第125話 人間界の中心地
カギ村を出てから二日目の朝――。
近場を散策していると、地下水が自然に湧き出た泉を発見したので、シャトラの水浴びがてら、出発前に私も軽く体を清めることにした。
大型の魔物は水浴びも豪快だ。ブルブルッ!と濡れた被毛の水分を勢いよく飛ばされ、全身がびしょ濡れになる。
「あははっ!ちょっとシャトラ、水飛ばし過ぎ~」
「グルル……すみません、ご主人様と水浴びなど何年もしていなかったので、つい興奮してしまいました」
「確かに、こうして一緒に水浴びするのは久しぶりかも。あの頃はお風呂なんか要らなかったし」
生物という概念とはかけ離れた存在であった魔王の頃の私は、常に清い魔力が体内外を循環していて、汚れの一切を許さなかった。
そもそも、魔界では綺麗な水なんて存在しないし、体を洗い流すという行為自体が稀。それ故に、シャトラが水浴びを要求した時は、魔力で生成した綺麗な水をシャワーのように垂れ流してあげていたのだ。
人間界はそこかしこに濁りのない水溜まりが自然と湧き出てくるから、水浴びの場所に困ることも無い。この環境には、人間を毛嫌いしているシャトラとて悪くはないと思っていることだろう。
「それに加え、一糸も纏わぬ堂々としたご主人様を崇められるのは、我だけの特権ですから」
「まあ、確かに…。他の子の前だと、こんなオープンになったりしないからね~」
「つまり!あの人間たちよりも、我の方が信頼に置けるということでしょう!」
いや…ただ魔物相手だと恥ずかしくないし、厭らしい目で見てこないからなんだけど…。
自信たっぷりな可愛らしいまでの解釈不一致に、素っ裸の私は呆れたようにじっと目を細める。
そんな時、テントの張ってある河原の方から物音が近づいてきた。友人と分かっていても、恥ずかしいものは恥ずかしく、私は咄嗟に大ぶりなシャトラで体を隠し、頭だけを出す。
「アリア~、水浴び用のタオル持ってくの忘れたでしょ?これで、シャトラの体を拭いてあげ――」
どうやら、ルナがシャトラ用の大きめなタオルを持ってきてくれたようだ。しかし、私の姿を見るや否や、彼女の表情が火を見るよりも明らかに変わり、
「――って、あ、アリアも水浴びしてたの!?ご、ごめんなさい!邪魔したわね!た、タオルここ置いとくから…!!」
と頬を赤らめ、こちらから全力で目を逸らした。急に落ち着きのなくなった友人を前に、私は恥じらいを忘れ、頭上に疑問符を浮かべる。
「う、うん…ありがと」
「それじゃ!」
そのまま、ルナはそそくさと河原の方へ戻っていった。
今日は特に急ぐ必要もないし、朝っぱらから慌てる必要なんてない。もしかしなくても避けられてる…?なんてしょんぼりしそうになった矢先、シャトラが変な事を言い出した。
「あの勇者候補…まるでご主人様のようでした」
「え?」
「人間のメスを前にしたご主人様と似たものを感じたということです」
「言い方!」
今のルナは、面と向かって女の子とお話しする時の私の情態と酷似している――そうシャトラは思ったらしい。
だとしたら、なんだ…?もしかしてルナは……いやいや、あり得ないあり得ない!
女の子の裸なんて見れないー!とか、女の子と一緒にお風呂入れないー!とか、突然ルナが言い出したらびっくりしちゃうよ!共感はするけどね、うん。
「ご主人様…?」
察しが悪いという以前の思考を張り巡らせる私は、心の声が若干漏れ出ていたのか、シャトラに呆れたような視線を向けられる。
兎にも角にも、今日はいよいよ人間界の中心に足を踏み入れるのだ。恐らく、ネオミリムの全貌も明らかになることだろう。
一体どんな景色が待っているのか、楽しみで仕方がない。水浴びを終えた私たちは、テントの片付けを済ませ、日が出てから少し経った後、この商秋地帯を後にした。
「はぁ〜、昨日はいっぱい食べたね〜!」
「モナお姉ちゃん、食べることには余念がないからねー」
「もー、そんなことないよ〜」
「最高級ホテルのシェフの一品、是非味わってみたいものですね~」
「一攫千金一攫千金!!」
今日も今日とて、馬車の中は賑やかだ。血眼になって、カジノの古い案内書を凝視している子が一人いるけど。
ちなみに操縦席にはモナとサキが座っている。私はルナと隣同士で座り、ネオミリムの都内マップを眺めていた。
「見て、アリア。私たちの泊まるホテルにはナイトプールが完備されてるそうよ。あとほら、色々な運動競技が体験できる施設も備わってるみたい」
「ほんとだ、何でもあるね」
「アリアはどこに行きたい?」
「んー、そうだなぁ……やっぱり、ネオンパーク?かなぁ」
ネオンパークとは、先からみんなで楽しみを共有していた人間界唯一のアミューズメント施設。線路を急加速して走り回る乗り物に乗ったり、馬やティーカップ(?)に乗ってぐるぐる回ったり、高所をゆっくりと移動する水車のような巨大な装置で風景を楽しんだり、他にも機械的で興味深い遊具が多数存在する。
なんでも、他の世界から導入した技術を魔法仕掛けに改良したものなんだとか。その情報を聞いただけで、ワクワクが止まらなくなってしまう。
「だと思った!私もすっごく楽しみよ」
「ルナは??」
「そうね…私は、都心の商業施設を見て回りたいわ。今、人間界の中心はどんなものが流行してるのか、とっても気になってるの。特にファッションがね」
「ふふっ、ルナはそうだと思った」
「ほんと?じゃあ、一緒ね!」
「うん!えへへ」
ルナが私を避けていると思っていたのは、ただの杞憂であった。馬車が出発してからは、私たちは仲良くネオミリムへの期待に胸を膨らませ、楽しみたいことについて語り合っている。
《少し暖かくなってきたかも。そろそろじゃないかなぁ》
「そうか?私にはさっぱりなのだ」
《精霊はちょっとした気温の変化に敏感なの。ほら聞いて?風の子達が囁いてるよ。もう少しで巨大な街並みが見えてくるって》
精霊というのは、直接的に自然の声を聞き取る、またはその音を感じることができるのだろうか。風の声を聞くという理解し難いバディの言動に、ユィリスは私たちの方へ顔を向け、訳が分からんと言っているように無言で両手を広げる。
「あなたね…バディのことなんだから、分かってて当然の筈でしょ?」
現在、馬車は陽光が差し込む草木に覆われた森の街道を駆け抜けている。ここを通り過ぎた先に、【中継港】と【ネオミリム】が視界に飛び込んでくる筈だ。
確かにシロが言った通り、少し馬車内がポカポカしてきた気がする。森の出口から、街の景観が一部垣間見えているし、そろそろ人間界の中心地――その景色を拝めるのだろうか。
「さあ、見えてきますよ!」
長かった森林地帯を抜け、中継港への行路に入った。視界が一気に開け、荷台から身を乗り出した私たちの目の前に、壮大な景色が現れる。
「うわぁぁ!!」
「何あれ!?」
「すっご~~い!!」
「へぇ~」
「でっかいのだ~!」
誰もが一瞬にして、数十キロメートル先の新奇な眺望に目を奪われた。
今自分たちが馬車を走らせている、草花が左右に拡がった石畳の街道。この一本道が枝分かれし、幾つかの村や町が疎らに散開しているようだ。
そして先を見晴るかせば、茫漠たる平原の中心に近代的な街並みが集中しており、その上空には、何やら巨大なドーム状(半球型)の構造体が、さも当たり前のように中空へ浮かんでいる。遠くからでも、どこか物々しく厳かなものを感じさせるそれは、現実的に考え得る一つの国家――その規模を遥かに超えた至大な創造物だと、一目で理解した。
美しい山並みと村々に伸びゆく清らかな河川。昼間なのにも拘わらず、地表からポクポク…と溢れ出ている自然魔力。
エルフの森程ではないが、人間界の中心でもこういった自然の恵みが密集しているんだとか。つまり、私たちは終に拝むことができたのだ。誰もが一度は目にしようと足を運ぶ、人間界の中心地――その全体像を。
「でっかいのが浮いてるぞ~!」
「まさかあれが!?」
近づけば近づく程、はっきりと見えてくるモダンな都市景観。地上に広がるその見慣れない市街地が、恐らく人間界最大の都市への橋渡しとなる【中継港】という場所なのだろう。
そして、皆が皆真っ先に目をつけた半球型の構造物――否、その巨大な浮遊都市こそが、この世界で唯一無二のアミューズメント国家、
「そう、ネオミリムです!!」
案内状に描かれているネオミリムの外観と見比べながら、フランが告げた。
なるほど。わざわざ中継港を経由しなくてはいけない理由が分かった気がする。
招待状には浮遊都市だなんて説明は無かったし、ほぼ事前情報なしでここまで来たから、衝撃は大きかった。あれだけ地上から離れていれば、ただでは入国できないのにも納得だ。
「ふにゃ〜、あれがネオミリムなんだ〜!下にある街より全然おっきいよ〜」
「あのドームの中に都市があるのかしら」
「外壁は薄っぺらいのだ。雲が透けて見えるぞ」
「多分だけど、ドームの外壁部分は人工的に張られたバリアなんじゃないかなぁ」
「外からだと、中の部分が見えない構造になっているようですね〜」
建物やそれらが見せる壮大な景観。中継港に近づくにつれ、その尊さや畏れを感じずにはいられなかった。
温暖な気候の人間界の中心。その眺めを堪能し、馬車で突っ切ること十数分、私たちは中継港の玄関口へ続く巨大な橋に差し掛かった。
幅の大きな川を渡るのに掛けられたアーチ状の大橋には、様々な地域・国からの観光客が往来し、皆都会の様相を物珍しく眺めているよう。勇者の祭典が明日に迫っているというのもあってか、人の行き来が盛んである。
かくいう私たちも、玄関口を抜け、中継港の中へ入り込んだ途端、気づけば周囲の光景に目を輝かせていた。
「これが、都会ってやつか!?」
「建物が全部大きいねー」
「グルル……ここが、人間共の聖地か」
一般の村や街と比べ、豪勢な住宅が立ち並び、商業・文化が大いに発達した繁華の絶えない先進的な市街地。そんな風に、都会というものを漠然とイメージしていたが、あながち間違いではなかったようだ。
とはいえ、ここは人間界の中心地。世界中の人々が集まる港でもあるためか、世界各国の文化や生活様式を模した建造物もちらほら見受けられる。
中心部の繁華街へ立ち入ると、色んな小売店が目に留まるわ、料亭から香ばしい匂いが鼻孔をくすぐってくるわで、私たちのボルテージは更に上がった。
「世界中のお洋服が沢山っ!!ほら、見て見てアリア!あそこに〝和装〟が売ってるわよ」
「ほんとだ~」
「すんすん…はぁ~、いい匂い~。ここに来てから、お腹鳴りっぱなしだよ~」
「ほら、モナお姉ちゃん、ちゃんと手綱握らないとー」
「私ちょっと買ってくるのだ!」
「ユィリスさん!?」
瞳をキラキラさせながら、私の腕を引っ張る興奮状態のルナに、食べ物の香りで思わず涎を垂らしている嗅覚の優れたモナ。ユィリスに至っては、一人荷台からぴょいと飛び出して、食べ歩き専門のお店へ直行する始末だ。
「おっちゃん!それいくらだ?」
毎度の事だから、驚くことも注意することもない。てか、注意したって聞かないし…。
全員分の総菜を両手に抱え、速攻で戻ってきたユィリス。食欲を奮い立たす匂いが車内に充満して、こちらも我慢の限界に達した。
「これは…肉まんですね!」
「美味しそう~!!」
「華風料理ってやつ??」
「一個じゃ足りなかったのだ…」
「もう食べたの!??」
その後、中継港の景観を堪能した私たちは、馬車を預ける前に、浮遊都市ネオミリム付近の様子がどうなっているのかを確かめることにした。港の最奥へ行き着くと、その先の壮観な眺めに、またしても目が釘付けになる。
「うわぁぁ!!」
「何これ!?」
中継港とネオミリムを隔てている厳重な鉄柵。その数メートル下を覗き見れば、手前の石崖から、まるでダムの如く大量の水が流れ出ており、山脈から伸び行く河川と合流して、大規模な貯水池を生み出している。
しかし、厳密に言うとここは貯水池ではなく、水の流れは更に奥へと続いていた。なんと各所から合流した排水やら自然水やらが、国の一つや二つ簡単に呑み込んでしまう程の巨大な〝穴〟に吸い込まれていっているのだ。
港からでは穴の底がどうなっているのか分からない程深く、理解できるのは、ただそこへ水が滝のように垂れ流されているということくらい。これが自然の生み出した産物だというのなら、説明がつかなくとも納得できる。
「何なんですか、この自然遺産は…是非とも魔法画に収めたいです!」
「見て見て!あの光は何かなぁ」
モナが指差す先――巨穴の中心からは、何やら薄っすらと七色に輝く光の柱が直上に伸びている。太く鮮やかなその光束は、数百メートル上空に浮かぶ大都市ネオミリムの中央に通じているようだ。
それを見た瞬間、私はすぐに察した。
「あれは…魔力」
「魔力??」
「でも、なんだろう…ただの魔力じゃなくて、今じゃ生み出せないような古代のエネルギーを感じる」
「へぇ~」
これ以上は説明のしようがないけど、あの魔力は明らかに何者かが生み出しているもの。しかも、現在進行形で。
ネオミリムを浮遊させる為の特殊なエネルギーだと考えるのが自然だが、そんな単純なものなのだろうか。宙に浮かせるだけならどこでもいい筈だし、わざわざ都市一つ簡単に吸い込んでしまう巨穴の真上に浮かせなくても…とは思う。
この世のものとは考えられない程に、雄大な光景であることは確かだけどね。
「よーし!景色は十分堪能したから、早速中継港を回るぞ~!」
「ユィリス、先ずは今日泊まる宿を確保しないと」
「そうですよ。まだ『PREMIUM PASSPORT』は使えませんから、今のうちに予約しておかないと、また野宿になってしまいます」
「それじゃあ、取り敢えず馬車を預けて――」
そんな会話をしつつ、再び馬車に乗り込もうとした矢先、都の中心部から唐突に嫌な気配を感じて、私は眉を顰める。と同時に、
「「キャーーーー!!!」」
誰かの悲鳴が耳に届いてきた。直後、僅かな地鳴りに伴い、建物が崩落したような轟音が港中に響き渡る。
「ご主人様、これは…」
ちびシャトラも私と同じものを察知したのか、その円らな瞳を細め、不穏な空気が漂う方へと向けた。何事かと静かに動揺しているみんなを軽く一瞥し、私はすぐさま叫び声が聞こえてきた現場に向かう。
「むぐむぐ…向こうにやばいのがいるのだ。シロ、怪我人がいたら回復して周るぞ」
《分かった!》
とユィリスもいち早く状況を理解し、シロを連れ、いつの間に手にしていた串カツを頬張りつつ、港の中心部へ駆けていく。
「モナたちも行こっ」
「ええ」
二人に続き、他の子たちも馬車に乗り込む。
まさか到着して早々、人ならざる者の魔力を感じることになるとは思いもしなかった。
活況を呈していた都会の情緒は一変。都心から繁華街にかけて、恐慌をきたした人々が我先にと逃げ惑い、中継港の端へと押し寄せている。
人をかき分けて進むのにも限界を感じ、家屋の屋根に飛び乗って、現地の様子を確認。どうやら不浄な気色は、港の中心に位置する大きめの広場から漂ってきているようだ。そこには、今しがた崩壊したであろう高やかな時計塔が、無残にも住宅街の一辺を下敷きにしている。
ただ衝撃を受けて崩落した訳ではなく、何者かの斬撃によって切り刻まれた。そんな惨状から、事の深刻さが容易に伺える。
「ちょっと【セバス】!しっかりなさい!」
「も、申し訳ございません……お嬢様」
人々が散じた後の閑散とした広場に行き着くと、随分と高貴な形をした男女二人組が、弱々しく地べたに蹲っていた。
何者かに襲われたのだろう。女性を庇ってか、男性の胸元には何か鋭利な刃物で斬りつけられたような、深い切創が走っている。
痛々しく倒れ込む男性を抱え、苦渋の表情を浮かべた女性は、視線を上げ、その先に映る恐ろしげなシルエットに怒号を飛ばした。
「あなた、少しやり過ぎではなくって!?弱者に対して牙を向くなんて、猛獣以下の知性にも程がありますわ!!」
物凄い剣幕でまくし立てるも、手元は震え、額から脂汗を流す令嬢気質な女性。強気な姿勢で辛うじて恐怖を緩和させているようだが、相手が発露しているとんでもない殺気に呑まれ、今にも卒倒しそうな勢いだ。
そして、彼女の怒鳴り声を聞き入れてか、立ち込めた煙の中から耳障りな返事が返ってくる。
「弱者だろうが強者だろうが、依頼を受けたら殺すまで…。それが、〝殺人鬼〟の在り方デス」
独特な口調で語り掛けてくるそいつは、ガリガリ…と硬いものを擦るような不協和音と共に、晴れゆく粉塵からその姿態を露わにした。
前額部から伸びた細く鋭い2本のツノを持つ怪人。そいつの種族を説明するには十分な情報だろう。
――鬼族……。
巨大な斧の重々しく血塗られた刃を引きずりながら、魔族の鬼は鋸のようなギザギザした歯の間から長い舌を出し、鋭い眼光を令嬢に向ける。
まさに殺人鬼。瞳孔から漏れ、耀う血色の生気は、ただの魔力か、はたまた尋常ではない殺気が見せる幻か。
圧倒的な気迫を前に、令嬢は強気な相好を崩すことはないものの、高まる恐怖心で体が硬直し、既に二の句が継げない状態であった。
「大人しくその首を掻っ切らせろ、デス!」
「……っ!!?」
次の瞬間、勢いよく地面を蹴り、あっという間に獲物へ迫る鬼人。そのまま歪な巨斧を大袈裟に構え、標的の首に向かって躊躇なく振り下ろす。
「シェル!!」
その刹那、私は咄嗟の判断で聖剣を呼び出し、両者の間に割って入った。聖なる剣の刀身と凶器の刃がぶつかり合って、魔力という名の火花を散らし、この場の空気を180度変えていく。
「ほう…」
眉一つ動かさず、殺気の乗った重撃を受け止めた私の登場に、更なる闘争心を掻き立てられでもしたのか、自称殺人鬼は不敵な笑みを浮かべ、
「強敵、現る……デス」
狂気的な目を最大限にまで見開き、猟奇な激情に駆られていた――。




