第108話 時を超えて
「ん~~!食べた食べた~!!」
少しばかり慌ただしい朝食は終わりを告げ、膨れたお腹をさすり、悦に入る。みんなも満足できたようで、各々食事の感想を楽しそうに語り合っていた。
グラン街の料理は、盛り付けが綺麗で風情のあるものばかり。王都レアリムで頂いた食事もそうだけど、街ごとに食の形態や味付けが異なり、改めて人間界の調理技術は多種多様で素晴らしいものだと感じた。
今度は、ちゃんとお金払って食べに来よう。
「出発はいつなのだ?」
「買い出しは終わったし、名残惜しいけど、村のみんなが心配するから早めに帰った方がいいわ」
「え~、もうちょっと街のご飯堪能したいのだ~!」
「十分食べたでしょ…。それに、ティセルを長い間森から連れ出しておくわけにはいかないの」
「ごめんなさい、ママが心配してるだろうから…。というか、多分カンカンに怒ってる……」
急に現実へ引き戻され、ティセルはどんよりとした面持ちになる。
知り合いを助けるためとはいえ、森を無断で抜けてきたのだ。エルフの未来を担う王女を連れてきてしまった私たちにも責はあるけど、これ以上長居すると大騒ぎになりかねない。もうなってるかもしれないけど…。
まあ、一晩寝て魔力は回復したし、テレポートですぐに帰れば問題なし。なんて考えながら、食事会場を後にしようとした瞬間、目の前から質に覚えのある魔力が生起し、この場の空気を格調高いものに変えていく。
「この気配は…」
魔力が風のように流れた後、一弾指の光と共に、二人の女の子と黒幽体の悪魔が一人、私たちの正面にスッと現れた。
こちらの気配を感知して、〝テレポート〟してきたのだろう。見知った勇者の登場に、私はすぐさま声を掛ける。
「リツ!」
「ん、眠い……」
大胆に登場してきたかと思えば、リツは今にも眠りに落ちそうな半開きの目でこちらを見やる。そして全員が注目する中、隣に立っている女の子――出で立ちからしてカリスマ性を醸し出すような風格のある人物に声を掛けた。
「ほら、何か言いたいことあるんでしょ?」
「ん?ああ」
格式ばった品位のある黒装束。見慣れない格好だけど、本の挿絵に掲載されているのを最近見かけた記憶が新しい。あれは軍服という珍しい衣裳だ。
珍しいとされているのは、その服が人間界のトップを守護する最高位の組織――〝義勇軍〟に宛がわれる特別な装備であるから。中でも軍事帽を被っている者は、最高位の軍人とされ、人間界でも指折りの実力を誇る勇者なのだそう。
その軍事帽を被っている軍服を纏った女の子が、今目と鼻の先にいる。
つまり言わずもがな、この子は義勇軍の軍隊長であり、リツと同じく勇者の一角。道理で、人間にしては異質なオーラを放っているものだと、私は瞬時に理解した。
キロたちを連行するのは、この勇者ってことか。
「えっと…お前たちが、あのグランツェル家を倒し、この街を救ってくれた英雄だな?あたしはエリカ・ロンド。そっちのちっこいのと同じで、勇者をやっている者だ。以後、よろしく頼む!」
「ちっこいの…?」
可愛らしい敬礼と共に、軍勇者エリカは元気よく挨拶してくれた。言い方がよろしくなかったのか、後ろに控えているリツの額に怒りマークが浮かび上がった気がする。
エリカ・ロンド…この人が?
名を聞いた途端、私は少し難しい顔になる。
たしか、最近読んだ軍人に関する本の著者も同じ名であった筈。巻末に羅列された著者自身の説明には、代々続いている軍の創設者だと記されていた。
でも義勇軍の始まりは、今から約100年程前。それに、顔などの細かい部分はぼかされていたけど、挿絵で描かれていた人物と風体がかなり似ているのだ。
そこが、私の中で少し引っかかっている。まあ、偶然創設者と同じ名前だったと言われればそれまでだけど。
なぜここまで記憶に残っているのか。それは、偶々開いた本の挿絵にあった勇者の軍服があまりに可愛かったからだ(←どこ見てんだ!)。
同一人物かは別として、今目の前にいる勇者が着ているものと全く同じ。加えて美少女ときた。私の目は間違いなく、格好良さも兼ね備えたエリカという子に惹かれている。
可憐さを隠しきれていない精悍な面構え。パッチリと開いた目に潜む、光沢がかった紅蓮の瞳。長いまつ毛と艶のある頬から、大人の魅力が大いに溢れ出ている。
両サイドに纏めているサラッとした黒髪。歩く度に、その細長いツインテールがふわっとしなやかな動きを見せる。
背は高く、細身の体型だ。制服をより引き締める豊満な胸元に、自然と目が吸い寄せられてしまう。
軍服は基本的に黒色で統一。特に飾りのない短めのスカートや、足首にしっかり固定したコンバットブーツから太ももまでを覆う黒いソックスに、シンプル故の可愛さが表れている。
頭にすっぽりと嵌っているのは、軍勇者に与えられるツバ付きの軍事帽。正面には、勇者の証である〝紋章〟が刻まれているみたい。
大人の女性を醸しつつ、男勝りの口調でギャップも与えてくる。
年齢は私よりも上だろうか。まあ、勇者は歳を取っても見た目は変わらないし、憶測では測れないけど。
「エリカ…ロンド……!?」
勇者という肩書きを聞き入れ、みんな多少なりとも驚いているが、何故かアィリスさんだけは、勇者の名に強い反応を示した。
品位を感じる正義感の強そうな女の子。目の前を何と無しに通り過ぎるエリカをそう印象付ける私だったが、後に続く会話で、そのイメージは見事に崩れ去った。
「あたしとまではいかないが、勇者であるキロ・グランツェルは中々手強かったろ?倒してくれたことに礼を言う」
倒した者をその目で見定めたのか、エリカは握手を交わそうと、自信満々に手を差し伸べる。彼女を下からキョトンと見据える真顔のユィリスに。
「私は倒してないのだ。お前、見る目ないな」
「何だって!!?」
ふふんと得意げに歩み寄った分、羞恥の反動は割と大きい。クールで美麗な顔が、一気に赤く染まっていく。
この中だと、私と勇者を除けば、ユィリスが一番強い。覚醒した魔力のオーラを感じ取ったからこそ、勘違いしてしまったのだろう。
そこまでは良かった――。
「じゃ、じゃあ、お前か!?」
「ううん、モナじゃないよ」
「じゃあ、お前!」
「ちがうよー」
「そっちのお前!」
「いえ、違います」
「お前!」
「ガルルル!!」
「間違いなくお前だ!」
「そんな訳ないでしょ…」
という具合に、次から次へと当てずっぽうで指を差していく始末。別に倒したことを自慢したい訳じゃないけど、何とも言えない虚無感に襲われる。
私って、そんな影薄いかな…。というか、途中シャトラに威嚇されてたし(恐らく、私を見破れない勇者に対する怒り)。
「そうかそうか。この場にはいないんだな」
「……」
冷や汗をかきつつ、なぜか自分の過ちを無かったことのように話し、再び私の傍を通過しようとするエリカ。直後、こちらの存在に気づいたのか、ようやく目を向けてくれた。
「まさか、お前なのか……?」
「うん、まあ」
「嘘だろ?」
「ここにきて嘘をつく理由なんて無いと思うけど…」
「だって、一番よわ…魔力無さそうじゃん!」
「……」
随分と失礼な軍隊長だ。なぜ弱そうに見えるのか、小一時間問い詰めたいところである。
リツも言ってたから、私の魔力は本当に格がない、もしくは単純に他者には測れない特殊なものなのだろう。だからといって、露呈された少々ポンコツな軍隊長というレッテルは、今更拭い去ることはできない。
仮にもこっちは元魔王。そういう別のベクトルでのギャップがある女の子は凄く可愛いと思うけど、今回ばかりは威厳を示すため、じとーっとした目を相手に向ける(これで何かが変わるわけでもないのだが)。
「す、すまなかった!後でぬいぐるみを買ってやろう!」
「そんな子供でもないけど!?」
完全に舐められモードだ。眠気を抑えながら、リツも呆れたような顔で私たちのやり取りを見ている。
「こ、こほん!とにかくだ。改めて、礼を言わせて欲しい。名を聞いてもいいか?」
「アリア」
「アリアか、覚えておこう。この街の人たちを守ってくれたことに、感謝する。そして、同時に謝罪をさせてくれ…」
「え??」
私と握手を交わした後、エリカは一歩下がり、再び精悍な目つきに直る。ここからが本題なのか、今回の一件に関わる全員に向けて、真っすぐ誠実に言葉を発した。
「お前たちが倒してくれたグランツェル家というのは、嘗て勇者が捕え損ねた闇の一族の残党だというのは、知っているか?」
「うん」
「その嘗ての勇者というのが、このあたしなんだ」
「え!?」
茶番のような件から一転。中々の事実が本人の口から飛び出てきた。
眉をピクつかせた程度の私に対し、この場は軽く一驚を喫する。
ちなみに、40年ほど前のエルフの森荒らし事件と闇の一族が関係していることについては、大まかではあるが、ある程度の情報をみんなに共有していた。それも、先程の朝食中に。
だからこそ、よりタイムリーに感じ、一方で、疑念が湧いていることだろう。というのも、彼女の見た目が、話に矛盾を生じさせるほど若々しく思えるからだ。
まさか…。
他の者たちの脳内で疑問が飛び交う中、その答えは唐突に告げられる。
「あたしは、過去と未来を行き来できる『時幻の加護』を持ってるんだ。信じ難い話かもしれないが、同じ勇者であるリツが証人だ」
「……」
そう言われ、リツの方に目線を向けると、彼女の首が縦に動く。どうやら、本当のことらしい。
成程ね。なんとなく見えてきたよ。
「凄い!!」
「タイムトラベラー…ってやつ??」
「へぇ~!」
エリカの加護を聞き入れ、皆が皆、興味津々に反応する。割と情報通のフランやサキも知らないとなると、あまり世間に公表されていない能力なのかもしれない。
時を操るというのは、下手すれば全く別の世界を生み出してしまう究極の力。禁忌と言ってもいい。
誰しもが一度は憧れるであろう魔法だが、その危険度は計り知れないのだ。それを私は誰よりも理解している。
魔王アリエでさえ、既に確定した過去を改変した上で、現世界線(私たちが存在する主軸の世界)の未来を修復することなど、不可能なのだから。
ある種の≪世界構築≫とも称される、危うい魔術。扱う者によっては、常軌を逸した恐ろしい能力になってしまう。
誰かに悪用されるとマズいが故に、そういった『神域能力』はおいそれと他人に教えてはならない。だからこそ、そんな勇者固有の能力を初対面の私たちに話してくれたのには、それなりの〝理由〟がある筈だ。
「数人の部下を連れて過去を遡っていたあたしは、エルフの森が襲われた時、偶然そこに居合わせてな。別件に気を取られていたこともあって、知らぬ間に強大な闇を秘めた赤子…後のキロ・グランツェルを逃してしまったんだ」
「……」
「リツから全てを聞いた。神霊族の子を含め、ここにいる者たちの殆どが、心身共に深い傷を負わされたと…。あたしなんかには想像もできないが、辛く、苦痛なものであっただろう…」
そこまで語り、エリカは被っていた自身の象徴でもあろう軍事帽を脱いで、真率な眼を一人一人に向ける。一瞬の静寂が訪れた後、彼女は表情を一切変えることなく、また逡巡することなく、深々と腰を曲げた。
「今回の件は、油断して奴を取り逃がしたあたしにも非がある。だから、謝罪をさせて欲しい。本当に、申し訳なかった」
「――!?」
私たちにとって、勇者というのは孤高で高嶺の存在(例外はいたけど)。人間界で最も偉い者に数えられ、信仰し崇める人間も少なからずいる。良い意味で、自尊心の塊と言ってもいい。
肩書に沿ったプライドは勿論あるだろう。そんな勇ましき最強の軍隊長が、何の称号も持たないただの人間に躊躇いなく頭を下げたのだ。
その姿に、思わず息を呑む一同。それは、リツも例外ではない。目を丸くさせ、驚きを隠しきれていなかった。
迷い、なく…!?こんな義理堅く誠実な女の子が、勇者をやっているというの…?
いや、同じ勇者であるキロがあんなんだから、より衝撃が走っただけなのかも。それにしたって、ここまで真っすぐに、己の非を認め、相手を選ばず謝罪ができる。そんな人間がどれだけいることか。
まあ、謝るべきかどうかは、私に言えることではない。これは、グランツェル家から直接の被害を受けた者が決めることだろう。
だけど私の友達は、そんな難しいことを考えるよりも先に、口が動いたようだ。
「あ、頭を上げてよ、勇者さん!」
「そうそう。今の話のどこに、お前が悪い所があったのだ?」
「だ、だが…」
「ただの結果論じゃん。勝手に謝られても、モナお姉ちゃんが困るだけだよー」
「うんうん。モナ、困っちゃうもんね!」
「お前たち…」
勇者からの思い掛けない詫び事に戸惑いつつも、皆が皆、エリカの謝罪を笑顔で突っぱねた。
顔を上げれば、不快に思っている者や怪訝な顔をしているものは一人もおらず、エリカは口をポカンと開けたまま、逆に驚かされている。
だよね。この子たちなら、そりゃこうなるよ。
なんて、ドヤ顔でみんなの優しさにしみじみとする私。分かってました感出すなと、誰かに突っ込まれそうである。
《寧ろ、感謝したいよ。あなたが来てくれなかったら、エルフの森はもっと壊滅状態になってたと思うもん》
《そうでやがりますね。ウチらの命があるのは、勇者が駆けつけてくれたおかげでもあるでやがります》
精霊たちにとっては、命の恩人とも言えるだろう。反逆者は捕らえ損ねたけど、森の精霊や住民の避難を最優先にしたと考えれば、責任を全く感じる必要はない。
犠牲になってしまった者も少なからずいるのが現実。でも、それ以上に勇者に救われた者たちがいるというのも事実だ。
サキも言ってたように、たかが結果論。私も、みんなと同じ意見だ。
(――なんて、強い子たちだ…)
温かみに溢れたこの場の空気が、エリカの心に引っかかっていた罪の念を取っ払っていく。
ほっとしたのだろう。張りつめていた精神が綻び、彼女の表情に笑顔が生まれた。
「心から、感謝する…!!」
そして今度は感謝の言葉を述べながら、更に深く、頭を下げた。
時を操る能力についての詳細は、この世界の法則と併せて、後程語られます。




