29話 異母妹が伯爵邸で迎える初めての朝
オルフェ伯爵邸の朝は早い。使用人の数が少ないから、余計に。
普通の上級貴族の屋敷なら専任の馬番や庭師が雇われており、名ばかりの貧乏上級貴族の屋敷の場合はそもそも馬を手放し、庭を放置している。
「ライオット様、おはようございます」
「おはよう、ノーマン」
しかし、オルフェ伯爵家は節約家(狂)であっても貧乏ではない。そのため少数だが馬を飼育しているし、庭を利用して館で暮らす者のための畑や牧場も営んでいる。
だが、オルフェ伯爵家の使用人を含めた家臣団は少ない。そのため、家令であるライオットも含めて執事やメイド、従僕は庭師や農夫を兼業している。
ライオットや執事の青年ノーマンも、まだ暗い早朝から野良着姿で庭仕事をしていた。侍女長(とはいっても彼女以外は全員メイドで侍女はいないが)も、今頃鶏の世話と卵の回収をしているはずだ。
例外は屋敷の人間すべての食を賄う料理長達だけだ。
「はぁ、これからどうなるのでしょう?」
「……分からん」
そんなライオット達にとっても、カタリナの死は人生の一大事だった。今年も、来年も、そしてルナリアが成人してオルフェ伯爵が代替わりしても自分達は、オルフェ伯爵家は今と何も変わらず続いていくと思っていた。
それがカタリナの急死によって、幻のごとく消え去ってしまった。
「……アルベルトの奴、本気であの女を伯爵夫人にするつもりなのでしょうか?」
「だいぶ気に入っている様子だった。カタリナ様の部屋を与えようとしていたのだから、そのつもりだろう」
そんなノーマンとライオットにとって気になるのが、アルベルトが連れて来た愛人ナタリーと彼女の娘だ。
「やはり……あの女、ピッタリア商会が当てがった娼婦か何かですよ。あんな肌の黒い貴婦人がいますか。そんな女が伯爵夫人だなんて、それも歴史あるオルフェ伯爵家の!」
「愛人の方はまだいい。気になるのはその娘の方だ」
そしてライオットが最も懸念しているのが、レオディーナだった。アルベルトは彼女をどうするつもりなのかによって、彼らの姫であるルナリアの今後が大きく左右される。
「まさか、アルベルトがあの娘に伯爵家を継がせるつもりだというのですか? そんな大それたこと、不可能ですよね」
ノーマンもそうなることを危惧していたのだろう。不安そうに聞き返す彼に、ライオットは「そのはずだ」としか答えられなかった。
盤石だったはずの存在を失ったばかりのライオットは、自身の法に関する知識も信じられなくなっていた。自分が知らないだけで、王都に出入りしているアルベルトは何か手立てがあるのかもしれないと。
しかし、ライオットにも希望はあった。
「だが、昨夜あの愛人とその娘はアルベルトからルナリア様を庇った。アルベルトが何か企んでいるとしても、本人たちにそのつもりはないのかもしれない」
それは二人がルナリアやカタリナの部屋ではなく、元物置部屋を選んで使っていることだ。
「どうだが分かりませんよ。私達を油断させる演技かもしれません。……あの物置部屋にあの女たちがいる間に、手を打つべきじゃないでしょうか? 幸い、あの部屋はアルベルトや奴が連れて来た二人の傭兵がいる部屋から離れています。鍵もある。今なら――」
「早まるな、ノーマンっ」
「おはようございます」
ノーマンと彼を叱責するライオットの背後から、朗らかな口調で聞き慣れない声がかけられた。ぎょっとして二人が振り返った先にいたのは、昨夜アルベルト達が乗って来た馬車の手綱を持っていた『御者』の男だった。
自分達と同じ野良着姿だが、その間から見える肌はよく日に焼け首や腕は筋肉で太くなっている。
「良い朝ですね。しかし、驚きました。ライオット様や執事殿が庭師の仕事もしているなんて」
口調は快活で顔には朗らかな笑みが張り付いているが、目の奥が笑っていない。そんな『御者』の様子から、二人は内心冷や汗をかいた。先ほどの会話を聞かれたと思ったからだ。
(小声のつもりだったが、話している間に声が大きくなってしまったか)
「あなたは……?」
「はい、ピッタリア商会で働いているサイラスと申します」
「こんな朝早くから当家の庭園に何か用事でも?」
ノーマンが詰問するような口調で問うが。サイラスは笑みも口調も崩さず答えた。
「いえ、馬の世話をしようと思いまして」
「馬を? あなた達の馬は当家で世話をするとお伝えしたはずですが?」
オルフェ伯爵家でも、少ないが馬は飼育している。広い領内を移動するために不可欠だからだ。世話を行っているのは専任の馬番ではなく騎士達で、今頃厩舎に向かっているはずだ。
「はい、伺っております。ですが、うちの馬たちは人見知りをする質で。慣れない人に世話をされると機嫌が悪くなるのですよ。
では――」
「サイラス殿」
会釈してその場を立ち去ろうとするサイラスに、ライオットが別の方向を手で指す。
「馬用の厩舎はこちらです。あちらは豚舎になっていまして」
「豚、ですか? お屋敷で?」
ラドグリン王国では、乳や卵を得るために牛や鶏を飼育する貴族は多いが、豚はあまり聞かない。
「ええ、先代様の指示で」
豚は馬や牛と違い労働力にはならないし、鶏よりも飼育にスペースと手間がかかる。しかし、なんでも餌に出来る。そして馬の飼育数を少なくして空いた厩舎も活用できる。
先代のクラハドールの時代には丁度よかったのだろう。
「そうでしたか。それでは」
サイラスは改めて会釈して、ライオットが手で指した方向に向かう。その背に彼らの視線を感じながら、胸中で呟いた。
(お前らに馬の世話を任せきりに出来るわけがないだろ。お嬢やナタリー様に何かしやがったら、その首かっ切ってやるからな、クソ貴族のか――って、今はそれを言うとお嬢達を貶したことになるのか)
舌打ちしながら厩舎に入ったサイラスを、軍馬のように肝が据わった傭兵達の馬が宥めるように啼いて出迎えた。
一方、貴婦人と令嬢の朝は通常はゆっくりだ。
「おはよう、ママ」
「おはよ~。どうしたの? あまり眠れなかったの?」
「うん、ちょっと寝付けなくて」
しかし、ナタリーとレオディーナの朝はライオットやサイラスほどじゃないが早かった。それは朝の身支度を全て自分達で済ませるためだ。
これはオルフェ伯爵家が二人の世話をする者を手配しなかったからだが、これは嫌がらせや悪意からではない。彼らの中の常識では、貴人であっても身の回りのことは全て自分でやるのが普通だったからだ。
実際、生前のカタリナは全て自分で行っていた。今頃、ルナリアも誰に起こされるでもなくベッドから出て、一人で身支度を整えているころだろう。
そして、ナタリーとレオディーナも以前からそうだった。スラム街で暮らしていた時の習慣で、だいたい魔法で済ませてしまう。
魔法で出した水で洗顔し、魔法で肌や髪を整える。そして着替えは普通に自分で行うか、お互いに手伝う。
「そう言えば、服って普段通りでいいのかしら? ドレスも持って来てはいるけど……」
アルベルトから伯爵邸で生活することになると聞かされたのは、馬車の中だった。そのため、ナタリー達は貴族の屋敷で生活するための準備を何もしていない。
彼女達の衣服は上等な部類だが、それは頭に『平民としては』とつくのが前提。しかし、持ってきた唯一のドレスはラング子爵邸に招かれたときに着ていたもので、普段使いには向いていない。
……なお、アルベルトの思惑ではそれぞれが奪った部屋の主の衣類と装飾品、つまりナタリーはカタリナの、レオディーナはルナリアの物で一先ず代用してもらう予定だった。
「普段通りでいいと思う。多分、誰も気にしないだろうし」
「そうかしら? あのライオットって人は厳しそうだし、若い執事やメイドの人達も敵意がありそうだったわよ」
おっとりしているように見えるが、ナタリーもスラムで暮らしていた経験から悪意には敏感だ。しかし、レオディーナは別の視点でオルフェ伯爵家の人々を見ていた。
「お茶会や晩餐会でもないただの食事の席なら、きっと大丈夫よ。それよりも防御魔法をかけ直しておかないと」
「ディーナがそう言うなら。じゃあ、このワンピースにしようかしら」
そうして着替えて魔法をかけ直した頃、部屋の扉がノックされた。
『奥様、お嬢様、よろしいでしょうか?』
聞き覚えのある声で扉越しに問われて、思わず顔を見合わせる二人、
「ど、どうぞ、入って大丈夫よ」
とりあえず入室を許可すると声の主、サイラスが「失礼します」と断って扉を開けた。野良着ではなく、商会員風の格好に着替えている。
「おはようございます、奥様、お嬢様。ピッタリア商会で働いているサイラス・ビゴーです。本日からお二人の従僕としてお仕えすることになりました。
よろしくお願いします」
そうサイラスに挨拶された二人は、目を瞬かせて再度顔を見合わせてから口を開いた。
「サイラスさん、傭兵から転職したの?」
「従僕なんてするくらいなら、ピッタリア商会で商会員になったほうがいいんじゃないかしら?」
そう、サイラスはたしかにピッタリア商会に雇われて働いているが、立派な傭兵。レオディーナ達が暮らす家から着いてきた三人の傭兵の内の一人である。
「自分でもそう思いますが、アルベルトの旦那――アルベルト様と相談して『従僕』ってことになりました」
昨夜、この屋敷に一行が到着した際サイラスは馬車の御者を務めていた。そのため、パッと見て分かる武装をしていなかった。
そのため、ライオット達屋敷の人間は彼を『御者』だと思い込んでいる様子だった。
それを利用してサイラスをナタリーとレオディーナ付きの臨時の使用人ということにしたのだ。
「男が一人近くにいるってだけで抑止力になりますから。だったら、傭兵らしく鎧着て槍でも持ってりゃいいって思うかもしれませんが、威嚇も過ぎると逆効果なんで。
それに使用人なら近くに侍れますから」
使用人は主人にとって物言う家具、手足の延長である。そのため、サイラスがこの物置部屋の扉の前に立っていることで、ノーマン達が悪巧みの実行を躊躇うことはあっても不審に思われることはないだろう。
「だったら、従僕より執事のほうがいいんじゃない?」
「執事は家に雇われる仕事なので、この家の家令の部下になってしまうんですよ。従僕は、主人個人に仕え、その身の回りの世話をするのが仕事……らしいです、アルベルト様によれば」
執事は立場上ライオットの命令を聞かなければならないし、ノーマンの同格ということになる。しかし、ナタリーとレオディーナの従僕なら、彼らの指図に従う義務はない。
ちなみに、サイラスがピッタリア商会の商会員の服を着ているのは、それ以外の衣類で相応しいものが無かったからだ。まさか出先で従僕をすることになるとは予想外だった。
「本当は女の傭兵がいれば侍女をやってもらったんですけど、俺達の中にはいませんから。
さて、ではそろそろ食堂に参りましょう。部屋の外では私のことは呼び捨てでお願いいたします」
従僕っぽい口調を作ったサイラスに促された二人は、慣れるまで少しかかりそうだなと思った。
レオディーナは、当初オルフェ伯爵家は凄まじい貧乏貴族だと思っていた。
彼女とナタリーは、馬車の中でオルフェ伯爵家についてアルベルトからある程度説明を受けていた。節約狂の前伯爵の方針を、実権を握る妻のカタリナが堅持している異様な家だと。
領民に重税を課し、神殿への布施も各ギルドへの便宜も払わず周辺の領主との関係も悪化させてまで節約しているのだから、さぞ金が無いのだろうと。
実際、昨夜から見た屋敷の様子はその想像通りだった。
屋敷は広いのにどこか空虚で、隅に埃が溜まっていた。使用人の数が足りないからか、掃除が行き届いていない。
それより顕著だったのが、玄関ホールに飾られている肖像画だ。レオディーナには、見ただけで芸術品の価値が分かるほどの審美眼はまだ備わっていない。しかし、その彼女にもそれらの価値の低さは一目で分かった。
現当主のアルベルトや、先々代以前の一族の肖像画は無い。あるのは二枚。誰も彼女に説明していないがおそらく先代伯爵、つまりアルベルトの義父でルナリアの祖父のクラハドール・オルフェ。そしてその娘でルナリアの母、カタリナ・オルフェの肖像画だろう。
どちらもかなり小さい。B5のコピー用紙ぐらいの大きさだ。しかも、昨夜は暗くて気づかなかったが今見ると明らかに出来が悪い。
(あれなら、飾らないほうがいいんじゃないかな?)
ラング子爵邸で見た子爵夫妻の肖像画と比べると、雲泥の差だ。
それに、彼女とナタリーがドレスではなくワンピースを着ていることも気にされなかった。それは、食堂で「おはようございます」と挨拶を交わしたルナリアもワンピースを着ていたからだろう。
しかも、修繕を繰り返していることが明らかな物を。それが悪いとは思わないが、経済力がある貴族の令嬢がする格好には見えなかった。
そのため、朝食も期待できないなと思っていた。聞いた話では、貧乏な貴族は客人がいるとき以外は平民以下の食事をしているそうだ。そして、家令のライオットにとって自分と母は客人とは見做されないだろうと。
固いパンと野菜屑のスープだけの朝食だったら、失礼でも昼食からは自分達で勝手に用意しよう。そう思っていた。
実はアルベルトも、「いくら怒鳴っても食糧庫に蓄えられていない食材が生えてくることはないから、朝食は我慢しよう」と覚悟していた。
(あれ? 思っていたより普通だ)
しかし、レオディーナ達の前に並んだのは夏野菜のサラダ、キノコのスープ、黒パン、そしてスクランブルエッグとハムと言う普通の朝食だった。カップにはミルクティーが注がれている。もちろん、量も普通だ。
伯爵家の朝食としてなら侘しい部類だが王都の平民としてなら普通……スクランブルエッグの分やや豪華とすら言える。節約狂の家の朝食にしては、意外だ。
「ルナリア、朝食のメニューは普段から――カタリナが亡くなる前からこうなのか?」
アルベルトもそう思ったのか、実の娘にそう尋ねる。
「……? はい。日によってサラダやスープに使う野菜の種類が変わりますし、鶏が卵を産まなかった日はチーズになりますが。ハムも、ベーコンや干し魚、腸詰等の時がありますし、時々果物が付く日がありますけど、おおむね」
「そうか。カタリナならもっと食費を切り詰めそうなものだが」
「先代様の時代から、当家の食事にかける予算は大きくは変わっておりません」
アルベルトの背後に傭兵と並んで控えるライオットがそう説明した。
「……私が屋敷で寝起きしていた時は、延々と蒸した芋一つだけの食事が続いた覚えがあるが?」
「特に、カタリナ様はルナリアお嬢様の食事には気を遣ってらっしゃいました。お嬢様は小食でらっしゃるので、肉や魚、卵を食べやすく調理するようにと料理長に指示を出しておりました」
アルベルトの指摘を無視してライオットがそう語った。それを聞いてレオディーナとナタリーは入り婿いびりを呆れればいいのか、娘には金はかけずとも愛情はかけていたのだなと感心すればいいのか迷った。
「お母様……」
ルナリアも微妙な顔つきだった。
そして朝食は和やか……と言うほどではないが、静かに過ごすことが出来た。ライオット達伯爵家の使用人と、傭兵二人と従僕に扮しているサイラスがお互いを警戒しているからだ。
「……『鑑定』」
そして、レオディーナも料理に口をつける前に、こっそり魔法で何か仕込まれていないか調べていた。サイラスから、そうするようにと助言を受けていたからだ。
(あたし達の料理も、後念のためにルナリア様のも、問題なし)
「ママ、パパ、美味しそうね」
「ええ、そうね」
「ああ、いただこうか」
そう合図をしてから、食事が始まった。
「ナタリー、食事が終わったら来てくれ。済ませたい事がある」
「分かったわ。アトリ、私も丁度あなたに話したいことがあるのよ」
「ああ、ルナリア。お前はディーナに屋敷を案内してあげなさい。サイラスは供を」
「アルベルト様、お嬢様には仕事があります」
「パパ、お姉さまは忙しいみたいだからあたしとサイラスだけで――」
「お嬢様、本日の業務は私にお任せください。ノーマン、お嬢様のお手伝いを」
ライオットはよほど自分達を野放しにしたくないらしい。レオディーナは「警戒されてるなぁ」と内心呟いた。
なお、肝心の料理の評価は、不味くはなかったし、栄養のバランスも悪くはなかった。しかし黒パンは固くてぼそぼそとした食感だったし、他の料理の味も「メアリーが作ってくれる朝ごはんの方がずっと美味しい」だった。
朝食後、アルベルトはナタリーをカタリナの私室に連れて行った。背後には侍女長のケイティ、そして傭兵が一人ついている。
「まあ、凄い」
「意外と量があるな」
亡き妻のクローゼットを見たアルベルトとナタリーは、素直な感想を口にした。そこには数十着のドレスとそれに合わせるためのアクセサリーや靴が収められていたからだ。
伯爵夫人としてはそれでも少な過ぎるが、生前のカタリナの吝嗇ぶりを知っているアルベルトは逆にしか思えなかった。
社交の場に一切出ない彼女なら、スペースと保管の手間を惜しんで全て売り払っていてもおかしくないと考えていたからだ。
「オルフェ伯爵家に代々伝わる物です」
「……それは全てクラハドールが売り払ったと聞いていたが?」
「先代様が売り払ったのは、先々代が購入した物だけです。それ以前の物には一切手を付けておりません」
侍女長のケイティの説明にアルベルトは口元を歪めた。
「そうか、使いもしない品を取っておく程度の余裕はあったわけだ」
「それは先代様も思い入れがある品で、それをカタリナ様が汲んだからでっ――」
「なら、私が今は亡きカタリナの方針に則って無駄を省いてやろう。ナタリーに似合うものがあればと思ったが、全て古臭い安物ばかりだからな。
全て売り払うとしよう」
「アルベ――」
「ダメよ、アトリっ!」
激高のあまりケイティが立場を忘れて叫ぶが、ナタリーの制止の声がそれを遮った。
「ここにあるのはルナリア様のお母様の遺品よ。彼女が受け継ぐべき物を処分なんてしてはいけないわ」
「ナ、ナタリー。だが、今の伯爵夫人は君だ。あの女じゃない」
「だったら猶更よ。私が伯爵夫人だというのなら、私にはこの貴重な品を次代に伝える義務があるわ」
カタリナのクローゼットに納められているドレスや装飾品が作られたのは、最も新しい品でも半世紀以上前の物ばかり。そして同じ年月手直しされていない。どれも時代遅れで今の社交界の流行りからは遠い。
しかし、貴族が伝えてきた品には歴史と伝統という流行り廃りとは別の価値がある。それは失われれば金では取り戻せない物だ。
レオディーナと一緒に家庭教師に学んだナタリーはそれを知識として知っていた。そして、アルベルトとのデートで訪れた美術館で養われた彼女の目には、カタリナの遺品に歴史と伝統があるのを漠然とだが感じることが出来た。
「アトリ、あなたは『私に似合うものがあれば』と言ってくれたけど、私には必要ないわ。あなたが贈ってくれたドレスやアクセサリーがたくさんあるもの」
「だが、あれは全て……」
アルベルトがナタリーに今まで贈ったものは、全て既製品で品質も貴族が身に着けるのに相応しい品ではない。オルフェ伯爵家の金ではなく、彼個人の稼ぎで購入できるのはやや裕福な平民向けの品が限界だったのだ。
「ううん。私にとって大切なのは、あなたが私を想って贈ってくれたことよ。ドレスも靴も、そしてデートの時に買ってくれた宝石も全て宝物だわ」
「ナタリー……っ」
ケイティに見せた歪んだ笑みではなく、心からの喜びを浮かべてアルベルトは感極まって彼女を抱き寄せた。
「……聞いていたな。ナタリーの言った通りに管理しなさい」
「っ! か、畏まりました」
呆けたように成り行きを眺めていたケイティに、そのまま声だけで命じた。
「埃が積もっているぞ。大切な品だというのなら、手入れを欠かさぬように」
「はい、申し訳ありません。すぐに取り掛かります。失礼いたします」
ケイティは弾かれたように動き出し、メイドたちを呼びに行く。彼女が一礼して部屋から出るのを待って、ナタリーはアルベルトに囁くような声で告げた。
「アトリ、そのまま聞いて。私……妊娠したの。あなたの子、ディーナの弟か妹よ」
もし面白いなと思っていただけたら、ブクマや評価、いいねで応援していただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。
誤字報告ありがとうございます




