第92話 加勢する者
「フラン!?その体、大丈夫!?」
地下牢に戻ったフランを出迎えたのは、顔面蒼白状態のティセル。シャトラ回復に勤しんでいたが、全身傷だらけのフランを目にした途端、一目散に駆け寄ってきた。
「あはは…ちょっと、油断しちゃって…。うぅ…すみません、回復お願いしてもいいですか~…」
ティセルを目にし、安心したのか、その場でへたり込むフラン。先程の軽快な立ち回りが嘘であったかのように、目を回し、ヘロヘロになっている。
「勿論よ!すっごく心配してたんだから…。でも、凄いじゃない!あの不気味な女に勝つなんて」
「そうですかね~。自分でもびっくりですぅ。気づいたら、体が勝手に動いていて…」
「そうなの??……あっ!そういえば、さっきシロが物凄い勢いでここから出て行ったのよ!」
「シロさんが?」
「ええ。フランが持ってきた変な機械を抱えて…。猫ちゃんの回復で手一杯だったから、追いかけられなかったんだけど」
「変な機械…??ああ、あれですか!」
「あれ?」
何かを思い出し、ピンときたような反応を見せるフランに、ティセルは首を傾げ、疑問を投げかけようとする。
そんな中、けたたましい猛獣の唸り声が、牢獄の奥から届いた。途轍もない魔のオーラが、部屋全体を震撼させ、周囲の岩壁を崩落させる。
「ガルルルル……!!」
鎖は引きちぎれ、豪快に破られる檻。落石から上がった煙の中で揺らめくは、巨大な〝白虎〟のシルエット。
「な、何!?」
「もしかして…」
目を赤く光らせ、少女たちを見下ろす巨影は、接近と同時に、なぜか縮こまっていく。何事かと、影を見上げていた二人の目線も下がっていき、やがてその姿を捉えた。
「クッ…我としたことが、とんだ恥さらし……。ご主人様にお褒めの言葉を頂こうとした結果がこのザマとは。しゅん……」
ちょこちょこと現れた四足歩行の小動物、シャトラ。回復を施され、復活したものの、魔力は戻らず、残りの体力で強引に檻を破壊した。
その反動もあってか、猫にも劣るサイズで登場。かなり落ち込んだ様子で、可愛らしく溜め息をつく。
「な、なな…何この子!!かっわい~~~!!」
チビシャトラを見た瞬間、ティセルが真っ先に飛びついた。もふっとしたちっこい体を持ち上げ、頬っぺたにすりすりしだす。
「な、なんだ貴様は!!?離せ!我を、誰だと思っている!」
「もっふもふだわ~~!!」
「くっ、な、何なのだ一体!ふざけおって!この人間が……いや、エルフか!とにかく離れろぉぉ!!」
もがくも力が出ず、なされるがままのシャトラ。そんな様子を微笑ましく思いながら、フランが口を開く。
「まあまあ、シャトラさん。瀕死のところをティセルさんが回復してくれたんですから、大目に見てあげてください」
「ん、メイドか。随分服が荒れているようだが、貴様から激戦を制した者の匂いがするぞ」
「……どんな匂いですか?それ」
「そんなことより、このエルフが我を完全回復させたというのは本当か?」
つぶらな瞳でありながら、シャトラは疑いの表情を向ける。
「そうですよ。精霊との契約で、主に回復力が長けてるみたいなんです」
「エルフ、精霊……」
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない…」
ティセルに回復してもらったことが、少し引っかかっている様子。単純に、アリアからの施しを受けたかったが故に、残念そうな顔をしているのだと考え、フランからはこれ以上何も突っ込まなかった。
「いいな~。アリアたちは毎日、この猫ちゃんと遊べるんでしょ?羨ましいわ~」
「だから、我は〝猫ちゃん〟などではないわ~~~!!!」
◇
――どこか、心の奥底で余裕に満ち溢れた自分がいる。
眼前に立つ濃緑色の髪を持った『錬魔術士』を見やり、小柄な少女が自慢の弓を構えた。
この時をどれだけ待ち望んでいたか。ようやく姉の〝目〟の仇とサシで対峙する機会が訪れ、特徴的な八重歯を露わにし、笑みを零す。
「まあいい…。私の目的は変わらないぞ、ユィリス・ノワール。お前の〝千里眼〟を貰えれば、それでいいのだから」
今にも矢が飛んできそうな状況にも拘わらず、不気味な程に落ち着き払っている年齢不詳の女――ファモス。負けるはずがないと相手を見下しているというよりかは、なぜ自分に殺意が向けられているのかすら、まるで分かっていないがための態度を示している。
そんな狂った思考回路の持ち主の話し相手になるのは、精神的にかなり参ってしまうことだろう。だが、逆に戦う気満々の白髪の女の子――ユィリスは、持ち前の話術でファモスを焚きつける。
「お前みたいなとち狂った女に奪われる程、私の千里眼の価値は低くないのだ。さっさとかかってこい。それとも、私にびびってるのか?ホムンクルス共がいなきゃ、お前はな~んにもできないのだな!」
「相変わらず生意気だな、ユィリス・ノワール。あの時は、すぐ頭に血が上ってしまったが、今の私は違うぞ。自身の感情を意のままにコントロールする術を手に入れたのだからな」
高ぶる感情の抑制。一般の人間とファモスとでは、その意味合いが大きく異なる。
意図的に抑えるか、機械を用い強制的に抑える――或いは、感情を失くしているか。
間違いなく、ファモスは後者。人間にしか見えない外見をしているが、その中身は、心身ともに絶望と憎悪に蝕まれた〝化け物〟の様相を呈している。
人の子であったことすらも忘れているだろう。自身を人間ではない、別の次元の生物だと認知しているのだ。
それ程までに、彼女の中での絶望は大きかった。この世界に住まう、人間共に対して…。
「ククク…いいだろう。ならば、奪い合いを楽しもうではないか。まだ〝完全体〟には程遠いが、私の力を少し見せてやろう」
拳を握り締めたファモスは、側に置かれている石のオブジェを軽々と素手で破壊した。跡形もなく崩れ落ちる石塊を見て、ユィリスは顔を顰める。
「魔力を込めていない拳…。千里眼で見た限り、やっぱりお前は〝機械人間〟か何かなのだな。まるで、ホムンクルスだぞ」
「そうさ。私は人間であり続けることをやめたからな。私を絶望させた人間共と、一緒にしないで欲しい」
「絶望…??お前も、キロ・グランツェルと同じ境遇なのか?」
「いや、あの男と私とでは、思想が異なる…。私は、己のために力を欲している訳ではないからだ。人間共を恐怖のどん底に突き落とせるならば、この身が朽ちても構わない!」
今の発言を聞き入れ、ユィリスとアィリス、姉妹揃ってゾクッと身体を震わせた。
力こそ圧倒しているのは勇者とはいえ、己が信じる思想形態に関しては、圧倒的にファモスの方が狂気に満ちている。恐怖を殆ど感じないのもそうだが、自身に振りかかる〝リスク〟すらも顧みず、願うのは、ただ不特定多数の者たちを地獄に突き落としたいという凶行――それに勝る狐憑きがあるだろうか。
(こいつは、ここで止めておかないと…いよいよヤバいのだ……)
良からぬ未来が見えてしまった。絶対に野放しにしてはいけない女だと、ユィリスは弓を引く手に力を入れる。
闇の勇者キロ・グランツェル、そして悪性錬金術師ファモス。手を組んではいけない者たちが、最悪の化学反応を起こそうとしているのだ。
断ち切らねばならない。アリアも勿論のこと、ユィリスにも人間界の今後が懸かっていると言っても過言ではないだろう。
「ユィリスちゃん!頑張って!!ピンチになったら、いつでも加勢するから!」
「しっかりお姉さんの仇、打っちゃいなさい!!」
研究室の外から、モナとルナが声援を送る。
というのも、二人は今まさに、ファモスの生み出した歩兵――人工生命体の相手をしている最中だった。ルナは逃げ惑うばかりだが、モナの圧倒的な魔法で危なげなくこの場を乗り越えている。
しかしそんな二人の耳に、絶望を知らせる男女の声が、不愉快に入り込んできた。
「神霊族、モナ…。こんな所まで、のこのこと現れてくれちゃって。お父さんに捕まったこと、もう忘れちゃったのー?ほんっとバカね!」
「さっきの攻撃は参ったぜ…。だが、あの得体の知れねぇ女がいない上に、神霊族を捕らえる絶好のチャンスときた。こいつらを人質に、あの女を脅すのも面白いなぁ!」
モナの攻撃で戦闘不能と化したホムンクルスを踏み歩き、グランツェル家の兄妹が再びエントランスホールへ顔を出す。
なぜ…?という疑問をそのまま表したような顔で、二人に注目するルナとモナ。
奴らはアリアの手により、魔力を取られ、卒倒していた筈だ。闇のオーラに包まれたおどろおどろしい一族の末裔――テレスとアーシャの目が、モナの姿を捉え、彼らの表情に不敵な笑みが浮かび上がる。
「二人とも、信じてたのに…」
裏切られ、利用されていたことは既に理解していたものの、モナの中で割り切れない部分もあった。
一年以上もの間、サキも含め、勇者パーティの子供たちとは生活や苦楽を共にする時間が長く、モナにとってかけがえのないひと時であったことに変わりはない。真実を知ってなお、心の奥底ではずっと信じ続けていたのだ。
洗脳や脅し。何か逆らえないような事情があるのではないかと。
しかし現実は、無情にも考え得る可能性を全て潰し、モナの前に現れた。
騙すような素振りなど、全く見せてこなかったと思いきや、実際は勇者パーティを過剰に美化し過ぎていた自身の愚かさが招いたこと。本当に洗脳されていたのは自分だったのではないかと、モナは改めて悔恨の情を抱く。
「ちょ、ちょっと!なんであなたたち、復活してんのよ!魔力も、半分くらい戻ってるし!!」
悲しむモナの後ろで、思ったままの言葉を口にするルナ。彼女にとっては、恐怖よりも先ず驚きの方が大きかった。
「拘束はホムンクルスに解かせた。こいつらは優秀でなぁ。ファモスに提供した俺たちの魔力を、体内に蓄えておけんのさ。もうストックはないが、お前らを潰すには十分な量を回復させてもらった」
「お父さんはこんなこともあろうかと、魔力の回復が可能なシステムを作らせていたのよ。天才錬金術師にね!」
「そんなことまで……」
魔力があれば、回復も可能。アリアに開けられた雷の風穴は、テレスの腹から跡形もなく消えていた。
ここまでされたら、もう何でもアリだ。しかしそれは、アリアの常識外れの力を考えれば、お互い様なのではないかと、なぜかルナは冷静に考え始める。
「アーシャ、ちゃん…」
「その顔、まさかまだ私たちを信じてるーなんて言わないわよねぇ。あんなのただの演技よ演技。お父さんのために、わざわざ下手に出て、あんたと仲良しこよしを演じてたってわけ。理解したかしら?おバカなメス猫ちゃん!」
戸惑うように名前を呼ぶモナに対し、アーシャは意地の悪い顔で返す。
面と向かって事実を突きつけられ、モナの心はズタズタに切り裂かれた。と、アーシャは思っていたが、そんな悪口を物ともせず、というよりは全く気にする素振りを見せず、モナは完全に別の事へ目を向けていた。
「そ、その…お、お……」
「なに?悔しかったら、何か言い返してみなさいよ!このメスね――」
「お、お漏らししたら、ちゃんとお風呂入らなきゃ駄目だよ!!!」
「…………」
何を言っているのだろうか。ルナでさえも、静かに仰天してモナを見やる。
――・・・・・。
沈黙は数秒続いた。当の本人は、「ふぅ、やっと言えた~」というようなやり切った感を出しているが、他の三人からすれば、「は?」以外の何ものでもない。
そして、言葉の意をようやく理解したアーシャは、カ~~ッと顔を真っ赤にさせ、羞恥に悶えだす。
「な、なな…何言ってんのよ、あんた!!ば、ばっかじゃないの!??仮にも敵の、何を気にしてんのよ!このメス猫!!!」
「だ、だって、気になるじゃん!正々堂々戦うんだったら、先ずは体をちゃんと洗って!!」
「う、うるさいわね!!洗ったわよ!あんたたちが無駄話してる間にね!!服もしっかり洗って…って、何言わせんのよ!!バカな上にデリカシーの一つもないわけ!?」
予想だにしなかったモナの天然発言に、思考を狂わされるアーシャ。裏表のない純粋な心を持っているからこそ、気になったことを言及せずにはいられないのだ。
人間より少しばかり鼻が利くというのも、理由の一つだろう。
ずっと心に引っかかっていたことを、本人に伝えたまで。顔なじみというのも相まって、ハッキリとモナの口から出てしまった。
ピュアな心も玉に瑕。敵であろうが誰であろうが、人によって接し方を変えることはない。
それが、モナという女の子なのだ。
「うわー、これは恥ずかしいわね…。敵ながら、同情するわ」
と言いつつ、そんなことなど微塵も思ってない様子のルナは、二人のやり取りを半笑いで眺める。
「おい、言われてんぞ。失禁女ってな」
「うっさい!女に一撃でやられたなっさけない男の癖に!!」
「なんだと!!」
標的がテレスに変わり、今度は兄妹喧嘩が勃発した。
モナの一言で、この場はとんだカオス状態に。戦闘を前にして、アーシャの体力は半分以下に減ったことだろう。
目をぐるぐる回しながら、主にモナのいる方角を指差し、告げる。
「と、とにかく!もう許さないから、あんたたち!!」
「モナたちだって、ユィリスちゃんを虐めたこと、まだ許した訳じゃないもん!だよね?ルナちゃん」
「え!?なんで私まで!!?」
なぜか巻き込まれ、可愛らしくおどおどしだすルナ。そんな彼女に注目したテレスは、唇をぺろりと舐め上げ、ニヤリとほくそ笑んだ。
「アーシャ…。今日から、アイツがお前の義理の姉になるかもなぁ」
「はっ??」
「半殺しにして、監禁するのさ。楽しみだろう?」
「趣味わる…。まあ、そっちはあんたに任せるわ。私は、あのメス猫をぶっ潰すから!!」
先程の無茶苦茶な展開が嘘であったかのように、各々の標的が決まってしまった。まさか、グランツェル家の兄妹二人を相手にするなど、あまりに唐突過ぎて、血の気が引いていくような感覚がルナを襲う。
「ルナちゃんは隠れてて。二人とも、モナが相手するから」
「それはダメよ!妹はともかく、兄の方は魔力の質が尋常じゃないわ。ここは一旦――」
「悪いが、お喋りの時間は終わりだ!どのみち皆殺しなんだからよぉ。生かされるだけでも感謝しやがれ!!」
作戦を立てる時間も与えてはくれず、テレスが真っ向から突っ込んできた。宣言通り、その矛先は確実にルナへと向けられている。
「ルナちゃん!!」
モナが助けに入ろうと思った時には、もう遅かった。黒炎を纏ったテレスの拳が、一瞬でルナの眼前に現れる。
デバフ状態ではあったものの、アリアの障壁を簡単に突き破る『超位者』の一打。そんなものを生身で喰らえば、一溜まりもない。
(嘘でしょ…?ちょっと、まっ――)
逃げることも叶わず、その場で思考停止。そんな中、恐怖を通り越し、ルナの目の前で全ての時が止まった。
危機を悟り、軽く走馬灯のようなものを見ているのか。将又、生まれ持った自己防衛本能が、何かに目覚めようと、その片鱗を表出しているのか。いずれにせよ、今のルナにこの状況を打開する術はない。
説明のつかない謎の現象。一体何が起こっているのだろうと、考える余裕さえも暗闇に沈んでいく。
そう、暗闇に――いや、それは巨大な漆黒の影だった。突如現れた何かに飲み込まれそうになるかと思いきや、その影はルナとテレスの間に割って入り込み、強靭な魔族のオーラを放ちだす。
(なに…!!?)
驚いたのは、テレスも同じだ。
突きつけたパンチは、なぜか宙に留められる。しかし、それはすぐに、黒い靄の如し〝手〟が、拳の動きを止めているのだという結論へ収束した。
「なんだ!?こいつは!!」
得体の知れない暗黒の化け物が、ルナをバックに出現。双方が驚愕すると同時に、その姿がハッキリと形作られていく。
色味が全くない黒色のローブが覆った、視認が不可能な身体。そこから伸びるように空気を割る曲刃――物恐ろしい大鎌の先端が、ギラリと光った。
地に足が付いている様子はなく、不気味に浮遊している。
何かの精神体だろうか。だとすれば、こいつは死神以外の何ものでもない。そこまで思考し、ようやくテレスは悟る。
一瞬だけだが、ルナも見たことがあった。不思議な感覚に陥ったと思い始めたのは、丁度その時からだろう。
《借りは、自分の手でちゃんと返してよね。誰も死なせちゃ駄目だよ。いい?》
そんな少しばかり怒気の籠った子供の声が、悪魔の耳に入り込む。
どういう経緯か因果か、突如現れた漆黒の影は、確実にルナを護った。




