第95話 お互いの覚悟
「姉ちゃんは、返してもらうのだぁぁ!!」
戦闘の幕開けを宣言するかの如く、ユィリスは雄叫びを上げ、構えていた矢を放つ。
「ふん、そこら辺の木で作られた矢など、私には無意味」
笑止の沙汰だというような笑みを浮かべ、ファモスはタイミング良く、素手で矢を薙ぎ払った。なんとも軽い力で弾かれた矢が、研究ルームの床を虚ろに転がる。
「ただの小手調べなのだ。次は当たってもらうぞ!――矢神の超力!!」
ユィリスは、周囲に魔力で形作られた矢を生成。透明にも思える白色の指針が、ファモスに狙いを定める。
「ほう、千里眼だけではないということか。実に面白い」
「面白がってるのも今のうちなのだ。喰らえ!魔装、〝地獄雨〟!」
地獄のように降り注ぐ矢の雨。その全てが、強力なエネルギーの塊だ。
しかし一つ一つの威力は、高が知れている。肉体改造を施したファモスの強固な体に刺さる筈もなく、放った魔力は無残に散ってしまう。
「所詮はガキの戯れか…。そんな遊び玉で、私に勝てると踏んでいるのがおめでたいよ、ユィリス・ノワール!」
「……っ!!」
矢雨が降りしきる中、躊躇なくユィリスの元へ飛びついたファモス。スピードも中々のもので、反応する間もなく、ユィリスは鳩尾に強烈な打撃を喰らってしまう。
「うぐっ…!!」
腹を抑え、後ろに飛ばされながらも態勢を整えようとするが、如何せん研究ルーム内は足場が悪い。床に張り巡らされた鉄の管に足を引っかけ、受け身が取れず、必要以上に身体的ダメージを負う。
「くそぉ~、痛いのだぁ……」
「弓使いなど、サシ勝負には向いていないのだ。お前如きに、姉を解放することなどできやしない」
「ぐっ!」
鉄の塊と同等のファモスの拳が、再び振り下ろされる。間一髪で避けたが、床を破壊した際の衝撃で、小柄な体はすぐにバランスを崩してしまう。
そしてすかさず、尻もちをついたユィリスの頬に、ファモスの裏挙が炸裂。埃を薙ぎ払うかのようにして、軽々しく数メートル先まで吹っ飛ばした。
「ほら、どうした?知性も無ければ、力も無いのか。呆れたガキだよ、全く」
弓が手元から離れ、地を滑る。機械に体を打ちつけられるも、なんとか弓を回収しに戻るユィリスだったが、すぐにまた相手のパンチを喰らう。
即座に両腕をクロスさせ、防御の構えを取ったユィリスは、それすらも無意味だと、重々しい一打を受けて感じた。
(防いだのに、腕が麻痺したみたいに痺れるのだ…)
身体内部にまで影響を及ぼす打撃。完全な力業だが、ファモスは全く本気を出しておらず、遊んでいるのかと錯覚する程、実力の差は歴然だった。
「もう!!痛いのだ~~!!」
防いだものの、立て続けに脇腹を殴打され、鉄壁に体を打ちつけられるユィリス。瓦礫を押しのけながら、効いているのかいないのか、曖昧な反応を見せる。
「ユィリス!大丈夫なの!?」
盲目のアィリスでも、手に取るように分かる劣勢状況。着実に、ユィリスの身体へ痛烈なダメージが蓄積されていることを、この場に漂う空気感や息遣いなどを含め、心の目で感知していた。
「だ、大丈夫だぞ、姉ちゃん!!こんな奴、すぐにぶっ飛ばしてやるのだ!」
殴られた箇所をさすりながら、痛みに耐えつつ、ユィリスは答える。鉄の味が口の中に広がり、不快な表情を表に出す。
いつもの強がり。姉であるアィリスには、お見通しだった。
「気をつけて、ユィリス!ファモスは、あなたが思ってるよりも、多量の魔力を持ってるわ!」
「そうか?私には、全然…」
「なんてったって、カギ村からグラン街まで、あの距離を一瞬で行き来して、私をここまで連れて来たのは、ファモス本人なんだから!」
「はっ!!?」
ユィリスは目を丸くして驚嘆する。話によれば、姉を連れ去っていったのは、襲撃してきたホムンクルスの内の一体だと聞いていたからだ。
思い返せば、それすらもおかしな話なのではないかと、ユィリスは冷静に思考する。いくらホムンクルスに力があるとはいえ、あの小さな体で、大人を抱え、飛び去って行ったということになるのだから。
テレポートが使えるならば別だが、獣人の里で相対した時には、それほど有能な魔法を使える個体だと、到底思えなかった。
しかしこれだけは言える。馬車でも一日かかるような距離を、アィリスを拉致したまま、一瞬で行き来した者が存在したということだ。
「どういうことなのだ…?」
そう不可解に思い始めるユィリスに、ファモスが自身の持つ力を踏まえ、当たり前のように答える。
「気づいていたのか、アィリス・ノワール。ふむ、感知力も中々のものではないか。ククク、そうさ…ホムンクルスに一度襲撃させた後、薬で眠らせた姉をここまで運び込んだのは、私自身だ。その意味が分かるか?ユィリス・ノワール…」
「マジなのか、お前…。〝テレポート〟が使える程の実力者ってことか」
「それだけではない。テレポートで移動可能な距離など、精々数十キロさ。使い続ければ、魔力が尽きてしまうのでな。飛翔して、ここまで連れて来た」
「馬鹿な!それでも、相当な魔力を消費する筈なのだ!」
「言っただろ?私を、ただの人間共と一緒にするなと…」
そうは言うものの、限度というものがあるだろう。
アィリスが拉致されたのが、昨日の昼頃であるから、移動に大量の魔力を使用していたにも拘わらず、既に魔力の回復を負えた者から、軽々しく玩具のような扱いを受けている状態。ようやく相手の真の実力を理解し、ユィリスの頬を数滴の汗が伝う。
それでも、彼女は諦めない。たとえ、全てのステータスが劣っていたとしても、負けるなんて微塵も思っていないのだと。
ユィリスは決して、気持ちでは負けない――。
「ふん、上等なのだ!相手が強ければ強い程、潰し甲斐がある!」
「本気で言ってるのか?お前のどこに、私に勝てる要素がある?」
鼻で笑うように告げられたファモスの言葉に対し、ユィリスは凛々しく目を開き、自信満々に返した。
「姉ちゃんへの、アィリスへの…思いだ!」
まるで、最上の研究サンプル――千里眼を持つ姉に執着するファモスと張り合っているかのような一言。発すると同時に、ユィリスは脇目も振らず、ファモスへ猪突猛進していく。
「待って、ユィリス!もう少し、考えてから――」
「うわぁぁぁ!!!」
案の定、吹き飛ばされ、終には血反吐を吐いてしまう。声を掛けることしかできない自分自身も含め、アィリスは歯痒い気持ちを押し殺す。
自分のために命を懸け、必死で戦っている妹に、口が裂けても言えない。この勝負に一対一で勝つのは、控えめに言って無謀なのだと…。
――助けたい理由なんて、〝妹〟だからで十分なのだ!
どれだけ不可能なことでも、いくら逃げろと忠告しても、ユィリスは戦うことをやめないだろう。それは、半年前までの彼女を振り返れば、容易に想像できる。
アィリスが光を失った後、その小さな体で二人分の生活基盤を作り、一人で魔物に立ち向かっては、いつも傷だらけで帰ってきて。命がけと言うには大袈裟だろうが、ユィリスにとっては姉のために命を懸けるなんて当たり前の日々を送ってきた。
毎日そんな状態で帰宅するもんだから、いつしかユィリスの身体状況を事細かく感知できるようになっていたアィリス。気が気でないと心配するも、彼女は決まってこう言う。
――私は姉ちゃんの〝目〟なのだ。これくらい、どうってことないぞ。
と。
その度に、嬉しくて涙が零れ落ちそうになっていたが、同時に不安もよぎっていた。アィリスも負けず劣らず、いやそれ以上に、ユィリスのことを大切に思っているのだから。
◇
今から12年前――。
人間界の中心地、ネオミリム。世界最大規模の土地と人口を有し、外部からも多くの人々が行き交う広大な都市である。
そこにある街の一つ、〝アルケミア〟にて、数日前に規格外の大爆発が起こった。
アルケミアは、通称『錬金の町』と呼ばれ、人間界のあらゆる錬金術師が集い、人間の技術発展に献身している場である。
人間の所有する武器や防具、そして衣類に、攻撃力や防御力などに特化した効果を付与させたり、素材を全く別の個体へと昇華させる手法。それが、錬金という人間発祥の近代技術だ。
錬金により、物に付加価値を与え、〝装備〟として生み出し、更なる戦力の底上げを行う。強力なステータスが付与された武器によっては、ランクが格上の者にも対抗可能なまでに、近年の錬金術師の精錬力は上がっている。
だが、そんな錬金の世界でも、危険は付き物。誤った知恵を振りかざし、不当な調合を行えば、毒霧を生み出して、周囲に悪影響を与えたり、最悪尋常ではない大爆発を引き起こしてしまう可能性もある。
物にもよるが、錬金の失敗による爆発は、只の爆薬と比べて威力が段違い。
調合の中で、様々な物質を魔力に変換し、性質の異なる物へと作り変える工程は、調合窯の中に多量の魔力を凝縮させる必要がある。そのため、何かの拍子に物質変性中の魔力が膨張でもした時には、特殊な液体で密閉されている分、圧力(魔力圧)が急激な速度で膨れ上がり、巨大な爆発が発生してしまうのだ。
故に、皆神経を尖らせながら、失敗の許されない環境で錬金に勤しんでいる。
とは言え、そんな大規模の爆発など、起こることがそもそも稀だ。結界を張ったり特殊な装備を身につけたり等、万が一爆発が引き起こってしまった際の対策も講じ、安全には十分配慮した上で調合していた――筈だった。
「ふざけんな!!!お前らのせいで、お前らのせいで、私の夫は……!!」
「奥様、心中お察し致しますが、責任転嫁はやめていただきたい」
「何度も言ってるだろ!!安全性が確認できない未知の錬金を夫にやらせたのは、お前らだ!上の連中の指示だったんだ!夫はミスなんか犯してない!爆発のリスクがあるのを分かった上で、お前らは夫にあの研究をやらせた、違うか!!?」
「……」
爆発跡地にて、アルケミアの衛兵へ向かって怒鳴り散らす一人の女性。胸ぐらを強引に掴み、大粒の涙を流しながら、絶望に打ちひしがれていた。
愛する主人を例の爆破事故で失ったのだろう。事故とは無関係の者に当たり散らすほど、尋常ではない怒りに震えている。
アルケミアの大爆発は、一人の錬金術師のミスにより起こったものだと上層部はネオミリム中へ報じた。その一人というのが、女性の夫――ネオミリム屈指の錬金術師である。
「何を黙ってやがる!図星か!!」
「いえ、あまりに的外れな見解だと、呆れていた所です。罪を犯した者の奥様であるあなたに、怨言を突きつけられる筋合いはない」
「何だと…!?」
「あの爆発で、何人が犠牲になったと思ってるんです?研究棟だけでなく、街をも巻き込む爆発など、過去に前例がない。一体、どんな馬鹿げた研究を行ったのかと、我らが問いたい程ですがね」
両手を後ろで組み、平然と、そして淡々と言い連ねる衛兵。責め立てられているにも拘わらず、一切動じず、寧ろ冷徹な表情で女性を見下ろしていた。
もし本当に、女性の主張が正しければ、その態度は腹立たしいことこの上ないだろう。爆破が起こることを予知した上で、彼らは研究をやらせたということになるのだから。
「クッ…貴様らぁぁぁ!!!!」
最後の衛兵の一言で、終に堪忍袋の緒が切れ、女性は全力で殴りかかる。しかしすぐに別の衛兵に押さえつけられ、この場から立ち去ることを余儀なくされた。
そんな一連の会話を眺めながら、路上にポツンと佇む二人の女の子。歳が五つ離れた姉妹のようで、爆破跡地という背景なだけに、どこか寂し気な姿を連想させる。
「悲しいのは、こっちだよ…。残ったのは、私とユィリスだけ……」
妹の手をぎゅっと握り、下唇を噛みしめ、悔しそうな表情で呟く。そんな姉の顔を覗き込み、妹はきょとんとしながら問いかけた。
「ねえね、おかーさんはここでねむってるの?いつ、おきてくるの??」
「……お母さんはね、もう…起きてこないの。ずっと、眠ったままなの」
「なんで??」
「私たちを、守るため…」
「ふーん」
物心がつく前で、姉の言葉をまるで理解しきれていない妹は、なんとなくの相槌を打つ。二人の綺麗な白髪を小風が撫でる中、姉は心の奥底から溢れ出てくる悲しみを押し殺しながら、妹に笑顔を向けた。
「さあ!今日はお姉ちゃん特製、ふわふわオムライスを作ってあげるからね!」
「ほんと!?やった~!ねえねのあむらいす、だいすき!」
「ふふっ、オムライスよ、ユィリス。じゃあ家に…帰ろっか」
「なのだ~!!」
「もう、何その喋り方は」
「えへへ、わかんない~」
無邪気な妹を微笑ましく思う、子供ながらに聡明な姉。爆破事故で荒れた大地を踏み歩き、仲睦まじく家路についた。
それぞれ8歳と3歳。ネオミリムで生まれ育ったノワール家の姉妹――アィリスとユィリスは、例の大爆発で犠牲になった母親を弔うため、アルケミアに足を運んでいた。
――夕飯の買い出しに行ってくるから、良い子で待ってるんだよ~。
その言葉を最後に、母親は帰らぬ人となった。アルケミア研究棟の傍に展開されていた市場へ出向いていたところ、最悪のタイミングで街の大半を消し飛ばした爆発に巻き込まれてしまったという。
アルケミアの隣町に住んでいた二人は、無事であったものの、爆発の瞬間を目の当たりにしていた。母親の行き先を知った上で…。
父親は妹を残して、消息不明に。父親の存在を知らず、まだ物事の分別がつかないユィリスとは違い、アィリスは両親と共に過ごしてきた思い出が、鮮明に記憶に残っている。
それらを理解できるからこそ、母親を失くしたことに対する悲しみに苛まれ、一人むせび泣いていた。
もう、誰も失いたくない。アィリスに残っているのは、妹のユィリスだけ。より一層、妹を大事に守っていこうと決意したのは、その時からだった。
妹の前では強がり、涙は決して見せない。常に心身ともに強くあるべきだと、アィリスの中で姉の像が確立した。
しかしながら、十にも満たない子供が、二人だけで生活するなど無謀に等しい。親戚の者を当たってはみるものの、みんな口を揃え、
「そんな余裕はない。他所を当たれ」
と二人を突き返すばかり。母親が蓄えていた貯金を切り崩し、なんとか最低限の衣食住を保ってきたが、それも尽きて、限界を迎えようとしていた。
「ねえね、おなかすいたのだ~~」
「ごめんね、ユィリス…。今日は、これだけよ」
「やだやだやだ~~!!」
「………ごめんね。本当に、ごめんね」
十分な生活がままならなくなってきて、駄々をこね始めるユィリス。暴れる彼女をそっと抱き締め、アィリスはただただ謝ることしかできなかった。
一日に食べられる量は、小さなパン一つ。掃除もままならず、家中散らかり、ゴミだらけ。
体調にも悪影響が及び、風邪を引いてしまうこともしばしば。その度に、アィリスが近所の住民に頭を下げ、薬を恵んでもらっていた。
誰も助けようとしない。誰も手を差し伸べようとはしない。みんな、自分の事で精一杯だった。
それでも嫌な顔一つせず、アィリスは必死に頼み込んだ。大切な妹を、守るために。
「大丈夫だよ、ユィリス…。お姉ちゃんが、絶対守ってあげるからね」
「すぅ、すぅ…」
泣き疲れ、眠りにつくユィリスを優しい言葉であやす。
そんな毎日が続いたある日の事だった。二人の元に、吉報が届いたのは…。
「やあ、探したよ。アィリスちゃんに、ユィリスちゃん、だったかな?急にごめんね。なんとか二人の生活が確保できる施設を用意したんだ。ほら、これがその資料」
突然、家に訪問してきた一人の男。ネオミリム上層部直属の護衛兵のようで、格式ばった服装を着こなし、二人の前に現れた。
「今まで、辛かったよね…。ここでは、親の居なくなった子供たちが、毎日楽しく暮らしているんだ。一日三食きっちり用意してるし、何不自由ない生活が保障されてる」
「ほんとう…ですか?」
アィリスは、血眼になって受け取った資料に目を通す。
二人にとって、願ってもない知らせ。これ以上、妹を苦しませるわけにはいかないと、藁にも縋る思いだったアィリスは、一通りの説明を受けた後、喜びに満ちた表情で、この誘いに応じた。
「どうかな?」
「行きます!!連れて行ってください!お願いします!」
「それは良かった。じゃあ、明日また迎えに来るから、それまで良い子にして待っているんだよ」
「はい!!」
衛兵が立ち去った後、アィリスは駆け足で家の中へと戻り、ユィリスに施設の件を伝えた。
「ユィリス、聞いて!私たち、新しい所で暮らすことになったのよ!」
「ほんと!?ねえね!」
「うん!ほら、これ見て。他の子どもたちもいっぱいいるわ!」
「うわ~、たのしそうなのだ~。ごはんもたくさんたべれるの!?」
「そうだよ。綺麗なところで、いっぱい遊べるの!!」
「わ~い、なのだ~~!!!」
毎日、お腹いっぱいになるまで食べられて、施設の子供たちと思いっきり遊ぶことができる。
もう何も気にすることはない。ようやく、今の絶望的な生活から解放される。
神様は、まだ自分たちを見捨てていなかったのだと、その日は大いに喜んだ。
――しかし、そんな上手い話があるだろうか…。
何でもいい。目の前に差し出された希望へ手を伸ばす。
それだけしか考えていなかったアィリスは、吉報を受けた日の夜、絶望的な未来を耳にすることとなった。
ユィリスサイドは一気読みして欲しいので、本日から三日連続で更新します。




