第97話 覚醒の弓術士
錬魔術により奪い取られたユィリスの千里眼は、中央で連結された二つの小さなカプセル――『双極カプセル』の片側に詰められた。
もう片方のカプセルには、金色に輝くアィリスの千里眼。姉妹の能力が影響し合い、カプセル内が煌びやかで神秘的な光に包まれていく。
「魔力を注ぎ、中和を施して…ククク、後は融合させるだけだ」
ファモスは双極カプセルの連結部分に付いている蓋を開け、内部に少量の魔力を放出。すると、どういう訳か、二つの千里眼はたちまち球体状から、ドロッとした液状へ変わり、カプセルの底へ流れ落ちる。
「この…!返すのだ――うわっ!?」
黙って見てる訳もなく、ユィリスは立ち上がるが、思った以上に大技を打った際の反動が大きく、ガクッ…とすぐに足から崩れ落ちてしまった。
「ククク、黙って見ているがいい。無能な弓術士よ」
「うぅ、クソッ!!」
地に伏せ、奪い返す体力も残ってない悔しさから、床に拳を叩きつけるユィリス。否定すらもできない己の無力さに、涙を浮かべる。
その様子を見て、傍で浮遊していたシロは、怒りの入り混じった真剣な表情を見せながら、密かに魔力を放出し始めた。
そして同じく怒りを覚えたアィリスは、ファモスに向かって怒号を飛ばす。
「やめなさい!!私たちの千里眼は、あなたなんかに扱えるようなものじゃないわ!自滅したいの!??」
「この期に及んで、うるさい女だな…アィリス・ノワール。そうならないよう、既に研究は最終地点へ到達したさ」
「くっ、本当に…知らないわよ!!」
なんとか注意を引こうとするが、ファモスは以降、アィリスの言葉に耳を貸すことはなかった。
そうこうしてる間にも、千里眼の錬金は一途を辿る。
原型を失った液状の千里眼は、互いに引き合うかのようにして、カプセル内を浮上し、連結部分で融合を開始。眩い光が漏れ出る中、やがて複合したものは急激に固まり始め、固体へと状態変化した。
「完成だ…」
連結部分の蓋を再び開き、中から取り出したのは、七色に煌めく球体状の〝固体魔力〟。融合したからか、一回り大きくなっており、海中で煌めく純白な真珠の如く、美しい光彩を放っている。
「なんと素晴らしい!これを口にすれば、私は――」
「待つのだ…お前ぇぇ!!」
宝珠となった融合千里眼を飲み込み、自分のものにするとでも言うのだろうか。無情にも、時は止まってなどくれず、千里眼がファモスの口元へと持ってかれる。
初めて口にするものに、一切の躊躇なし。もはやこの状況を悦び、楽しんでさえいる狂気の沙汰ではない女を、誰が止められるだろう。
(もう、ダメなのか…?もう、終わりなのか…?)
結局は力負け。この世界は残酷だ。
強くなければ、何も救えやしない。何もできない。
どうして、自分はこんなに弱いのだろう。世界でたった一人の姉の光すらも奪い返せず、何が妹だ。
ファモスの言った通りだった。頭も良くないし、力も碌に無い。
心の奥底では、分かっていた筈。姉が勝てない相手に、自分が勝てる訳ないのだと。
ここに来るまで、何度も折れそうになった心を、己の気持ちで修正してきた。しかしそれも尽きて、切れて、強みである精神力も限界を迎えようとしている。
言葉が出てこない。なのに、涙だけが溢れ出てくる。
これ以上なく、悔しい。怒りも覚えている。だが、その怒りの矛先は、他の誰でもない、無力な自分に向けられた。
――諦め、たくないのだ…。
が、肝心の体は言うことを聞かない。
「アリア…」
結局、自分では何も解決できない。それが根底にあってか、自然と助けを求めるユィリス。
アリアのように強ければ。誰にでも動じない、そんな心があれば。
これが最後でも、何でもいい。今、自分にファモスを倒せるだけの力が欲しい。
アイツを倒せれば、後はどうなっても構わないのだ。
神か仏か…悔しさを押し殺し、ユィリスは願う。
千里眼が奴の手に渡ってしまえば、自分は何のためにここへ来たのか分からなくなる。自分の千里眼を易々と差し出し、相手のくだらない錬金ショーをただ眺めに来たとでもいうのだろうか。
――もはや、希望など残っていないのだろうか。
刹那の一瞬で、様々な思いが錯綜する。
姉との思い出や一人で懸命に熟してきた依頼の数々、そしてここに至るまでに何度想起したのか分からない、一人悲しみに打ちひしがれているアィリスの姿。
もう、あんな思いはして欲しくない。今もそうだ。涙に塗れた姉の顔が、半減された視界に映しだされる。
(姉ちゃん…私は………私は……!!)
今、どんな感情に満ちているのか、自分でも理解できない。これ以上なく絶望的な状況下にあることは分かっているのに、諦めたくないと心のどこかで思っている自分もいる。
完全には落ちていない。暗闇の中でも、片眼の光を失ったとしても、希望の光はいつだってユィリスの心を照らしてくれているのだ。
だから、前を向き続ける。少ない体力を振り絞り、気力で立ち上がる。
もう、後戻りできなくてもいい。これが最後でもいい。
自分たちの絆と思いの千里眼が、どこの馬の骨とも知れぬ女のものになるくらいなら――。
………
……
…
(千里眼よ、我が力となれ…!)
そんな興奮状態に陥ったファモスが、千里眼を口に入れようとしたその時だった。一瞬静まり返った部屋の隅から、大音量で聞き覚えのある声が〝音〟として聞こえてきたのは…。
《《《私の事を覚えているかね?あの時の妹よ…》》》
どこからか漏れ出ている声の主は、間違いなくファモス本人のもの。場が瞬間的に硬直し、音声の内容が皆の注意を引きつける。
《《《あれから研究を重ねたが、姉の千里眼だけでは上手くいかなくてねぇ。調べてみたが、お前たちは『ノワール』の末裔らしいじゃないか―――》》》
音はどうやら、アィリスが拉致されている主要機器の方から聞こえてきているようで、いち早くその音声の正体に気づいたファモスが、そちらへ目線を向けた。
「なんだ…?村に置いてきたホムンクルスの音声ではないか。なぜこんな――」
単純な疑問を抱き、ファモスは千里眼を口元から離す。
秒数で言えば、一秒かかっているかどうかの瀬戸際。そのほんの少しの隙を逃すことなく、小さき体がファモスの手元へ飛び込んでいく。
《隙あり!!!》
全身真っ白な装束に包まれた、つぶらな瞳の精霊シロが、決死の突貫でファモスから千里眼を奪い取った。そしてすぐさま、ふらっと立ちあがったユィリスに向かって、その宝珠を投げ渡す。
《ユィリス!!》
ずっと付き添ってくれていた精霊に、初めて名を呼ばれたことが、まさにトリガーとなって、ユィリスの心に火をつけた。
「おう……!!」
涙ながらに大きく返事し、宙へ放られた千里眼をしっかりとキャッチする。
これさえ手に入れば、後は何が何でもファモスの手に渡らぬように逃げ去るまで。受け取った瞬間から、ユィリスは脇目も振らず、部屋の外へと走り出した。
「また、ネズミの仕業か…。全く、最後の最後まで世話が焼けるバカ共だ」
不意を打たれたにも拘わらず、一つの焦りも見せないファモスは、冷静沈着に状況を見定める。想定内というよりかは、奪われたとしても、即座に取り返せることを分かっているからであろう。
《うっ…!?》
再び邪魔をされた腹いせか、シロを地に薙ぎ払い、瞬く間にユィリスの背後へと移動する。そのままの勢いで、ユィリスの頭部に掴みかかり、小柄な体を床へ叩きつけた。
「ぐはっ…!!」
「お遊びは終わりなんだよ、クソガキ。さっさとよこせ」
「い、嫌なのだ~~~!!」
額を打ちつけられ、床が血潮に塗れる。
腹ばいの状態で、重々しい体重をかけられ、なんとも痛ましく唸るユィリス。踏ん張っていた力が一瞬で抜けてしまったものの、千里眼を持つ右手だけは、体の下でぎゅっと握り締めていた。
「往生際の悪いガキだな、ユィリス・ノワール!殺してやってもいいんだぞ!!」
「殺されたって、何されたって…これだけは、お前なんかに渡すもんか!!」
「そんなことをしても、姉は帰ってこないぞ!!」
「姉ちゃんだって、助かる!アリアが、なんとかしてくれる!!」
「くだらない希望に、まだ縋ると言うのか?お前たちのような女のガキに、何が出来るってんだ!」
背中を思いっきり踏みつけられ、体下の床にヒビが入る。耐え難い衝撃が全身を駆け回り、意識が飛びそうになった。このままでは、千里眼が再度奴の手に渡ってしまうのも時間の問題だろう。
もう、やるしかない。何もかもを失って後悔するくらいならと、ユィリスは覚悟を決めた表情で、千里眼を握っていた掌を開く。
(こんな奴に…こんな奴に、奪われるくらいなら……私が!!)
アィリスが声を枯らしながら、必死にユィリスの名を叫ぶ。
そんな中、大きく息を吐きだし、ユィリスは千里眼を口の中へ勢いよく放り込んだ。虹色の輝きが口いっぱいに広がり、彼女自身が光源と化していく。
「なっ!?貴様ぁ!今すぐ吐き出せ!!!」
「~~~~~!!!」
「このガキ、躊躇なく!」
飴玉よりも大きな魔力玉。舐めたところでサイズが変わることのないそれを、ユィリスは死に物狂いで飲み込んだ。
ゴクリ…と喉を通る音が、ファモスの耳にも届く。流石の狂人も頭に血が上り、本気で殴りかかってきた。
「殺して、今すぐにでも取り出してやる!!」
額に血管を浮きだたせ、感情を剝き出しに鉄の拳を突きつける。そんなものを頭部に喰らえば、頭蓋骨が割れ、最悪即死だ。
振り下ろされた鋼鉄拳。必死に千里眼を守り抜くユィリスへ届きそうになった直後、研究ルームの外から猛烈な突風が吹き荒れてくる。
「ユィリスちゃんから、離れて!!」
突如現れた強力な風魔法が、一瞬でファモスを、その重く頑丈な身体ごと後退させた。ユィリスの背中に片足を乗っけていた分、すぐにバランスを崩したのか、猛風に流されたファモスは、露骨に舌打ちしながら、魔法を放った者に睨みを利かせる。
「これ以上、手は出させないよ!」
ユィリスの傍まで跳び、苛立ちを隠し切れずにいるファモスの前に立つ猫耳少女、モナ。なんとか間に合い、すんでの所で助けに入ることができた。
続いて部屋に入ってきたルナが、うつ伏せになって蹲る涙目のユィリスを介抱する。
「ユィリス、大丈夫!!?怪我が酷いわ…今すぐ回復を――」
友達の悲惨な状態に、顔面蒼白で焦燥に駆られるルナ。直ちに部屋から連れ出そうと、体を持ち上げた瞬間だった。
「……」
何とは無しに、自力でふらっと立ちあがるユィリス。下を向き、何かに取り憑かれているような素振りを見せる。
同時に、何処からともなく現れた光の魔力が、彼女の身体を包み込んで、異彩なオーラを放ち始めた。目が眩む程の眩い光量が周囲を掌握し、誰もがその場で顔を伏せる。
例えるならば、自然魔力の発生源。体中からポクポクと金色の魔力を放出させ、身に纏い続けている。
「くっ、まさか!?」
ユィリスの異様さを目の当たりにし、ファモスが何かに気づいた。ルナ、モナ、シロ、そしてアィリスも、急激に変化しつつあるユィリスの〝性質〟を、目で、肌で、感覚で鮮明に感じ取っている。
(ユィリスちゃんの魔力が、物凄い勢いで上昇してる…!?)
顔を手で覆いながら、何事かとモナは驚嘆しながら思考。やがて、その変化は気質だけでなく、外見にも及び始めた。
ファモスから受けた外傷は跡形も無くなり、己で回復を施している。
血潮や埃等、戦闘によって汚れた体は、魔力が隅々まで洗浄。清らかで初々しい素肌に。
装備も一新。ぶかぶかのパーカーに変わり、金色のボーダーが入った白色のコートを、袖を通さずに羽織られた。
恐らく、魔力で精錬されたもの。突如現れたが、一体全体何の賜物だと言うのだろうか。
そして何よりも変化したのが――。
――………っ!!?
顔を上げたユィリスの相好が視界に入り込んだ途端、その異端な〝目〟に誰もが釘付けになった。
スッ…とゆっくり開けられた両目。千里眼を飲み込んだ影響だろうか、不思議なことに、視力は復活を遂げている。
しかし驚くべきは、そこではない。
なんとも信じ難い姿。千里眼を発揮しつつ、ユィリスの目は、双方で全く異なる呈色を露わにしていたのだ。
右目は、本来のユィリスの眼色である銀。左目は、なんとアィリスの千里眼の象徴でもある、麗美な眼色、金。
神以て別個な左右の千里眼。更には配色が金銀であるが故に、その神秘的で美しい〝オッドアイ〟は、最上の魅力へと昇華された。
加えて、両目ともそれぞれ異なる性質・能力を持ち合わせている。それは、両目から溢れ出ている魔力の姿により、容易な想像が可能だろう。
銀色をした右目の方は、滑らかでサラッとした魔力。金色をした左目の方は、バチッ!と刺激の強い電気が走っているかのような魔力を放っていた。
アィリスのものも然り、以前のユィリスの千里眼では見ることのなかった異能。魔力やステータス、身体能力に関しても、もはや別人の域に達している。
なぜ、ここまでの性質変化を得られたのか。
決して、ファモスの錬金術が、想像以上に完成されていた訳ではない。ただ固形の魔力を飲み込んだだけでは、こんな〝目覚め〟方をするなどあり得ないのだから。
「覚醒……?」
ボソッとモナが呟いた。自身の経験を想起し、現在のユィリスと照らし合わせ、感受したことをそのまま口にする。
「馬鹿な!覚醒など、想定外だぞ!!」
あまりにも馬鹿げた状況に、自分の中でのクレイジーさ――その概念がぶち壊され、見たこともない焦りと共に、一種のパニック状態へ陥るファモス。順調にいけば、自身が成り上がる筈であった姿に、更なる進化を施され、恐怖すらも感じ始めていた。
そして、
「私が、姉ちゃんの〝目〟になるのだ…」
と、無言を貫いていたユィリスが、凛々しく勇ましい様相で、重々しく言葉を紡ぐ。文字通り、彼女は左目に姉の千里眼を宿し、それを最上なまでに開花させていた。
力強い眼力で、ファモスを睨みつける。その規格外の威圧力に、ファモスの口から反感の言葉一つも飛び出てこなかった。
《ユィリス!!》
シロは涙を浮かべながら、安堵の声色で再び名を呼んだ。
そして心の中で決める。この人間に、一生を賭けても付いていきたいと…。
光が徐々に収束していき、体内の魔力へと還元される。千里眼から放たれていたオーラも落ち着き、生物の目覚め――〝覚醒〟は終わりを告げた。
今のユィリスは、姉妹の絆・思いを力に変え、天才錬金術師でも予測不可能なレベルアップを遂げている。それこそ、あまりのどんでん返しを受け、ファモスが顔を引きつらせる程に。
「これが、あのユィリスなの…!?」
すぐ傍で腰を下ろしていたルナは、目を丸くして驚愕する。
「ユィリス・ノワール……」
悔しそうに歯軋りしながら、皮肉を込めたように呟いた。そんなファモスに圧をかけ、覚醒した弓術士――ユィリスは豪語する。
「覚悟するのだ、ファモス。お前はもう、私に傷一つ付けることはできないぞ…」
三話で終わらせるはずが、まだまだ続きそうです…。作者としても、想定外でした。




