第53話 何倍もの幸せ
「ちょっと、モナ…?何をしているの?早く、早くこっちにいらっしゃい!ね?」
モナの母親は、血走った目で娘に手を差し伸べようとする。
しかしモナは、私から離れることはない。ぎゅっと目を瞑り、完全に身を委ねている。
「どうして…こっちを見ないの?モナ!そ、そうか…その女に誑かされたのね!!ああ、可哀想なモナ…お母さん以外の女が娘に触れるなんて、許さない…。そんな下衆女、お母さんが潰してあげるわ!」
どうしようもない言い分に我慢ならず、母親を睨むユィリス。それはシャトラも同じで、
「下衆だと…?貴様、誰に向かって――」
と威嚇しようとしたところを、私は止める。
「いいよ、シャトラ…」
こんな人でも、モナの母親には変わりない。娘を預かるのだから、相応の態度を取らないと。
そう思い、私は丁寧に諭す。
「神霊族の暴走が、里に多大な影響を与えたことについては知っています。だけど…神霊族でなくたって、誰でも物心ついたばかりの子は、心が繊細だし、物事の良し悪しを判断するのが難しい。だから、あの時のモナは、感情でしか自分の気持ちを表現できなかった…そう思うんです。皆さんも分かってたんじゃないんですか?モナの、家庭環境の事を…」
「……」
獣人たちは、全員揃って下を向き、気まずそうに黙りこくる。その態度こそ、如何に彼らがモナの事を気に掛けてこなかったかの表れだった。
モナやミーニャから話を聞いてるだけの私は、断片的で客観的な目線でしかものを言えないけど、考えれば分かるはずなんだ。あんな場所に置いておけば、いずれモナの感情が爆発して、大変な目に遭うことくらい…。
それを見て見ぬふりして、いざ里が壊滅されそうになれば、寄ってたかってたった一人の子供を傷つけて。
たしかに、ミーニャが見た謎の男…全てはそいつのせいなのかもしれない。でも、モナをあそこまで追い込むような場を設けたのは、間違いなく周囲にいた人たちだろう。
全員が悪い訳じゃないのも、決めつけるのは良くないのも分かってる。けど、黒幕がいようがいまいが、結果は同じだったのではないかと、勝手ながら思ってしまった…。
――ここに、モナの居場所はない。
だから、私はハッキリと言葉にする。
「今日、モナがここへ来たのは、誰であろうと放ってはおけない彼女の優しさがあったから…。誰にも自分の気持ちを分かってもらえず、酷い言葉を浴びせられて、最後には何の躊躇もなく追い出されたのにですよ…。そんな子に、まだ辛い思いをさせる気ですか…?モナの気持ちを、優先してあげてください。モナの幸せを、第一に考えてあげてください。あなたが本当に、モナの母親なのであれば…」
「うっ、うぅ………あり、あ…ちゃん……」
モナは私の胸に顔を埋めながら、止まらぬ涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。
そんな姿を見て、母親は何も言えなくなり、膝から崩れ落ちる。自分以外の誰かをここまで信用し、全てを託すような娘を見るのは初めてだったのだろう。
完全にモナが、私に幸せを預けた瞬間だった。
そして、バツが悪そうに佇んでいた父親は、真顔で奥さんの手を取る。
「もう、いいだろ…。好きにさせてやるんだ」
「でも…!!」
「少なくとも、俺は…親になる資格なんてない。お前がそうとは言わないが、親でありたいなら、娘を尊重しろ」
「……」
地に蹲り、嗚咽しながら涙を流す母親。その横へ並ぶように座った父親は、同じく地に頭をつけた。
「お前にとって、もう俺たちは他人同然…今更、父親面されたくはないと思うが、一言だけ謝らせてくれ…。今まで、すまなかった。モナ…」
「……」
モナは、決して後ろを振り向こうとしない。
情けない親の姿を見たくなかったのか、それとも彼女の中ではもうどうでも良くなったのか…。何にせよ、これ以上親の言い分を聞き入れるのは、モナの心に毒なのは確かだった。
「モナを、よろしく頼みます…」
「……はい」
娘を託された私は、大きく頷き、涙の止まらないモナの背中を優しく摩る。そのままシャトラに乗り込み、私たちは里を後にした。
モナが落ち着きを取り戻すまで、気を使ってか全員押し黙る。普段お喋りなユィリスも、今回ばかりは――。
「むにゃむにゃ…」
寝てんのかい!!
シャトラの速度に振り落とされず、よく堂々と眠れるものだ。まあ、今日は色々と頑張ってくれたから、別にいいけど。
そんな間抜けな寝息が心地良く聞こえてくる中、か細い声が沈黙を破った。
「アリアちゃん…」
ずっと、私を後ろから抱き締めていたモナ。今まで堪えていた、数年の思いをぶちまけるように流した涙を枯らし、ゆっくりと深呼吸する。
「うん」
優しく相槌を打ち、モナの言葉を待つ。大丈夫、ちゃんと聞いているからと…。
「モナね…里を追い出されてからちょっと経った頃、心のどこかで、またお母さんと一緒に暮らせるんじゃないかって考えてた。お母さんが虐められてたのは、殆ど私のせいだったし、見捨てられるのも仕方ないって割り切ってたから…」
「……」
「だけど、何年待っても、その機会が来ることはなかった。結構里に近い森で暮らしてたんだよ…。師匠は、こっそり里の様子を見ていてくれてたんだけど、おばあちゃんがモナには言えない理由で亡くなったって聞いて、色々と察しちゃったんだ…。
お母さんも、辛い思いをしてきたことは分かってる。だけどやっぱり、あの時言われたことが心をいつまでも締め付けて、離れなくて…。それで今日、久しぶりにお母さんに会って、また一緒に暮らそうって言われて、普通は嬉しい筈なのに…すっごく怖いって思っちゃった」
「モナ…」
「それでも、お母さんを突き放す言葉が出てこなくて…。だからさっきね、モナの揺らいでいた気持ちを取っ払うように言ってくれたアリアちゃんの言葉に、凄く救われたんだ」
モナは決して、母親を悪く言うことはなかった。どれだけ酷い言葉を浴びせられようと、歪んだ愛を押しつけられようとも、彼女の中ではただ一人の母親なのだと。
優しいという一言では言い表せない純粋無垢な心。それにより、何でも信用してしまう困ったところも、全部ひっくるめてモナなのだ。
神霊族とは何の関係もない、生まれつき持った彼女だけの性質。正直、私と一緒にいるには勿体ない存在だよ。
でも、
――アリアちゃん…モナ、これからも一緒にいていいの?
あんなにも希望に満ち溢れた目で私を選んでくれたから、もう迷うこともない。私がいつまでも、モナにとって幸せを与えてくれる存在であり続ければいいのだから。
「モナ、これから沢山の思い出を、私たちと作っていこうね」
「えへへ…うん!ありがとう、アリアちゃん……
――大好き……」
「ふえ…!!?」
私の背中に顔を埋めながら、ボソッと呟いたモナ。予想外というか、思いもよらない言葉が耳に飛び込んできて、一瞬思考が停止する。
女の子に対し、過剰なフィルターをかけて妄想する私の事だから(←自覚あり)、もしかしたら聞き間違いの可能性を考え、再度尋ねた。
「え、ええっと…い、今なんて?」
「ん~?ありがとうって言ったんだよ。聞こえなかったかな?」
「あ、いや、そこじゃなくて…そのあと――」
「ふわぁ~、モナ心も体も疲れちゃったよ~。早く帰って、ねんねしたいな~!」
何かを誤魔化すように、急に元気を取り戻したモナは、より一層私をぎゅっとする。心なしか、くんくんと匂いを嗅がれているような気が…。
「そ、そうだね…」
気のせいか…と考える私の思考が、モナへのドキドキに変換される。
罪な可愛さを持っているのだから、仕方ない。これからも、私たちと一緒に幸せを共有していって欲しいな。
◇
村に帰ってきた私たちは、真っ先に邸宅へ。
中に入ると、食欲がそそられるいい香りがリビングに漂っている。ルナとフランが、私たちに夜食を用意してくれていたようだ。
「おかえりなさい!皆さん、無事で良かったです~!」
「お腹すいたんじゃない?軽めの夜食作ったから、みんな食べて」
「わ~い、なのだ~!!」
戦闘で疲れた様子だったユィリスが、真っ先に手をつける。相変わらず、食い意地もいっちょ前だ。
「シャトラさんには、お肉を用意しましたよ」
「う、うむ…いただくぞ、メイド」
最初は嫌がっていたシャトラも、満更でもない表情でフランの料理を頬張る。ミニサイズだから、懸命に噛み千切って食べてる様子が何だか健気だ。
「アリアとモナも、どうぞ~」
「ありがとう、ルナちゃん!」
「ん~!おいっしぃ~!」
「良かったわ。……それより、二人とも近すぎない?」
ルナが頬杖をつきながら、対面に座る私とモナを交互に見やる。食べてる間…というか、家に着いてからも、モナは一向に私から離れようとせず、ピタッとくっついていた。
「ん??そうかなぁ~」
まあ、当の本人は特に気にしていないという風で、食事を楽しんでいるのだが。
「むぅ…」
「……」
私を見るルナの視線に、少しばかり重みを感じる。
何、この微妙な空気…。
そんな私たちのやり取りを見たユィリスは、ニヤリと笑い、空いている私の左手に腕を絡ませてきた。
「ふふん!」
「な!?ちょ、ユィリス!!なんの権利があってアリアの隣に!」
「知らないのだ。隣が空いてるのに、座ろうともしない奴が何を言ってるのやら」
「うっ…い、今座ろうとしてたし!!」
「わっは~~~!!!アリアさん、女の子にモッテモテじゃないですか~!!キャ~~~!!!」
奇声?を発したフランは、我を忘れたのか、後ろから私に覆いかぶさってくる。もうね、胸の弾力が凄いのよ…。
「貴様ら!ご主人様が……くぅぅ!なんと羨ましい!!」
この輪に意地でも入っていけないシャトラは、悔しがりながら涙した。
「離れなさいよ、ユィリス~!!」
「い~や~だ~!!」
「あぁぁ!もう、興奮します…美少女ばんざ~い!!」
「お、重い…」
「このスープおいし~!」
一人変態がいるんですけど…。というかモナ、この状況で普通に食事を堪能してるし。
てんやわんやで大はしゃぎな食卓。女の子だから、お淑やかに静かに食べろなんて、みんなに言っても聞かない。
これが、私たちの日常(深夜テンション込み)。気づけば、この雰囲気が当たり前になっていた。
(血が繋がってなくても、同じテーブルを囲んで食事ができる。血が繋がっていなくても、分かり合える。血が繋がっていなくても、みんな何倍もの幸せを教えてくれる…。師匠、ここが…モナの居場所だよ。みんなと引き合わせてくれて、ありがとう!!)
気づかれないよう、ポロッと零れた涙を拭い、モナは満開の笑顔で心から感謝する。
その日、私たちは夜通しはっちゃけた結果、翌日、近隣の住民から軽くお叱りの言葉を頂いたのは、言うまでもない…。
第三章前半が終わりました!尻上がりな展開となる後半にも注目です!




