第127話 お金持ちのお嬢様
「お見事です。マスター」
激しい戦闘に幕が下ろされ、この場は粛然とした空気に包まれた。一寸の狂いも無く可憐に剣を振り切った私は、閉じていた瞼をスッ…と開き、手元から届いてきたシェルの賞賛を合図に「ふぅ…」と一息つく。
少々やり過ぎただろうか。と、傷口に塩をこれでもかと塗りたくられるように怪火に焼かれている殺人鬼――その容態を横目で見やり、憂慮の眼差しを向ける。
「でも、何だろう…殺気と威勢の割には、あまり手応え無かったなぁ」
「そうでしょうか。マスターの足元を見れる程度には強敵だったと思いますが」
「いや…それ否定してないでしょ」
「ちなみに解析の結果…この殺人鬼の性別は〝中性〟、とのことです」
「そうなんだ……って、分かってたんなら言って!?」
なんて突っ込んでいるけど、実は途中から勘づいていた。小汚く、とても匂いだけでは判別できない様態であろうと、私の第六感は誤魔化せない。
魔族の中には、オスにもメスにも属さない人間にとっては特殊な性別が存在する。それが、中性と呼ばれている性だ。
おおよそ1000人に1人と稀に生まれてくるものの、病気や遺伝子異常などではなく、魔界では三つに分類されている性別の内の一つという当たり前の認識で通っている。容姿で言えば、分かる人には分かるという程度で、外見に変わった特徴は殆ど見られない。
強いて挙げるなら――。
「なお、生殖器の有無に関しては――」
「それは言わなくていいから!!」
まあ、想像に任せるとするよ…。
そんなことより、この現場の後始末をどうするか考えるのが先だろう。瀕死の殺人鬼を放置しておく訳にはいかないし、さっさと衛兵に引き渡して、事態の収拾に動いた方がいい。大事な祭典を前にして、変に注目されたくないというのもある(事情聴取とかめんどうだし…)。
そう考えを巡らせている内に、都民の通報を受けた衛兵たちが、タイミング良くこちらへ向かってきた。強力な魔族が相手だからか、なんとまあ重厚な鎧を身に纏い、到着するや否や、厳戒体制で私たちを取り囲む。
「こいつは…鬼族か!?」
「うっ…僅かに殺気が漏れているぞ。この装備で来て正解だったな」
「ああ。直接浴びでもしたら、正気を失いかねん」
ご名答。来るのが数分早かったら、そんな薄っぺらい装備なんて意味を成さないくらい強烈な殺力に見舞われていただろう。
この殺人鬼、気を失っているにも拘らず、未だ周囲に殺気を振り撒き続けている。やはり只者ではない。
「君が、この鬼を退治してくれたのか?」
「はい」
「都の住人に代わって感謝する。……にしても、生身でこの殺気に耐えるとは恐れ入った。もしや、勇者様の側近の方か?むむ、そういえばどこかで見たような…」
と、少しばかり位の高そうな衛兵が私の顔を覗き込んでくる。立場上、常に号外から人間界の情勢を把握しているであろう彼らがすぐに気づかないなんて、魔法画のクオリティが低いのか、はたまた私の顔が記憶に残らない程平凡過ぎるのか。
何れにせよ、この状況で下手に騒がれなければ何でもいい。最悪勇者にでも来られたら、面倒どころの話ではなくなってしまう。
「い、いや、人違いじゃないですか…?それより、早く縛り上げた方がいいですよ。いつまた動き出すか、分かったもんじゃないですから…はは」
背後でシェルをぷかぷかと浮遊させている私は、両手を後ろに組みながら、ささっと後退りする。衛兵は少し不審に思いつつも、すぐさま部下に指示を飛ばした。
「うむ、そうであったな。おい!対魔族用の鎖で縛り上げろ」
「はっ!」
用意は良いようで、魔族の身動きを完全に封じることができる〝魔道具〟を用い、兵士たちは数人がかりで殺人鬼を取り押さえる。
依然として青色を保ったまま、轟々と燃え盛っている再生不可の怪火。彼らに燃え移ってはいけないと、指を鳴らしてこっそり消しておいた。
そして殺人鬼を拘束している間、案の定私は事情聴取を受ける羽目に。
「ところで…君、名前を聞いてもいいかな?」
「え?い、いや…名乗るほどの者では……。ただ通りすがっただけですから」
「ただの通りすがりが倒せるレベルの魔族ではないと思うが…」
「うっ……ね、ねぇシェル、どう答えれば――」
「では、マスター…また御用があればお呼びくださいませ……」
逃げんなぁーー!!
ボソッと小声で助けを求めるも、それを遮るようにシェルは〝虚空界〟へ消えていった。
御用があるのは正に今、この瞬間だ。物に知性を与え過ぎると、狡猾・奸智力にも富んでしまう典型例である。
仕方ないので、話を逸らすため、殺人鬼の目的についての話題へ無理矢理持っていくことにした。
「そ、そうだ!この魔族、どうやら暗殺が目的らしくて…」
「暗殺??」
「はい。ついさっきまで、ここにいた女の子が襲われてて――」
そう説明しようとした次の瞬間、突如左腕に重みを感じ、私の体はガクッと傾いた。同時に、真横から聞き覚えのある特徴的な声質が届いてくる。
「あら、こんな所にいらっしゃったのね~!探しましたのよ」
「え…?」
何事かと視線を向けると、そこには先程殺人鬼に襲われそうになっていたお嬢様っ子が、私の腕を取って強引に抱き寄せていた。突然の彼女の登場に戸惑う私よりも先に、衛兵が怪しむ様子を見せつつ問いかける。
「……君は?」
「ああ、私…この方とここで待ち合わせをしていた者ですわ。随分と遅いものですから、少し様子を見に来たところですの」
そこまで言って、女の子はこちらに視線を向けた後、軽くウインクする。豊満で柔らかい胸元が当たり、僅かに頬を赤らめながらも、何となく彼女の意図を察し、ここは流れに身を任せることにした。
「ささっ、早くこんな物騒な所から離れましょう。私、あなたとのお付き合いを心待ちにしておりましたのよ」
お付き合い…!?
その場で思いついた設定にしては、少々飛躍し過ぎではないだろうか。相手が男ならまだしも、私は女だ。無難から最も遠い関係性で、衛兵たちの疑心を助長させる気がしてならない。
女の子はそのまま私を引っ張って歩き出そうとするも、すぐに呼び止められる。
「待ちたまえ。一応、彼女は事件の関係者だ。ここで何があったのかを話してもらわなくては…」
「何があったかなんて明白ではなくって?街で大暴れしていたそこの外道をこの方が退治した…それだけのことですわ。……他に聞くことは?」
「いや…そういうことではなくてだな。この魔族の目的をはっきりさせなければ――」
「そんなもの、知ったこっちゃありませんわ。ねぇ?」
「へ?う、うん…」
強く同意を求めるように尋ねられ、つい頷いてしまった。
この子、殺人鬼が自分を暗殺しにきたとは微塵も思っていないのだろうか。あくまで無差別に人間を殺戮しようとしていた、という考えらしいが、本当のところは分からない。
こちらの勢いに押され、言葉を詰まらせる衛兵たちへ、女の子はその上手い口で更に畳みかける。
「それより…あなたたち、中継港ではかなり優秀な衛兵ですわよね?なのに…私をご存じないのかしら?一応、今回の祭典にお呼ばれされているそこそこ有名な良家の子女なのですけど」
そう言って、懐から1枚のカードを取り出し、得意げに見せつけたお嬢様っ子。どうやら身分証明書としても使えるギルド会員カードのようだが、それを目にした途端、衛兵の顔色が火を見るよりも明らかに変わり、
「な…!?こ、これは失礼致しました!私どもの無礼をお許しください…!」
と彼女に対して遜った物言いに直り、大きく腰を曲げた。
急に態度を改めだした衛兵の様子を見るに、名高い家の出であることは確かだろう。それは、彼女の装束・雰囲気・口調から、人間の家柄や階級に疎い私でも容易に推測できた。
「では…この方を解放していただいても、よろしいかしら?ふふっ…」
「――っ…!?」
どうやら、ただ位が高いだけのか弱い女の子ではないらしい。不敵に口角を上げ、綺麗な碧眼から異質なオーラを放つ。そんな彼女から重々しく言葉を投げられ、衛兵たちはゾッと尻込みし、その後言葉を発するどころか、口を開くこともできず、ただただ茫然と立ち尽くすだけ。
「それでは、ごめん遊ばせ~」
僅かに場をぴりつかせた令嬢は、すぐさま人当たりの良い面相に戻し、私の腕を強引に引いて、今度こそこの場を離れた。
私にとってはありがたい限りだけど、衛兵たちはただ職務を全うしてただけだし、なんだか可哀想に思えてくる。事態の収集も気にところではあるが、一先ず彼女の話を聞いてみることにした。
一通りのない路地裏に入り込むや、私はとんでもないお礼を受け取ることになる。
「ふぅ…なんとか撒きましたわね」
「えっと…」
「あら、ちょっと強引でした?あれくらいしないと、ここの衛兵は引かなくってよ。ご自慢の〝テレポート〟でも使って逃げれば良かったですのに」
「いや、そういう訳には……」
「とにかく、改めてお礼を言わせてもらいますわ。ふふっ…ありがと」
お嬢様は私の元へ詰め寄り、耳元で感謝を囁いた後、一層顔を近づけ、そして――。
「ちゅっ…」
は!??
一瞬、何をされたのか理解に追いつかなかった。ほんのりと温かく柔らかな口先が頬っぺたに触れ、思考の巡りが完全にシャットアウトする。
え、何!?キス!?いきなり!?
言葉にならない驚嘆の声を心の中で叫び散らしながら、口付けされた方の頬を手で抑え、更には顔を真っ赤に染め上げ、もっと言えば心臓をバクバクさせて、物理的に下がれるまで(?)後退り、令嬢から全力で距離を取る。
「あっ……あぁ……」
キスをされたのなんて、前世を含め生まれて初めてだ(頬っぺたにだけど)。いや、思えばそれっぽいことなら普段からみんなにされている気がする。
ほっぺすりすりとか、匂い嗅がれたりとか、口元についたパン屑食べられたりとか、寝てる間にお耳ハムハムされたりとか、舐め――。
いや、キスよりやばいの混じってない!?てか、私されるがまま過ぎん!?そりゃ、女の子耐性もついてくるわ!
そう考えたら、少しだけ冷静になれた。出会ってすぐの女の子から口付けを貰ったら、そりゃびっくりするに決まっている。
急激に上昇した体温が未だ冷めやらぬ中、感謝に付随したこの口付けに何の意があるのかと説明を求めるように、無言でお嬢様っ子をじとーっと見つめた。そんな、静かに慌てふためく私を見やり、彼女は唇に手を持っていきながら、ニヤリと艶かしく破顔する。
「あら、キスをされるなんて初めてという顔ですわね。私の国では挨拶の一貫として当たり前の仕草でしてよ」
「そうなの!?」
「ふーん…あなた、意外とうぶなのですわね」
「うっ…」
「先程までの凛々しい印象とは随分と違っていてよ。まあ、こちらもこちらで可愛らしくて絵になりますけど、ふふっ」
キスの経験がないなんて、勝手に決めつけないで欲しい。まあ事実だけど。
軽く揶揄われてムッとする私に、今一度畏まった彼女は、豪奢なドレスのスカートを両手で摘まみ、お淑やかな振る舞いで挨拶する。
「では、改めて自己紹介をさせてくださいまし。私、西の王都【マウリム】第三皇女…名を【ジュリア・マドレーヌ】と申しますわ。≪西の司令塔≫と聞けば、分かっていただけるのではなくって?」
「嘘!?あなたが!?」
さぞかし名の通った家系のお嬢様だとは思っていたけど、まさか一国を担う王族の娘だったとは。しかも人間界における二大王都の一つ、【マウリム】の司令塔ときた。
つまり、東の王都【レアリム】の≪東の司令塔≫――メアリー・ユナイドと同等の権力を握っているということになる。身分証明を見せられた衛兵たちが首を垂れるのにも納得だ。
気品溢れる所作と大物感漂う独特な情調。おてんば娘のメアリーとは正反対の雰囲気を醸し出してはいるものの、強さで言えば、両者とも同等の立ち位置にいることは確かだ。あの殺人鬼の強烈な殺気を間近で浴びても平然としていた上に、魔法か特異な能力か、屈強な衛兵が恐れる程の圧をかけられることが何よりの証拠だろう。
背中にまで伸び、くるっと器用に巻かれた毛先が特徴的な明るいブラウンの髪。片一方へ流れるようにビシッとはねた前髪が実にクールだ。
サイドに留められたレースのリボンから、丁寧に編み込まれた毛束が僅かに見える。よくよく注視しないと分からない程度で、かつセットが難しそうなアレンジだが、そこから彼女の髪型に対する拘りの強さを感じた。
長いまつ毛に釣り上がった目尻。猫目とでも言うのだろうか。パッチリと見開いた目元から、美麗な青灰色の瞳を輝かせている。
背丈に関しては、私やメアリーと変わらないほど。あの場での落ち着きようと大人びた顔つきから、見た目・精神面共に、あまり幼さは感じられない。バストサイズも中々だし。
そして全身を覆うは、まさに貴族の社交会で見かけるような御膳上等の薔薇色ドレス。上半身は引き締まった腰回りのラインを映し出し、地につかない程のロングスカートは、大きめなフリルで階段状に層を作り、バラの花やリボンなどの装飾はさることながら、ダイヤモンドの粒でも仕込んでいるのか、日の光に反射して煌びやかに輝いている。
素足に纏うタイツから革靴、イヤリングまで、身に付けているもの全てが超豪華。細かなヘアアレンジといい、普段からファッションに関して余念がないルナとは気が合いそうだ。
軽く驚いた私を見て、可愛らしく口元を綻ばせた後、ジュリアお嬢様は手の甲で自身の髪を払い、続きを語る。
「王都マウリムは、人間界一と言っても過言でないくらい、巨万の富を有していてよ。そのトップに君臨するマドレーヌ財閥の娘が、この私ですわ。それ故、身代金目当てに誘拐を企む盗賊やら暗殺者やらに狙われるのは、日常茶飯事ですの」
「そうなんだ…」
だからか、と言ったら語弊があるかもしれないけど、凶悪な鬼族相手に怒号を飛ばしたり、過度に取り乱したりしなかったのは、普段から色んな不届者に命を狙われていることが常だからだったよう。この物騒な世の中では、有り余る程にお金を持っているというのも考えものだろう。
「って、あれ?じゃあ、殺人鬼の目的は知ってたってこと??」
「ええ。…ただ、魔族に狙われたのは初めてでしたわ。あなたが来ていなかったら、とっくに死んでいましたわね、ふふふ」
「いや、ふふふじゃなくて……。そんなに命を狙われるなら、もっと頼れる付き人とか付けて貰えなかったの?」
「セバスはあれでも最高位の護衛役でしてよ。相手が悪かったとしか言えないですわね。いつもなら、相手を殺めてでも私を守ってくださるのよ」
「なるほど…」
こっちもこっちで物騒だ、と言いたいところだけど、実際そうでもしないと国の宝である司令塔を守れる人材に値しないのだろう。金で自国全体を――いや、下手したら他の国々までをも動かすような財閥の娘を死なせたとあっては、クビどころでは済まされない。
「まあ、魔法の扱いに関しては、私の方が上ですけど。ある程度の実力がなければ、司令塔は務まりませんもの」
「そうだよね。メアリーも、剣の腕前は凄かったし」
「メアリー…?」
「うん。東の司令塔のメアリーとは知り合いでね」
「……あの女狐と?」
メアリーという名を聞き入れ、ジュリアの眉間に皺が寄る。不機嫌そうに小声で何かを呟いていたようだけど、気にせず話を進めた。
「レアリムでは色々あってね。伝書鳩で手紙を送り合うくらいには仲が良いかなぁ」
「……」
「にしても、まさかあの子よりも先にマウリムの王女に会えるとはね~。凄い偶然!あ、メアリーも祭典に来るんだよ。一緒に行きたかったんだけど、なんかサプライズがあるとか何とかで、少し遅れて来るみたい。あの子にも、早く会いたいなぁ。そうだ、二人は面識あったり――」
「気に入りませんわ…」
「――え??」
意気揚々と語っていたのも束の間、先程までの態度とは打って変わって、冷静でいながら怒気の籠った声を飛ばし、私の話を遮るジュリア。
何か癪に障るようなことでも言ってしまったのだろうか。曇らせた表情はそのままに、彼女は怪訝そうな顔色で質問を投げてきた。
「あなた、お名前を聞いても?」
「あー、そういえば名乗ってなかったね。アリアだよ」
「やはり…あなたが女狐の言ってた〝最愛の友人〟…ですのね」
「メアリー、私のことそんな風に思ってるんだ……って、女狐??」
「あの根暗にご友人ができたと聞いた時は驚きましたが…なるほど、確かにあなたなら納得ですわ」
「え…?」
どうやら東西二人の司令塔は、ただの知り合いという関係性でもなさそうだ。それも悪い意味で根深く、少なくともジュリアの方は、メアリーに対してあまり良い印象を抱いていない様子。今の彼女の発言も、私が知り得ないメアリーの顔を色々と知ってのものなのだろう。
しかし、女狐やら根暗やら酷い言われようだ。何をしたら、そこまで皮肉の効いたあだ名を付けられるのか。
後でメアリーにも詳しく聞いてみることにしよう。話してくれるかは分からないけど。
「さあ、女狐の話はここまでにして…。アリア、お礼はまだ済んでいなくてよ。今日は、この中継港で一番の宿に招待して差し上げますわ」
すると、いつの間にか物柔らかな表情に戻っていたジュリアは、何かを企むように口角を上げ、再び私の腕に絡みついてきた。
お礼なら、ほっぺにちゅーで十分過ぎる程いただいているのだが、彼女の方はまだ足りないらしい。こちらの意向など完全無視で、強引に引っ張ろうとする。
「ちょ、ちょっと待った…!今、友達を待たせてて――」
「でしたら、そのご友人の方々もご一緒に♡」
「いや、でも悪いし…」
「お金なら心配無用ですわ。とにかく、私がしたくてするのですから、お言葉に甘えてくださいまし、アリア。ふふっ」
「え~……」
中継港にやって来て早々、繰り広げた熾烈な戦闘と衝撃的な出会い。紆余曲折ありつつも、結果的に私たちは今宵の寝床を確保することができたのだった。




