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5.完璧な仕事


 やはり、気になる。

 村へ馬を売りに行くノアールを見送ったはいいが、リズはやはり任せきりで大丈夫か気になった。


 もしかしたらノアールはとんでもない悪霊で、リズの見えないところで悪さをするとか。

 あるいは有能そうな見た目をしておいて、突拍子もない失敗でもするのではないかと思ったのだ。


 心配になってきた。

 リズは、せめて村の近くまで行って、様子を見ようと思った。

 呼び出したものを監視するのは主人の努めである。


 リズは街道を進み、村のほど近くで道を逸れ、草むらの中に入った。

 木の影からそっと村の様子をうかがう。

 

 のどかな村、というのがリズが抱いた第一印象だった。

 村の規模はそれほどでもなく、小さな家が点々と並んでいる。

 正午の一番暖かい時間だからか、人の姿もぽつぽつと目に入った。


 リズが村の様子を見ていると、ノアールの姿はすぐに見つけられた。

 ノアールの引き連れる馬が目立ったためだ。馬がノアールに従って大人しくしているのを確認できて、リズは安心した。

 ノアールは村の入り口近くで、なにやら人に声をかけている。


 話しかける、それ自体は問題ない。

 ただ、気になる点がひとつある。

 話しかけている相手だ。

 ノアールが話しかけている相手は、遠目に見てもリズと同じくらいの年齢の少女だった。


 村人に直接馬を売れそうなところを教えてもらう、というのはわかる。

 リズでもそうすると思う。

 けれども、その相手が少女、というのはどうだろう。そういったことを質問するならば、もっと大人の男性に(たず)ねるのがいいのではないだろうか。

 それに、少女だと村の外から来た人間に対して警戒し、なにも教えてもらえない可能性まであるのではないかとリズは思うのだ。


 思うのだが、現実はリズの思っているようには動かなかった。

 ノアールと話している少女は、えらく興奮した様子で顔を真っ赤にし、なにやら忙しく話している。

 そして、しばらく話したあと、少女はノアールを案内するように先導し、ふたりは村の奥へと進んで見えなくなった。


 順調に見えるのはよろこばしいことである。あるのだが、リズはなんだか納得がいかなかった。

 まさか、魅了の魔法を使っているのではあるまいか。闇の眷属ならあり得ることだと思った。

 だが、ノアールの見た目ならば、魔法など使わなくてもこうなりそうな気もする。

 魔法の力にしろ顔面の力にしろ、少女が喜んでノアールを案内するのが、リズはなんだかおもしろくなかった。


 ノアールの姿が見えなくなって、リズは手持ち無沙汰になってしまった。

 あとはノアールがうまくやってくれるのを祈るだけである。

 

 リズは草むらから出て、道の近くにある木を背にして地面に座った。

 柔らかい草の感触。

 普段なら絶対にこんなことはしないが、スカートはもうこれくらいでは何も変わらないほど汚れている。

 それに、リズは心身ともに疲れていた。

 衣服が汚れようと、品が無かろうと、座って休むという誘惑には抗いがたかった。

 

 しばらくは、なにもせずにぼーっとしていた。

 空気は暖かく、太陽はリズの事情など知らぬげにさんさんと地上を照らしている。

 

 ノアールを待つ間、リズはノアールについて考えていた。

 一体何者なのだろう。

 悪霊や邪霊には見えない。なにしろ明確な実体があるのだ。

 リズは腰が抜けてしまったときに助け起こしてくれた、力強い感触を思い出す。

 

 今のところノアールはリズに従順であるように見えるが、どんな契約をしているかは覚悟しなくてはならない。

 リズが契約に関して、覚悟を要するほど心配している理由がひとつある。

 魔力を消費していないのだ。


 契約をしたときも、使役している今も。

 これはノアールが異界から扉を開く魔力、こちらに現存し続ける魔力を負担していることになる。

 それは、召喚の対価が魔力ではないのを意味している。

 対価は、別にある。

 それは寿命だったり、死後の魂だったりするのかもしれない。

 

 そこで、さきほどの顔を真っ赤にしていた少女を唐突に思い出した。

 リズは急に閃く。ノアールが淫魔である可能性を。


 ノアールが淫魔であったならば、その見た目も、さきほどの少女の反応も説明がつく気がした。

 その場合、対価はつまり、そういうものである可能性もある。

 もしそうならば――――


 ――――どうしよう……


 リズはその先を想像しようとして、必死にその考えを振り払うように首を横に振った。

 いやいやいやいや、そんなはずはない。

 淫魔はそれほど力のある闇の眷属ではない。

 ノアールは狼を一蹴してみせたではないか。あんなことは淫魔ならできないはずだ。

 それはそれで危険な闇の眷属である可能性が増すわけであるが、リズはおかしな安心をしていた。


「お待たせしました」


 急に話しかけられ、リズは背筋を張って驚いた。髪の毛まで逆立ったような気がする。

 

 ノアールだった。


 村へ入っていったときと同じ旅人風の装いで、ノアールはリズの前に立っていた。

 もうそんな時間が経っていたのかと驚きつつも、リズはできるだけ落ち着いた声を出した。


「馬は無事売れたの?」

「ええ、この通り」


 そう言ってノアールは革袋を渡してきた。革袋を受け取ると、確かな重さと硬貨同士がぶつかる音がした。

 どうやら、ノアールは無事に馬を売ってこられたようだった。取引の方法もわからないリズとしては、こんなに早く売れるものなのかと多少の驚きもあった。

 うまく売れない可能性も考慮していたリズは、ちょっと拍子抜けであるような気もした。


「ご苦労さま、ところで、そっちの袋はなに?」

「服です。どうやらお召し物が汚れているようですし、わたしにも目立たぬ服装を、ということでしたので、リズ様にも必要かと思いまして」


 リズもそれは考えていたが、金が手に入るかがまずわからなかったので、それは指示しないでいたのだ。

 それと気になる点もひとつ。


「あな……ノアールみたいにあたしの服を魔法で変えるっていうのはできないの?」

「できますが、その、色々と不都合が出る可能性がありますので」


 服を変える魔法での不都合、なんとなく内容は想像がついたのでそれ以上は聞かないでおいた。


「着替えますか?」

「ええ、あたしも村にも行きたいしね」

「ではこれを」

「ありがと」


 リズは袋を受け取る。開けてみると、中には質素だが落ち着いた雰囲気の服が入っていた。


「着替えるからちょっとあっちに言ってて。見たら――――」


 ぶつわよと言おうとしたが、強力な闇の眷属かもしれない相手にそれはまずい気がしたし、令嬢としてもそれはまずい気がした。


「怒るから」


 結局リズはそんな、抑制になるのかならないのかわからない言葉を口にした。


「ええ、わかりました」


 ノアールが笑った気がした。表情は相変わらず動いたように見えなかったが、そう感じるのはなぜだろう。

 ノアールは軽い会釈をして、街道の反対側にある木の裏に隠れた。


 リズも草むらに入り、早速着替えた。

 外で着替える、という初めての経験にリズはすこし緊張した。

 肌に草が当たってチクチクと痛い。

 着替え終わると、服の大きさはちょうどよいことがわかった。多少ゆったりしているサイズではあるが、十分に許容範囲だ。おまけに靴まであった。これもサイズは問題ない。

 リズは街道に出てノアールに声をかけた。


「着替え終わったわ。もういいわよ」


 ノアールの姿が見えなかったので大きめの声を出したのだが、ノアールは意外なほど近くにいた。

 すぐそばの木の裏から姿を現す。


「それで、これからどうしますか?」

「あたしも村に行くわ。今日の宿を探さなくちゃ」

「ああ、宿の場所ならさきほど聞いておきましたよ」


 リズはそれに対して無言になる。

 とても助かる、とても助かるのだが、なんだろうこの気分は。

 こうも先回りされると、自分が無能であるような気がしてくる。


 ノアールが微かに首をかしげ、リズを不思議そうに覗き込んでいる。


「どうかしましたか?」

「なんでもないわ。早く行きましょう」


 空は次第に赤く染まりつつあった。

 せめて先を行こうと考え、リズは作法の先生が見たら悲鳴を上げそうな大股で村へと歩き出した。

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