第111話 みんなで温泉!!
グラン街を出てから半日が経過――。
デコボコの坂道や悪路を突き進み、巨大な魔物の群れを振り切って、街で調達したお弁当を分け合いながら、お互いの話に花を咲かせたり。楽しい時間はあっという間に過ぎて、夕方に差し掛かる頃には、精霊の住まう森、そしてエルフたちの居住区へ無事に戻ってくることができた。
「ティセルたちが帰ってきたよ~!!」
「みんな無事みたい!」
「良かった~!」
幻想的な自然魔力と美しき妖精が成す、巨木を中心とした眩い世界。いつ見ても一瞬で心が奪われてしまう天然の産物が、エルフの端麗な姿をより強調させている。
情景も風情もビジュアルも、全体的な美しさで勝負したら、この子たちの右に出る種族はいないだろう。ほっとした様子で出迎えてくれるエルフたちに囲まれ、自然と頬が緩む。
一方、そんな惚気顔の私とは神以て異なる表情で震えるティセル。彼女の母親である女王様の部屋へ近づくにつれて、その戦慄は頻度を増していく。
「ねぇ、アリア。私、今回頑張ったわよね!」
「え?う、うん」
「それを説明すれば、きっとママも…」
とめどなくコミカルに流れ落ちる冷や汗と蒼褪めた表情の裏にある僅かな期待。しかし彼女の希望的観測も虚しく、大方の予想通り、数分後にはエルフの森の最上層――女王の部屋にて、怒号が響き渡ることとなった。
◇
「バカ者!!!」
少しばかり癖のある煙草の匂いが舞う中、耳の奥に入り込んできたのは、重々しく野太い女性の第一声。絵に描いたようなお叱りを受け、ティセルの体は分かりやすくビクッ!と跳ねる。
語気は強めだけど、表情を見れば、どれだけ娘の身を案じていたかが一目瞭然だった。私たちの無事も確認し、安堵したように一息漏らすと、女王様は咥えていたパイプ煙草の火を消し、落ち着いた声のトーンで話し始める。
「先ずは…アィリス、よく無事に戻ってきた」
「はい。ご心配を、お掛けしました」
「いいさ。客人の皆にも感謝する。それはそうと…」
椅子に座りながら深く頭を下げた女王様は、再びティセルの方へ向き直った。
「ティセル…。お前が昨日、ここを出たことは他の精霊共から聞いていた。全く…早朝と聞いていれば、他のエルフたちを客人の護衛に付かせることもできたんだぞ。お前よりも強い兵士はいくらでもいる。万が一にでも王女が居なくなってしまえば、誰がこの森を存続させるんだ。身の程を弁えな!」
「ご、ごめんなさい…ママ」
「ハァ……お前は特殊なエルフなんだ。何度も話しただろう?誰かに回復魔法は使ったのか?」
「う、うん…。そこにいる猫ちゃんとフランに…」
「他の人間には?」
「してないわ…」
「そうか。まあ、それくらいなら」
いつもならここで、「猫ちゃんではないわ~~~!!!」と可愛らしい雄叫びが轟きそうなものだけど、なぜかこの場は安穏なまま。上手く空気を読んだのかと思っていたらそうでもないようで、逆に大人しく控えていたチビシャトラは、私の肩にぴょんと飛び乗る。
そして、神妙な様子で耳元に囁いてきた。
「ご主人様、やはりあのエルフ…普通ではないようです」
「ん?どういうこと…?」
「地下牢に捕らわれていた我は、ただ瀕死に置かれていただけでなく、強力な闇の呪いをかけられていました。体内の魔力回路が闇に毒され、並みの魔法では対処できない〝呪縛支配〟…それをあのエルフは何食わぬ顔で浄化させただけでなく、我の魔力を吸い取り続けていた鎖との〝魔力連結〟も断絶させたのです。それも、無自覚に…。正直、回復力だけでみれば、ご主人様には遠く及ばずとも、勇者連中に匹敵する程かと…」
「なるほど…」
プライドの高いシャトラがここまで言うのだから、本当なのだろう。ティセルからは特に不思議なオーラは感じ取れないけど、女王様にしか知り得ない何か特別な力を秘めているのかもしれない。
「今回は、客人が勇者よりも強かったから良かったものの、今後は私に断りなく、この森から出ることは許さない。分かったな?」
「はい…」
「……まあ、とにかく元気に帰ってきてくれて何よりだ。客人…いや、友人たちとの旅はどうだった?」
ティセルから反省の色が見え、女王様の表情は微かに緩む。娘に対する危惧の念が前面に現れていた怒りの感情を静め、穏やかな口調で問いかけた。
普段の温厚な母親に戻り、ティセルの口元は綻びを見せる。彼女もまたいつもの調子を取り戻し、経験したことを楽しそうに話し始めた。
「うん…えっとね。元々は、アィリスさんの救出のために外へ出たから、楽しいって言うのはおかしな話なんだけど……本当に、色んな経験をさせてもらったわ。楽しいことだけじゃなくて、危険なことも勿論あったし、アリアたちにはいっぱい迷惑かけちゃったかも…。でも、とにかく凄かったの。領地や街の広さも、そこに何があるのかもそうだけど、こんなに強くてかっこよくて、可愛い子たちと一緒に旅ができたこと…それが、私にとって何にも代えがたい最高の思い出になったわ!!」
「ふふ、そうかい」
ティセル…。
ほんわかしていてとても温かい親子の会話に、みんなの面持ちも柔らかくなる。
迷惑だなんてとんでもない。少数精鋭の中、一人味方が増えるだけでどれだけ心強かったか。短い間だったけど、私たちにとっても、エルフの王女との旅路はかけがえのない思い出として記憶に刻まれた。
「それと、シロ…お前は、人間と共に歩むのだな」
《はい。私に、恐怖に立ち向かう勇気と大切な感情を…誰かを思い遣る優しさを教えてくれた…。その人と、一緒にいたいんです!》
「ふっ、見違えたな、全く。覚醒して自信が湧いたのか。……良い〝バディ〟を見つけたな、シロ」
《はい!》
女王様の言葉を聞き入れ、シロはにっこりと元気よく頷いた。
後ろの方で佇むユィリスが、腕を組み、得意げにうんうん…と首を縦に振っている。間接的に褒められて、かなり嬉しそうだ。
「ねぇ、みんな!帰る前に、エルフの森の温泉に浸かっていかない?とっても気持ちいいよ!」
気持ちが落ち着いたところで、そうティセルが提案してきた。温泉というワードを耳にし、女の子たちは目を輝かせる。
「温泉!?」
「いいわね~!」
「大自然の中での温泉…興味があります!」
「うわぁ~楽しみ~!」
天然の温泉なんて、前世で魔界の溶岩風呂に浸かった時以来だ。昨日はお風呂に入ってないし、私も楽しみだけど、今回はかなりの大所帯。レアリムの時のように、ドキドキの閾値(?)を超えて気絶しないように努めなければ…。
そう、思っていたのだけれど――。
◇
――カポーーン……。
特に意味もなく、風呂桶の音が鳴り響いた。
エルフの森の巨木。その一層目に、神々しい自然魔力に囲まれた〝露天温泉〟があり、人工的に作られた垣根の中で、もくもくと湯気が舞っている。
少しばかり肌寒さを誘う夜風が、屋根のない開放的な空間になだれ込み、何も身につけていない私たちの素肌を優しく撫でた。
これくらいの気温がちょうどいい。石で囲われた湯船に肩まで浸かったら、どれだけ気持ちいいだろうか。
その前に、先ずは体を清めるところから。このエルフの森では、客人をもてなすための風習があるそうで…。
「どうですか?お客様。痒いところはございませんか?」
「ふにゃ~。すっごく気持ちいよ~」
「次はお背中洗わせていただきますね」
「ええ。お願いするわ」
「なんか不思議な感じですね~。メイドがご奉仕されるなんて…」
なんというサービス精神。ふわっふわな極上の泡とエルフたちの慣れた手つきに、皆かなりの心地良さを感じている。
そう。この温泉を利用しに来ると、専属のエルフが一人付き、客人の体を隅から隅まで懇切丁寧に洗ってくれるという、最上のご奉仕が約束されるのだ。
まさか、楽園の中に更なる天国が存在しようとは。石鹸のシャボンが浮かび上がる中、みんなリラックスした様子で、旅の疲れを癒してもらっている。
かくいう私にも、専属の可愛い子が一人ついたんだけど…。
「うひゃあ!!?」
ツツーーっと背中を人差し指でなぞられ、反射的に体が跳ねる。彼女の滑らかで妖艶な手つきも相まって、思った以上に反応してしまった。
「あはは!アリア、びっくりし過ぎよ。ちょっと指先を滑らせただけじゃない」
「むぅ…」
悪戯をしている自覚がないのか、真後ろで石鹸を器用に泡立てるエルフの王女――ティセルが楽しそうに笑った。地位なんて関係なく、真っ先に私の専属を買って出てくれたのは嬉しかったけど、彼女の中の童心はまだ健在のようで、私のあられもない反応を無邪気に面白がっている。
ちなみに、ご奉仕してくれるエルフはもちろん裸ではない。際どいけど、しっかり衣服を身に纏っているのに対して、ティセルは私たちと同じく素っ裸の状態だから、余計にこちらの緊張を煽ってくる。
彼女の意地悪に頬っぺたを膨らますも、別の個所に触れられたら、すぐに表情は崩れ落ちてしまう。
多少、女の子との絡みは慣れたつもりでも、これを耐え忍ぶのは不可能だ。内股で大事なところを隠しつつ、彼女に背中を預ける。
「そんな縮こまってちゃ、洗いづらいわよ、アリア。ほら、足広げて」
「む、無理無理無理~~!!」
「なんでよ。大事なところなんだから、ちゃんと洗わないと」
「こ、ここは自分でやるよ…」
「もしかして、恥ずかしいの?まあいいわ。先に胸の方を――」
「そっちも大丈夫だから…って、ひゃ!!」
私の胸に手を回そうとしたティセルの体が、必然的に背中へ押し当てられる。豊満とは言わずとも、杏仁豆腐のような柔らかさを持つ二つのお山が密着し、またしても変な声が出てしまった。
「アリア、うるさいぞ。何を感じているのだ?」
なんて、他方から野次が飛んでくる始末。そんな声など耳に入らない程に、私は朦朧とした意識のまま、目をぐるぐる回している。
流石のティセルも心配になり、他の子たちに目を向けた。
「私、別に変なことしてないわよね…」
「いつものことよ。アリアだもの」
「普段からそんな調子ですよ」
「にぃへへ~、それが溜まらなく可愛いんだよね~」
「気絶するまでがセオリーなのだ」
セオリー言うな!
心の中で突っ込みつつ、何とか意識を維持する。今回の私は一味違うのだ。
そう。これは言うなれば、精神の修行。どんな辱めを受けようと、心身を正常に保っていられるかという、弱点克服のための訓練だ。
「アリアって、髪綺麗よね。いい匂いするし」
「ちょ、やめ…!」
「すんすん…ほら!そういう体質なのかもね~」
今度は匂いを嗅がれ、微かな鼻息が耳元を掠めてくる。同時に、太ももを撫でるように洗われるもんだから、心臓の動きがおかしくなりそうだ。
体臭なら、サキが一番…って何考えてんだ私は!!
もはや、他の事に気を向けていないと乗り切れない。顔を真っ赤にしながら、ひたすらに鼓動を抑えようとする。まあ無理なんだけど。
最終的に、なんとか耐え抜いたものの、ずっと気を張っていたからか、目尻に涙が溜まっていた。
「怖いくらい別人ね…。あんな凶悪な闇の塊を一瞬にして消し飛ばした子には思えないわ…。あーなんだろう…もっと可愛いとこ見たくなっちゃうわね、こりゃ……」
と、更に私の背中に手をかけようとしたティセルの方へバッ!と勢いよく振り向き、
「むぅ……」
胸元を両手で隠しつつ、じーっと睨む。肩頬を僅かに膨らませ、涙目で威嚇する私を見て、ティセルはようやく諦めてくれた。
「わ、分かった分かった!そんな睨まないでよ~。可愛いな、もう」
「一応、怒ってるんだけど…」
「全然見えないわよ~。さ、温泉に浸かりましょう!」
みんなに続き、足先からゆっくりと、温度を確かめながら浸かっていく。肩まで沈めると、自然魔力と混じり合った濃厚な温泉成分が、全身を包み込んできた。
「はぁ~~~………」
1日の疲労が根底から癒えていくのを感じる。言葉にならない気持ち良さに、蕩けたような顔で、後ろの壁に体を預けた。
「ん~~……最っ高ね~!!」
隣でルナも気持ち良さそうに伸びをする。
とんでもない色気だ。目のやり場に困ってしまう。
「泳ぐのも気持ちいいのだ~」
「ユィリスさん、温泉で泳ぐのはマナー違反ですよ」
「ん、そうなのか?なら、水の掛け合いだ~!」
どれだけ遊びたいのやら。バタ足で湯船を遊泳していたかと思えば、熱いお湯をバシャバシャとこちらに掛けてくる。
天真爛漫なユィリスの性格は、留まるところを知らない。熱がりながら、モナとサキも一緒になってはしゃぎ回っている。
「はにゃ!?熱いよ、ユィリスちゃーん。それっ!」
「偶には、騒がしいのも悪くないねー。ほーらっ!」
そういえば、フード無しのモナを見るのはかなりレアかも。長めの髪をお団子状に纏めているのが可愛らしい。
フランとルナは、頭に上手くタオルを巻いている。私は不器用だから普通に束ねてるけど。
「ふん、悪くない湯だ…」
シャトラも満更でもない様子で、頭にタオルを乗せながら、ぷかぷかと浮かんでいる。温かいお湯で満たされた小さな桶の中で。
「こらー!子供じゃないんだから、こんなところで遊ばないの!」
「わぁ~!お前ら、鬼が来たぞ!鬼のルナが来たぞ~!お湯をかけて撃退するのだ~!!」
「熱っ!!?くっ、やったわね、この~~!!」
キャッキャキャッキャと裸の美少女たちが目の前で躍動する。
基本的には、みんな大人びた考え方を持っていて、割としっかりしているが、年齢的に見れば、そこらの子供と何ら変わりない。今回は、全員が必死になって戦ってくれたし、これくらい羽目を外しても誰も怒らないだろう。
心臓がもたないから、せめて私の目の届かない所ではしゃいで欲しいけどね…。
そう心の中で呟きつつ、ドキドキしていると、ティセルが傍に寄ってくる。
「ふふ、みんな本当に元気ね~。あの子たちを纏めるの、大変じゃない?」
「ん~、私は別にリーダーじゃないからね。いざとなったら指揮を取ることはあるかもしれないけど、基本は対等な関係でいて欲しいからさ」
「そっか。もしアリアが勇者だったら、あなたたちは最強の勇者パーティになるでしょうね」
「私は勇者にはなれないよ。資格がない…。徳を積んできたつもりはないからね」
「なんか、深いわね…。アリアについて、色々知りたくなっちゃうわ」
「あまり詮索しないでもらえると、助かる…かな」
「え~、気になるなぁ~」
エルフの特徴的な長い耳から、水滴が滴り落ち、湯面に波を作る。
そこへ映し出されるは、夜空に浮かぶ僅かに欠けたお月様。宙へ昇る金色の魔力共々反射して、私たちの姿を照らし出す。
「本当に、楽しかったわ。短い間だったけど、あなたたちと過ごした時間は、私の一生の宝物よ」
「なら、その宝物は、これからどんどん増えてくかもね」
「え?」
「また、会いに来ていい?」
真面目に、それでいてにこやかに伝えた私の言葉に、ティセルの相好はパァァァと明るくなる。そのまま、幸福を体現するように、私へ思いっきり抱きついてきた。
「ええ、勿論よ!!いつでも来て!」
「てぃ、ティセル!??」
「大好き!!」
箱入り娘の純粋さは伊達ではない。こちらの意識が飛ぶのもお構いなしと言わんばかりに、もっちもちの美肌を躊躇いなく押し付けてきた。
余程嬉しかったのだろう。悶絶しそうになったのは語るまでもないけど、もう何でもいい。
また一つ、幸せを得た少女の笑顔を、見ることができたのだから――。
次回、第三章衝撃のラストをお見逃しなく!!




