第96話 奇跡の序奏
――ゴンゴン!!!
夜中を過ぎた頃、アィリスは激しく叩かれる戸の音で目を覚ました。
隣には、ユィリスが気持ち良さそうにぐっすり眠っている。こんな夜更けに何事かと、寝ぼけ眼で恐る恐る玄関口へと向かい、扉を開けた。
「ふわぁ~、誰ですかぁ…」
明日の事で浮かれ、警戒心も薄まっていたのだろう。次の瞬間、何の躊躇もなく玄関を開けたアィリスの両肩を、何者かががっしりと掴みかかったのだ。
そして酷く焦ったような口調で、
「今すぐ、ネオミリムを出るんだ!!」
と、大声で伝えてきた。
その一言により、ぱっちりと目覚めたアィリスだったが、何が何だか分からず硬直状態に。夜中の時間帯に訪問してきた者から、いきなり肩を掴まれ、突拍子もないことを告げられたら、誰だって恐怖を覚えるだろう。
戦慄が走る。それこそ、逃げるという選択肢を考えられなくなる程に。
「あ、あ、あっ……」
何かとんでもない化け物と対峙したかのように、恐れおののくアィリスを前にして、訪問者はまた違った焦りを見せる。
「しまった!わ、悪い…!驚かせるつもりはなかったんだが…。うーん、どうしたものか…」
子供との接し方を知らないのか、分かりやすく頭を抱える訪問者。声の高さや髪の長さからして女性のようで、細く垂れ下がったツインテールと頭部に身につけた黒い軍事帽が特徴的だ。
どうやら軍人のようで、彼女の後ろには、街の衛兵とは毛色の異なる衣服を纏った同業者が、数人控えていた。その中の一人が、女性に一言物申す。
「また、隊長の悪い癖が出てますよ。相手は子供なんですから、びびらせちゃ駄目でしょう」
「うっ…」
正論に何も言い返せず、やってしまった…という表情を隠しきれずにいる女性。心の中で反省しつつ、今度はゆっくりと出来るだけ優しく、アィリスに向き合う。
「ほんと、悪かった…。でも、信じて欲しい。今から話す事実を」
「え、えっと…」
「一先ず聞いてくれ。お前たち姉妹の家名は、『ノワール』で合っているな」
無言でコクリと頷くアィリス。とりあえず従わなければと、身を震わせながらも、女性の声に耳を傾けた。
「答えてくれて、ありがとう。でだ、今日お前たちの元に、衛兵からとある施設について話があっただろう?気を悪くしたら申し訳ないが、それは全部でまかせだ」
「えっ…?」
恐怖から驚きへ、アィリスの声色が変わる。あまりにもタイムリーな話題に、衝撃が走った。
「奴らに目を付けられたら最後、〝被験者〟として利用されちまう。この街の上層部の狙いは、お前たちの〝千里眼〟だ」
「せんり、がん……」
「万物を見透かす目を持つ家系、ノワール。少しは聞いたことないか?」
「うん。お母さんから、なんとなく…」
「そうか。なら、話は早い。ネオミリムの錬金術師は、お前たちの千里眼を欲している。だが、まだ力が目覚めてないなら、奴らは何が何でも力を引き出そうと、あらゆる手段を使ってくるはずだ。ちょっとした拷問も、厭わないだろう…」
「―――っ!?」
ノワールは、先代の〝フォラント・ノワール〟から始まり、代々己が千里眼を受け継いできた家系。そのことは、アィリスも母親から大雑把に伝えられていた。
ただ、それは偉大な先人ゆえの話。両親共に千里眼は発現しておらず、自分たちには到底縁のない能力だと、特に気に留めることもなかった。
しかしこうして告げられ、アィリスの中で異様に現実感が増していく。可能性が0ではない時点で、今の話の内容も同様に、否定はできないと悟った。
「混乱してるだろうが、今は信じてくれ。このままじゃ、お前たち二人とも、一生、錬金術師共に利用され続けるぞ」
「で、でも…」
信用してもいいのだろうか。せっかくのチャンスを前にして、再び振り出しに戻ってもいいのだろうか。最低限の生活が確保されているのなら、たとえ千里眼を犠牲にしても…。
様々な疑念と思慮が脳内を交錯する。未だ半信半疑のアィリスの様子を見て、軍隊長の女性は、最後の一押しだと言わんばかりに強気な口調で言い放った。
「じゃあ、そんな施設があったのに、なんで今まで迎えに来なかったと思う?」
「え?」
「限界まで困窮させた上で、最上の場を与える。それが、奴らのやり方だ。大人しく従ったって、生きていられる保証はない。この前の爆発事件を思い出してみろ。あんな現場で、お前たちは収容されることになるんだぞ!」
「……っ!!?」
「ネオミリムを出た後は、あたしらが使ってる軍の馬車で遠くの地に送る。既に手配済みだ。小さいが、のどかな村でな。今よりはマシな生活になると約束しよう」
「あ、あの…あなたたちは……?」
トントン拍子で話が進んでいく中、アィリスは出会った時からいの一番に問いたかったことを投げかける。
何者なのかが明確でなければ、信用もクソもない。終始狼狽していたが、なんとか冷静さを取り戻す。
「おっと、すまなかったな。自己紹介が遅れた」
辛うじて振り絞ったアィリスの問いかけに、軍隊長はハッとさせられ、その場で立ち上がり、丁寧に答えた。
「あたしらは、俗に言う勇者パーティって集団さ。で、あたしが勇者の【エリカ・ロンド】。こんな形してんのは、一応あたしが、〝天命様〟直属の近衛騎士に任命されてるからだ」
にっとクールな笑顔を向け、勇者と名乗った軍隊長――エリカ・ロンド。天命も含めて、いつしか聞いたような名だと、アィリスの中で信憑性が高まっていく。
「天命様の…」
「ああ。常にネオミリムの護衛に当たってるが、最近になって、上層部の連中の怪しい動きが目立つようになってな。錬金術師と結託し、何かを企んでやがる。天命様があの状態であることをいいようにな…」
すると、二人の会話に水を差すようにして、一人の軍人がボソッと呟く。
「軍人の格好をしてるのは、隊長の趣味では…?別に俺たちは、普通の格好でもいいんですがね~」
「ぐぬっ…そ、そこ!うるさいぞ!!少しでも結束力を高めようという、あたしなりのだな…」
「はいはい。言い訳はいいですから、そろそろ急いだ方がいいのでは?」
「お前な…」
部下の言い分に呆れを示しながら、エリカは今一度アィリスに向き合う。
「出来るだけ、考える時間を与えたかったんだが、状況が状況。明日になれば、お前たちはあたしの目の届かない所へ連れ去られちまう。だから、お願いだ。あたしらを、信じてくれないか?」
精悍で真っ直ぐな眼差しを向けられるアィリス。最初こそ驚いたものの、筋の通った言い分、躊躇いのない名乗り、信頼のある名声、何よりも自分たちの事をどれだけ心配してくれているのかが、一番に伝わってきた。
これだけ揃えば、もう迷うことはない。100%には満たないものの、信用に値する人物だと、アィリスは決断する。
「わ、分かりました。今すぐ、ユィリスを起こして、準備してきます!」
「よし、良い子だ」
覚悟を決めたアィリスの頭にポンと手を置き、エリカは嬉しそうに口元を綻ばせた。
「隊長、カギ村までだと、距離の近さで言えば、新参の勇者キロ・グランツェルに当たりますが、どうします?」
「いや、あの男はどうも信用ならない。ただの勘だがな。それに、あたしですら顔を合わせたことのない奴に、この子らを任せる訳にはいかねぇだろ?」
「たしかに、それもそうですね。では、村までは我らが同行しましょう」
「ああ、それでいい」
そこからは早かった。アィリスは眠気と戦うユィリスをおぶり、軍人の助けもあって、最低限の荷物と共に馬車へと乗り込む。
通常の馬車とは異なり、しっかりとした素材で作られた頑丈な構造に加え、広めの荷台。時を待たず、二頭の馬を走らせ、二人を乗せた軍事用馬車は、深夜にネオミリムを出発した。
「隊長は信用できる人よ。周りからの信頼も厚いし、何よりすっごく強いんだから」
道中、付き添ってくれた女性の軍人から、食料と寝床を支給され、アィリスは妹が眠っている横で、涙を流しながら腹を満たす。
こんなに温かい食事は何日ぶりだろうか。この時ばかりは、姉の威厳を忘れ、甘えるように全てを委ねた。
そして数日後、馬車は人間界の東端に位置する村――カギ村へと行き着く。
ユィリスに至っては、最初からこの状況に疑問を抱いてなどいなかった。
場所なんて関係ない。姉のアィリスがいれば、何処に行ってもずっと一緒だからと。
「本当に、ありがとうございました~!」
「ありがと~!なのだ~!!」
送ってくれた荷馬車に向かい、二人は元気よく手を振った。そして、軍から支給された食料やアメニティの入ったリュックを背負いながら、村長の案内で新しい生活へと足を踏み入れる。
これから、何があってもずっと一緒だ。手を繋ぎ、二人は誓う。
尊い姉妹のカギ村での暮らしは、ここから始まったのだ――。
◇
妹を何があっても守り抜くと誓った姉の覚悟、そしてその姉を助け出そうと命を懸ける妹の覚悟。
どちらかが強いということはない。互いを思う気持ちは、いつでも拮抗状態だ。
絶対に失いたくはない。唯一の、たった一人の大切な家族なのだから。
ネオミリムで過ごしていた頃から常に注いできた愛情は、確実に届いていることだろう。何をするにもくっついて離れなかったユィリスが、視力を失ったアィリスのために、たった一人で戦い続けてきたのだから。
さりとて、受けた愛情を返すなんて合理的な考えは、ユィリスの頭には無く、そういう思考に至ることすらもあり得ない。なぜならユィリスの胸中は、今この瞬間、最も単純な答えを導き出しているからだ。
アィリスが悲しんでいるから、苦しい思いをしているから、なんとかしてあげたい。その理由が、どれだけ自分にとって不条理で無闇なものだとしても、精一杯足掻く。
寧ろ、理由なんて関係ない。それが、ユィリス・ノワールの心柄。たとえその対象が姉でなくとも、彼女は自身の信念に従い、走り続けることだろう。
「私は…ハァ、ハァ……物凄い千里眼を持つ姉ちゃんの、うっ…妹なのだ。姉ちゃんのためなら、何だって…やってやる!」
ふらついた足取りで立ち上がり、口角から流れ出る血を手で拭う。
痛みを感じるなど二の次だ。傍に転がっていた弓を拾い上げ、ユィリスは銀色の眼力――千里眼を発揮する。
「ユィリス…」
誰か、ユィリスのサポートに来て欲しい。そう思いつつも、自分に対するユィリスの覚悟や思いを目の当たりにして、嬉しさを隠し切れず、アィリスは目尻に涙を浮かべてしまう。
目は見えずとも、気持ちはいつでも繋がっていて、常に理解し合っているのだ。
そんな姉妹の絆を、雰囲気をぶち壊すように、ファモスはユィリスの千里眼に対し、しつこく興味を示す。
「ククク、お前の千里眼は銀色か!姉は金色…実に面白いぞ!さっさとそいつをよこせ!」
「ばーか…。誰がお前みたいな女に渡すか。寝言は寝て言うのだ」
「そこまでのダメージを負ってもなお、お前の目は死なないなぁ…。いいぞ。姉への思いが強い程、千里眼の真価が発揮されるというのであれば、もっと叩き潰してやろう」
「やれるもんなら、やってみろ!!」
会話の途中から一定の距離を取っていたユィリスは、すぐさま弓を構え、ファモスの胸元目掛けて矢を放った。
「ふん、こんなもの……っ!?」
先程同様、矢を素手で薙ぎ払おうとしたファモスは、違和感を覚え、矢から離れようとする。しかし気づいた時には、矢の先端へ取り付けられた極小の爆薬が、既に破裂を開始していた。
ユィリス特製の爆弾矢。空気に触れた瞬間、数秒も経たずに爆発が巻き起こる、なんとも扱いが危険な一矢だ。
見事ヒットしたが、ファモスに対してはノーダメージ。爆発した際に発生した黒煙が、奴の視界をシャットアウトする。
「呆れたな…。千里眼を使っても、こんなことしかできないとは。少しでも期待した私が馬鹿らしいではないか」
煙を払いながら、相手の理解不能な行動に呆れを見せるファモス。たかが爆弾一つで怯むとは、ユィリスだって思っていない。彼女の狙いは別にあった。
「〝物理結界〟!」
ファモスが煙に巻かれている間、己の身体能力を生かし、即座に次の魔法を構えるための最適な場所を陣取る。
そして、室内に置かれた錬成機器同士を繋ぐ太い管の上へ昇り、ファモスを中心に広範囲のフィールドを形成。内側に入った者を魔力で物理的に閉じ込める、ドーム状の結界だ。
「この大技で、お前を終わらせるのだ!」
完全に気が緩んでいたファモスの隙をつき、先手を取ったユィリス。結界の壁一面に魔装の矢――『弓神の魔矢』をこれでもかと生み出し、その全てをファモスに向けた。
四方八方から向けられた、数百…いや、数千にも及ぶ魔力の指針。加えて、自身の結界内においてのみ、矢の威力・速度が上昇し、殺傷力は通常の倍を誇っている。
いくら強固な肉体を持とうが、数の暴力には敵うまい。そうユィリスは考え、魔力の大半を消費し、この一撃に賭ける。
「ほう」
こんな状況に至っても、ファモスは眉一つ動かさず、それどころか関心の意向すら示す。
特に反撃の素振りを見せる様子はない。逃げも隠れもせず、正面から迎え撃つつもりなのだろうか。
だが、そんな細かいことを考え始めたらキリがない。一か八かの大勝負に、ユィリスは全力を注ぐ。
「喰らえ!魔装、〝無窮の豪雨矢〟!!」
手元から魔力を放出し、全ての矢に力を与える。その瞬間、構えられた無数の矢が、ファモスに向かって一斉に解き放たれた。
逃げ場など何処にもない。結界内で避けられる空間など存在せず、反撃しなければ、ただ降り頻る強力な矢雨に耐えることでしか、生き延びる術はないだろう。
事様だけ見れば、ファモスは完全に詰み状態。しかし奴は、矢に当たる瞬間まで、不敵な笑みを一切絶やさず、その場に立ち尽くしていた――。
「「いっけぇぇ~~~~!!!!!」」
ユィリスの魂の叫びが、矢の威力を後押しする。
ズバババババ!!と際限なく、ファモスの身体に突き刺さる魔矢。100、200、300と、魔力が尽きるまで、数の暴力で押し切っていく。
周囲に煙が舞い始め、結界内の様子が目視不可能になっても、矢雨は続いた。
中からは、叫び声も悲鳴も聞こえてこない。
限界まで集中しているユィリスの耳には、そんな声すらも入ってこないのだろうか。それとも、既に意識を失っているのか。
生成しては放ちの連続。完全に打ち倒すまで、魔力に限界が訪れるまで、ユィリスは渾身の大技を繰り返した。
「くっ、うっ…うぅ!や、ヤバいのだ、もう魔力が――」
魔力残量が0になりかけ、体の力が抜ける。その前に、ユィリスは魔法を中止し、床へと飛び降りた。
「ぐっ、ハァ…ハァ……どうだ、マッドアルケミストめ……」
体力も犠牲にしており、激しく息を切らしたユィリスは、やがて晴れゆく煙の先をまじまじと見つめた。
弓の惨劇で、床は勿論のこと、影響を受けた機械の機能が完全に絶たれている。そう簡単には壊せない材質で作られた、錬金術の機器を破壊する程の攻撃。それを頭から受けたのだ。何が何でも倒れて貰わなければ困る。
そう思いつつ、変わり果てた研究ルームの一部を眺めていたユィリスは、良好になってきた視界の先に呆然と立ち尽くす人影を視認し、ゾッと身を震わせた。
「ク、クク、ククク、これは……本当に、面白いなぁ!!」
「なっ…!!??」
破壊の限りを尽くした床の中央に、少しばかりの傷を負って佇む一人の女。頭部から数滴の血が流れてはいるものの、その身体が朽ち果てることはなく、ピンピンと狂気的に、自身が受けた魔法を面白がっている。
何千にも及ぶ魔装の矢を全て被った筈。それでも、ファモスの圧倒的な防御力の前では、掠り傷程度のものだったとでも言うのだろうか。
これでは、ダメージなど入っていないも同然。今持つ力の全てを注いだにも拘わらず、何一つ効き目がなかったことに、流石のユィリスも、驚き以上に相手の悍ましさに対し、顔が引きつってしまう。
「う、嘘なのだ……。こんなのって、アリなのか…?お前は、一体――」
この時、ユィリスは初めて、ファモスという存在に恐怖を覚えた。
為す術がなく、蒼褪め、自然と後退しようとする体。衝撃的な事態に、手元から離れた弓を拾う事すらも忘れ、手足の震えを抑えるので精一杯だった。
恐怖で前も碌に見えていない。既に目の前から、目を離してはいけない敵が消えていることも悟れない程に…。
「そうか…。今ので、魔力が尽きたのだな。残念だ。もう少し付き合ってやろうかと思っていた所だったのだがなぁ」
背後から忍び寄る恐怖の一途。いつ回り込んできたのか、ファモスの何気ない呟きに、ユィリスは体をビクッと跳ねさせる。
「分かっただろう。お前には、何もできないということがな。さて、長かったが、貰うとしようか。お前の千里眼…」
「―――っ!?」
両目に被せるよう、背後から手を回される。逃れようとする意思はあるが、恐怖で思うように体が動かない。
誰かに助けを求める余裕もなかった。
為されるがまま、視界を両手で覆われる………その瞬間だった、
《ぼーっとしてちゃ駄目!!!》
ユィリスの身体が、何者かの突進により、少しだけ傾いた。その反動でバランスを崩し、驚きの感情と共に地へ倒れこむ。
(今、何かが…)
ハッと我にかえる。その眼前には、いつの間に現れたのか、エルフの森の精霊――シロが、焦りと絶望感の入り混じった表情で、ユィリスを凝視していた。
「シロ…!お前、もう大丈夫なのか?」
《そんなことより…!目が!!》
「……??」
涙を浮かべ、シロはユィリスの左目に焦点を当てる。
視界に若干の違和感はあるものの、しっかりと目は見えているから、千里眼は奪われていない。間一髪のところで、シロが助けに来てくれたのだ。
そう冷静に解釈したのも束の間、覚え始めた違和感が徐々にユィリスの安堵を奪っていく。え?と声を出す前に、シロが彼女の身に起こったことを説明した。
《左目の光が、無くなってるの!!!》
血の気が引く。完璧に避けたと安心したのは、刹那の夢だった。
右目を閉じれば、そこにあるのは闇の世界。開いている筈の左目から、一切の光が入ってこない。
今シロの目に映っているのは、瞳から完全にハイライトが消え、死んだような左目を泳がせている、ユィリスの絶望的な姿であった。
「嘘…なのだ。じゃ、じゃあ、私の左目の千里眼は……」
考え得る最悪の状況が、展開されてしまう。ふと目線を動かすと、これ以上なく不敵な笑みを浮かべるファモスが、双極カプセルに封じられた〝二人〟の千里眼を、嬉しそうに眺めていた。
「ついに、来たな!待っていたぞ、ノワール家の千里眼たちよ!!今こそ、私の力となるのだ!!」
馬鹿みたいに声を張り上げ、高笑いする悪性錬金術師。
はなから両目を狙う必要などない。片方の千里眼さえ手に入れられれば、ファモスの研究は完成するのだから。
「馬鹿!!やめろぉぉ!!!」
「では、いただくとするか…これが、人間共を絶望に導く、究極の錬金の始まりだぁぁ!!!」




