第8話 二人っきりの教室
8時前の教室。
普段は生徒たちの談笑で賑わっているこの場所も、今はまだ静寂を保っている。
生徒が誰もいないのだ。
俺は普段こんなに早くに登校しない。
だが英理香がいつもこの時間に到着しているらしく、俺はそれに合わせる格好となったのだ。
「ようやく、二人きりになれましたね」
英理香はうっとりとした表情で、そう言った。
言われてみれば、屋上で告白されて以来、駅や俺の家といった人目につく場所でしか会っていなかったのだ。
俺は彼女の言葉には、ひとまず無言を貫く。
席に座って教科書を机の中に入れ、かばんをフックに掛ける。
これで朝の準備は完了だ。
そう思った矢先、俺は背後から首に腕を回された。
「ねえ、無視しないでくださいよ……」
俺は英理香に、耳元で甘く囁かれる。
顔が近いし身体が密着しているので、芳香がとてもよく感じられる。
「や、やめてくれ……他の人に見られたらマズいだろ……」
「8時過ぎくらいにならないと誰も来ませんよ。それに、さっきの満員電車で密着してきたお返しです」
内心ドキドキしている俺をよそに、英理香は俺に甘えてくる。
「弓弦、好きです……大好きです……」
英理香の囁きは破壊力抜群だった。
声の甘さ、息遣い、そして言葉の意味。
俺はまだ、英理香とは付き合えない。
それは彼女のことをよく知らないからだ。
確かに前世では一緒だったのかもしれない。
だが記憶が断片的でしかなく、さらに前世の存在があやふやな以上、それだけでは付き合う理由にはならない。
でも、英理香の囁きの魔力には抗いきれない。
心拍数が急激に上昇してしまうし、身体が熱くなる。
美少女から「好き」と言われて、嬉しくならないわけがない。
だから俺は、精一杯の抵抗をする。
「君が好きなのは……俺の前世──弓騎士エドガーの方じゃ、ないのか……?」
「うふふ……さあ、どうでしょうね……弓弦は私のこと、好きですか……?」
昨日、俺が体調不良になったとき、英理香は心配して見舞いに来てくれた。
だから友達としては申し分ないし、非常に好感が持てる。
でもそれ以上の感情は、今はまだ持てないし持つべきでもないだろう。
クラスで、いや学校で一番の美少女だと思っていたけど、英理香の内面はまだまだ知らないんだ。
「と、友達としては、好きだ……」
「そうですか……まあ、気長に待つとしましょう」
英理香はようやく離れてくれた。
俺はホッと胸を撫で下ろしつつ、しかし余韻を楽しんでしまった。
「──英理香、おはよう!」
「おはようございます!」
突如、同級生の女子の声が聞こえてきた。
彼女は確か、英理香の友達だったはずだ。
時計を見てみると、いつの間にか8時過ぎになっていた。
そろそろ生徒が教室に入ってきてもおかしくない時間帯である。
はあ……あともう少し英理香の攻めが続いていたら、面倒なことになったはずだ。
そう考えると、俺はさらにドキドキしてしまう。
吊り橋効果でどうにかなりそうだ。
「江戸川くん、英理香と仲いいのね」
ふと、同級生の女子が俺に話しかけてきた。
どうやら、英理香が俺の席のすぐ近くにいたことで、「仲がいい」と判断したのだろう。
最近友達になったということもあり、あながち間違いでもないが……
俺は返事をしようとするが──
「そうなのです! 彼と私は前世で愛しあっていましたから! それは現世でも変わりません!」
クラスメイトの女子による、俺への問。
英理香は俺の代わりにドヤ顔で答えた。
女子と俺は思わず「えええええええっ!?」とハモってしまった。
「ちょっと江戸川くん! 前世ってどういうことよ!?」
「お、俺にもよく分からないんだ!」
俺は女子に揺さぶられる。
確かに俺は、英理香が語ってくれた設定とまったく同じ世界観の夢を見た。
夢の中で、英理香と瓜二つの少女エリーズに膝枕をしてあげ、イチャイチャした。
だがそれだけでは、本当に前世があるのかどうかは断定できない。
だから俺は、「よく分からない」としか返事ができない。
「英理香、冗談はやめてくれよ……俺の身体がもたない……」
「冗談ではないのですが……まあいいでしょう。私のことを思い出してくれるのを待っています」
英理香は溜息混じりに言う。
俺はとりあえず机に突っ伏して寝たふりをし、頭を整理することにした。
◇ ◇ ◇
「これで授業を終わります」
「ありがとうございました!」
4時限目の授業が終わり、昼休みとなった。
クラスメイトたちは机を動かしたり席をたったりして、昼食の準備を始めている。
一方の俺は、財布を持って学食へ向かう。
ソロ充たる俺に、供など必要ない。
俺は一匹狼、一人でもやっていける。
「──弓弦、一緒に食べませんか?」
突如、英理香に話しかけられた。
彼女がいつも、どのように昼食を取っているかは知らない。
だが俺のように、普段から一匹狼を決め込んでいるわけではないだろう。
英理香にも普段からの付き合いがあるはずだ。
クラスメイトたちは「悠木さんに食事を誘われるなんて、羨ましいなー」だの「ウッソだろおい!」だの「あの陰キャぼっちが、なんで!?」だのと、口々に騒ぎ立てた。
が、俺はそれに臆することなく、悠木英理香の誘いに応じることにした。
「誘ってくれてありがとう、英理香。じゃあ学食に行こうか」
「はい!」
俺と英理香は学食へ向かった。




