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◆灰上美人と白目の生者の巻◆


 沈む太陽もなく夜がふけていく。


 ジメジメとした湿った空気が肌にまとわりつく不快指数が極めて高そうな夜のゴミ山。


 腐敗し粘ついた土からの漂う悪臭が鼻につく。


「夜は部屋で寝るものなのですぅ。くちゃいゴミ山は昼だけで充分なのですぅ」


「だったら部屋でゆっくりしてろ。僕一人で行くから」


「はううぅーっ! それはダメですぅ。もしもし亡者やガイコツとエンカウントしたらたいへんですぅ」


 この辺りに転がっている食い散らかされた死体をみればシロの心配も頷ける。


 ゴミ山は昼夜かかわらず飢えた餓鬼などの亡者や野良神が徘徊している。


 それに昨日の北の蛮族の件もある。シロはナルの行動が気が気ではなかったが緋影からの断れない願いごと(、、、、、、、、)のため渋々了承したといった感じだ。


 無論、シロ自身もついて行くという条件付きで。


「ダーリン、そこでとまるのですぅ。そっちの石っころのさきは生者がコツコツお骨にとりかこまれている臭いがプンプンしますぅ」


「シロ、こんな時間に出歩く酔狂なやつなんてゆるぎ荘にいるのか?」


「そんなもの好きいるはずないですぅ。ゆるぎ荘のじっちゃんばっちゃんは早寝早起きなのですぅ。夜のゴミ山は危険すぎますぅ。ダーリンみたいによほどの用事がないと出かけないのですぅ」


 ズゴーン!


 まるで穴にはまったような大きな音が辺り一帯に鳴り響いた、それもかなり間抜けな悲鳴とともに。


「シロ行くぞ!」


「待つのですぅーっ。面倒臭いことに首を突っ込むのはいやですよぉ」


 軽く傾斜した地面を駆け出したナルを慌ててあたりをキョロキョロと見回しながら追いかけるシロ。


 腐敗した大地に転がる食い散らかされた亡骸……明日は我が身である、いつナルやシロたちも宵闇にまぎれて強襲されるかわからない。


 その常識が肉体に染み付いているシロは気を抜くわけにはいかなった。


 小さなゴミ山を乗りこえた二人は立ち止まった。


「むむーっ、かなりヤバヤバな追い詰められ方されているですねーっ。クンクン……臭いから推測すると追い詰められても失禁はしていないようですぅ」


 宵闇がかった視界でもシロにははっきり見えるのだろうがナルは目をこらしてもはっきり見えない。


 ただ、張り詰めた緊張感は淀みきった大気を媒体にして伝播してくる。


 シロの目に入ってきた光景は切り立った崖に追い詰められていた生者とそれを捕食しようとする亡者の群れだった。


「シロ、生者を助けるぞ」


「むむーっ、嫌なのですー。発酵した亡者はくちゃいから嫌いですぅ。夜に出歩く生者も運がなかったのですぅ。あいつらの御飯タイムを静かに見捨てて見守ってあげるのが粋というものですぅ」


「そんなこというなよ」


「このゴミ山のルールなのですぅ。弱きものも強き者のエサです。捕食されてもしかたがないのてすぅ」


「シロ……僕はもう二度と裏切りや蔑む人の生き方をみたくないんだ。旦那としてその考え方を理解してくれないことは悲しいぞ。シロだけは僕の想いをわかってくれると信じていたのに」


「ダーリン、あの生者はここで捕食される。それが定めなのですぅ。諦めるです、ポクポクチーンなのですぅ」


「残念だよ……こんなに早く離婚することに……」


「むひひーっ、のんびりと何をしているのですかーっ、腰元の剣をぬくのですぅ、はやはやに助けに行くのですーっ。そしてシロ自身もたすかってご褒美にチューしてもらうのですぅーっ!」 


 血気盛んにぼひょーんと飛び出したシロを突き動かした理由はナルの心情とは異なるがその想いは効果絶大だった。


 斜面を駆け下りるスピードを利用していっきに跳ね上がると常人の跳躍力をはるかに超える勢いで宙を舞って上空から生者に間断なく押し寄せる亡者の群れに飛び込んだ。


 そして暗闇のなかに大なぎに振るわれた幾重もの鈍色の閃光が走ると亡者の断末魔が木霊する。


「やっぱりくちゃいのですぅーっ!」


 シロの強靭な一撃をまともにくらって絶命した亡者の血肉が大地に散乱するとその肉に亡者が群がり貪欲な胃袋を満たすために我先にただれた口に放り込む。


「………えっ、きゃぁ!」


「ぷぷーっ、生者、こんな時間に体臭くちゃい亡者と逢引する生者、特別に逃がしてやるから感謝してさっさとこっちに来るのですぅ。早くしないともそもそとゴミ山を降りてくるダーリンを巻き込んでしまいますぅ」


 あまりの恐怖で身体がすくんでいた生者が驚愕して思わず声をもらした途端、跳ね上げられたシロの両腕でその肉体が持ち上げられて踏みしめていた両足がねっとりと腐った大地から剥離する。


 そのままお姫様抱っこで担がれると狂気じみた亡者の群れを見下ろすほどの大ジャンプを生者は体感することになる。


 腐乱した肉や死骸がまじる砂地の崖を踏み台にして躊躇なくどんよりと濁った大気を切り裂くようにたからかと飛び跳ねた。


「ひやぁぁぁぁーっ!」


「この生者は砂かけバーバーの部屋のしまりが悪い引き戸ぐらいキィーキィーとうるさいのですぅーっ。シロは地下道三丁目のペラペラの反物妖怪(たんものようかい)、一反もめんみたいヒラヒラととべないのですよぉ」


 灰色の空を舞うシロ。


 鼻をくすぐる悪臭。


 頬を撫ぜる漆黒の霧。


 獰猛で残虐な闇がひっそりと微笑んでいるような灰色の世界をおおう腐敗した大地。


 シロは空中で着地点を定めて体勢を調整しはじめる。


「こら生者ぁ、お空を飛んでるときに喋ったら舌をカミカミしてしまうのですぅ。しゃべ……ふえーん、痛いですぅーっ、シロが噛んじゃいましたぁ」


 無理やり大きく息を吐いたシロは涙目でナルを発見すると暗澹たる閉塞感が漂う闇のなかで好物を見つけたように息をふきかえす。


「むひょーっ、ダーリンを発見ですぅ! まっててくだしゃんせぇ、すぐにダーリンの愛するシロがチューしてもらいにいくのですぅ」


 広大なゴミ山を包む灰色の闇の中で片手剣を振って仰ぎ見るナルに向かって一際風に乗ったシロは生者を小さい身体でめいっぱい抱え込み着地体勢に移行する。


 風がざわめく。


 ナルの耳のそば粘着質の強いドロが跳ね上がるとドドーンと耳を劈く音が鳴った。


 着地の衝撃は抑えられることもなくストレートに地面に伝わり大きなクレーターほどの穴がうがるがシロは生者を抱えたままナルにむかって「にひひぃ」と笑い口角をあげてミッションコンプリートをアピール。


 一方、シロに抱えられた生者は着地の衝撃に耐えられず口元からだらしなく泡を噴いてヨダレをたらし白目をむいていた。


「無事かシローーっ!」


「あぅぅーっ、シロは無事なのですが華がぁーっ、頼まれものを踏んじゃったのですぅ」


 慌てふためくシロはざざっと恐ろしくなるほどのスピードで顔から血の気が引いていく。


 全身にまとってといる分厚い突頭衣からもその動揺具合がはっきりとわかるほどだ。


 その肉体がブルブルと震えた。


 ナルに再び出逢えたからではない緋影の影に怯えたからだ。


「はうぅ、踏んじゃったですぅーっ、なんでこんなところに生えてやがるのですかーっ。ポキッと折れた茎のように帰ったらシロの首もポキッとなるのですぅ」


「おちつけ、おちつくんだ、こらぁ! 生者のお尻をがじっちゃ駄目だーっ、うわぁーっ、それは僕の腕だぞーっ!」


 シロが生者を放り投げて慌てふためく原因は他のだれでもない緋影の存在だ。


 涙を両目いっぱいに溜めて「やばいですぅ」と叫びながら鼓動が高鳴りまくり暴走するシロを抑えるためにナルはグッとシロを抱きしめた。


 その瞬間、シロはピタッと震えを止めた。


「ダーリン!? ううっ」


 シロの唇を塞ぐようにナルは唇を重ねた。


 驚愕したような顔でシロが振り仰ぐとそのまま目に映る光景が信じられないとばかりに顔が紅く火照った。


 シロの瞳の奥は恍惚色を宿してその小さくて柔らかな肉体はナルの腕の中で硬直している。


 やがて口元から剥離するナルの顔をぼんやりと眺めたシロは名残惜しむように人差し指で唇をなぞる。


 潤んだ瞳が艶かしく色付き、熱い吐息が少し開いた唇からこぼれた。


「落ち着いたか?」


 少し冗談めかしてくすっと微笑んだナルを上目遣いで見上げるシロの表情はキスの余韻にひたる乙女そのものだった。


「お華ふんだけど……だけど……今とっても幸せですぅ。唇が異性と触れ合ったの……はじめてですぅ。ダーリンにはじめてを捧げられたですぅ」


「シロ、足元をよく見てみろよ」


「ふにゃ?」


 ナルの小さな囁きが届くとシロは足元を見つめた。


「ふあぁぁーっ、凄いですぅ。いっぱい咲いてるのですぅ」


「ああっ、さっきの一輪は先駆けだったみたいだな」


 眼下には蒼い雫を垂らした純白の華が灰色の空に向かって咲き誇った。


「シロ、この純白の華が灰上美人か?」


「はいですぅ、お空の灰色の先には美人もびっくりするぐらいの真っ白な世界があると言うお話から名付けられたのですぅ。年に一回しか咲かない貴重な華ですぅ。いっぱいもいでかえるのですぅ」


「そうだな、僕とシロの初キッスを見届けた華だから」


「む、むひーっ。もうもうダーリンたらぁ、テレテレですぅ。帰ったら緋影姉ちゃんに一輪もらって地下道の四丁目に住む保存の神にドライフラワーにしてもらうのですぅ」


 膝を抱えてしゃがみこみながらシロが嬉しそうに蒼い水滴がついた灰上美人を積み始めた。


 ゴミ島を浄化する作用があると言われる灰上美人が咲く一帯からは悪臭が消えて視界一面の世界が雪に覆われたように白く染まっていく。


 腐敗する大地に咲く清められた華によって……。




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