◆謝罪と現実と宇宙戦艦の巻◆
ナルは疲労困憊だった。
暗い岩肌にびっしりと苔がはえている板畳八畳ほどの広さの中央部、注連縄でグルグル巻にされて正座させられていた。
「ええと、ええと、僕が拷問をうけるようにお縄頂戴されている意味が理解できないのですが」
「クククッ……意味が理解できないだって。流石は肝が据わっているな」
「ふぇーん、ごめんなさい。わたしが嬉しくなって騒ぎすぎていっぱい観覧者がこなければ叔父様の変態的性欲が満足されて『でへへへへ……』と叫んで無事に逃げ出せていましたのに、グスン」
「僕は覗いていた訳ではないのですぅーっ」
喉を唸らせて必至に反駁するが緋影はどこ吹く風まったく取り合おうとしない。
そして岩場に腰をおろして改めてナルに向き合うと冗談まじりの戯言ではない言葉を投げかける。
「クククッ、ゆるぎ荘の荘則の体裁もあるからな。何事も無罪放免お咎めなしという訳にはいかないのだ。それにこの状況はうちやユレルにとっても、何よりナルにとって一番都合がよいのだ。女子風呂覗きの汚名と引き換えにナルの心の闇を払拭できるかもな」
厳かな表情と諧謔じみた言葉、緋影のただならぬ様子を察したナルも反駁をやめて軋むような痛みを我慢しながらおとなしく耳を傾けた。
「ナル、このユレルは地球と称される星から宇宙戦艦に乗せられて亜空間を飛び越えてお前の肉体を閉じ込めた棺を追ってやってきたそうだ……」
「ハイ、そうです。えっと、ナル叔父様が祖国を救ってくれた後、わたしの父や数名の同胞が己の欲望のために結託してナル叔父様が侵略者に祖国を売り渡そうした売国奴だと嘘の噂をメディアに流してありもしない証拠をでっち上げて無実の罪で死罪よりも厳しい処分を下された後の話をします」
「ナルよ……その心うちに渦巻く憎悪。想うところは多々あるだろうがユレルの話が終わるまで黙って聞いてくれ。このユレルはいかなる罪もなき生者。その者の言葉に耳をかたむけてやってくれ」
居心地の悪い沈黙が流れた。
ナルは虚空を見つめるように天井に振り仰いでいた。
その表情は無表情であるのに緋影には泣いているように見えた。
「クククッ……さぁ、ユレルよ、盛大なとばっちりを受けたナルに驚愕の話を続けてやってくれ」
緋影の隣にちょこんと座っていたユレルの髪を優しく撫ぜるとナルの隠れた願望を見透かし汲み取ったように核心を鷲掴みにするユレルの言葉を促した。
するとユレルはちらりとナルに澄んだ瞳をむけると少し伏せがちに視線を落として重い口を開いた。
「えっと、ナル叔父様の棺がレジスタンスの手で異次元に流されてからも十年は平和でした。母の楓は世界を救ったメンバーで侵略者の皇族でもあり最高司令官でもあった者を討ち取った英雄として祭り上げられていた父ユングに求愛されていましたが母はずっと断っていました。だけど父ユングは母のご両親……えっと科学者だったおじいちゃんや親戚たちに金を握らせて丸め込んで実家で引きこもっていた母に一服もってそのまま犯して既成事実をつくり無理やり結婚をすることになりました」
ナルの肉体はピクリとも動けなかった。
鋭く怒りに満ちた視線を消すために両目を瞑り本懐しそうな感情を胸の底で押し殺し自分が不穏分子として去ったあとの表舞台の話を忸怩たる想いで耳を傾けていた。
「わたしが八歳の時でした。世界に暗雲がたれて再び人類に牙をむいた侵略者の厄災が地球に降りかかりました。父や母をはじめ、世界を救った英雄として祭り上げられた者が再び結集して世界政府とともに侵略者に立ち向かったのですが……結果は世界の三割が焦土とかすほどの惨敗でした」
その時はじめてナルは押し黙っていた想いをあふれさせた。
「そ、そんな侵略者だって! あのとき僕は侵略者の最高司令官であり皇族の長・皇帝と名乗るとんでもなく強い奴と刺し違える勢いで葬った……いや虚無に呑み込んだはずだよ……それなのに何故!?」
捲し上げた口調だったナルは失言に気付き言葉を切る。
しかし、その言葉がユレルの心を鷲掴みにした。
その顔に戸惑いが浮かぶどころか感銘と尊敬の念が輻輳した色を宿して目をいっぱい開く。
「や、やっぱり……先生が言っていたとおりナル叔父様が侵略者から世界を救われたのですね。それで合点がいきます。ナル叔父様……実は皇帝は死んでいなかったのです。ナル叔父様が仕留めた者は皇帝の弟であり影武者(副王)です。そして、わたしたち地球に残る人類は再び存亡の危機にたたされています。世界政府の中心だったアメリカ・ロシア・中国・日本・イギリスの国際連合軍や共に戦った英雄たちの大半は奮戦虚しく捕らえられました。そこで突然、世界政府に講和条約を持ちかけてきた侵略者は三つの要望を提示しました。その一つに皇帝の弟(副王)を殺した者の身柄の引き渡しでした」
ユレルの連ねた言葉はナルの心に真正面から衝撃を与えるに充分だった。
そして同時にナルを引き渡すことはナル自身の名誉を回復して身の潔白を証明することにも繋がるのだが。
「クククッ……侵略者も馬鹿ではあるまい。ユングというものを引き渡したからといって真実をもっとも知るものの一人である皇帝は騙せまい」
ちらりとユレルを見た緋影は軽く身を乗り出してペロッと小さく舌を出すとさも楽しそうに言葉を吐き捨てた。
その言葉に同調するようにユレルは軽く唇を噛むと抑えならない暗澹と寂寥を醸し出した無力感が見える相好は感情が枯渇したようにシュンと悄然する。
「はい……全く言い訳のしようがないほど父ユングは見苦しかったです。誰よりも早く地下シェルターに隠れて戦場に出たくないと駄々をこねていました。侵略者の講和の最後通知……そのときになり生き残っていた仲間に全てを吐露したのです……ナル叔父様に関する闇に隠され隠遁された真実を」
「そんなに落ち込まないでもいいよ。ユングかぁ……昔っから卑劣で強欲で臆病でそのくせにナチュラルに人を見下している奴だったな。それに楓……僕の大切な従兄弟であり……恋人だったんだ。だけど、僕はもう過去は捨てたから」
「な、なにぃーっ、それは初耳だぞ! ナルよ……このユレルの母である楓と恋人だったのか……お、おほん……若い性をむき出しにしていちゃついたりしていたのか!? それでもうチェリーボーイを……童貞を卒業していたのか!? そのような世迷言許せぬ、禁断のプレイをこの世界に流れ着く前にこなしてしまったのかぁ! 答えるのだ! この場で死にたくなければ答えよーっ!」
「まてまてまってーっ! はっきりばっしゃり答えるので生ごぼうで頬をぶたないでーっ! Aですよーっ。キスどころが手を繋ぐのがやっとでしたーっ!」
生ごぼうを右手に握りしめるとガバっと顔をあげてナルにがぶり寄った緋影だが真実を知り「極めて遺憾であるが信じてやろう」と言葉をこぼすと本音はどうあれひとまず感情を鞘に戻してポンポンとナルの頭を生ごぼうでコツいた。
ユレルがちょっと引く感じでチラッと緋影を見ていたことに気が付いたナルだがその真実は胸の中にそっとしまっておく。
「え、えっと、ユレル」
「はい、何ですかナル叔父様?」
「なぜ、僕がこのゴミ島に流れ着いたことがわかったの?」
「それはですね、ナル叔父様の棺を強奪して逃すことに成功したレジスタンスがいつか冤罪が晴れる日を信じて回収できるように超高性能の発信機を柩に取り付けていたからです。それをたどってわたしたちは宇宙戦艦シェフレラに乗ってやってきたのです。ナル叔父様の肉体を回収するために」
「クククッ……とんだご都合主義な奴らだな。冤罪をかぶせて蔑み侮蔑した男を今度は貢物として強者に差し出す。個人的な意見として言えばその人類を牛耳る指導者はグズだな」
どっしりとあぐらをかいて顎先に指を当てながら失笑した緋影は冗談めかした口調で怨嗟じみた言葉を紡ぐ。
あまりにも緋影が知りうる世情と乖離した出来事に半分呆れたような雰囲気をまとっていた。
「はい、人類が窮地に晒されたことで真実が明るみにでましたが同時に全人類にとって残酷な現実もやってきました。この真実と母の言葉を伝えるためにわたしはゴミ島の北に着陸した宇宙戦艦から脱走して発信機の信号を頼りに南である地域までやってきました」
「脱走?」
脱走などとどう考えても合点がいかない不可解な言葉にナルは相手が子供だということも忘れて鋭い視線でユレルを射抜いてしまう。
しかしユレルも動じることなくさしてない胸の前で両手をくみ、神に許しをこうような仕草でさらに言葉を紡ぐ。
「そうです……宇宙戦艦シェフレラの館長は侵略者の皇族です。それにとっても強そうな武装部隊も乗っていました。それにわたしたち人類は敗者ですので彼らにとって家畜も同然なのです。宇宙戦艦カグラではここにたどり着くまでに捕虜の半数以上は捕食されたと聞きました。生き残った皆さまの命はナル叔父様を捕らえるための囮にするために捕食対象外の親しき者ばかりが監獄に残されています。わたしの父ユングや母楓もいます」
「クククッ、感心したぞ……その監獄からよく逃げられたものだな」
「わたしは母の手引きで空調から脱出しました。身体も小さく特殊な力もないわたしは侵略者からマークもされていませんでした。逃げ出して南部にむかう途中であのあたりを根城にしている民族や化物に襲われましたが……もうダメだと思ったときにナル叔父様や犬神のシロ様に命を救っていただいたのです」
ユレルはその場に跪くと少し小首を傾げて軽く目を細める。
瞳を潤ませて、照れくさそうにナルを見つめる。
その瞳は叔父をみる瞳の色ではなく憧れの存在を見ているような夢見心地の瞳だった。
「母からの伝言……いえもう遺言になっているかもしれませんが口頭でお話してもよろしいですか?」
その言葉にナルは閉ざしていたはずの心がグッと痛んだ。
その瞳に苛立ちをにじませながらもこみ上げてくるかつての思慕の感情。
胸が締め付けられて痛くて苦しくて……だけどどうしようもなくて。
それなのに手の届かない現実がもどかしくて。
そんな苦しい気持ちが容易に読み取れるナルに変わって緋影は小さく口添えをした。
「もう、隠すこともあるまい。すべてを詳らかに話してやれ。もう、何もかもが手遅れなのだから」
「緋影さんどういうこと手遅れって!?」
冷え切った心を奮い起こさせるようにナルは緋影に問うた。その切羽詰った声とともにどこかで結末を拒絶している自分がいることを自覚しながら。
「クククッ……ナルよ、二つの意味で手遅れなのだ。一つはこの嬢ちゃんが逃げたことに侵略者たちが気付いた時点で残りのもの……うん、見せしめのために利用価値のないものから順に捕食されているだろう。二つ目は先日、北の蛮族である愚民から使者がやってきて鈴賀ナルを引き渡せなどと言ってきたのでな、北の蛮族がナルの存在を知っていることが……どのような展開をむかえているのか容易に推測がつく。さりとて案ずるな使者の首を切り落としてゴミ山に捨て亡者の餌にした」
剣呑と吐き捨てる緋影……秘密裏の伝言をたずさえる使者を斬り殺すそれはタガが外れた狂人の如き行いだがその核心にナルは気付く。
それは侵略者が北の蛮族たちと何らかの関わり……いや、支配下においたと言う事だろう。ならば、人質としての価値がなくなったものは必然的にたどる末路がはっきりする。
緋影はそのことをナルに暴露したのだ。
「さぁ、ユレルよ、貴様の母の遺言を伝えよ」
「はい、ナル叔父様ここでお話いたします。よろしいですね」
ユレルはそっと立ち上がりナルの強い視線を一身に浴びても揺るがない決然とした姿勢のままナルの首に腕を回すと抱きついた。
小さく響く心音がお互いに伝わるほど密着してその言葉が囁かれた。
『あの時私だけでもナルの無罪を信じてあげられなくてごめんさない。騙されて言いくるめられて自分を見失ってナルを貶めたユングに抱かれてしまってごめんなさい。そして、私とユングの間に出来た娘を託してしまってごめんなさい……そして、どうか私たち人類を見捨ててください。もうどうすることもできないのです。もし生まれ変わることができたら私はもう一度ナルと出逢って夫婦になりたいです。さようなら愛するナルへ』




