第93話 汚れのない優しさ
「グッ、ウッ……」
同刻、グラン街の一角。蚊の鳴くような声で唸る人型の魔物――魔族は、地に伏しながら目線を上げる。
戦いが始まる前から、彼らは勇者キロ・グランツェルに命じられていた。勇者パーティ陣営が劣勢だと判断した瞬間、残された魔族全員を街へ解き放ち、民を人質に取れと。
しかしそうは言うものの、自分たちが守勢に回ることすら考えにも及ばなかった魔族らは、テレスとアーシャの魔力が完全に消えたことを感知すると、脱兎の如く、街へ飛び出していった。
正確に言えば、グランツェル家の強力な兄妹を、一瞬にして葬り去った何者かと対峙したくないためだ。
確実に勝てる相手でないと立ち向かわない。弱い者虐めしかできない魔族共の特徴だ。
そんな経緯で、次々と街に繰り出した魔族たち。一般の人間を街ごと隔離し、引っ捕らえるなど容易い。
なんて高を括っていた彼らは、グラン街への侵略を開始した途端、数秒も経たぬうちに、全員が戦闘不能となった。
「≪空間支配≫…。〝強制魔力束縛〟………」
大使館周囲には、風魔法を用いたモナの結界が張ってある。
だが、魔族は翼を用い、飛翔可能な者が殆ど。結界上部はがら空きのため、奴らは次々と街の上空へ飛び上がっていった。
そこまでは良かったが、何者かの魔法にかかり、刹那の間に全滅。殺虫剤をかけられた虫の大群の如く、浮遊する力さえも失った魔族共が墜落していく。
魔力の使用を強制的に禁じられ、力の源を失ったが故の結果だ。
「な、何が起こってやがる!!」
謎の現象を受け、当然困惑しながら地へと叩きつけられる魔族共。その中心には、彼らを一掃した人物がポツンと佇んでいた。
「こんなにいたの…?結界で存在を隠していたとはいえ、もっと早く気づくべきだった」
長めの銀髪に添えられた大きなリボンが、夕日に照らされ、キラリと反射する。その幼く小さな顔を、両手に抱えたぬいぐるみに埋めながら、少女は口惜しそうに呟いた。
そして、現在に至る。
意識はあるが、身動きの一つも取れない魔族。数で言えば、ざっと百近くいるだろう。
恐ろしい状況ではあるが、少女にとっては他愛ない事実。大使館の屋根上にちょこんと座りつつ、信じられないといった魔族らの視線を浴び続ける。
「戦局は……悪くない。ただ心配なのは、錬金術師と戦ってるあの……」
目を瞑り、己の感知力のみで地下の状況を熟視。固有能力≪空間支配≫により、他者の結界を無視した感知を可能としている。だがそれは、支配下において可能な機能の内の一つに過ぎない。
子供も子供。幼き体の何処に、そんな常識を逸した力を秘めているのか。
彼女が〝勇者〟であるという事実を加味したとしても、受け入れ難い現実だ。魔族らと同様、後に勇者パーティも後悔することになるだろう。
「頼んだよ」
自身に取り憑く悪魔へ思念を飛ばし、グラン街の守護神と化した幼き少女――リツは、現在繰り広げられている地下の戦いを、地上から見守っていた。
◇
時の流れに違和感を覚えたのは、ほんの数秒だった。起こった現象の答えを見出せないまま、ルナは自分を護ってくれたであろう〝黒幽体〟を静かに見上げる。
「ルナちゃん!大丈夫!?」
硬直状態に陥っていたが、モナの一声で我に返り、その場から数歩ほど後方へ。そしてルナは、今一度冷静に目の前の様態を見やる。
「えっと…先ずは、大丈夫よ。でも、なんでコイツが??」
「良かった~!それにしても、ルナちゃん凄いよ!!どうやって止めたの!?」
「え?」
唐突に称賛されたルナは、何が何だか分からず再びポカンとしてしまう。
両者の間に見えない壁でもあるのだろうか。目が捉えた景色に明らかな食い違いが発生している。そのことが、更にルナの思考をかき乱した。
突如現れた、巨大で不気味な死神のような影に驚かない程、モナは天然ではない筈。と考えつつも、まだルナの中でのちぐはぐな感覚は拭えないでいた。
しかしそう思索に耽る間にも、周囲の時間は既に動き出している。
「お前、リツんとこの悪魔だな…?」
次に口を開いたのは、この状況をいの一番に理解したテレスだ。掴まれた腕を強引に引き剝がし、距離を取る。
そしてようやく、なんとなくではあるが、ルナの中で謎の黒幽体の正体が見えてきた。
(リツって、もう一人の勇者の名よね?で、コイツは…確か、アリアと戦ってた――)
紐解けそうな所で、大きな引っかかりを覚える。もし目の前に存在している黒幽体が悪魔なのだとしたら、そいつと勇者が共に行動しているなんておかしな話だ。
もっとアリアから話を聞いておけば良かったと、ルナは胸の内で頭を抱える。
「クッ!!この!!さっさとくたばんなさいよ、メス猫!!」
その一方で、モナはルナの様子を伺いつつ、迫るアーシャの攻撃を軽々とあしらっていた。
こちらが有するは、圧倒的な魔力値と力、そして未知の潜在能力を秘めた神霊族。アーシャの魔力量が半減している時点で、もはや勝負するまでもない戦力差だ。
ランクもレベルも上回っており、アーシャが万全の状態であったとしても、勝利は揺るがないだろう。モナの中で、まだグランツェル家を思う私信がなければ…。
突きつけられた拳に、そっと掌を重ね、受け流す。手先から足先まで、動きを良く観察し、巧みに、柔らかく、相手の狙いを外す体術だ。
モナが幼少期、師匠である黒猫に教わり、なんとなくで身につけた戦闘スタイル。今もその教えが体に根付いており、少ない力・動きで攻撃を流すほど、被ダメージ量が減り、体勢がしっかりしていれば、カウンターへ素早く転じることが可能になる。
魔法は受け流せないが、相手の素早さを見切れるだけの動体視力を持っていれば、打撃に対して滅法強い。
ケモ耳がすっぽり嵌る猫耳付きのフード。そこから飛び出す、ふわっとしたコバルトブルーのアンダーツインテが、モナの肩を撫で、可憐に躍動する。
フードから覗かせる表情は、余裕そのもの。寧ろ、アーシャを敵だと認知していないといった様子で、過去を振り返りながら楽しそうに相手をしていた。
「懐かしいなぁ。一年前も、こうして組手やったよね」
「うっさい!あの時は半分以下の力しか出してなかったし、今の私は、あんたなんかより!」
「うん…。すっごく良いパンチだよ、アーシャちゃん」
「だから、いつまでも、そのうざったい顔をこっちに向けてんじゃないわよ!―――気持ち悪いのよ!ほんと調子狂うわ!!」
一発もヒットしない拳を繰り出し続ける中、嫌でも視界に入り込むモナの顔。懐かしさに浸っているのか、我慢できずに笑顔が零れてしまっている。
敵対意識など持ちたくない。心がどれだけ闇に満たされていようが、モナの記憶の中には、そんなアーシャの姿は存在しない。
だからこそ、これは戦いではなく、お互いの成長を確かめ合う遊戯なのだと、過去を慮り、モナは考えた。心の底から、アーシャ・グランツェルとの再会を悦ぶことにしようと。
一家の長女として、マオ含め自分の面倒を見てくれたこと。優しかった眼差し・言動、そして時折見せる何かに迷っているような表情やテレスとの兄弟喧嘩など、それら全てが偽りで形作られた夢物語だなんて、意地でも認めたくなかった。
分かってる。他人を簡単に信じるところが、自分の悪い癖だ。
あの時から、何一つ学んでいない。そう思われても仕方ないだろう。
それでも、モナは自分の信念を貫いた。彼女に、グランツェル家に、ほんの少しでも良心があるのであれば、戦う必要なんて微塵もない。
信じ続ければ、きっと答えてくれる。
根拠なんてない。ただ、モナ自身、そういう考え方しかできないからだ。
「この!ぐっ、あ~~もう!!なんで当たんないのよ!!こうなったら…」
一旦距離を取り、内から魔力の発散を始めるアーシャ。細かな闇色の粒子が散乱し、周囲を取り囲んだ。
彼女もまた、父親同様、闇を有した人間である。寄生の度合いや禍々しさのレベルにもよるが、魔力の残量・経験値を加味すれば、アーシャの闇がモナにとっての脅威になることは先ずない。
より洗練された闇の場合、最終的に己の身と一体化し、ある種の無敵状態に変質する。無論、そこまでの寄生に及んだ時点で、対象者の心身は修復不可能な程に腐り、朽ち果ててしまう。
元の体を取り戻そうとしたところで、もう手遅れだ。そう、あの勇者キロ・グランツェルのように…。
決して可能性は高くない。しかしその点に関して、アーシャとテレスには、まだ更生の余地が残っている。
「もう終わりよ、神霊族!あんたは、ここで敗北するの。覚悟しなさい!」
「……」
冷や汗をかき、切歯扼腕するアーシャに対して、モナは沈黙を返す。
辛辣な言葉に怯みを見せたのだろうか。それにしては落ち着き過ぎている上に、目線もどこか外れている様子。
(ルナちゃんの方は、まだ大丈夫みたい。というか…あれはどういうこと?)
案の定、モナは闇そっちのけでルナの方を心配していた。
初めて目の辺りにするアーシャの真の魔法。普通であれば、目を離さずに警戒するであろう敵の攻撃にも臆さず、というより関心の一つも見せることなく、目先に映る不思議な光景を凝然と注目している。
自分は一体何を見ているのだろうか。そう思わざるを得ない不可解な現象が、ルナを差し置いて展開されているのだ。
「ま、まさか…あのメス猫、私を無視してるの!?」
動物の猫の如く、好奇心に従い、より興味のある方へ食いついているのだろう。そうモナを拡大解釈したアーシャは、怒り心頭で闇のオーラを増幅させた。
「ふざけんじゃないわよ。私なんて、眼中にないっての…?神の生まれ変わりだから何?生まれつきエリートのあんたには分かんないでしょうね…。いくら頑張ってもお父さんの期待に応えられない私の気持ちなんて!!」
そんな心の叫びがモナの耳にようやく届いたと同時に、闇の魔力が勢いよくアーシャの元から放たれる。
「くたばりなさい!!〝ブラック・インパクト〟!!!」
粒状の闇が、今度はモナを囲い、四方八方から迫って来る。そこそこのエネルギーが小粒一つ一つに凝縮されており、対象の圧迫に伴って、巨大な〝黒炎爆発〟を引き起こす算段のようだ。
逃げることは許されない。少しでも動けば、闇の魔力に触れてしまい、身体が爆ぜてしまう。
(終わりよ。残念だったわね…)
アーシャは心の中で、自信に満ち溢れた笑みを浮かべる。
神霊族の強さがあるのは結構。だが、思った以上に馬鹿で、間抜けで、無思考な獣人だと、闇に塗れゆくモナを評価した。
自分は勇者パーティの一員。こんなところで負けるわけがない。
父親から遺伝した闇を持ってすれば――。
次の瞬間、一筋の光がアーシャの瞳に映った。
闇の包囲網を物ともせず掻い潜り、それは壮麗に輝く。たった一点の煌めきに、アーシャは目をくらませた。
「な、なに!!?」
触れた闇は破裂することなく、内側から耀いだし、やがて絢爛な光の粒子へと変化する。
その中心に佇むは、片手を前に突き出し、純一無雑な魔力を放出する猫耳少女。自身に振りかかる闇を、全て純白な光の魔力に変えて、威風堂々と構える。
アーシャからの悲観的評価を払拭するような風体を見せつけ、彼女は口を開いた。
「そんな人の期待に応える必要なんてないよ、アーシャちゃん」
「――っ!!」
「それに、モナはエリートなんかじゃない。最初はずっと嫌われてたし、みんなに支えられて、助けられて、救われて…今、こうしてここに立ってるってだけだよ。結果的には、モナは騙されてたのかもしれない…。それでもね、アーシャちゃんたちに優しくしてもらったことは、絶対に忘れられないよ」
屈託のない笑顔で、モナは言う。
なぜ、自分を騙した相手にそんな笑顔が向けられるのだろう。思考停止になり、更に戸惑うアーシャ。闇の魔法を一瞬で打ち消されたことなど、もう彼女の頭には無かった。
「な、何言ってんのよ…ほんと馬鹿ね!大馬鹿よ!私があんたに優しく?はっ!するわけないじゃん!意味分かんない。あれは、全部演技なのよ!まだ分かんないの!?」
「うん、分からない。だって、あの時のアーシャちゃんは、本当に優しくしてくれたように思えたから」
「……!!?」
「受け取る側が優しいって感じたら、それはもう優しいんだよ。心の中で何を思ってるかなんて分からないし、それを探るなんてモナにはできない。たとえアーシャちゃんが、演技でモナに接してたとしても、本当の優しさを知らなかったら、あんな風に優しくできないと思うなぁ」
「あっ、なっ……な、なん、なのよ……」
胸に手を置きながら、モナは柔らかい口調で思いを伝える。
言い負かされたというよりは、良い意味で言い包められた。モナの言葉がアーシャの心を包み込み、深く突き刺さる。
これ以上、どれだけ否定的な言葉を並べようが、どれだけ酷い罵声を浴びせようが、彼女の心が折れることはないだろう。汚れのない優しさを前に、言い返す言葉も見つからなかった。
思考が完全に停止し、アーシャは膝から崩れ落ちる。
「もう…あんたには、何をしても勝てないわね……」
「そんなことないよ。面倒見の良さだったら、アーシャちゃんの方が上だもん!」
「ハハッ…ほんと、どこまで私を混乱させれば気が済むのよ。モナ……」
最後の最後まで、モナは敵対意識など持ち合わせていなかった。そうじゃないだろと突っ込むよりも先に、吹っ切れた笑いが零れる。
そのまま、アーシャは力尽きたように地へ体を預けた。決して敵わぬ、汚れのない優しさを前に――。
対戦カードは残り三つです。アリア陣営全員を活躍させてあげたいと思っていたので、決着までもう少しだけお付き合いください(一番の目玉はユィリスです)。




