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28.わたしのすべて


 夕闇が、迫っていた。

 リズは、急いで部屋のランプをすべて点けた。

 揺らぐ火の明かりが闇を退ける。

 

 明かりの元で床に倒れるノアールを目にするのは、リズの動悸を激しくした。


 ノアールは、浅く呼吸しているようだった。

 それでも、リズがいくら揺すってもなかなか目覚めなかった。

 リズが助け起こそうとしても、リズの力でノアールを支えるのは難しかった。


 リズがどうにかノアールを持ち上げようと苦心していると、ノアールが目を覚ましたようだった。


「リズ……様……?」

「ノアール!! 大丈夫なの!?」


 ノアールは苦笑するような息を漏らした。


「すこし、眠たいだけですよ。問題ありません」


 ノアールが起きたことで助け起こせた。肩を貸してベッドまで運ぶ。

 寝かしつけようとしたが、ノアールはベッドヘッドに背を預け、腰との間に枕を入れて楽な体勢をとった。

 リズは椅子を持ってきてベッドの脇に置いて座った。


「これでいいです。ありがとうございます」

「いったいどうしたの?」


 ノアールは、質問には答えなかった。


「それよりも、もう一度考え直していただけませんか?」


 ノアールの顔には、隠しようのない切実さがあった。


「あたしも、その話をしにきたの」

「では?」

「ノアールの望み通りにするつもり。でも条件があるの」

「なんなりとお申し付けください。今のわたしにできることであれば」


 言うには、勇気が必要だった。

 どんな答えが返ってこようとも受け入れる勇気が。

 リズは胸の内から勇気をかき集め、それを吐き出すように言った。


「本当のことを聞かせて。なぜ、あたしにそんなに秘宝を使わせたいかを」


 ノアールは、すこし困ったような顔をしていたが、


「わかりました」


 そう言って了承した。


「まず、どこから話しましょうか」

「じゃあ、なんで契約してないなんて言ったのか」

「それは、それが本当だからですよ」

「うそ。本当のことを聞かせてって言ったはずよ」

「ですから本当です。わたしは、自分の力でこちらの世界に来たのです」


 ノアールの黒い瞳は一片の曇りもなく、嘘を言っているようには思えなかった。

 リズは、言うべきことが思いつけなかった。


「召喚者と被召喚者の関係にあれば、普通、魔力を継続的に受け取ったり、なにかしらありますよね? リズ様はそれを感じますか?」


 リズは首を横に振った。


「わたしは、本当にリズ様を助けるために来たのです」

「それは、どうして?」


 ノアールは、考えを整理するように間を作った。


「まず、わたしが何者かを話しましょう。わたしは、こちらの世界の人間が言うところの亜神になります」


 亜神。別の世界の神。いきなり言われたら絵空事と思ったかもしれないが、今までのノアールを見ていたリズはすんなり受け入れることができた。

 なにせ、大霊や竜よりも力ある存在なのだから。


「最初から、話しましょうか」



***



 ノアールの語り口は蕩々としていて、昔の思い出話を懐かしむようであった。

 ノアールはベッドに座ったまま、どこか眠たそうな目で語り始めた。


 わたしはある意味、別の世界そのものでした。

 

 わたしは、わたししかいない世界にただ漂う、自分すらわからない何者かだったのです。

 ただ存在しているだけだったわたしは、あるとき、自分の世界に自分以外の何者かがいることに気付きました。

 

 それが、わたしが初めて出会ったわたし以外の存在。この世界から来た魔法使いでした。

 わたしは初め、その存在が理解できませんでした。その魔法使いを認識して、ようやくわたしの意思が芽生えたようなものでしたから。

 

 しばらくは魔法使いを観察していました。

 魔法使いは、わたしと同じように、ただ闇に漂っているだけでした。

 けれど、その魔法使いの心の中は、安らぎに満ちていることがわかりました。

 わたしには、その魔法使いの意思を感じることができたのです。


 わたしは、魔法使いに話しかけてみることにしました。

 話しかける、といっても意思をぶつけるようなもので、こちらで言うところの念話みたいなものです。


 魔法使いは、わたしの質問に快く答えてくれました。

 ここから、わたしの世界は急速に広がりました。


 魔法使いは、色々なことを教えてくれました。

 こことは違う様々な世界があること。

 魔法使いがいた世界のこと。

 人間について、動物について。

 社会について、仕事について。

 それにたくさんの物語も。


 闇だけだった世界に、光が入り込んだようでした。

 わたしの名前も、その魔法使いがくれたものです。

 わたしの今の姿も、その魔法使いがくれたものです。


 わたしと魔法使いは、ふたりだけしかいない世界で、穏やかな時間を過ごしていました。


 しかし、穏やかな時間も永遠には続きませんでした。


 魔法使いは、別の世界から来た存在でした。

 そういった存在が、別の世界で生き続けるのは難しいようです。


 魔法使いの口数は、時を経るごとに少なくなっていきました。

 寝ている時間が多く、起きていても喋ることは稀になっていきました。


 そうして、終わりが来ました。

 魔法使いは、それをすべて理解し、受け入れていたようでした。

 

 魔法使いは、話さなくなりました。

 魔法使いは、動かなくなりました。


 ただ、魔法使いはまだ存在しているのが、わたしにはわかりました。

 こちらの世界で学びましたが、魂、というものです。


 わたしは魔法使いの魂を元いた世界に戻すことにしました。

 魔法使いの痕跡を辿り、こちらの世界に扉を開くことができたのです。

 魂は巡るもの、わたしにはなぜかそれが直感的に理解できました。



***



「その魔法使いが、リズ様、あなたです」


 リズはその話が本当であると、なぜか確信できた。

 異界へ行った人間の話などとても信じられないし、魂の変遷についても疑問はあった。

 リズが今まで学んできた魔法の知識からすれば、空想としか思えないような代物だ。

 それなのに、リズにはそれが真実であると確信できた。

 リズの中にいるかもしれない、その魔法使いのせいなのだろうか。


 同時に、その話はリズを失望させるだけであった。


「つまり、ノアール。あなたは、あたしの前世に恩があるから、その恩を返すためにあたしを助けてくれていたのね?」


 ノアールは、初めからリズのことなど見ていなかったのだ。

 ずっと、リズの中に潜む、その魔法使いを見ていたのだ。


 ノアールは、リズのそんな問い掛けを、笑った。


「違いますよ」

「けど、今の話を聞いた限りじゃ……」

「まだ、話の途中ですからね」


 話を続けるノアールの姿は、リズには不思議と楽しそうに映った。


「わたしは、魂を追って、観察していたのですよ」

「どういうこと?」

「リズ様を見ていたのです。もちろん、ずっとというわけにはいきません。ですが魂が大きく震えた時は、あなたの姿を違う世界から見ていたのです」


 ノアールは、淀みなく話した。

 今も脳裏にその光景が焼き付いているような話しぶりであった。


「リズ様が初めての誕生日ケーキに大はしゃぎするのを、わたしは見ていました。それを見て、わたしまで嬉しくなりました」


「風邪をひいてしまった時、お母様にずっと手を握ってもらっているリズ様見ていました。わたしもリズ様の手を握りたいと思いました」


「リズ様がお母さまに褒められて、精霊使いを目指すと言っているのをわたしは見ていました。この時のわたしには精霊使いがなんなのかはわかりませんでしたが、この子はきっと素晴らしい精霊使いになると思いました」


「リズ様のお母さまが亡くなった時もわたしは見ていました。喪服を着て、母の埋葬を見送り涙を流す幼きリズ様に、声をかけてあげられないのがもどかしかったように思います」


「リズ様のお父さんが再婚なさって、リズ様に義理のお母様とお姉様ができた時のことも、わたしは見ていました。来てそうそう、姉君がリズ様を地下室に閉じ込めたのを見ていました。泣いて助けを求めるリズ様に応えられないのは、胸が張り裂けるような思いでした。それから起こる、いくつもの辛い出来事も、時々ある嬉しい出来事も、わたしはずっと見ていたのです」


 ノアールが語っているのが、すべて真実だとリズにはわかった。

 ノアールは、リズすら忘れていたような出来事まで話してみせた。


「そうして、リズ様は託宣の儀で闇使いと判明しました。リズ様がひとり部屋で落ち込んでいる時も、わたしは見ていたのです。わたしは無力でした。永遠の観察者であり、リズ様になにかをしてあげることは、ずっとできませんでした」

「けど……」

「そうです。わたしはここにいます。リズ様の側にいます」


 ノアールは、まるでそれが名誉なことであるように、誇らしそうな、晴れ晴れとした顔をしていた。


「リズ様が馬車で姉君の刺客から襲われている時でした。リズ様は、闇使いとしての力を使おうとしましたね?」

「ええ」

「それは、失敗していました。けれど、異界への道は、僅かながら開いていたのです。わたしは、全てを犠牲にしてでもリズ様を救おうと決めました。リズ様が開いた異界の入り口からこちらの世界へ転移することを試みました」

「そして、それは成功したのね?」

「万全とはいきませんでしたけどね。針の穴を竜が通ろうとするようなものです。意思と力をなんとかねじ込むだけで精一杯でした」


 リズは、不思議な気分になっていた。

 今日一日、あまりにも感情が乱高下し続けて麻痺してしまったのかもしれない。


「どうして、ノアールはあたしのためにそこまでしてくれるの?」


 リズは、純粋な疑問を口にした。


「それは、リズ様がわたしのすべてだからですよ。わたしに意思をくれたのは、その魔法使いだったかもしれません。けれど、わたしに人生というものを教えてくれたのはリズ様なのです。リズ様の人生を見続けて、わたしは生きるということを理解しました。それに」


 ノアールは、リズの目をしっかりと見据えた。


「わたしはリズ様が大好きなのです。いつも一生懸命なリズ様が好きです。どんなことがあっても折れないリズ様が好きです。その瞳に宿る意思の光が好きです。わたしに料理を作ってくれる優しいリズ様が好きです」


 リズは、耳の先が熱を持つのを感じていた。


「だから、わたしはなにを犠牲にしてでもリズ様を助けようと決めました」


 ノアールの言葉には、計り知れない強い意思を感じた。


「リズ様に幸せになって欲しい、それだけがわたしの願いです」


 その言葉は、リズにとって福音だった。

 ノアールは、ずっとリズを見てくれていたのだ。

 だから、こうまでしてくれた。

 そして、永竜の真核なんて秘宝を持ち出してきたのも、すべては完全にリズのためなのだ。


 リズはノアールに対してなんと言えばいいのかわからなかった。

 ありがとう、は違う気がしたし、嬉しいと伝えるのも違う気がした。


「これで、すべてだと思います」

「わかったわ」


 結局、リズはそれしか言えなかった。

 

 ノアールが左手を開く。

 ずっと持っていたのであろう。

 そこには、永竜の真核があった。

 

「ですから、できるだけ早くこれを使ってほしいのです」

「できるだけ早く?」

「ええ、リズ様が幸せになった姿を、この目で見たいので」


 その言い方は、どこか不吉を孕んでいた。


「どうして? ノアールは自分の力でこっちに来たんでしょ? それならずっとこっちにいれば……」


 リズはそう言いながら、理解してしまった。

 ノアールは、違う世界から来た存在だ。

 そうであるならば、その在り方には無理がある。

 元々はリズであった魔法使いのように、いずれ力尽きるのだろう。


 ノアールは、すこし寂しそうに笑っていた。


「そういうことなのです。残念ながら」


 すべてを犠牲にして、ノアールはそう言った。

 それはつまり、そういうことなのだろう。

 朝起きられなかったのも、さきほど倒れていたのも、明確なその兆候なのだ。


 時間は、リズが思っているよりもずっとないのかもしれない。


 沈黙が、部屋に立ち込めていた。


 ランプの頼りない光に照らされた部屋で、ふたりは静かに座っていた。


 身内の死。

 リズは、母親が亡くなった時のことを思い出していた。

 あの時、幼いリズが背負った衝撃は筆舌に尽くしがたい。


 ノアールは、リズが精霊使いになることを願ってくれている。

 リズをずっと見てきたならば、リズが子供の頃からずっとそれを夢見ていたことがわかっているはずだ。

 母も、リズが精霊使いになることを願っていた。


 なにか、違う気がする。

 母親が亡くなる寸前のことは、リズは意識的に思い出さないようにしていた。

 それだけ、辛い記憶だったからだ。

 だが、リズの中のなにかが、それを思い出すべきだと言っていた。


 病床、やせ細った母親、ベッドに寄り添う幼いリズ。


――――ねえ、リズ。

――――なあに?

――――リズは、立派な精霊使いになるってすごくがんばってるよね?

――――うん!

――――でも、そんなにがんばらなくてもいいのよ。

――――どうして?

――――お母さん、本当はリズが精霊使いになんてならないでもいいの。

――――どういうこと? リズはなにになればいいの?

――――おかあさんがリズになってもらいたいのは、幸せになること。だからリズが幸せならなんでもいいの。


 忘れていた記憶が、鮮明に蘇った。

 あまりにも鮮明過ぎて、時間の感覚が狂う。

 それはまるで、昨日の出来事のように感じた。


 そうだ、母は、リズに幸せになってほしいと願っていた。

 そして、ノアールもまったく同じはずだ。


 ノアールは、ベッドに座ったまま、静かに休んでいた。

 その姿はやけに眠たそうで、今にも消え入りそうに見えた。


 リズは、決めた。



 ノアールの望みを叶えよう。 

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