第68話 転生者の秘策
火がつけられた建物は、無情にも崩れ落ち、街の人たちを危険にさらす。想定以上に火の回りが早く、私が中に入る頃には、既に逃げ惑う人々で溢れ返っていた。
キロが放った炎は、闇の魔法を纏った黒炎。綿密に魔力回路が組み込まれた厄介なもので、並みの魔法では打ち消すことが出来ない。
魔界でもあまり見ない魔法系統で、私も使えはするんだろうけど、乗り気はせず、前世で試すことはなかった。
自身が生み出した闇に飲まれる。そんな奴らをごまんと見てきたからだ。
「クッ…!!急に何が起きたんだ!?」
「どこから発火したの!?」
教会や市場、宿などが集約した街の中心部で、いきなり巨大な炎が巻き起こったのだから、周囲の者は軽くパニック状態に陥る。
炎が、まるで生き物のように…。たった一回の魔法で、ここまでの厄災を生み出せるっての?
火が付いたら最後、とでも宣言されているかのような災いに、焦りが募る。
先ずは犠牲者を出さないように、避難誘導。終わり次第、すぐ消火に入らなければ、火の粉が息つく暇もなく、また次の建物へと移ってしまう。
こうなることが分かった上で、アイツ…。どれだけ私を憤慨させれば気が済むのだろうか。
「アリアちゃん!!」
街の冒険者と共に避難を促していた私は、不意に声を掛けられる。役場で馬車を預けるための手続きをお願いしていたカナさんが、異常事態に駆けつけてくれた。
「カナさん!」
「これ、何があったの!?私に、出来ることはある?」
「話すと長くなるんですけど、とりあえず、避難誘導をお願いします!」
「分かったわ!」
炎に素早く気づけたおかげで、最初に燃やされた建物からの被害者は0人。燃え広がったとはいえ、今から黒炎を打ち消せれば、大きな損害は免れるだろう。
「なんだ、この炎!」
「全然消えねぇぞ!!」
魔法が使える衛兵やら冒険者やらが、水属性魔法で炎に対抗するも、全く消える気配を見せない。寧ろ火に油を注いでいるようで、益々激しさを増している。
「どうしよう、アリアちゃん…」
「……」
前世の私だったら、こんなもの息を吹きかければ、すぐに消し飛ばせただろう。世界ランクが低い今の私には、そんな〝概念破壊〟なんて不可能だし、どんな魔法にも対抗できるよう、思考を張り巡らせて『魔懐魔法』を生成する他、強者と渡り合っていく術はない。
まあ、それが出来るのも私だけだけど…。
ただ、今の自分にしか出来ないこともある。
「炎が、形を変えて…!」
命を吹き込まれたように暴れ狂う黒炎は、中心に集まり、巨大化を始めた。
勇者はここまで計算して魔法を放ったのだろうか。とうとう炎自体が意思を持っているかのように動き出し、己を竜の姿へと昇華させる。
理屈は皆無だ。が、そんなものは今に始まったことじゃない。
燃え盛る〝黒炎竜〟は、崩れた建物に覆い被さるように地へと伏せる。伏せる…と言っても、それだけで最悪火傷を負ってしまう程の強烈な熱風が押し寄せてきた。
姿かたちが歪すぎて、竜そのものの動きはまるでなってない。それが逆に、いっそう被害を拡大させていく。
さてと…なら、こっちも常識破りの技を使わせてもらうよ。
そう息巻き、黒炎竜の正面に立った私は、大きく深呼吸をする。
「すぅ…はぁ……」
この世において、〝転生者〟というのは、あらゆる面において有利に働く。その内の一つが、『復元』だ。
死によって個体から離れた魂が、天に召されることなく、再び生を司る新たな肉体へと宿ることを転生という。そして新たな肉体は、その者の前世の情報が詰まった魂を宿せるだけの容量を持ち、この世界の何処かに顕現するのが定石だ。
魔王アリエの記憶や知識などの、多大な情報が含まれた魂を引き継げる程の容量を持った肉体。それが私の場合、この人間の姿ということになる。
あの膨大な世界一の『人生の容量』を引き継いだ肉体が、真人間であったことは奇跡に近い。普通私みたいなのは、産まれた直後から強靭な肉体を持つ魔族に生まれ変わるものなのだから。
そういった理由で、転生者というのはこの世界でかなり優遇視されている。
しかし魔法や固有能力の場合、データを引き継ぐだけでは十分に発揮することが出来ない。そこでカギとなってくるのが、『復元』である。
転生したとはいっても、そう易々と前世の力を使いこなすことなど出来ない。当然、それには時間と労力が必要不可欠だ。
新規の肉体が、任意の魔法に見合った個体レベルや精神力へと到達した時、『復元』が可能になる。私の〝コンバート〟や〝冥獄の雷撃〟は、全てデータの入った魂からロードしたものだ。
シャトラからの通信も、データに含まれていた〝思念網〟が既にロード可能であったため、受け取ることが出来た。
ただ、なぜか私は成長速度が明らかに群を抜いている。特に何をしたわけでもないし、レベルもランクも低いのにも拘らず、強者と渡り合える理由が全くもって理解し難い。
故に、ロードが可能になる基準は、殆ど感覚頼りなところはある。まあ、精神的な部分が多くを占めているだろうなとは思うけど(恐怖を感じないところなど)。
「カナさん、ちょっと下がってて」
「え?な、何するつもり…?アリアちゃん」
「あれ、消し飛ばすから」
ニコッと笑顔を向け、私は魔力をある一点へと凝縮させる。
心臓ではない。生命において更に重要な、目には見えず、前世の記録が保存された場所―〝魂〟だ。
私は片一方の手を胸の前に置き、ロードを開始した。
「精魂の記憶…」
魂から膨大な魔法データを引き出すため、魔力を最大限に込める。
この力は、前世でたった一度だけ使い、危うく魔界全体を滅ぼしそうになった異能だ。ずっと封印し続けていたけど、今の私のレベルなら、魔力が暴走することなく使える筈。
変化していく私の姿に、カナさんは驚愕の眼差しを向けた。
あの非道な勇者を止めるため、最強の秘策を解放する。
「ロード……〝アルテミス〟!!」
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予想だにしない遭遇、そして脅し。どう転んでも、勇者の拠点に来てしまった以上、避けては通れない試練である。
どれだけ警戒していようと、事が上手く運ぶケースは稀。不測の事態が生まれる可能性は、いつだって秘めているものだ。
「ふにゃ~、あれ…?アリアちゃんは?それに、ルナちゃんも…」
大きな欠伸をしながら、馬車へと戻ってきたモナ。真っ先に買い出しを終えた二人がいないことに、首を傾げる。
荷台の中を覗くと、誰かが着替えたであろう形跡が残っていた。
「二人とも、着替えてどこかに行っちゃった…とかかなぁ」
買い物袋を置き、辺りをキョロキョロと見回すモナは、すぐ傍から聞き覚えのある声が耳に入り、硬直する。
「あらあらあら~」
一瞬にして、背筋が寒くなった。わざとらしく発される相槌の声が、モナに嘗ての記憶を呼び起こさせる。
鳥肌を禁じ得ない。一見優しそうに思える柔らかな口調が、狂気にしか思えなかった。
「可愛い獣人の子、み~つけたっ………」
裂けたような口元をひけらかしながら、ニタッと笑う年増の女。心臓をきゅっと掴まれるようなその言動・態度を、モナは知っている。
(まさか、なん…で?)
恐る恐る振り返ると、やはりそこには見知った女が、上辺を取り繕った笑みを浮かべ、堂々と佇んでいた。
今のモナにとって、最大の天敵。蒼褪めながらも、今になっては過去の苦痛を呼び起こす存在にしか認められない勇者の伴侶を視認する。
どういう偶然か、一人でいたモナの元へ、勇者パーティの一人である母親のエマが姿を現した。
「どう、して…」
「あらあら~、そんなに怯えた顔しちゃって。どうしたのかしら…?ふふっ」
糸目を薄っすらと開け、重々しく言い放つエマ・グランツェル。身長が高いのに加え、滅多に見せない眼光は、子供に並々ならぬ圧力を与えてくる。
初めて見るエマの瞳に、モナはゾクッと身を震わせた。
異様な恐怖感。闇の勇者と血の繋がりは一切ない筈だが、なぜか不快なオーラを感じてしまう。
「久しぶりね~、モナ。元気そうで、何よりだわ~」
「……」
「今までどこで何をしてたの?お母さん、心配してたんだから~」
「お母さんじゃ、ない…」
「どうして?前はあんなにお母さん、お母さん~って呼んでくれてたのに~」
仲良く行動していた二年前、エマはモナのことを自分の子供のように接していた。
その時は、完全に騙され、心を許していたモナ。気恥ずかしながらも、グランツェル家の子供たちに影響されて、エマを「お母さん」として見ていた。
獣人の里で起こった事件が、まだ記憶に新しかった彼女は、自分が家族のように扱われることに、当時は嬉しく思っていたのだ。
そんな人が、今や悪魔に見えてしまう。心臓の鼓動が早くなるのを感じながらも、モナは勇気を振り絞って宣言した。
「モナは…モナは、もう騙されたりしない!あの時は、勇者を信じたモナが馬鹿だった…。戦う準備は出来てるよ。今のモナは、一人じゃないから…お前なんか、全然怖くない!!」
「あら…悲しいこと言ってくれるわね~。私たちがモナに何をしたの~?何かしたのなら、その〝証拠〟を見せてもらわないとね~」
「くっ…!」
「さて、モナ…。懐かしい家族が待ってるわよ。マオは今いないけど、必ず連れ戻すわ。また、みんなで一緒に遊びましょう~」
そんなエマの言動に対し、目に毒でもいれられているかのような不快さを感じてしまうモナ。そっと手を伸ばされるも、体が思うように動かず、抵抗できない。
まだ少しばかり心に余裕がないのだろう。過去のトラウマが、体を強く縛り付けている。
(どうしよう……)
冷や汗が頬を伝う。何も出来ない自分の状態に悔やみ、モナが目を閉じた瞬間、
「ちょっと、離れてもらってもいいですか?おばさん…」
両者の間に、一本の剣が割って入った。殺意を包み隠すことのないその形相に、エマは一瞬だけ、動じた様子を見せる。
「あらあらあら~、初対面の相手におばさんだなんて、失礼な子…」
「怯えた女の子を誘拐しようとする方が、もっと失礼で野蛮だと思いますがね。私の友達に、何か用ですか?」
モナを庇うように前へ踏み出た女の子は、剣を構え、眼鏡を通してエマを睨んだ。ピンチに駆けつけてくれたメイドを見やり、モナは安堵の表情を浮かべる。
「フランちゃん…!」
「大丈夫ですか?モナさん。すみません、ちょっと遅れました」
颯爽と現れたフランに対し、糸目に戻したエマは、子供を宥めるように語り掛けた。
「あらあら…いつの間に、お友達が出来たのね~、モナ。でも、ここは家族を優先してもらいたいわ~」
「よく言いますね。これ以上モナさんに近づいたら、その首…掻っ切ってあげますよ」
「そう…残念だわ~。こんな失礼な子に、モナが心を許しているなんて」
優しさを演じるのに疲れたのか、語気を強めるエマ。ついに殺意を露わにし始めた勇者パーティの一角に、フランは動じることなく、剣を握る拳に力を入れる。
「あなたたちは今日、ここで打ち倒されるんですよ…。勇者もどき共!」




