第56話 ユィリス・ノワール
「あんな奴ら、姉ちゃんの相手じゃないのだ」
木陰から、こっそり様子を伺うユィリスは、姉の勝利を確信する。なんせ、相手は如何にも弱そうな研究員と複数の歪なガラクタなのだから。
「ククク…安心しろ、殺しはしないさ。大人しく、千里眼を渡してくれればいい」
魔力を反応させ、ファモスは機械兵を動かし、アィリスに突進させる。
四方から繰り出される只のパンチに対し、アィリスは頃合いを見て飛び上がり、機械兵同士を衝突させた。そのまま標準をファモスに合わせ、矢を放つ。
「おっと、危ない危ない」
多少の身体能力はあるようで、変なステップを踏み、矢を避けてくる。下にいる機械兵を踏みつけ、地面へ着地したアィリスは、千里眼を用いて相手を睨みつけた。
その時、彼女は妙なものを目にする。
(あれは何…?)
敵の弱点をも感知できるアィリスの千里眼は、まるで透視するようにファモスの心臓を捉えた。筈だったが、そこには心臓ではない何か球体状の部品が埋め込まれている。
微量な電流を放つ、通常の人間の体には無い構造をした内臓に、アィリスはゾッとした。
「あなた、一体何者?」
唯ならぬ形相を見せるアィリスの反応を察してか、ファモスは律儀に答える。
「ああ、千里眼で私の中を見たのだな。ククク、特別に教えてやろう。この体は、ある薬を投与し続けた結果、鋼の肉体に変質したのさ。まだ、進化の最中だがな」
アィリスには、今ハッキリと確認できた。ファモスの瞳の奥が、一瞬だけギラリと光を放ったことを…。
(鋼って…鍛えた結果の比喩じゃなく、本当に鋼になったつもりなの?)
自分自身をも被験者として改造している…とでも言うのだろうか。
悍ましいまでの研究に対する執着心。いや、ファモスがやっていることは研究ではない。生産性のない〝動物実験〟だ。
「研究のためならば、どんな犠牲も厭わない。そう、今お前の側にいるロボットのようにな」
「……!?」
再び殴りかかってくる機械兵。単調な直線的攻撃に呆れながら避けようとすると、そいつは脇目も振らずに自爆した。
いや、正確には爆破するよう仕向けられたのだろう。規模は小さいものの、防御力の無い人間を傷つけるには十分なものだった。
爆破に巻き込まれ、左腕に少し火傷の跡を負ったアィリスを眺めながら、ファモスは舌を出す。
「と言っても、これは研究ではなく、単なる戦闘実験だがね」
「姉ちゃん!!」
「大丈夫よ。少し油断しただけだから…」
つまり、ここにいる機械兵共は、いつ起爆してもおかしくない捨て駒。火傷痕を抑えながら、アィリスはむくっと立ち上がる。
「ククク…爆破の範囲はたかが知れてるがねぇ、複数いるだけで狂気になり得るのさ」
「姉ちゃん!避けろ!!」
次々と襲い掛かっては、爆破を繰り返す敵兵。遠距離攻撃が主流のアィリスは、肉弾戦や近接戦に弱く、避けたとしても、爆風により身体が抉られてしまう。
「姉ちゃん…。グッ、もう見てられないのだ!私だって――」
「ユィリス、来ちゃダメェェ!!」
姉のやられ姿に居ても立っても居られず、飛び出してきてしまうユィリス。その様子を見て、ファモスは狂気の笑みを晒す。
「もう遅い」
端から計算に入れていたのだろうか。森の中で温存させていた機械兵が、ユィリスに向かって突進を開始する。
全身が火傷で痛む中、アィリスは妹の元へ走り出した。
爆破の前兆。ピカッ!と敵兵が光り出す。だが、即座に気づけたおかげで、真っ先にユィリスのカバーに入れた。
(爆発くらい耐えてやる!妹が無事ならそれで!)
巻き込まないよう両手を広げ、立ち塞がるアィリス。複数の兵器が一斉に爆発してしまうと思っていた二人は、途端に面食らうことになる。
「誰が、爆発するなどと言った?」
「うっ…!!」
発光しだしていた機械兵が、そのまま光源となり、姉妹の目をくらます。そんなことも出来たのかと悔やむ余裕もなく、アィリスの視界は奪われてしまった。
「ククク…!!貰うぞ、お前の力!!」
既に前方へ駆け出していたファモスは、目を塞ぐようにして、アィリスの顔をわし掴んでくる。眼球に何かしらの異質な魔力が注ぎ込まれ、アィリスの思考が瞬間的に停止した。
「〝錬魔術〟…」
消滅していく、眩い筈であった光。目を閉じていても、ハッキリと視界に飛び込んできていたのが、途端に暗黒へ染まり始めた。
(あれ…?目の前が真っ暗…)
未だに目くらましで、視界が明確ではないのだろう。だがそんな考えは、どこを見ても、何度目を擦っても、キョロキョロと辺りを見回しても、自分が一切変わることのない真っ暗闇に取り残されてしまったことを悟り、絶望に叩き潰された。
「姉ちゃん、大丈夫か!?何か、されてない……か」
姉を心配し、すぐに駆け寄ったユィリスは、変わり果てた憧れの姿に言葉を失う。
見開いた瞳孔には、嘗ての金色に輝く光沢は見る影もなく、色も中身も存在しない空っぽの眼球がそこにはあった。
「ユィリス…どうしよう……。何も、見えないよ…」
当たり前のように見えていた景色が全てシャットアウトされ、絶望に打ちひしがれるアィリスは、焦りながらも手探りでユィリスへ手を伸ばす。
「見えないって…え?視界がぼやけてるのか?」
「違うの…本当に、何も見えないの…。全部、真っ暗で…」
「なんで…」
落ち着かせるように、姉の手を握り締めるユィリスの視線は、自然と外道な女へと向けられる。そいつは、手のひらでふわりと浮かせた二つの魔力玉を優雅に眺めていた。
誰よりも傍で見てきたからこそ、ユィリスはすぐに理解する。その金色に輝く魔力が、姉の生命線と言っても過言ではない千里眼の核であることを。
「おや?完全に目が見えなくなったか…。ふむ、それは想定外だ。面白い」
「お前…!!」
「ん?」
怒りに震えるユィリスに対し、なぜそんな顔をするのかと、わざとらしくキョトンとするファモス。何が恐ろしいかと言うと、その仕草が意図的なものではないことだ。
感情を研究の熱意に全振りしたファモスの中に、人と同じ情など存在しない。今この場において、ユィリスがなぜ怒りを覚えているのか、まるで理解していないのだ。
「姉ちゃんの千里眼を返せ~~~!!」
子供ながらに、ユィリスは勢いよくファモスに掴みかかる。
「うるさいガキだ。なぜ怒る?これを私に提供することで、救われる命があるかもしれないのだぞ?」
「黙れ!!返せ!!返せ!!」
「ハァ、あまり邪魔をしないでもらいたい」
「うっ!!?」
裏拳で殴り飛ばされるユィリス。魔力を一切纏わせていないその拳は、普通の人間とは思えない強度と硬さを誇る。殴られた時の感触は、人間のものとは程遠く、言わば冷たい機械のようだった。
「うぅ、姉ちゃん……」
「サンプル提供ご苦労。朗報を待っていてくれたまえ」
目の前が真っ暗になり、地に崩れ落ちる姉。そして、自身の無力さを悔やみ、涙を流す妹。
その場から立ち去るファモスを追いかける気力など、両者の中には無かった。
意気揚々と、ただ二人で幸せな日々を送っていただけなのに…。
――崩れ落ちるのは、一瞬だ。
理解できなかった。あの女の思考も現実も。
どう考えても、自分の姉がこんな目に遭うなんておかし過ぎる。
不幸だった。不慮の事故だ。と、只々思うしかなかった。
「姉ちゃん、大丈夫か…?」
「うん」
目が見えなくなったアィリスは、なるべく心配をかけさせまいと、ユィリスの前では笑顔に振舞った。
無理して笑いかけてくれていると分かっていたユィリスは、姉に応えるように出来るだけ明るく接する。だが同時に、奪い取られた千里眼を取り戻そうと、彼女の中に大きな闘争心が芽生え始めた。
日中、最低限の行動しか取れない姉のサポートをしながら、お金を稼ぐために冒険者として戦う。
このままじゃ終われない。今まで支えてくれていた分、今度は自分が姉を助ける番なのだと。
「姉ちゃん。私、姉ちゃんよりもずっと強くなって、いつかあの女から千里眼を奪い返す。だから、もう少し待っててくれなのだ。絶対、もう一度姉ちゃんに、この世界の景色を見せてやるからな…」
「ユィリス…。もう、いつからそんなに頼もしくなったのかしら。少し魔力も上がったんじゃない?分かるのよ…。目が見えなくなった分、他の感覚が過敏になってるのかも」
「そうか?ふふん!姉ちゃんは私の憧れだからな!将来は、姉ちゃんのような…ええっと、ほーよーりょく?になるんだぞ!」
「包容力がある人になる、でしょ?ふふっ」
「えへへ…」
目は見えない。でも、触れることが出来る。感じることが出来る。
辛いのは当然だ。それを感じさせない姉に抱きしめられながら、ユィリスは気づかれないように涙を流した。一人になったところで、いつも静かに涙を零す姉の姿を見ているから…。
(いつまでも、メソメソしてられないのだ)
この頃から、ユィリスの精神力は大幅に強くなり始めた。
自由奔放な性格は変わらないものの、人の心がどれだけ脆く儚いものか、誰かを思い遣る気持ちを常に持ち続け、己を高めていく。この世で辛いのは、自分たちだけではない。もっと、大変な思いをしている人たちがいるのだと。
「大丈夫、大丈夫だからな、ルナ…」
「うっ、うっ……ユィリス…私、私ね…親に、会いたいの!!」
「ん、全部吐き出すのだ。私が、聞いててやる…」
だからこそ、親の亡くしたルナの気持ちに真摯に向き合った。
程度は違えど、何か自分の中で大切な物を失くした時に感じる悲しみは、少なからず理解できるから…。
この世界は、ランク付けがあるくらいだ。強ければ強い程、物事を意のままに操れる。
そこには当然、無差別に何かを壊したり、命を奪ったりすることも、選択肢として入ってくるだろう。
皮肉なことだが、それを抑制できるのもまた力。気持ちだけじゃ、当たり前に守れるものも守れやしない。理不尽に親を殺されたルナを見て、そうユィリスは思った。
あまりにも、子供の考えとはかけ離れた大人な思想。そこに、彼女の気持ちの強さ、その根本的な理由が詰まっている。
(姉ちゃん、今の私なら…)
過剰に強さを求め、一人で生きる術を会得し、魔法も鍛え上げた。
七大悪魔を倒したというアリアへ真っ先に突っかかったのも、自分の力を試すため。それとは別に、どれだけ強かろうと、その力を悪用しないような人間に出会いたかったのだろうと、後になってユィリスは気づく。
「七大悪魔を倒した人間がいるって聞いて、どんな奴かと身構えてたが、思った以上に人間味に溢れてて安心したぞ」
そう感じた時から、既に運命は動き出していたのかもしれない。
期待せざるを得なかった。誰であろうと、困っている者を助けようとする優しさも強さも何もかもが逸脱している、『アリア』という一人の少女に…。




