第121話 フランの秘め事
「アリアさん、久しぶりに私の耳かきなんてどうでしょう」
「いいの!?」
「勿論です~」
ちょいちょいと可愛らしく手招きしながら、満面の笑みで誘いかける。そんなフランについ甘えたくなった私は、寝る前に彼女の部屋でお風呂上りの耳を掻いてもらうことになった。
勇者の祭典への招待状から始まり、今日は色々な情報に頭が振り回される一日で、無意識に癒しを求めていたから、この誘いは本当に有難い。
「それでは、メイドのお膝にどうぞ」
「はーい!」
至高という言葉では決して表せない程に、フランの耳かきは私を愉楽の深層へ誘ってくる。テンションが上がり、一瞬で童心に返った私は、ニコニコしながら完璧メイドの太腿に顔を預けた。
相も変わらず、タイツ越しに伝わってくるもっちりとした感触が、まるで繭の中にでも入ったかのような心地良さを与えてくれる。これだけで、一日の疲労感が一気に吹き飛んでしまった。
太腿に頬っぺたをすりすりしたいところだけど、気持ち悪いと嫌われたくないし、ここはグッと我慢して、フランの奉仕を待つ。
「アリアさん、子供みたいですね。ふふっ、可愛いです」
母性に溢れた艶めかしい声質で告げたフランは、私の頭をゆっくりと撫で始めた。
このままでは、本当に赤子へ返り咲いてしまう。いつからこんなにも大人びた女の子になったのか、お茶らけた時の片鱗すらも感じられない彼女の仕草に、心臓の鼓動が早まっていく。
「そ、そんなに甘やかしたら、私…だめになっちゃうよ……」
「だめになっちゃっていいんですよ~。アリアさんはいつも頑張ってるんですから、せめて私たちの前では、気を張らず、自然体でいてください」
「気を張ってるつもりはないけど…」
「そうでしょうか…。もっと自分の欲望を露わにしてもいいんですよ?」
「言い方!!」
フランの目に、私の姿はどう映っているのだろうか。
ふと視線を向ければ、こちらを見下ろす燦然たる天使の笑顔が、私の心を奪おうと煌めいている。これで眼鏡を外されたら、その神々しさに卒倒間違いなしだ。
しかし、眼鏡をかけているからこそ、フランの魅力が最大限に現れているのもまた事実。眼鏡×メイド服のスタイルで、彼女に敵う者はそういないだろう。
「では、お耳掃除始めますね」
「うん」
「最初は溝の部分からっと…」
いつでも耳掃除ができるようにと常備しているのか、メイド服のポケットから梵天付きの耳かき棒を取り出したフラン。そのまま私の耳朶を優しく摘まみ、曲り目の部分でゆっくりと耳の外側をなぞり始める。
彼女の技量は勿論のことだけど、なぜ耳かきというのは、自分でするより人にしてもらう方が何倍も気持ちいいのだろうか。ただ耳の縁を掻かれているだけなのに、私の顔は既に蕩けてしまっている。
「アリアさん、もうお顔がぽわ~っとしてますねぇ」
「だって気持ちいいんだもん、フランの耳かき。どうしてこんなに上手いの~??」
「……そうですね。とある方に、教わったんですよ。コツみたいなものを…」
「……??そうなんだ」
何気ない質問をしたつもりが、返答にほんの僅かな間が生まれた。言い淀んでいるというよりかは、二の句を告げるのに苦渋を強いられているような、そんな気がしたものの、私は特に気にすることなく、耳かきの心地良さに浸り続ける。
「……耳の中、痛かったら言ってください」
「うん」
棒先が耳の内側に当たるや、ぴくっと少しばかり体が跳ねる。そんな私の反応にも見慣れているフランは、クスリとお淑やかに破顔した。
この完璧メイド、私が気持ちいいと感じる箇所は全て把握しているようで、掻く度に耳のツボを確実に刺激してくる。油断していたら意識が遠のき、涎を垂らしながら眠ってしまうレベルだ。
フランの綺麗な足を穢す訳にはいかないから、なんとか眠気を回避しようと話題を振る。
「さっき、ルナと話したんだけど…勇者の祭典当日は、お洒落して行きたいねって話になってさ。祭典前に、みんなで服を新調しようと思うんだけど、いいかな?」
「いいですね!あ、でも私はお洋服とかは…」
「フランって、メイド服以外の服は全然着ないよね~。てか、見たことないし。偶にはいいんじゃない?」
「いえ、私は…この服で十分です。幼い頃から、ずっとメイドとして生きてきたので、他の服を着るというのは、考えられないと言いますか……」
「子供の時から!??」
「あ、アリアさん、あまり動かれると危ないです」
てっきり、メイドを始めたのは王都レアリムで給仕を任された時からだと勝手に思っていた。普段は自分の事なんて一つも話したがらないフランの口から何気なく飛び出てきたもんだから、その意外さも含め、割り増しで驚嘆する。
「あ、いや…今も子供だろうけど、そんな前からメイドさんやってたんだ」
「はい…」
身寄りが無いところを、メアリーの父親であり、レアリムの現国王――ルクス・ユナイドに雇われたことは前から知っていた。行く当ても帰る場所もないからこそ、私の専属メイドでありたいという急なお願いを王都側も二つ返事で受け入れ、何よりフランの思いを尊重してくれたのだ。
メイドとして、人に奉仕するのが当たり前。そんな世界でしか生きたことがない、というのは少々大袈裟だろうけど、幼少の頃からかなり複雑な事情を抱えていることだけは、何と無く悟ることができた。
ここまで自分がメイドであることに拘る理由も、実はそんなに単純なものでもないのかもしれない。
「無理にとは言わないけどさ…いつか、話してくれたらいいなぁって思ってるよ。フラン自身のこと」
「それは…」
「ほら、私ってちょっと抜けてるところがあるから…無意識に変なこと言って、フランを傷つけたくないんだ」
無自覚だろうと、誰かの懐に土足で踏み入るような真似は出来るだけしたくない。
ほんの些細な言動が、相手のトラウマを呼び起こしてしまうなんて、良くあることかもしれないけど、それに気づかないまま、同じ発言を繰り返す度、心の内では傷ついている者がいる。そんな状況が、私には堪えられない。
とは言うものの、そもそもそのトラウマを聞き出すこと自体が失礼に当たるし、矛盾しているから、難しい所ではある。でも、話した方が楽になるのなら、少しずつでも吐き出していって欲しい。
――これは、私にも言えることかな……。
「アリアさん……。その気持ちだけで、十分ですよ。本当に、どこまでいっても優しいんですから…」
「そんなことないよ。当たり前の事だもん」
「それで言うと、私は何より、アリアさんのことが知りたいです」
「え…??」
「私たちの誰よりも、隠し事が多いじゃないですか。なんでそんなに強いんですか?」
「うっ…」
予想外のカウンターパンチが炸裂。偉そうな事を言った手前、自分も同じだと認識した途端、急激に決まりが悪くなる。
うん、ほんとそうだよね…。
「いやー、その…私の事はいいよ。うん、全然、全くもって…あははー」
なんて、明らかに戸惑いの色が見える訳の分からない発言を繰り返す。そんな私に対し、フランは曇らせつつあった表情を穏やかなものに変え、再び艶やかに微笑んだ。
「ふふっ、そんなにお話しできないことなんですか?ルナさんやシャトラさんは、色々知ってそうでしたけど」
「き、気のせいじゃない……?」
何というか、みんなそうだけど、フランも中々の切れ者で察しがいい。日常でも、ちょくちょく私の秘密に関して核心に迫るような言葉を投げかけてきたりするから、その度に誤魔化すのが大変なのだ。
「そうでしょうか。……では、私もそんな感じで」
返す言葉もない。同じように秘め事を抱えているからこそ、話すことで本当に楽になるのかとか、今の私たちの関係値が崩れてしまわないかとか、色々想起して、どこか言いたくない気持ちが残ってしまう。そういった曖昧で難しい心境を理解してあげることが、その人に寄り添うための一番の近道になるのだろうか。
「ふふっ、アリアさん…。なんというか、その…お互いに言えない秘め事があるって――」
と、理屈っぽく頭の中で並べ立てていた私に、フランが顔を近づけてくる。そして、
「なんか、ドキドキしますよね…」
耳元に口を持っていき、0距離で囁いてきた。小悪魔的な色気を含んだ吐息混じりの囁きを受け、心臓が大きく跳ね上がり、頭部からはボフッ…!と湯気が出る。
「ふぅー……」
「んっっ!!?」
更には耳の中に息を吹きかけられ、とんでもない追い打ちに危うく理性がぶっ飛びそうになった。既に思考は吹き飛び、真っ赤な顔で声を漏らす私と同じように、なぜかフランも頬辺を赤く染めている。
「ご、ごめんなさい…。そんなにお耳が弱いとは思わなくて……それにしても、ちょっと声がエッチです」
「誰がエッチにさせてるのさ…!」
「あはは…私です。アリアさんは、ほんといじり甲斐があるんですから~」
「むぅ…」
「それでは反対側やるので、ごろ~んしてください」
子ども扱いされていることにも気づかない程、頭の中がふやけてしまった。気色ばみつつ、素直に返事をし、メイドのお腹の方に顔を向ける。
鼻孔を掠めるは、干したてのお布団のようなポカポカした甘い匂い。今日は小庭園のお世話をしていたのか、少しばかり花の香りも染みついていた。
フランの、匂いだ…。
眠気を誘う誘惑の芳香を堪能しながら、同時に耳も癒されていく。こんな贅沢なリラクゼーションがあっていいのだろうか。
「先程のお話ですけど…せっかくなので、メイド服であれば、普段と違うものを試着してもいいかもしれませんね」
「そうだよ!フランなら何でも似合うだろうし、ルナが可愛いの見つけてくれるって」
「それは…楽しみですね」
「……??」
なぜだろう。ニッコリと笑っているのに、眉尻は分かりやすく下がっている。
その表情について、尋ねてみたい気持ちはあったが、また先程のようにはぐらかされてしまうのではないかと、私は衝いて出そうになった問い掛けをぐっと胸にしまい込んだ。
誰にだって、触れて欲しくないことはある。ここは、フラン自らが打ち明けてくれるまで待つことにした。
しかし、それが良くなかったのだろう…。
この時の判断を、私は後に悔いることになる――。
「アリアさん、瞼が落ちてきてますよ。もうおねむですか?」
「ん…うーん……」
色々思考を巡らすも、癒しの力がそれを上回り、徐々に私の意識を奪っていく。
睡魔が襲ってきて、そろそろ限界を迎えそうだ。フランの柔らかいお腹と太腿に顔を埋めつつ、だらしない蕩け顔で視界を閉ざす。
あれ…私、フランに何聞こうとしたんだっけ……。
「可愛いですよ、アリアさん…」
頭を撫でながら、独り言のように囁くフラン。その声に耳を傾けたが最後、気づけば私は夢の中にいた。
メイド服のひらひらとしたスカートをぎゅっと握り締めながら、幸せそうに眠る私を見下ろすと、彼女は切なげに、どこか遠くを見据え、密かに呟く。
「そろそろ…ですかね。私にはもう、時間がないかもしれません……」
「むにゃむにゃ…」
「勇者の祭典…皆さんとの最後の思い出は、幸せなイベントになりそうで良かったです……。ですが……まだ、見足りないですね。この、天使の寝顔を――」
眼鏡の内側のレンズに、一滴の雫が零れ落ちる。
私の寝顔をぼんやりとその目に映しながら、彼女は静かに涙を流した――。
―――――――――――――――
ここで時を遡り、本日の早朝。
アリアたちに招待状が届く、ほんの数時間前の出来事である――。
人間界最大の中心都市――ネオミリムの一角、〝義勇軍本拠地〟の正面玄関にて、軍服を身に纏った一人の男が満身創痍で横たわっていた。夜が明けるまで都心の警備を担っていた軍人らが、同僚を発見し、すぐさまその身を介抱する。
「おい、大丈夫か!!」
「【レオンハルト】!?義勇軍〝№2〟のお前が…隊長は一緒じゃないのか!!?」
「ぐっ、うぅ……」
全身血塗れの男――軍人レオンハルトは、意識があるものの、まるで悪夢に魘されているような呻き声を上げ、同僚の軍服を力強く握り締めた。
苦しんでいるというよりかは、悔しいといった感情を露わにしている。それは、悔恨の色が大いに表れた彼の表情からも、容易に察せるところであろう。
回復の施しを受けつつ、レオンハルトは蚊の鳴くような声で、こう告げた。
「ハァ…ハァ……すまん…た、隊長を……守ることが、できなかった…。あの人を…か、過去に……置いてきてしまった…」
「嘘だろ…?置いてきたって……隊長も一緒に帰ってこれなかったのか?お前たちの身に、何が起こった!?」
「あ、現れたんだ…」
「現れた??何がだ…?」
そして、レオンハルトは目に涙を浮かべ、歯軋りし、再度口を開いた。
「あ…究極者の魔族が……俺たちに襲い掛かって来たんだ!!!」




