第60話 精霊たちと美しき世界
「うぅ…」
一瞬の浮遊を経て、思いっきり地面へ叩き落とされた。
その1、2秒の間、体制を崩しながらも咄嗟に魔力を放出し、〝魔力防御〟を展開。全員に付与させたから、落下の衝撃は緩和させられたと思う。
未だに脳内が混乱状態の中、ゆっくりと開いた私の目に、眩い光が入り込んできた。先程の濃霧が嘘であったかのように、夜であるにも拘らず、私の目に周囲の景色が鮮明に映しだされる。
ここは、どこ…??
宙へ放り出されている間に、別世界へ飛ばされたのだろうか。
森の騒めきも消え去り、耳に入ってくるのは些細な物音だけ。微かに鼻孔を擽るは、蜜が混じった花の香り。森とは全く異なる独特な自然環境を、私の五感が真っ先に捉えた。
「うわぁ……!」
むくっと起き上がり、晴れ行く霧の中で目にした光景が、私を幻想的な世界へと誘う。そのあまりの美しさに、瞬きすることも忘れてしまった。
一言で言うならば、そこは〝森と一体化した華やかな街並み〟。夜の時間帯も相まって、喩えるならばイルミネーションを纏ったような巨大樹が、視界いっぱいに広がっている。
巨大樹から枝分かれした樹枝には、ぶら下がるように作られた数々の住まい。煌びやかな果実の如く、無数に光り輝いていて、とても鮮やかだ。
地面からポクポク…と浮き出ては空へ昇る、透明な〝自然魔力〟。色とりどりの草花が咲き誇り、汚れの無い澄み切った川で水浴びをする温厚な動物たち。それら目に映る環境の全てが、夢を見ているかのような〝夢幻〟の世界を天然に形作っている。
どれだけ進んでも、同じような景色が続いていた深い森。それも皆、この神聖な光景を包み隠すためのものだったのだろうか。
自然と織りなす妖精が、人知れず生活している荘厳な生活様式。人間である私たちが場違いな存在だと考えてしまうくらい、ファンタジーな光景がそこにはあった。
先程まで走り抜けていたのは、どこにでもあるような只の森。エルフの森…本来そう呼ばれるべき空間は、ここに存在したのだ。
「綺麗!!」
「お~!!」
「なんて美しい景色なんでしょう…!」
「もしかして、ここが…!?」
幸い、みんなも無事だったようで、目の前の景色に感動している。
あの霧の中、ここへ辿り着けたのは奇跡だったのかもしれない。直前に襲われていたことなど、頭の中から既になくなっていた。
そんな私たちの耳に、見知らぬ声が届いてくる。
《こいつら、とうとうここまで来やがったのです》
《どうする?どうする?》
《仕方ない。この先へは行かせちゃいけないんだから…》
誰…??
側に、私たち以外の者はいない。頭の中に語り掛けてくるような感覚がしたから、恐らく何者かが思念を飛ばしているのだろう。
《ここまで運に味方されてる奴らは、初めてでやがります》
丁寧なのかぞんざいなのか分からない言葉遣いが再び聞こえてきたと思ったら、目の前に謎の人物が4、5人ほど姿を現した。
人物と言っても、人間ではなく手のひらサイズの小人。背中に蝶のような羽を生やして、ぷかぷかと浮遊している。
こちらを見下すように凝視するつぶらな瞳。それぞれ違った色のトンガリ帽子と装束を身に纏っていること以外は、見分けがつかない程そっくりだ。
「えっと…どちら様?」
恐る恐る尋ねると、赤い帽子を被った小人たちのリーダー格が、先ほどと同様に独特な喋り方で答える。
《名も無き小市民め。ウチらはこのエルフの森を守る〝精霊〟でやがります》
「あー、あなたたちが…」
なぜ名前がないと決めつけられたのか疑問だけど、敢えてそこには触れずに薄い反応で返す。まあ、何となく予想付いてたし…。
《なんでやがりますか、その腑抜けた反応は。普通あんな目に遭えば、ウチらに恐怖を覚えるのが普通でやがりますのに…》
ふむ、森で起こっていた怪奇現象は、全てこの子たちの仕業だったと…。なんだか今までの悲劇が、全部可愛く思えてきてしまうなぁ。
そう考えているのは私だけではなかったようで、
「うーん…でも、ちょっと楽しかったかもしれないわ」
「ああいった感じのアトラクションが、〝ネオミリム〟には沢山あるそうですよ」
「うわ~、行ってみた~い!」
「ショボかったのだ」
みんながみんな、意図せずに辛辣な発言を精霊にぶつける。
たしかに振り返ってみれば、あの攻防の中、誰一人として怖がっている者はいなかった。私に抱きついて、楽しそうにキャーキャー言ってた記憶しかない。随分肝が据わった子たちだ。
そんな私たちに、精霊は怒りマークを帽子につけ、地団太を踏むように怒りだす。
《な!?何でやがりますかお前たちは~~!!!ムカつくムカつく~~!!》
《こいつら、相当手練れた人間だよ…》
《いつもの人間なら、霧が発生した時点で怖がって立ち去るのに~!というか、あの状況でここまで辿り着けるもんなの??》
それに関しては私たちも謎だ。放り投げられたら、なぜかエルフの森が目の前に現れたのだから。
あの怪奇現象が人間を追い返すための魔法だったわけだけど、怖がらせるためだけのものだから、直接私たちを傷つけることはなかったのか。超優しいじゃん、精霊。
と思ったのも束の間、精霊たちは最後の足掻きとして大胆な魔法を使い始める。
《と・に・か・く!お前たちを、エルフの森に入れる訳にはいかないのでやがります!これが最後の警告…大人しく引き返すのでやがります!!》
精霊たちの背後に、魔法で形作られた無数の矢が出現。鋭い矢先に、高密度の属性魔法が仕込まれている。
いよいよ本気になってきた模様。まあ、これもまだ可愛げがある方だけど。
どうしたもんかと考えていると、一匹の精霊が前に出てきて、私たちに背を向ける。
《ちょ、ちょっと待ってみんな!こ、この人たちは悪い人間じゃないよ!》
真っ白な帽子を被った内気な精霊。私たちを庇うようにして、他の精霊たちの前に立ち塞がった。
《何の真似でやがりますか、【シロ】!ウチらがどれだけの事を人間にされてきたか、お前も知ってる筈でやがります!》
《それは…知ってるよ。でも、この人たちは違う…》
《うるさい!!どけ!!》
シロと呼ばれた子が言い終わらないうちに、他の精霊が強く体当たりする。弱弱しく唸りながら、シロはユィリスの足元へ転がり落ちた。
「お前、大丈夫か?」
ユィリスはシロを優しく抱え、声を掛ける。この時点で、何人かの精霊は私たちに対する強気な態度を改めかけていた。
「私たちに、敵対の意思はないよ。ただ、ここを通らせてくれるだけでいいの」
「大切な人を助けるために、この先の領地へ用があるだけなのだ!」
《黙れでやがります!人間め!!》
強く明言されてカチンときたのか、精霊が一本の矢をユィリスへ放つ。急所を狙っている訳ではないが、それは確実に身体を掠めにきていた。
――ビュッ……!!
矢が掠め、血痕をつけたまま地に突き刺さる。
その場で目を見開く、私以外の者たち。ツーっと頬を伝う生血を、数百年ぶりに温かく感じた。
「あ、りあ……」
矢に当たるのを覚悟していたユィリスは、自ら喰らいにいった私の行動に仰天する。
らしくないと、みんな思っただろう。あの程度の矢なんて、私なら軽々しく防げると思っていたのだから。
私は口を開き、精霊たちに向かって豪語する。
「死んでも、精霊やエルフに危害を加えないと約束するよ。攻撃を喰らうことで信じてもらえるなら、いくらでも受ける。でも、打つのは私だけにして。みんなを傷つけることだけは、絶対にさせない!」
出来るだけ穏便に解決するなら、誠意を見せるのが一番だ。
向こうだって、あくまで私たちを追い返すことが目的なのだから、物騒なことは避けたい筈。こちらが仕掛けない限り、少なくとも誤解を生むことはないだろう。
「アリア…お前、血が……!」
いつになく過剰に心配するユィリスの方へ振り返り、無言で笑いかける。
この体は頑丈だ。矢を掠めるくらい、痛くも痒くも感じないだろう。
《こ、怖くないでやがりますか…。おかしな人間でやがりますね》
無数の矢を向けられても動じず、一切の恐怖を感じていない私に、精霊は尻込みする。
「怖いなんて、思わないよ。だって…怖がってちゃ、仲良くなれないでしょ?」
《……!!?》
好奇な視線が、精霊たちから降り注がれる。矢を当ててきた自分たちと仲良くなりたいなんて、変な奴だ…そんなとこだろう。
すると次の瞬間、
「「「こらぁ~~!!あなたたち~~!!!」」」
精霊たちの後ろから、一人の女の子が爆速でこちらに走ってくる。
その表情は、まさに般若の面。誰に対してかは存じ上げないけど、かなり怒っていることは伝わってきた。
地面を滑り、私の前へ躍り出た女の子は、真っ先に精霊たちへ叱責する。
「何をやってるの!!大切な客人に向かって!」
客人…??
盛大なお叱りを受け、精霊の魔法は一瞬で消え去った。
《きゃ、客人…で、やがりますか…??説明してくれでやがります、【ティセル】…》
ビクビクしながら精霊が尋ねると、濃い目の緑髪を持つ女の子―ティセルは、溜め息をつきながら答える。
「あのね…。人間だからって、誰彼構わず襲うのは止めなさいって言わなかった?怪我までさせて、どうお詫びしたらいいのよ。全く…お取引様の顔くらい、ちゃんと覚えておきなさい!」
「ええっと…?」
精霊を止めてくれたのは助かったけど、まるで話が見えてこない。今日私たちがここへ来たのは初めてだし、誰かと勘違いしてるのだろうか。
そう思い、私たちがキョトンとしていると、今の今まで吹っ飛ばされた馬のケアをしていたカナさんが、ティセルの方へ歩み寄る。
「あ~、ティセルちゃん!今日は連絡なしに来てごめんね~。しかも夜に」
「えっ!??」
「いやいや、こっちこそ!!ウチの精霊がすみません!!」
ぬるっと会話を始める二人。ポカンとする私たちを他所に、世間話を始める。
まさか、お取引様って…。
「あ、あの…カナさん。知り合いなんですか?」
「そうなの。エルフの森は、私たちの商隊の〝お得意様〟でね~。いつも、仕入れた物を沢山買い取ってくれるから、助かってるの。あれ?言ってなかったっけ…」
「いや、言ってませんよ!」
「あはは…ごめんごめん」
まさかの展開に、一同仰天。カナさんとエルフに繋がりがあったとは…。
道理で、ここまでの道のりに詳しいわけだ。馬も普段通ってる道だからこそ、霧の中でも慣れたように駆け回れたのだろう。流石に、精霊の悪戯は予想できなかったみたいだけど。
そして、ティセルはようやく私たちの方へ体を向けた。
「精霊たちが、ほんっとうにごめんなさい!根は悪い子たちじゃないから、許してあげて」
「う、うん。それは、全然大丈夫だよ」
同い年くらいかな?というか、めちゃくちゃ可愛い…。
見た目的にも、すぐに予想がついた。この子が、エルフであると。
「自己紹介が遅れたわね。私はティセル。エルフの森の、しがない〝王女〟よ」




