第106話 グラン街のおもてなし
明くる日の朝――。
寝耳に届くは、早朝を告げる小鳥たちの囀り。平和な一日が始まった証拠だろう。
随分と長い間眠っていた。そんな錯覚を覚えつつ、窓から差す陽光を浴び、起床する。
魔力を空っぽにした上に、心身へ負荷が掛かる異能を使ったから、眠りはかなり深かったみたい。短時間で、質の良い睡眠が取れたということだ。
とまあ、そんなことはどうでも良くて…。
「なんだか、体が重い…」
それと、片方の腕が何かに押さえつけられているような、謎の感覚にも襲われ、寝起きの状態はかなり悪い。
まだ体力は回復しきってないのだろうか。そう思いながら、寝ぼけつつ顔を上げた私は、人様の上で優雅に寛ぎ、音楽を嗜む桃色髪の女の子と目が合った。
「あ、おはよー。アリアちゃん」
「……」
「今日は良い天気だねー。お、〝エディット〟かんりょー。後は、音質をバイノーラル仕様にしてっと…」
仰向けで足を組み、自慢のレシーバーで音を編集している模様。私を床か何かだと勘違いしているのか、さも当たり前のように寝転がっている。
自由奔放な猫じゃあるまいし、体を起こせないから早く下りて欲しいんだけど、その様子が可愛らしくもあり、中々言い出せない。せめて、何をしてるのかくらいは聞いておこう。
「サキ、何してるの…?」
「んー?別に変なことはしてないよー。ただアリアちゃんの寝息を録音してただけさ」
「変なことしてるじゃん!!」
「で、音響を少しいじれば、いつでもアリアちゃんの添い寝音声が臨場感マックスでお届けできるってわけ」
「それに何の需要があるのさ…。というか、今すぐ消して!?」
「いやー、それはモナお姉ちゃんが決めることじゃないかなー。ちょうどそこにいるから、起こしてあげなよ」
「え??」
起きた時から覚えていた、右腕が妙に重く引っ張られているような圧迫感。その理由は、掛け布団から僅かに飛び出ているぴょこっとした猫耳で、容易に察しがついてしまった。
「むにゃむにゃ…」
なんて、幸せそうな寝息まで立てている。案の定、布団を捲ると、そこには私の腕にぎゅっとしがみ付いたまま安眠しているモナの姿があった。
猫耳がすっぽり嵌ったモコモコの寝巻。その姿を0距離で認識してキュン死する前に、寝ぼけ顔が一気に仰天の相好へと変容。頬っぺたが真っ赤に染まり上がっていく。
「も、モナ!?何してるの!?」
こっちには、本当の意味で自由気ままな猫がいた。私なんかより、この子の添い寝音声の方が何倍も需要あると思うけど。
ゴロゴロと軽く喉を鳴らして、尻尾をふりふりさせている。表情から見ても、かなり幸せそうだ。
「ふにゃ…あれ?モナ、いつの間に…??」
私の声で目を覚まし、寝ぼけた様子で起き上がる。そんなモナに、サキは軽く状況を説明した。
「二人ずつ交代で、アリアちゃんの様子を見に行こうって話だったけど、モナお姉ちゃん、いつの間にか眠っちゃうんだもん」
「はっ、そうだった!!ご、ごめんね、アリアちゃん!苦しかったよね…」
「い、いや…寧ろ――」
「モナお姉ちゃんに添い寝してもらえて、嬉しかったってさー」
「なっ!?」
こちらの言葉を遮り、サキは意地悪そうに言ってくる。
人の胸中を盗み見るとは怪しからん…じゃなくて!
変な誤解が発生するから、余計なことは言わないで欲しい。いやまあ、事実ではあるけどさ。
と静かに取り乱す私へ、サキは更に追い打ちをかけてくる。
「女の子同士でくっついて寝るなんて、普通の事じゃん?何をそんなに恥ずかしがってんのさー」
「うっ…」
ユィリスとはまた違ったベクトルで生意気だ。それとも、私の性癖を知ってる人は、みんなそうなってしまうのだろうか。
とにかく、寝起きでこれ以上ドキドキするのは勘弁。からかうのも大概にしなさいと目で訴えながら、モナの方をチラッと見やる。
「にぃへへ~。アリアちゃん、モナの添い寝、喜んでくれたんだ~」
ぽわぽわ~としたオーラを巻き散らし、嬉しそうに笑うモナ。ここで完全に、私の心臓はその圧倒的な純粋さに撃ち抜かれてしまった。
「ぐはっ!!」
血反吐を吐くように、体をのけ反らせる。キュン死が確定した。
はい、可愛い!久々に聞いた〝にぃへへ~〟超可愛い!!
こういう時に分かる。女の子に尊さを感じるフランの気持ちが。
「はにゃ!?アリアちゃんがまた倒れちゃったよ~!」
「まー、そっとしておきなよ。ふふ」
そんな時、コンコン…と部屋の扉をノックする音が耳に届く。正気を取り戻し、そちらへ目を向けると、いつも私たちに平穏な朝を知らせてくれる、秀麗なメイドの姿が映った。
「失礼します~。あ!アリアさん、起きたんですね!おはようございますぅ」
「おはよ、フラン」
「朝食の準備ができてるので、会場まで案内しますよ。他の皆さんも、買い出しを終えてる頃でしょうし」
「そっか。すぐ着替えるから、ちょっと待ってて」
「お着替え、手伝いましょうか~?」
意地悪な女の子はここにもいた。いやらしく手をわきわきさせながら、フランは私の服を脱がそうと迫ってくる。ふへへ~という軽い邪念に塗れたニヤケ顔と共に。
「き、着替えくらい自分でできるよ!」
「そうですか、残念ですぅ。まあ、昨日眠っているアリアさんに寝巻を着せてあげられたので、十分ですが。ああ、ついでに汗ばんだ体も拭いておきましたよ」
「ふえ…!??」
知らなくて良かった事実を突拍子に告げられ、またもや顔が熱くなる。
たしかに、誰が着せ替えてくれたのだろうとどこかで疑問に思っていたけど、そこは見て見ぬ振りをしていた。感謝こそすれど、下着姿、ましてや裸を誰かに見られたなんて考えだしたら、小一時間はドキドキしっぱなしになるからだ。
それを平然と…。ほんと、フランはもう~~~。
「いいな~フランちゃん。モナもお手伝いしたかったよ~」
「んじゃー、今度はお風呂で隅々まで洗ってあげたらいいんじゃない?」
「それだ!」
「やめて!?」
「はぁ~、あの小さくて華奢な体は唯一無二ですよ~。思い出しただけで、鼻血が…。まあ、胸はないですが」
下心があるのか、ただからかいたいだけなのか。いずれにせよ、この何とも説明しがたい性癖?が、完璧メイドのイメージをダウンさせているのは否めない。
「「「思い出さなくていいから~~~!!!!」」」
顔から火が出るような羞恥を隠すように、朝っぱらから大声を上げてしまう。
胸がないとは失礼な。前世の姿を見せてやりたいものだ。
結局、半ば強制的にみんなを追い出して、一人で普段着に着替えたのだった――。
◇
私たちが休息している場所は、グラン街の中心部に位置する〝大使館〟だ。
魔族やグランツェル家のエージェントによって多少荒されてはいるけど、そこに目を瞑れば、街中で最高級の宿泊施設。部屋の内装、寝床、温泉付きの浴室、食事と、どれを取っても一級品で、私には勿体ないくらいだった。
こんな建物を勇者だからと明け渡した上に、好き勝手お金を使われ、上辺に騙されていた街の人たちが不憫でならない。時期がもう少し遅かったら、取り返しのつかないことになっていたと思う。
ちなみに後で聞いた話だけど、グランツェル家と奴らに関わっていた全ての悪人は、大罪人として〝ネオミリム〟へ連行されるようだ。そのために今日、一人の勇者がグラン街へ尋ねてくるらしい。
リツと同程度の実力を誇る勇者が付き添うなら、何の問題も無いだろう。どんな刑罰を与えられるかは分からないけど、ならず者には一生を賭けて罪を償って欲しいものだ。
「さあ、着きましたよ。ここが食事会場です」
「お~!!」
フラン先導の元、一際大きな扉を開けて中に入るや否や、洋風の部屋に所狭しと並べられた数多の料理が真っ先に視界を埋め尽くした。
三大主食(ご飯、麺、パン)は勿論のこと、お肉、お魚、野菜、スイーツなど、食欲をそそる彩り溢れた多種多様な食事が、銀色のプレートへ綺麗に盛られている。各々好きに取り分け、中央の大きなテーブルで会食を楽しむスタイルのようだ。
「おー、〝ビュッフェ〟ってやつだねー」
「しかも全て食べ放題!皆さんにおもてなしをしたいと、グラン街のシェフが集って、朝早くから準備していたそうです」
「食べ放題!?これ、全部!!?」
「お腹空いたよ~」
私にとっては新鮮な感じがして、ワクワクが止まらない。焼かれたお肉や煮物なんかの香ばしい匂いが鼻孔を刺激し、涎が後から後から湧いて出てしまう。
昨日の午前中、馬車で移動していた時の軽食以来、何もお腹に入れてなかったから、腹の虫が鳴りやまない。私もみんなと同じく、豪華な食事を前に目を輝かせる。
「あっ!アリア、目を覚ましたのね!」
ここで、先に会場入りしていたルナたちと合流。買い出しを終えた後、私が起きるまで食事の準備を手伝っていたようだ。
ルナはすぐさまこちらに駆け寄ってきて、安堵の表情を浮かべながら、ふんわりと包み込むように抱き締めてくる。もう私の心臓の状態は言うまでもない。
「体は大丈夫?」
「う、うん。全然問題ないよ」
「良かった~!あ、お腹空いてるでしょ?早く食べましょ!」
逸る気持ちを隠し切れないルナに手を引かれ、早速料理を取り分けることに。
こんな贅沢はなかなかない。朝だけど、満足するまでたらふく食べよう。
「うわ~!本当に全部無料なの?」
「どうぞ、好きなだけ召し上がってください。お口に合うか分かりませんが、ささやかなおもてなしでございます。街を護っていただいた英雄様方に、少しでもお礼がしたいと、街の長から託っておりますので」
みんなが席に着くと、挨拶も兼ねてシェフの一人が丁寧に答えてくれた。
英雄だなんて。
そんな大層な呼ばれ方をされると、少しこそばゆく感じる。私たちはただ、大事な友達を助けるために戦っていただけなのだから。
「いやいや~、英雄だなんて照れるのだ~!」
謙遜しようとした矢先、褒め言葉に感化されたユィリスが、大量に盛られたおぼんを前にして口を開く。食べ盛りな年頃なのは分かるけど、お腹の容量はちゃんと考えているのだろうか。しれっと全種類制覇しようとしているし。
「ユィリス、あなた全種類取ったの?」
「当然!こういう食べ放題の店はな、一種類につき少しずつ取っていって、全てを堪能するのがマナーなのだ。その方が元も取りやすい!!」
「そんなマナーないわよ。それに、全部ただなんだから、元を取るも何もないでしょ。食べきれなくても、手伝ってあげないから」
「ふん!いいのだ。ルナが手伝ってくれなくても、アリアが食べてくれるからな!」
「ちょっと、アリアは私の取ったやつをシェアするんだから、勝手に巻き込まないで!」
「どっちも初耳だけど!?しかも、ユィリスは手伝ってもらう前提じゃん!」
私の胃袋を何だと思っているのか。
両サイドへくっつくように座る二人のやり取りに巻き込まれながらも、他のみんなの様子を伺っていく。
《覚醒しても、胃袋は変わらないでやがりますね、シロ。食事量は、ウチの方が上みたいでやがります》
《むぅ…人間に比べたら、どんぐりの背比べだからね》
《お、おう…お前、随分と強気になったでやがりますね…》
シロやレッドのような精霊も、人間と変わらない食事が取れる。消化したものは、全て魔力の質を高めるエネルギーへと変わるらしい。
ただ体が極端に小さいから、摂取量は人間の十分の一にも満たないそう。でも、太らない食事ができるのは素直に羨ましい。
「シャトラさんには、別で生肉を用意しました」
「ほう。気が利くではないか、メイド。貴様の味付けは、魔界の料亭と引けを取らん」
「いえいえ、恐縮です」
ご主人様気分を味わいたいのか、シャトラは普段よりも偉そうに、フランが差し出した生肉にがっつく。ティセルのお膝の上で。
「可愛い~!すぅぅ…」
「匂いを嗅ぐでないわ!猫吸いでもしてるつもりかぁぁ!!ご主人様、お助けを~~~!!」
猫吸いなんて言葉、どこで覚えたのさ…。
とまあ、ティセルとのコミュニケーションは相変わらずのようだ。
けど、なんだろう。心なしか、この子はフランに対して、他のみんなよりも心を許してるような気がする。いつもご飯をくれるからっていう猫みたいな理由かもしれないけど。
「アィリスちゃん、次は何食べる??」
「うーん、いい匂いがするこれを食べてみたいわ」
「おっけー、取り分けるよ」
目の見えないアィリスさんのサポートをしてくれているのは、彼女の同業者であるカナさんだ。無事に戻ってきたアィリスさんと再会して以来、ずっと傍にいて付きっきりで介抱している。
よっぽど心配していたのだろう。ただの仕事仲間ではなく、かけがえのない友達として。それ程までに、アィリスさんを大切に思う気持ちが、今回の件を含めて十分伝わってきた。
間違いなく、今回の功労者の一人。カナさんが何の躊躇もなく、敵地へ馬車を走らせてくれたおかげで、グラン街に最短で辿り着くことができたのだ。
相手の脅威を知ってなお、即断即決で立ち向かおうとするなんて、誰でもできることじゃない。彼女の覚悟は相当なものだった。
妹であるユィリスも、
「カナになら、私が見てないときでも姉ちゃんを任せられる」
と自信たっぷりに言っていたし、何も懸念することはないだろう。
今のアィリスさんの幸せそうな表情を見ていると、心の底から思う。本当に、助けられてよかったと。
「アリアちゃん、モナお姉ちゃんがパンを半分こしたいってさー」
「さ、サキちゃん!?モナそんなこと一言も言ってないよ!?で、でも、これ美味しいから、アリアちゃんにも食べて欲しいなぁ」
「待つのだ、モナ。ここはくじで、誰がアリアに食べさせるのかを決めるのだ。当たった奴は、アリアにあ~んできるぞ!」
「ユィリス、あんまりアリアを困らせるようなことしないの」
「じゃあ、ルナ抜きでやるのだ」
「や、やらないとは言ってないでしょ!」
みんな、仲良しで何よりだ。一方で、私は会話の内容には耳を傾けず、黙々と食べ進める。
自分を巡る戦いが行われていることなど、一流シェフの手がけた最高級の料理の前では、何一つ入ってきやしない。
程よい焼き加減に、ほんのりとした甘さの乗ったクロワッサン。バターを少量添えるだけで、サックサクの食感と滑らかな舌触りが調和し、口どけが良くなる。
そこに、とろっとろでクリーミーなクラムチャウダーを流し込めば…。
「―――ん~~~~~っ!!!」
自然と声が漏れ出てしまう。頬にパン屑を付けながら、蕩けた顔で子供のように包ばる。
そんな私を見ながら、
(((か、可愛いっ!!!)))
みんなの感想がシンクロしたことなど露知らず。その後も、なぜか癒されているような顔をする彼女たちに見守られながら、ゆっくりと朝食を堪能した。
そんな穏やかに過ごしていく平和な時間。その裏側では、私たちの知らない所で、今回の一件の後処理が、速やかに行われようとしていた。
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真っ黒な鎧を纏った馬、そして厳重に囲われた、まるで檻のような荷台。如何にも物騒な形をした黒づくめの荷馬車が一台、グラン街の外れに停車する。
何か危ないものでも運んできたのだろうか。否、これから危険人物を収容するために、人間界のトップが所持する機密指定の馬車――〝黒馬車〟が、遥々来訪してきたのだ。
「さてと、一仕事するか」
「隊長、自慢の帽子を忘れてますよ」
「おっと、悪いな」
精強で逞しい馬から下りた黒服の女性。部下から、自身の象徴とも言える変わった帽子を受け取り、深く被る。
剛健な気風を持つ彼女は、グラン街を見据え、ニヤリと笑い呟いた。
「まさか、〝勇者の祭典〟前に会えるとはなぁ。リツ…」




