ、ユイ」
「勘弁してくださいよ。みんな夏休みだというのに、無給でこうやって足を運んでいるんですよ。少しの遅刻ぐらい大目に見てもらってもいいじゃないですか」
ユイは二度左右に首を振ると、アズウェルに向かって肩を竦めてみせる。
「どうせバイトでもしておったのだろ。ふん、金に自らの貴重な時間を売るとは、全くもって嘆かわしい」
「そう思うんだったら、バイト代くらい出してくださいよ」
「わしが奨学金をとれるよう推薦してやったんじゃぞ。余りぐだぐだぬかすな、まったく」
アズウェルはやや苛立ちを声に表しながら、ユイに向かってそう口にする。
すると、その声に反応するかのように、ユイの視界の外から突然若い少年の笑い声が発せられた。
「ははは、なるほど。こちらが噂のユイ・イスターツさんですか」
ユイは声が発せられた方向へと視線を移す。すると、そこにはユイより一回り小柄な少年が、部屋に溶け込むかのように佇んでいた。
「えっと、失礼だけど君は?」
「ああ、すいません。僕は王立大学魔化学部に所属しているフェルナンド・マットと言います。はじめまして、イスターツさん」
ブラウンの髪をわずかに掻き上げるようにしながら、フェルナンドと名乗った少年は、ユイに向かって挨拶を口にする。
すると、ユイは王立大学に所属しているという言葉を耳にして首を傾げた。というのも、フェルナンドの見た目は、エインスとほぼ変わらないくらいの年齢に見えたためである。
「ユイ。貴様フェルナンドのことを幼いと思っておるじゃろう。こやつは今季の王立大学の特別進学生じゃ」
「ああ、飛び級組ですね。なるほど、どうりで。いやぁ、これは失礼なことをしましたね。僕のことを知ってくださっているみたいだけど。ユイ・イスターツです。ユイと呼んでくれて構わないので」
ユイは申し訳なさそうに頭を掻きながら、そう謝罪を口にすると、フェルナンドは笑みを浮かべながら首を左右に振る。
「いやユイさん、気にしないで下さい。普通、名札でも貼っておかなければ、僕が大学生だなんてわかりませんから。それとユイさんを知っているのは、たまたま以前にお姿を目にしたことがあるからですよ」
「僕をかい? そうなんだ、一体どこでかな?」
ユイは最近の自らの記憶を探っていくも、目の前の少年を目にした記憶が彼には一向に浮かばなかった。すると、ユイのそんな思考に気づいたのか、フェルナンドは彼に向かって口を開く。
「ユイさんは僕のことを知りませんよ。だって僕がユイさんを目にしたのは、士官学校の武術大会の観客席からですから」
「ああ、あれかぁ……それは恥ずかしいところを見せたね」
あの前代未聞となる大会中止の原因となった自分の試合のことを思い出し、ユイは苦笑いを浮かべる。
「いえ、とても面白い試合でしたよ。なかなか興味深い事象も有りましたし……あの試合を見て、一度ユイさんと話してみたいと思っていたんです」
「私とかい? はは、構わないけど大した話はないと思うよ。大会を中止させた上に会場を壊したから、あの日はあの後ずっと説教され続けてね。その嫌な記憶で頭の中がいっぱいで、試合のことはあまり覚えていないんだ」
ユイはフェルナンドの発言を耳にして、頭を掻きながらそう答える。
するとフェルナンドは、そんな彼の返答に頬を緩ませる。
「はは、そうなんですね。でも麒麟児と言われるリュート・ハンネブルクさんの竜巻の魔法にも驚きましたよ。もっとも途中でなぜかコントロールを乱してしまって、ああなってしまったみたいですけど……やはりあれ程の魔法となると、あの方でも扱いきれないこともあるんですね」
「そうだね、どうなんだろう。実際にもしリュートに会う機会があれば、彼に直接聞いてみたらいいよ」
やや意味ありげな視線でユイを見つめてくるフェルナンドに対し、彼はあっさりとリュートに責任を丸投げする。
「実はあの人、以前習っていた魔法士の兄弟子に当たるんです。と言っても、すぐに習うことが無くなったって辞めてしまわれたので、直接の面識は少しだけしかないんですけどね」
「そうなんだ。へぇ、リュートがね……それより、君はどうしてアズウェル先生のところへ? 魔化学が専門なら、もっとちゃんとした研究をされている先生は、きっと本館の方にいっぱいいるよ」
「なんじゃ、貴様。わしがいい加減と言っておるのか」
ユイはあっさりとした口調でフェルナンドに他の教授を勧めたものの、それを聞きとがめたアズウェルはわずかに眉を吊り上げてユイを睨みつける。
「いや、うちの大学の教授から直接アズウェル先生を紹介して頂いたんです。魔法の構造学を学ぶなら、この大陸ではアズウェル先生の下に行くべきだと」
「この偏屈教授がねぇ。まぁ、確かに構造学ならこの人の右に出る人はいないだろうけど。それで、この部屋の惨状はどうしたんですか? まさか若い研究者に嫉妬して、教授が突然暴れだしたとか?」
構造学を学ぶならアズウェルという選択肢は妥当だと理解し、フェルナンドの訪問に納得すると、ユイはようやく部屋の中に入った時から感じていた違和感に言及する。
「誰が嫉妬するか、誰が」
「すいません、これは僕の妹がしでかしたんです。どうしても僕についてくるって言って……なのにここに来て暴れるだけ暴れたら、勝手に外に出ていっちゃいました」
「まるで嵐のようじゃったわ……まぁ、普段からそんなに大差ないから気にせんでも良い」
「そうそう。どうせこの人が散らかすんだから、早いか遅いかだけだよ」
ユイがアズウェルを茶化すようにそう発言すると、彼はますます眉を吊り上げてユイを睨みつける。二人のそんなやりとりにフェルナンドは思わず笑みをこぼすと、少し名残惜しそうにしながら言葉を発した。
「すいません、教授。では、僕はこれで。ちょっと妹を探しに行かないといけませんので」
「ああ、ラックスの奴にはよろしく言っておいてくれ。それと君に関する事だが、さすがに毎日は無理だが、必要があれば定期的にここに通ってもいい。基本的に何かあれば、そこのボケっとした男に尋ねてくれれば、それなりの返答が返ってくるじゃろう」
「えっ、私ですか?」
突然話を振られたユイは、驚いた表情を浮かべながら、露骨に嫌そうな返事を返す。
「そうじゃ。もともと今日は、お前を彼に紹介するつもりでここに呼んだのに、平然と遅刻してきおるからに……ともかく、こやつを担当教官だとでも思って好きに使え。そのための最低限の知識は仕込んである」
「ほんとですか。ありがとうございます、教授」
アズウェルの発言を耳にするなり、フェルナンドはニコリと笑顔を見せて頭を下げる。すると、勝手に話を決められたユイは慌てて抗議の声を上げた。
「ちょ、ちょっと、私の意志は?」
「ない。ふん、これも奨学生の義務だと思え。嫌なら断ってもいいが、来年の奨学金の申請がうまくいくかどうかは神のみぞ知るだろうな」
「ひどい……あんまりだ、横暴だ、この偏屈ジジイめ」
「ふん、負け犬の遠吠えじゃな」
ユイの愚痴をあっさりと切り捨てたアズウェルは、もうこれ以上話はないとばかりに机の上の論文に向かって視線を落とす。すると、自分のことで迷惑をかけたと感じたのか、フェルナンドがユイに向かって、恐る恐る口を開いた。
「あの……ユイさん。やはり、ご迷惑でしょうか」
キラキラ光るような純粋なその瞳に、ユイは思わず一歩だけ後ずさる。そしてそこまで出かかっている拒否の言葉を、ぐっと飲み込んだ。
「いや……迷惑というか……そうだね。私が付き合える範囲でよければ」
純真な少年の言葉を撥ねつけることがとてもできなかったユイは、頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。
「ふむ、話はまとまったようだな。ならばさっさと出て行け、わしは忙しいのでな」
ユイの返答を耳にしたアズウェルは、論文に視線を向けたまま満足気に笑みを浮かべると、そう発言する。そして、嵌められたというユイの捨て台詞だけがその場に残り、少年と青年はその空間から立ち去っていった。
そうして、その場には初老の男だけが残される。
彼は目を通していた論文を読み終えると、そのまま後方へと投げ捨てる。そして、誰もいないその空間で、一人つぶやいた。
「ユイのあれを感じ取ったものが、まさか魔法士ではなく研究者とはな。おそらくこれからは魔法の時代も変わる。実戦魔法士だけではなく、研究者が重宝されてくる時代が来るのじゃろう。そのためにもユイ、その少年に接しておくことは、決して貴様にとって、マイナスとはならんじゃろうて」




