第123話 嵐の前の…
勇者の祭典、三日前――。
いよいよ明日から、祭典の会場【ネオミリム】に向け、長時間の旅が始まる。入国審査が行われる〝中継港〟までは、馬車を使うと最低でも二日弱はかかるみたいだから、前もって出発しておく必要があるのだ。
時の流れは早いもので、今日はその旅立ちの前日。ということで私たちは今、邸宅のリビングで持ち物の最終チェックと服装の確認を行っている。
「うわぁぁ!リュックがもうパンパンなのだ~!!これじゃ、おやつが入らないだろ~!モナ、お前の荷物に詰めていいか?」
「ええ~!モナもいっぱいだよ~。それに、お土産のことも考えないと…。うーん、何か減らした方がいいかなぁ」
「えーっと……化粧品に、リップ、日焼け止め…三日もあるのよね。どれも欠かせないわ…」
必要なものを詰め終わったは良いものの、バッグの容量に絶望するユィリスと土産物のことを考え、持ち物に葛藤するモナ。その傍らでは、ルナが血眼になって必需品(主に美容系)をカバンに押し込んでいる。
「むむむ…こうなったら、もう一つリュックを……」
と別の鞄を引っ張りだそうとしたユィリスに、うつ伏せで寝っ転がっているサキが、レシーバーを弄りながら釘を刺す。
「駄目だよー、ユィリスちゃん。バッグは一人一個って決めたでしょー。あんまり重くしちゃうと、馬が大変になっちゃうからねー」
「うっ…サキ、お前は一個で足りるのか?」
「あたしは荷物少ないもん。別に持っていきたい物もないしー」
「じゃあ、私の分を入れても問題ないな!」
「えー」
なんて会話する二人を横目に、みんなが着ていく洋服を丁寧に畳みつつ、にこやかな顔でフランは言う。
「二日分の軽食を用意しますから、その分のスペースも開けておいてくださいよ~」
なんとも微笑ましく賑わう少女たち。祭典の時を今か今かと待ち焦がれる嬉々とした声が届いてくる中、私は自室でペットの相手をする。
「はむっ……んー、胸騒ぎがするって??」
近所の方に分けてもらった和菓子を頬張りながら、呑気に聞き返した。どうやら今回の祭典に対し、何か思う所があるみたいで、シャトラは他の子たちに聞かれないよう、神妙な面持ちでその旨を語りだす。
「はい。三日ほど前から、嫌な予感が後を絶たず……すみません、直前になってこんなことを」
「うーん…」
動物…いや、魔物の本能とでも言うのだろうか。何かを直感的に予期し、それを示唆するようなシャトラの言動は、私が魔王であった頃も幾度かあった。
起こり得る未来がハッキリと見えてしまう予言とは異なり、明確な時期や詳細など分からず、当たり外れはあるものの、その予兆は決まって不吉なものであり、当たった時に振り掛かる災いといったら、それはもう私の想像を軽く超えてくるものばかり。
常軌を逸した生物に関する未来は、たとえ予言であれ、測ろうとすれば困難を極める。けど、逆に魔力や寿命に頼ることのない〝本能〟が察知する予兆というのは、場合によって、予言以上に確定的な未来を差し示すことがあるのだ。
実際、魔界で何かしらの変災が起こる前には、必ずシャトラの直感が働いていた。
胸がざわつく。空気がおかしい。何かが始まろうとしている。
そんな漠然とした予感であるからか、最初は当てにもしていなかったけど、ある勇者によって魔界の半分が消し去られることを、元幹部の預言者よりも早くに察知した時は、もう馬鹿にできないと思った。
自然災害だけではない。絶対的な未来を勘ぐる事ができる恐ろしいまでの資質。それが、シャトラの強みである。
とは言え、謎に外れることも多いから、何かを感じ取ったとて何も起こらないケースもあるのだ。それに――。
「まあ、別にネオミリムで何か起こるって決まった訳じゃないんでしょ?私たちに振り掛かるものかどうかも分からないし…」
「もっと限定的なことを言えればいいんですが……この感覚は、我にも理解できないものでして」
と、ちびっ子シャトラは分かりやすく項垂れた様子を見せる。
決して縁起の良い話ではない。しかし、一方で私は少しばかり安心していた。
「いや、伝えてくれるだけでも助かるよ。当たり外れは兎も角、警戒しておくに越したことはないからね。それだけ、シャトラがみんなのことを気に掛けてくれてるってことも分かったし、ふふっ…」
人間嫌いの魔物が、いつの間にか人間の安否を気遣うまでに心を開いてくれるようになった。そんな心境の変化を喜ばしく思い、私は言い終わると同時に片眼を閉じて微笑みかける。
からかうように投げかけられた言葉を受け、シャトラの頬っぺたがほんのりと赤く染まりだした。
「そ、そんなことは…!我はただ、ご主人様に伝えたかっただけで…」
「ほんとにー?」
「うっ……あ、あの者共は特別なだけです。ご主人様が命を懸けて守りたい人間ならば、我もお力添えを…そう思っただけですから」
「はいはい」
心変わりしつつある己を認めたくないのか、必死に言い訳を並べるツンデレ白虎。こういう所が可愛いのだと、モフモフの頭をわしゃわしゃと撫でてやる。
「そういえば、シャトラのその予兆について、気になってたことがあったんだよね~」
「何でしょう」
「ほら、私って一回死んだじゃん?」
「は、はぁ…そんな軽々しく言うものでもないと思いますが……」
「でさ、前世で私が死ぬ直前、シャトラは何も予期してなかったなぁと思って」
「――っ!?確かに……くっ、我の力量が足りなかったが故、ご主人様を死なせてしまったようなもの!やはり、ここは切腹を!!」
「やめて!?」
自分で言うのもなんだけど、これまで幾度となく魔界の変災を予兆してきたシャトラが、最愛の主人の死に際を感じ取れなかったなんておかしな話だろう。まあ、これはこの子の本能に信頼を置いている私だから言えることだけど、
――魔王アリエの死は、確定的な未来の中に存在しなかった…。
つまり、死ぬ筈のない者が誰に悟られる訳でもなく謎の死を遂げた、という考えだ。言葉にしてみれば、なんともミステリーホラーな展開だけど、そんな生温いものではなく、現段階では想像もつかないような物事が、複雑に絡み合った結果なのではないだろうか。
と、飛躍した妄想を脳裏に思い浮かべたところで、私が死んだであろう当時の様子をシャトラは語ってくれた。
「ご主人様は、我ら十二の幹部にのみ、魂の一部を共有しておられました」
「あーうん、そうだったね」
「我らは、常にご主人様の生命力・魔力を感じ、それを力に変えてきました。しかしあの日…突如ご主人様との繋がりが途切れた……それはもう、あっけなく…」
「だから、私が死んだって分かったんだよね」
「はい…」
この手の話は、以前にもシャトラから聞いていた。私が一度死んだのは確かだろうけど、話によれば死体を見た者はいなかったみたいだし、そのすぐ後になって、人間側がなぜ堂々と号外で私の死を宣言できたのかも謎だ。
城のセキュリティは万全だったし、外部から何者かの侵入を許したとて、それを察知できない私たちではあるまい。つまりは、私たちの一切に察知されず――いや、警戒されず、私を殺害し、魔王アリエが死んだという事実を外部に漏らすことのできる人物。
そこまで考えに及んだ私へ、シャトラが恐る恐る言い伝える。
「ご主人様…我は、出来ることならば同志を疑いたくはない。故に、今までこの可能性だけは目を瞑ってきたのですが……」
「うん」
「ご主人様を手に掛けた愚か者は、
――我ら十二の幹部…その中の誰かなのではないかと」
◇
翌日の早朝――。
今日は絶好の旅行日和。と言っても、移動に二日はかかるけど。
日が昇り始める前に起床し、皆整理した荷物を馬車の荷台に詰め始める。そんな中、私は何も持たぬまま、手ぶらで馬車に乗り込んだ。
「ん、アリア~!お前、荷物は??」
ユィリスの質問に、私は寝惚けながら、さも当たり前のように答える。
「ん?キュラ・シェルの〝虚空界〟に入れてるけど…」
「は!?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
なぜキュラ・シェルが『虚空の聖剣』と呼ばれているのか。それは、この世界に現存する〝無限空間〟の一つ――虚空を所持し、かつ聖剣自体に無限の可能性が詰まっているからだと、キュラが鼻高々に説明してくれた。
あの子たちが根城にしている虚空界という場所は、物事の一切が存在しない〝無〟の空間。『何もない空っぽの世界』だとキュラが定義づけたことから、その意を持つ虚空を司った聖剣と自称するようになったんだそう。
色々複雑な事情があって、無の空間を管轄下に置く権利を得たみたいだけど、その有用性はハッキリ言って無いに等しい。現段階で、戦闘以外の時間を潰すための休憩スペースに利用されているだけなのだから。
加えて、二人の思う虚空の定義が『何もない空っぽの世界』ならば、そこに何かが存在している、または何かを入れられる時点で、その空間としての特質は失われてしまう。
何とも不明瞭で突っ込みどころが多い。正直何の為に存在しているのか、本人たちですら分かっていないが、そんな虚空界を二人は大事にしており、私にも「好きに使ってくれていい」と迷いなく言ってくれた。
まあ、使いどころなんて高が知れてるけど…。
「聞いてないのだ!ぐぬぬ…一人だけ抜け駆けを~~!」
《ユィリス!今ならまだ間に合うよ!!》
「お、おう!虚空か何か知らんが、無限に詰められるなら話は早い。おやつたんまりと持ってくぞ~」
《私の分も忘れないでよ~》
言うが早いか、ユィリスは精霊のシロを連れ、ダッシュで家の中に戻っていく。それと入れ違いに、普段よりも一層お洒落に、雅に衣服を着飾ったルナが、お淑やかな所作でこちらに向かってきた。
「はしゃぎ過ぎて、うちの中荒らさないでよねー!」
そうユィリスに忠告しながら振り返る彼女の艶やかな髪、耳につけた金色のイヤリング、胸元のもこもこした大きめのリボン、そして揺らめく白色のミニスカート等、そよ風に遊ばれるそれら全てが私の心を一瞬で奪っていく。お気に入りのバッグを肘に掛け、もう片方の手で妖艶に髪をかき上げる大人の仕草に、早くも心臓が脈を打った。
いつもの自分に毛を生やした程度の支度しかしていない私からすれば、彼女の存在は別次元。放つ美少女オーラが尋常ではない。
「おまたせ、アリア」
「……」
甘い甘いルナの匂いに思考が停止し、口を半開きながら、目を離せないでいる。そんな間の抜けた私の顔を不思議そうに眺めやり、彼女は可愛らしく小首をかしげた。
「どうしたの?まだ寝ぼけてる??」
「はっ!?あ、いや、その……あ、あまりにもルナが綺麗だから、つい…見惚れて……」
「えっ…?///」
我を忘れていた己を無理やり修正しようと言葉を発した結果、思わず本音が飛び出てしまった。挨拶代わりに突拍子もない事を言ったからか、今度はルナが驚き、硬直する。
「あ…ご、ごめん!でもほら、洋服も新しいの着てるし、今日はいつも以上に可愛く見えるなって…!そう、うん!」
前言に補足を加えるが如く、あたふたと物を言う。「可愛い」という私の評価を聞き入れた途端、ルナは目を見開き、照れ臭そうな表情で自身の髪に触れた。
「そ、そうかしら…?」
「うんうん!ほんとに可愛いよ!びっくりしちゃった、あはは…」
と誤魔化すように笑い捨てる私へ、ルナが何かを伝えようと口を僅かに開く。
「――リアも…」
「へ?」
「あ、アリアも……すっごくかわ――」
「アリアちゃーーん!!師匠に挨拶してきたよ~!」
恥じらいつつ、勇気を出して紡ぎ出そうとしたルナの言葉が届く前に、真横からふわりと柔らかい体に飛びつかれた。ゆるふわなアンダーツインテをなびかせ、動きやすいワイルドな服装に身を包んだモナが、純粋無垢な笑顔で私の腕に手を回す。
「も、モナ!?」
「アリアちゃん、やっぱりその服似合ってるよ~」
「そ、そうかな…?」
「うんうん!モナは、どうかなぁ…お洋服、似合ってる??ちょっと男の子っぽいかもしれないけど」
期待に溢れた眼差しをこちらに向けると共に、その場でひらりと一回転。ぶかぶかのパーカーと膝上丈のショートパンツがあどけなさを残したカジュアルなコーデに、いつもの猫耳フードを加えたモナならではの衣裳だ。
こっちもかなり魅力的で、自然と頬を緩ませてしまう。
「似合ってる似合ってる。可愛いよ」
「ほんと?にぃへへ~、流石ルナちゃんだよ~」
「モナが可愛すぎるだけよ。でも…うん、本当に似合ってるわ」
「アリアちゃん、早く中に入ろっ!モナ、もう待ちきれないよ。見せたい物もあるからさ~」
「ちょ!?」
みんなとの長旅が楽しみでしょうがないのか、今日は随分と積極的だ。腕に絡みついたまま、強引に私を馬車へ引きずり込む。
「……」
その様子を、ルナは一人、複雑な心境で眺めていた。口元を綻ばせ微笑ましく思う反面、心の中ではどこか口惜しく、下がった眉尻から残念に思う気持ちが表れている。
素直な気持ちを伝えきれなかったからだろうか。
そんなルナへ、憂慮の眼差しを向ける少女が一人。黒色を基調としたロリータ風のメイド服を着こなしたフランが、遠目に彼女を眺めている。
「ごめんねー、フランちゃん。着替え手伝って貰っちゃって。あたし朝弱くって…ふわぁ~」
隣には、寝ぼけ眼で大欠伸するサキが、少しばかり手直しを加えたレシーバーを片手に立っていた。袖を通さずに羽織った上着の下には、彼女らしいラフな服装が垣間見える。
「お気になさらず。また夜遅くまで機械いじりしてたんですか??」
「うん、まあねー。このレシーバーが武器になれば、結構面白いと思ってさ。試作型からちょっとばかり進化した[Ver.2.0]…祭典中、何が起こるか分からないから、一応ね」
「……確かに、そうですね」
この二人は、勇者の祭典中に何かが起こることを知っている。しかし、その内容は両者で全く異なっていた。
「おチビ!我の食料はちゃんとあるんだろうな」
「それは…アリアを信じろ!」
「ふむ、そうだな」
相変わらず仲良いなぁ、あの子たち。
なんて思いながら、大荷物を背負って荷馬車に突っ込んでくるユィリスたちを待つ。
荷台の外には、朝早くからわざわざ見送りに来てくれたアィリスさんとカナさんの姿が。カナさんには長距離専用の荷馬車を用意して貰ったりと、色々お世話になっている。
「ネオミリムには何度か行ったことある馬で、かなり賢いよ。地図も渡したし、大丈夫だよね?」
「はい。何から何までありがとうございます」
「ふふっ…アリアちゃん、みんな、大変だろうけど、ユィリスの事お願いね」
「勿論です」
「姉ちゃん!?私はお願いされる側だぞ~!!」
《お待たせ~!時間ないのに、ユィリスがじっくり選んでるから…》
「おやつだけじゃないぞ。暇潰しの遊びも盛り沢山なのだ!お前たち、VIPルームでの枕投げは鉄則だからな~!」
「はいはい」
「……枕投げ??」
じっくり選ぶ程の量がうちにあることに驚きだ。私はユィリスの背負っている鞄とシャトラの背に括りつけられている籠から、今にも溢れ出しそうな娯楽用品を別空間に転送するようキュラに頼む。
「キュラ、お願い」
「あいよ――って、お前ら旅行気分が過ぎるぞ!?」
「これ全部頼むのだ」
召喚されるや、目の前に積み上げられた大荷物に驚かされるキュラ。自然魔力を用い、渋々といった様子で、それら(私たちの手荷物を含めた)全てを一瞬で〝虚空界〟に飛ばした。
「お~!虚空って凄いね」
「無限空間とはいえ、整理しないとシェルに怒られんのはアタシなんだがな…」
シェルがキュラにねぇ…。なんか容易に想像できちゃう。
でも、全員分の荷物が無くなったことで、馬の負担を少しでも減らすことができたのだ。項垂れるキュラに礼を言い、私は最初に手綱を引くことになったルナの隣へ腰掛ける。
「みんな乗った?」
「乗ってるよ~!」
「いよいよだね」
「楽しみですね~!」
少女6人と、精霊1人にペットが一匹。みんな揃っていることを確認し、ルナは馬車を発進させる。
「楽しんできて~!!」
「帰ってきたら、沢山お話聞かせてね~!」
大人組二人の見送りに手を振って、私たちは村を出た。
目指すは世界一のアミューズメント国家、ネオミリム。大きな期待と若干の不安を抱え、世界の中心で行われる勇者の祭典の舞台へ向かう。
あの場所で、一体何が待ち受けているのか。そして、何が目覚めるのか――。
どんな勇者であれ魔王であれ、はたまた最高位の預言者であっても、祭典中の三日間に巻き起こるシナリオとその結末を推し量ることはできない。こうしてる間にも、世界は少しずつその姿を変えていく――。
第四章序幕が終了したといったところでしょうか。
長らくおまたせしました。次回からようやくネオミリム編が始まります。




