第91話 戦うメイド
地下牢獄部屋の壁が破壊され、そこからメイドの少女が飛び出してきた。何者かに吹き飛ばされ、地を転がりながら…。
「まあ、これくらいは…想定内です」
強打した腹部をさすり、強がるように言う。そんな戦うメイドさんことフランは、苦渋の表情で立ち上がった。
「あらあらあら~、あなたの実力はそんなものではないでしょう?何を出し惜しみしてるのかしら…ふふっ」
相対するは、年増の女剣士――エマ・グランツェル。剣同士の初手のぶつかり合いで、圧倒的な力を見せ、フランを分厚い壁ごと跳ね飛ばした。
狂気の笑みで近寄って来る様は、ランクが下回っている者たちにとっては恐怖でしかない。しかしこの緊迫した状況で、フランの心は徐々に落ち着きを見せていく。
「いえ、まだ体が追いついていないだけです…。あなたのような強者と剣を交えるのは、初めてなので…」
「強者なんて、お世辞にもないことを…。まるで、自分の強さが分かっていないような口ぶりねぇ」
「御託はいいです。そちらも、遠慮なく本気で来てくださいよ」
「あらあら…今の一撃で、やっと体の震えが収まったみたいね。楽しめそうで何よりだわ~」
一度、フランは息を吐く。
緊張から抜け出そうとしているのか、或いはこの戦いを楽しもうとしているエマへの呆れか。いずれにせよ、彼女の覚悟は決まったようだ。
――この女は、私が倒します…。
剣を握り締め、強く地面を蹴る。勢いのまま、エマに刀身を突きつけ、大きく斬り上げた。
「〝霧雨〟!」
高速に放たれた剣技が、相手の頬に傷を負わす。
斬撃とは、言わば魔力の刃。普通は目に見える形で現れるが、フランの技は一味違う。
決して大きいとは言えないが、文字通り『霧雨』の如く、細かい粒子状になった魔力が斬撃と化し、相手を斬りつける。
霧状が故に、通常のものよりも視認が難しい。そのため、フランの太刀筋を見切れない者は、斬られていることにも気づかぬまま、戦闘不能になることが殆どだ。
「なるほど、面白い攻撃ね…」
頬から滴る生血を舌で掬い上げながら、エマは不敵に笑う。と同時に、寸刻の間も与えず、フランの首元目掛けて剣を振り下ろした。
「クッ…!!」
刀身の擦れ合い、そして反発し合う鉄音が、回廊に響き渡る。
なんとか防いだものの、相手の勢いに吞まれてか、パワーで押し切られてしまうフラン。一瞬の気の緩みも許さぬ中、再び地面へ体を打ちつけられ、ダメージを負う。
「特殊な斬撃が打てるのは、あなただけじゃないのよ、メイドさん。これが、本物の剣技…その目に焼き付けなさい!」
エマは魔力から風を生み出し、それを剣先に纏わせた。荒れ狂う暴風を一点に凝縮させた旋風が、刀身の周りを高速回転している。
魔法をかけ合わせた斬撃だとでも言うのだろうか。立ち上がろうとするフランへ、更なる追い打ちを与えるように、エマの剣撃が炸裂した。
「〝旋風の槍剣〟!」
前方に跳び、槍を彷彿とさせる動きで、剣先から零細な竜巻を放つ。
だが、風というのは単なる付け合わせに過ぎない。迫り来るは、高速回転した斬撃の嵐。逃げる間も与えず、それはフランの体を斬りつけていく。
「――っ…!!」
両腕で顔を守ってはいるものの、その分だけ、四肢にダメージが入る。
フランが着ているメイド服は、何の防御効果も持ち合わせていない。言ってしまえばただの布だ。
切り刻まれたように袖は落ち、傷口から噴き出る少量の血潮が、純白のエプロンやスカートを汚す。白タイツは破け、血の色に染まっていく。
斬撃の豪風が止む頃には、痛みに耐えつつ、手足の震えを抑え込むのがやっとの状態だった。
(嫌な流れですね…。やっぱり、アリアさんにシールドを張ってもらうよう、頼むべきでした)
薄ら笑いを浮かべ、フランは少し前の会話を思い出す。
アリアはこの街に来てから、〝魔力防御〟や謎の悪魔との戦いで、魔力を消費し続けていた。
そんな状態で、更にシールドをみんなに張り、かつ闇の勇者と戦うなんて、彼女の負担が余りに大き過ぎる。そう考え、アリアの加護無しで戦おうと決めたのだ。
(まあ、後悔しても変わりませんよね、状況は…)
自身の血で滲んでしまっているメイド服を見下ろし、眉尻を下げるフラン。しかしすぐさま顔を上げ、剣を構えだした。
「そのメイドの格好、動きにくいんじゃない?だから、本来の力を発揮できない…違う?」
「自分がどれだけの力を持ってるかなんて、分かりませんよ。それに、この服は何があっても脱ぎませんよ。アリアさんが、気に入ってくれている限り…」
エマの質問に、フランは頭の中に浮かんだ言葉をそのまま口にする。
彼女がアリアのことをどこまで知っているのか。それはまだ、本人にしか分かり得ないが、一つ言えるのは、彼女が常にメイド服を着ている理由は、アリアがいるからであることだ。
「あらあら~、素敵な友情ね。それも、今日で打ち砕かれるのかしら。そのアリアって子も、今頃キロに殺されているでしょうね、ふふっ」
「口を慎んでください。あんな陰でこそこそしてるような勇者に、アリアさんが負ける訳ありませんから」
そう言い返しつつ、フランはゆっくりと眼鏡を外し、ポケットにしまい込んだ。麗美な目元が露わになり、より引き締まった表情へ自ずと変わっていく。
「あら、眼鏡を外すと強くなったりするの?」
「いえ、気味の悪い顔にフィルターをかけたかったので…。これなら、雑念無く戦えます」
雑念というのは、相手に対する恐怖心や劣等感。この戦いにおけるフランの感情だ。
どこか、自分の方が弱いと感じていた部分があったのだろう。
世界ランク等の数字や勇者パーティという肩書を考えれば、おかしくはない話である。本来の力が発揮できていないのは、そういった理由なのだと、フランはようやく理解し、ネガティブな感情を全て自分の中から追い出したのだ。
「ふふっ、自分で自分の首を縛ってどうするのかしらね~。私はあなたの全力が見たいというのに…」
「なら、見せてあげますよ。あなたの言う、本来の力ってやつを…」
「――っ!??」
いきなり刀身に重みを感じ、エマは意表を突かれた。今度は自信を持って剣を振ってきたフランに、少しばかり驚いたような表情を見せる。
(なに…急に攻撃が重く……?)
重さだけではない。驚異的なスピードで振り下ろされた重撃が、更なる火力を生み出している。
態勢を立て直すため、後方へ下がるエマ。それを逃さず、精巧さが増したフランの太刀筋は、相手の構えを打ち崩す。
先程と打って変わり、逆転した立場。しかしエマは、なおもこの状況を楽しんでいた。
「なるほど…これがあなたの……面白いわ~!まだまだ楽しめそうじゃない!」
「楽しむつもりも、こんな勝負に時間をかける必要もありません…!」
キッと睨みつけ、更に強く、激しく、フランは剣を突きつける。
痛む様子など微塵も感じさせない程の華麗な剣舞。所々が破れ、切り付けられたメイド服ですら、魅力を感じさせるほどの戦いぶり。
これこそまさに、戦うメイド――フランディア・サベールの佇まい、真骨頂だ。
剣戟にはなっているものの、実際は防戦一方。もはや、エマはフランの剣を捌くだけに留まり、攻撃に転じることなど出来なくなっていた。
それでも、エマは思う。楽しいのだと…。
劣勢の状況でも笑みを絶やさない。闇に侵された彼女の心は、既に狂っていた。
「次の一撃が最後です。これで、少しでもあなたが解放されるなら…」
グランツェル家の事情など、知る由も無い。しかしエマに関しては、同情してしまう部分もあると、フランは思っていた。
血筋でもないのに、一族の運命に巻き込まれ、最終的には闇に狂わされていく。
逆にフランは、エマの本来の姿を取り戻したいと、そう思いつつあった。
言葉で伝わらないのであれば、その身に刻み込む。まだ、彼女に〝光〟を届けられるのであれば…。
「この刀剣に宿りし聖なる光は、深淵に散りゆく常闇をも打ち砕く…」
それは正しく、慈悲の光。魔を、闇を滅し、希望を与える――そんな一筋の光。
あの日、フランの目に映った人物と同じだ。
絶望を味わい、雲の上から地上に落下していく。そんな中、脳裏に声が届いた。
――もう、大丈夫だよ。
柔らかく、聞き心地の良い声。暗黒に蝕まれた〝天空都市〟が、彼女の光により、輝きを取り戻した。
神々しく煌めくその姿を、フランは今でも鮮明に思い出せる。
あの瞬間、心の底から救われた者がいた。フランと、そして………。
(私も、貴方のような…誰かを救う光になれるように……)
それが、剣を振るう理由。誰かにとっての光になりたいと願う、フランの思いだ。
心の中で聖なる魔力を込め、エマに特攻する。
「面白いわ~!その光で、何をしようというのかしら!」
「あなたの中に満ちた闇を断ち切ります!」
「あらあら~、それは…良くないわね……」
目を大きく見開き、重々しい声で言葉を放つ。だが、そんな憎悪に満ちたエマの表情など、フランには見えていない。
ただ一点、相手の弱点に狙いを定め、光剣を下から振り上げる。刀身を囲う三つの光輪が、煌びやかに弧を描き、振り下ろされたエマの剣とぶつかった。
先程同様、エマは刀身へ魔力を流し、両者の間に旋風を巻き起こす。しかし抵抗も虚しく、風はフランの生み出した光に呑まれ、魔力として吸収されていった。
拮抗状態など、数秒にも満たなかっただろう。フランの勢いは、エマの想像を軽く超越し、圧倒的な力を見せた。
「光剣…〝天照〟!!」
力が抜け、意識が遠のいていく。重さが取り柄の刀剣ごと、身体を斬りつけられ、ようやくエマから笑顔が消えた。
(嘘…ここまでなの?フランディア……サベール……)
今持てる力を最大限に発揮し、フランは迷いなく剣を振り抜く。地下施設に溢れた闇を浄化していくような――そんな一撃が、彼女から放たれた。
無言で地に伏せるエマ。剣は折れ、回廊に転がる。勝敗を告げる金属音が、この場に反響した。
「ハァ、ハァ……終わったん、ですかね…。私、勝てたんですか?勇者パーティの内の一人に……」
ぴくりとも動かないエマをぼやけた視界に入れ、大きく安堵し、声を漏らす。我に返れば、この結果に一番驚いているのは、フラン自身であった。
眼鏡をかけ直し、メイド服に付いた埃を払う。
「アリアさんに教わった剣術が、役に立ったみたいですね。後で、お礼を言わないとです」
そう言って、フランは口元を綻ばせる。
この戦いによって、彼女はまた一つ、自分を知ることとなった。
メイドという役職の中では、物珍しいまでの戦いぶり。その強さ、そしてメイドとして生きている理由――それらが明らかになるのは、当分先のお話である。
(今、空の上がどうなっているのか分かりません。もう少しだけ、待っていてください。必ず、会いに行きますから、ディア……)




