第113話 金色の切符
一ヶ月後――。
人間界東端の辺境地、カギ村。勇者の領地に属していないものの、ここに住まう人々は戦争というものを知らない。それ程までに、平和な暮らしを約束されている。
当然だ。勇者に匹敵する、或いはそれ以上に強力な魔除けの結界が、村を囲っているのだから。
村民は知る由も無いだろう。その結界は、嘗て人間を脅かしていた元最恐魔王、アリエ・キー・フォルガモスが構築したものだということを。
そして、偶然にもこの村が護られていること。その、決して読むことのできない大きな意味を。
全ては闇の中。真相を包み込んだ錠を外す唯一の〝鍵〟が、目覚めるまで――。
どこまで見渡しても長閑な風景が広がり、特色なんて何一つ持ち合わせていないような極々普通のこの田舎村は、今日も平和な一日を迎えていた。
◇
「えいっ!はーっ!!」
気合の籠った可愛らしい少女の掛け声が、目の前から飛んでくる。同時に、木刀が頭頂部へ勢いよく振り下ろされた。
それを弾き返す形で、こちらも同じ木刀を振るう。鋭利な木片同士がぶつかり、広々とした邸宅の中庭に鈍音が鳴り響いた。
「キャッ…!」
衝突の直後、片一方の木刀が放物線を描くように宙を舞い、乾いた地面へと叩きつけられる。断続的に行われていた剣戟は、一度終わりを告げた。
「ハァ、ハァ……なかなか、上手く…いかないわねぇ……」
自分の手元から離れた木刀を眺め、息を切らしながら地に体を預ける。そんな茶髪の美少女――ルナに手を伸ばし、彼女の剣の相手をしていた私は、にっこりと微笑みかけた。
「大丈夫?ごめんね、ちょっと強くし過ぎちゃったかも…」
「ありがとう。全然大丈夫よ。これくらいでバテちゃうなんて、まだまだね」
私の手を取り、起き上がったルナは、スカートに付いた埃を払い落とす。そのまま、息つく間もなく再び木刀を構えだした。
滴り落ちる汗などお構いなし。かれこれ一時間以上は続けているから、流石に心配になる。
「そろそろ休んだ方がいいんじゃない?根を詰めすぎるのは良くないよ」
「ハァ、ハァ……問題ないわ。もうちょっとだけ続けさせて。何かが、掴めそうなのよ…」
「でも…」
剣の稽古を始めたのは、およそ一か月前の事だった。
新たな魔法を教えて欲しい。そうルナからおねだりされた時、私は素直に頷くことができなかった。
暗に仄めかしたような勇者リツの言葉が、ふと脳裏を過ぎったからだ。
――これ以上、あの子の力をひけらかすような真似はしないで。
あの子なりに心配してくれたのだろう。詳細は教えてくれなかったけど、信頼のおける勇者の言葉を無視する訳にはいかない。
かといって、可愛い友人のお願いを無下にするのも気が引けた私は、
「今のルナは魔力が少ないから、実践で使えるような魔法は少ないんだ。前に教えてあげたのも、護身用のものばかりだし。だから、始めは基本的な体力作りとか、武器の扱いに慣れた方がいいと思う。基礎がしっかり固まってると、魔力の応用が利くし、使える魔法の幅もうんと広がる筈だよ」
と、それっぽく言ってみたものの、成長には個人差が付き物だ。体力や素早さなんかのステータスを上げたからといって、強くなれる保証はない。
そもそも、常に私が傍に付いてるし、ルナが強くなる必要なんてないのだが、彼女の中で色々と思う所があるのだそう。特に、幼馴染みであるユィリスの覚醒を目の当たりにしてから、対抗心が芽生えてしまったみたいで、
「守られるだけのお姫様気取りにはなりたくないわ!」
と宣言し、密かに闘志を燃え上がらせていた。
もはや、強くなれれば魔法でなくともいいようで、今回の私の提案にも、嫌な顔一つせず、素直に受け入れたルナは、早速基礎体力の向上と共に、木刀を振るうようになったという訳だ。
武器を扱うだけなら、魔力は必要ないし、ランクの高い魔法を無理やり使おうとするよりかはよっぽどいい。リツも魔法の類は使うなと言ってたから、少しくらい剣の腕が上がったとしても問題はないだろう。
けど、如何せん彼女の諦めの悪さには、良くも悪くも参っている。自分が納得いくまで、永遠と剣を振り続けるもんだから、懸念が勝ってしまう。
それは私だけではなく、近くの木陰で稽古を眺めていた聖剣も同じだったようで、
「マスターの言う通りだぜ、ルナ。やるとしても、一旦呼吸を整えてからだ。息を乱してちゃ、己と向き合うことはできない。そんな状態で剣を振るっても、せっかくの稽古が無駄に終わっちまうぜ」
剣の視点から実に有用なアドバイスをしてくれた。
教えることに関しては、この子の方が適任なのではないだろうか。深紅の水晶を煌めかせ、虚空の聖剣の半身――キュラが、ふわりとこちらへ浮遊してくる。
「キュラ…。たしかに、そうね。じゃあ、次で最後にするわ!」
「おい、話聞いてたか…?」
「呼吸は整えたもの。それに、何の成果も無しに終われないわ。アリア、もう一回だけ付き合ってもらえる?」
「うーん…ほんとに最後だよ」
「ええ」
やれやれと思いつつ、なんだかんだ木刀を構えだす私。ルナに甘いのもあるけど、何より汗水垂らして必死に頑張る姿が魅力的過ぎて、もっと見たくなってしまう。
これって、気持ち悪いかな…。まあ、至極真っ当な考えだと思いたい。
「はーっ!」
ルナが両手で持った木刀を思いっきり振り下ろし、私がそれを捌く形で打ち合いは始まる。
当然、こちらから攻撃はしない。まだ始めたばかりだし、なるべく自由に木刀を振らせて、刀剣の扱いに慣れてもらう。
とはいえ、ある程度続いたら、弾く力を強くしていき、負荷をかけていく。筋力はさることながら、スタミナや素早さも同時に鍛えてあげることが目的だ。
いつも以上に気合いが入っているのか、今回はかなりの粘りを見せるルナ。息を整えつつ、木刀を手放さないよう強く握り締め、真っ向から攻めてくる。
「今までで一番続いてるぜ、ルナ!」
「元世界一の魔王が、相手をしてくれてるんだもの。こんな貴重な時間、無駄にはできないわ!」
ルナは集中してるからか、さらっとカミングアウトをかましてくる。まあ、他の子たちはいないからいいけど。
貴重な時間…か。
考えなしに出てきた言葉とは思えない。どこか焦燥も垣間見える彼女の発言に、私は少しだけ引っかかりを覚える。
いつも一緒にいるんだし、時間は無限にある筈だ。離れることがない限り、ずっと――。
そこまで脳裏に言葉を並べ、今一度冷静になる。
「やあ!!」
目の前で、少女が一生懸命木剣を振るっているのに、何を思慮することがあろうか。
物事を深く捉え過ぎて、色々と考え込む。私の悪い癖の一つだ。
余計な妄想を振り払うように頭の中をクリアにして、稽古に集中する。
「まだまだ!!」
そう意気込みを見せたのも束の間、弾かれた木刀はルナの手元を容易に離れる。要らぬ考え事をしていたせいか、少々力を入れ過ぎて、必要以上に打ちつけてしまったようだ。
これで今日の稽古は終わり――かと思いきや、状況は一転する。
木刀が手放された直後、ルナは素早く身体を捻り、こちらに背を向け、右後方に弾き飛んだそれを、利き手ではない左手で正確に掴み取った。そして、その捻った勢いのまま一回転し、私の横腹辺りを狙ってくる。
嘘でしょ…!?
突飛なあまり、驚いて反応が遅れてしまった。いや、反応する間も無かったというのが正しい。気づいた時には、ルナの剣が至近距離に迫ってきていたのだから。
斬られる。冗談抜きでそう思った。
しかし、緊張の糸が切れるのはあっという間で、
「えっ、うわっ!!」
私の懐へ入り込んだはいいものの、最後の最後で集中力を欠いてしまったのか、足を縺れさせてしまうルナ。そのまま前のめりに倒れ込み、眼前の私へ覆い被さってくる。
その後、どうなったかなど言うまでもなく、私たちは重なり合いながら地に体を預けていた。
「……」
いつもならば、このシチュエーションになったら最後、私の鼓動は限界突破することだろう。けど、なぜか今回ばかりは違い、女の子と0距離で密着していることに意識を向けられない程、私の頭の中は疑問で埋め尽くされていた。
今…一瞬だけ、時間が止まった……??
そんな風にも感じられたルナの最後の動きを、今一度思い出す。
行動自体に驚愕した訳ではない。その行動に至るまでの瞬発力と思考の速さ、更には私に斬りかかろうとした時に見せた素のスピードは、神以って別人の域だった。
まるで、ルナ以外の時間の流れが遅くなったかのように――。
気が緩んでいたとはいえ、あのまま続いてたら、間違いなく私は斬られていただろう。殺気と言うには大袈裟だけど、それだけの気迫を感じ取った。
やっぱり、この子の潜在能力は…。
そこまで熟考した私の頬に、一滴の汗が滴り落ちる。結果的に、私を押し倒す形となったルナへ自ずと意識が向き、キュン…と心臓が強く脈打った。
「ハァ、ハァ……」
ル…ナ…??
起き上がる体力も無くなってしまったのか、ルナは私の上で、荒くなった呼吸をなんとか整えようとする。でも、その様子が少しばかりおかしいというか、いつもの彼女らしくないので、鼓動を抑えつつ、気遣わしげに見つめた。
「ルナ、大丈夫??」
そう問いかけるも、私の視線に気づいた途端、ルナは速攻で目を逸らす。頬っぺたを真っ赤にさせ、どことなく気まずさを感じさせるようなその何とも言い難い表情に、こちらまで顔が熱くなってきてしまう。
一時的な興奮状態に陥っているのかもしれない。勿論変な意味ではなく、無理に体を動かしたせいで、感じたこともない熱を帯び、戸惑っているのだろう。
何にせよ、無理は体に毒だ。暫く横になって安静にしていた方がいい。
「お二人さーん。いちゃつくなら、あたしが見てないところでやってくれ」
「いや、どう見たらいちゃついてるように見えるのさ…」
なんて、キュラから冗談まがいの茶々を入れられたところで、ハッとしたルナが口を開く。
「ご、ごめんなさい、アリア…!な、何かしら…か、顔が物凄く熱い気がするわ!!ちょっと、は、張り切り過ぎたみたいね!」
「……??」
後ろめたいようなことでもあったのか、ルナは何故かばつが悪そうに声を荒げながら、すぐに体を起こした。その後、私と微妙に距離を取って、あー熱い熱いと両手で顔を煽ぐ。
「ほんとに大丈夫?顔、真っ赤だよ」
「も、問題ないわ…!ええ、全く!!」
「そう…」
向こう見ずの剣戟に始まり、人が変わったように気迫を見せたかと思えば、最後は慌てふためき色めき立って。
あの一瞬で、何か心境に変化が起こったとでもいうのだろうか。先程見せた立ち回りといい、コロコロと変わるルナの表情や仕草に疑問を抱いていると、
「ん?……マスター、空から何か落ちてくるぜ」
キュラが何かを察知し、刀身を曲げ、器用に上空を指し示した。
そちらへ目を向けると、映り込んできたのは金色に輝く小さな紙切れ。風の抵抗を受けず、ひらひらと舞い落ち、まるで狙ったかのように私たちの元へ落ちてくる。
それが封筒であることに気づいたのは、完全に地面へ降着した時だった。丁寧に折り畳まれ、真っ赤な印鑑で留められたその金色封筒は、宛先が記されていないものの、僅かながら私の方へすり寄ってきている。
「私宛…??」
ぺたんと座り込んだ私は、早速封を開け、中の手紙を取り出し、内容を確認した。
「こ、これって……!」
◇
一方その頃――。
百合が咲く邸宅内にて、二人の少女が数字や柄の書かれたカードを手にして、互いに睨みを利かせていた。
「ぐぬぬ…モナよ、随分とポーカーフェイスが上手くなったな」
「ふふん、もう顔には出さないよ。モナだって、成長してるんだから」
「そうか。だが残念!お前の弱点は表情だけじゃないのだー!」
相手から確信をもって一枚の札を抜き取り、勝利を宣言する煌びやかな目を持った白髪の少女――ユィリス。対して、手元に残った一際柄の異なる札を見て、鮮やかな青髪を持つ獣人――モナが、分かりやすく落胆する。
「もう~~、なんで分かるの~~……」
しょんぼりと自慢の猫耳を垂れさせ、モナは可愛らしく落ち込んだ。
カードゲームだけでなく、駆け引きがものを言うゲームで、彼女は勝ったためしが殆どない。あまりに純真で素直だからか、性格上、相手を騙すことが苦手過ぎるのだ。
尤も、表情が管理できたとしても、人間にはない体の部位で感情を表現してしまうのだから、最早無理難題に近いだろう。そんな彼女に、ほっこりとした視線を向け、特殊な装置を両耳に当てた桃色髪の少女――サキが、ソファーに寝転がりながら助言を送る。
「尻尾だよ。モナお姉ちゃん、ユィリスちゃんが〝ジョーカー〟を取ろうとすると、尻尾が分かりやすく反応してるんだもん。まあ、耳もだけどー」
「ええ~!そういうこと!?もしかしてユィリスちゃん、モナの尻尾を見て…」
「お、おい、サキ!余計なことを言うな~!」
ニヤリと笑い、気怠そうにモナの弱点をバラしたサキへ、ぷんすかと剽軽な様子で立腹する。そんなユィリスに、彼女のバディである精霊のシロが、ふわりと宙に留まりながらボソッと呟いた。
《随分と自分を棚に上げてるけど、ユィリスはモナの次に分かりやすいからね?》
「シロ、お前だけは私の味方であれ~!」
相も変わらず、ユィリスの甲高い声が響き渡る中、この場に甘く香ばしい匂いが漂い始める。邸宅のメイドが、キッチンから作り立ての洋菓子を運んできたようだ。
「皆さん、クッキーが焼けましたよ~」
「おいしそー!」
「流石フラン。ちょうど小腹が空いてたところなのだ」
「アリアさんとルナさんは、まだ稽古中ですかね。ちょっと呼んできます」
空色の給仕服を着飾った赤毛の完璧メイド――フランが拵えたチョコチップ入りのクッキーを、紅茶と共にみんなで取り囲む。
少女たちの間でペット扱いされている白虎の魔物――シャトラも、甘い匂いに釣られ、眠りから目覚めたようだ。大きな欠伸と猫のような伸びをして、縁側からその巨体を覗かせる。
「それにしても、フランちゃんが教えてくれたトランプって遊び、ほんとに面白いねー」
「むぐむぐ……フランは私たちが知らない遊びをいっぱい知ってるのだ。この前のオセロってボードゲームも、暇つぶしに最適だったぞ」
「へー、どこで知ったんだろう」
「ふむ…焼き菓子か。おい、おチビ、食うでない!我とご主人様の分が無くなるであろう!」
「誰がおチビだ~~!!てか、私はサキよりも身長高いぞ!」
こんな無邪気なやり取りに興じる無名の少女たちが、かの勇者パーティを倒したともあれば、人間界中の話題になることだろう。現に、もうじき始まる勇者の祭典の議題にも、その功績が真っ先に挙げられている。
「あ、二人が帰ってきましたよ!」
フランが呼ぶ間もなく、二人が稽古から戻ってきたようだ。全員が揃うや否や、この場に〝金色の切符〟が掲げられる。
「みんな、聞いて!ネオミリムから、勇者の祭典への招待状が届いたよ!」




