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彗星乙女後宮伝  作者: 江本マシメサ


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三十一話 紺々、頑張る

「う……ん」


 紺々は珊瑚の首筋に浮かんでいた玉の汗を拭った。

 白い肌が目に眩しい。異国の人はこのように色白だというので、羨ましく思う。

 いつも以上に肌が白くなり、汗を浮かべる様子はどこか色気がある。同性の紺々でも、ドキッとしてしまった。


 この様子を見た紘宇は、何を思ったのか――想像できない。


 ここに来てから、気が張っていた状態が続いていたからか、珊瑚は熱を出してしまった。

 その様子にいち早く気づいたのは、同室の紘宇であった。

 血相を変えて紺々の元へとやって来て医者を呼べと命じた顔は、何があっても動揺せず、冷静な男という評判とはまったく違うものであった。

 きちんと髪は整えられておらず、衣服にも乱れがあった。毎日きちっとした身なりをしている紘宇の姿は、なかなか大変なものを見てしまった気分になる。それだけ焦っていたのだろう。

 紺々はすぐさま医者を手配し、診察を受けてもらった。

 その際、女医であったからだろうか、ひと目で珊瑚の性別を見抜く。紺々は服を脱いだ時に気付いたが、医者の視点からすると、骨格が男と女では違うらしい。

 一応、このことは内緒だ。

 珊瑚がどういう目的で、男装して牡丹宮に潜入しているのかは謎であるが、悪いことをしているようには見えない。その点は、安心している。

 しかし今日、女医にバレてしまった。

 紺々は口止め料として、医者に金の櫛を手渡す。相手は、すんなりと受け取ってくれた。珊瑚の性別についても、黙っていてくれるらしい。


「しかし、驚いたねえ、女性が男の姿で、後宮に潜り込んでいるなんて」

「え、ええ……」


 女医の名は真小香しん・しょうこう。年は三十五歳。下町で医者をしていたらしいが、星家の者に才能を買われて、後宮の侍医となる。


 赤い生地に金糸で花模様が刺された派手な装いだった。艶やかな黒髪は邪魔にならないよう編み込まれ、後頭部で纏められている。

 医療行為をする中で邪魔になるのか、装飾品の類は身に着けていなかった。

 紺々よりも十以上年上の女性であったが、切れ長の目元にはホクロがあり、目元は紫、頬は薄紅、唇は真っ赤な紅と派手な化粧を施していたが、それがよく似合っていた。

 一見して、後宮の妃のようにも見える、華やかな美人である。


 彼女は元々、牡丹宮の医者として連れて来られたが、他の後宮の妃も女性の医者を希望したため、今はさまざまな後宮を行き来していた。

 曰く、四つの後宮の中で、一番牡丹宮が平和らしい。


「女官の派閥争いとか、妃の毒殺未遂事件とか、ふつうにあるからねえ」


 それを聞いた紺々はゾッとする。牡丹宮でのほほんと暮らしていけるのは、すべて星貴妃が女官を選別し、問題を起こす者は即座に解雇。その上、女官達が満足できる環境を作っているからだと言う。


「あの方が皇帝の母となれば、この国もちったあマシになるんだろうけどねえ」

「え、ええ……」

「私も、今まで苦労してね」


 小香は女の身でありながら、幼い頃より医者の元へ通い、手伝いをしながら技術を学んだ。二十歳の時に独り立ちをすることになったが、女だというだけで、周囲は医者だと認めなかった。


「女狐が人間の姿になって、生気を吸い取っているとか、酷い言われようでね」


 せっかく師より譲り受けた財で作った治療院も、石を投げられ、ゴミ捨て場となった上に、最後は焼かれてしまった。


「そのあとは、男装をして下町で細々と医者をしていたってわけ」


 医者である上に、男装経験もあったので、珊瑚の性別についてもすぐに気付いたのだと話す。


「女と男では腰の位置が違う。だから、帯ももう少し下に巻いてやるといい。そうすれば、もっと男らしくなるだろう」

「ありがとうございます」


 小香は珊瑚の男装に関して、協力的であった。


「すみません、私が気付けばよかったのですが……」

「いいんだよ。しかし、この子はどんな目的をして男の姿をしているのやら――」


 汪家が身元保証人なので、そこまで悪いことはできないだろうと小香は断言する。


「何か企んでいるようだったら、止めていたけれど――そういうことはしていないんだろう?」

「はい」


 珊瑚は間諜のような行動はしていない。それに、そんなことができるような、器用な性格ではなかった。


「そうか、それはよかった。私は後宮の平和を誰よりも望んでいるからね。ここは、あたしにとっては天国だよ。皆が皆、医者だと認めてくれて、敬ってくれる」


 男装する必要もなく、綺麗な服が用意されていた。

 だから、彼女は女性だけのこの後宮の存在に、感謝をしていると言う。


 珊瑚に関しては、女性の身でありながら、男の恰好を貫き通すのも、辛いことだろうと、同情もしていた。


「安心しな。他の者には喋らないから」

「す、すみません、助かります」


 医者である小香は、月に何度か、街に行くことを許されている。何か欲しいものがあったり、外に逃げなければならない事態になったりしたら、手を貸すとも言った。


「もちろん、金になるものと交換だけどね」


 紺々はありがたい話だと思ったが、こういう者は金さえ渡せば、簡単に寝返るのではと疑問が浮かび上がる。

 知り合いになったばかりだし、あまり、頼りにするのも危険だろう。

 しかし、紺々の中でだけ抱えるには、大きな問題だったので、少しだけ心が軽くなった。

 もしも、珊瑚が窮地に追い込まれた場合は、小香を頼りにすることになる。


 そういう困った事態にならないことを、願っていた。


 二人で協力して、眠る珊瑚の胸に布を巻いていく。

 診察するために、寛がせていたのだ。


「しかし、これは苦しいだろうねえ」

「はい。ですが、男性と同室であることを考えたら、仕方がないかと……」

「う~ん」


 現状として、珊瑚が我慢するしか対策はない。

 何かいい物がないか、紺々は考えなければと思う。


 以上で診療は終わった。


「真先生、ありがとうございました」

「あまり、無理をさせないようにね」

「はい、伝えておきます」


 数時間眠らせたあと、食事を食べさせるように言わせた。

 紺々は三時間後、珊瑚を起こし、粥と薬を与えた。


 執務室で仕事をする紘宇に、本日三度目の報告をした。

 顔色はだいぶ良くなった。今は眠っていると伝えると、ホッとした表情を見せている。


 朝の様子とは打って変わり、冷静さを取り戻したいつもの紘宇であった。

 ここで、紺々の中で疑問が生じる。

 もしや、紘宇は朝、珊瑚の身体を見てしまったのではないかと。

 あの慌て方は尋常ではなかった。


 初めの頃は、汪家が珊瑚の身元保証人だと聞いていたので、女性であると知っていると思っていた。

 しかし、その後の様子を観察していると、どうやら紘宇は珊瑚を男として見ているようだと気付く。


 今回の一件で具合を悪くしているのに動揺した上に、珊瑚の性別の勘違いに気付いていたとしたら――?


 一緒の部屋で過ごさせるわけにはいかないだろう。

 相手はあの、珊瑚に夜枷を手伝わそうとしていた、色欲魔の汪紘宇だ。女性と気付いたら、どうなるのか。考えただけでも恐ろしい。

 まず、珊瑚が女性であることに気付いたか、気付いていないか、調べる必要もある。紺々は紘宇に探りを入れるため、質問してみた。


「あの、汪内官」

「なんだ?」


 厳しく、鋭い視線が向けられた。目が合った瞬間、ドキンと胸が鼓動を打つ。

 もちろん、ときめきの類ではない。妖怪とか、悪鬼を見た時に感じるような、嫌な胸の高鳴りであった。

 妖怪や悪鬼を見たことがないので、想像上の感覚であるが。


 愛想がなく、常に眉間に皺を寄せている紘宇は苦手な相手ではあるが、珊瑚のためだと己を奮い立たせ、なんとか質問を絞り出した。


「やはり、疲労が溜まると、珊瑚様のような男性でも、倒れてしまうのですね」

「そうだな」


 紘宇は表情を変えずに返事をした。男であると言った部分で動揺は見て取れなかった。

 念のために、もう一度、質問してみる。


「診療をしてくれた、真先生が、珊瑚様を、その、とても綺麗な男性だと、驚いていました」

「――……その辺は、個人の好みだろう」


 紘宇は一瞬、目を泳がせてから言葉を返した。

 とても微妙な反応である。これは、珊瑚が綺麗だと言った部分に反応したのか。わからない。

 最後に、もう一個質問をぶつけてみた。


「なんと言いますか、こう、中性的な魅力があると言いますか」

「確かに、あれは少々女々しいところはある」


 この一言で、紺々は確信を得た。紘宇は珊瑚のことを男だと思っている、と。

 女々しいと言う言葉は、女性には使わないからだ。


 しかし、珊瑚が女々しいとは、いったいどういうことなのか。

 聞いてみたい気もしたが、これ以上話しかけたら、相手に不審に思われてしまうだろう。

 紘宇が珊瑚の性別に気付いていないとわかっただけでも、かなりの収穫だ。


「そ、それでは、引き続き、珊瑚様のことはお任せください。それと、今晩は、どうか別の部屋で、お休みを」

「ああ、わかった」


 風邪が移るからという言い訳を用意していたが、紘宇はあっさりと頷いた。

 会釈をして、執務室から出て行く。


 紺々にとって生まれて初めての尋問であったが、心臓に悪いと、いまだに早鐘を打っている胸を押さえながら思った。


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