第6話 英理香と真央
「お兄ちゃん、私を守って! 勇者エリーズが!」
妹の真央はそう言って、俺に抱きついてきた。
温かい身体、薔薇のような香り、そして彼女の力強さと震え。
俺はそれをとても意識せざるを得ない。
とりあえず俺は真央を優しく撫でながら、錯乱した理由を聞くことにした。
「どうしたんだ? 真央。『勇者』とか『エリーズ』ってどういうこと──」
「何故……何故あなたが、私の真名を知っているのです!?」
クラスメイトの英理香は、血相を変えて立ち上がる。
どうやら真央が「勇者」と言って恐れた事に、何か手がかりがありそうだ。
「私が勇者エリーズであることは、弓弦にしか明かしていないはず──もしや弓弦、話したのですか!?」
「ひいっ! や、やっぱりエリーズなんだ!」
「いや、話してないぞ」
大声にびっくりしたのか、真央がさらに錯乱する。
そんな彼女を尻目に、俺は端的に事実のみを英理香に伝えた。
そしてついでに真央の小さな背中を優しくさすり、恐怖心を和らげようと試みる。
「確か『真央』とおっしゃいましたね。ちょっと調べさせてください!」
「ひああああああっ!」
英理香までもが錯乱したのか、俺から真央を引き剥がす。
そして英理香は真央の両肩に手を乗せ、顔や目を見つめ始めた。
「ひええええええ……」
「ふむ……どうやら転生者ではなさそうですね。魔力が一切感じられません──高位の魔術師や魔王ならば、己が魔力を偽装することも可能と聞きますが……」
「ぎ、偽装なんてしてない! 私、魔王なんかじゃないんだからねっ!」
真央は明らかに狼狽えていた。
英理香が語る「前世」には、どうやら魔術が存在するようだ。
うーん……その前世が実在しているのかどうか、よく分からなくなってきた。
もしかしたら、ただの中二病設定なのかもしれないが……
いや、だったら真央の慌てっぷりが説明できない。
演技にしてはあまりにも真に迫っている。
「あっ、怖がらせてしまって申し訳ありません、真央!」
「い、いいの別に……む、むしろあなたとは、その……な、仲良くしたかった、から……」
勢いよく頭を下げて謝罪する英理香。
そんな彼女に対し、真央は震え声で答えた。
そして真央は、普段はめったに見せないおどおどした様子で、英理香に問うた。
「あの……英理香、ちゃん……だったっけ……? ぎゅってして、いい……?」
「え……い、いいですけど……」
「あ、ありがとう……」
英理香は腕を広げ、受け入れる体制を取る。
そこに真央がおずおずと近づいて、両腕を回して抱きしめた。
「はあ……勇者エリーズの匂い……なんだか嗅げば嗅ぐほどいい香りだね……甘くて落ち着く……」
「あ、あまり匂いを嗅がないでもらえますか……? いくら同性とはいえ……」
「頭……なでなでして……?」
「わ、分かりました……よしよし、いい子いい子……」
「えへへ……安心した……もう、勇者に怯えなくてもいいんだね……」
真央と英理香との間には、幸せそうなオーラが充溢していた。
あの……ここ、俺の部屋なんですけど。
健全な男子の前でそういう事、しないでいただけませんかね?
◇ ◇ ◇
「ふう……英理香ちゃん、ありがとね」
「いえ、怖がらせてしまったお詫びですから」
一体いつまでそうしていたのだろうか。
真央と英理香はついに、長きにわたる抱擁に終止符を打った。
その間俺は、英理香から先程もらったプリントとノートのコピーに目を通していた。
断じて、二人の抱擁をガン見してなどいない。
真央は何かを思い出した表情をして、英理香に問う。
「ところで英理香ちゃん、聞くの忘れちゃったんだけど、お兄ちゃんと付き合ってるの?」
「はい、付き合っています」
「いや、友達だから! ──それに真央、告白は断ったって何回か言っただろ!」
「念の為に聞いたんだよ──でもやっぱり、お兄ちゃんと英理香ちゃんは出会っちゃったんだね……そういう運命なんだね……ちょっと悔しいな……」
悔しいな、とはどういう意味だろうか。
俺はその意味がよくわからない。
英理香もまた、何か不審に思ったのか首をかしげて言う。
「『やっぱり』とは、どういう意味でしょうか?」
「えっ!? う、ううん、なんでもないよ英理香ちゃん!」
真央はとても慌てた様子で否定する。
着眼点こそ違うが、英理香も真央の言動には疑問を抱いているようだ。
◇ ◇ ◇
「あっ、もうこんな時間!」
しばらく世間話をした後……
英理香は時計を見て、驚いた様子でそう言った。
現在時刻は18時過ぎ。
今は5月上旬なので、まだ日は昇っている。
が、容姿端麗の女子高校生が一人で出歩くには、危険な時間帯になりつつある。
「弓弦、体調不良なのに長居してしまって申し訳ありません!」
「いや、大丈夫だ。こちらこそ、見舞いに来てくれてありがとう」
「はいっ!」
嬉しそうな表情をしている英理香。
俺と真央は彼女を玄関まで連れ歩き、そして家の門まで一緒に出ていく。
「また明日、学校で会えるのを楽しみにしています。さようなら」
「ああ、またな」
「バイバイ! また来てね!」
英理香は手を振った後、悠然と歩いて立ち去る。
俺と真央は彼女の背中が見えなくなるまで、見送った。
「お兄ちゃん、英理香ちゃんと付き合っちゃうの……? 昨日の告白は断ったみたいだけど、でもいつかは付き合うんでしょ……?」
真央はとても寂しそうな表情をしている。
何故そんな顔で、俺に男女交際の質問をするのだろうか。
俺は自分の気持ちを、ありのままに伝えることにした。
「将来のことは分からない。でも、少なくとも今はまだ付き合えないよ。英理香のことはよく知らないから」
「そうなんだ……」
真央はとても複雑な表情をしている。
とりあえず俺たちは、家の中に戻ることにした。
◇ ◇ ◇
英理香が帰っていった後、俺は夜の支度をすべて済ませた。
食事・入浴、そして英理香にもらったプリントとノートを用いての勉強……
全て抜かりなく終わった。
「よし、そろそろ寝よう」
「──お兄ちゃん、一緒に寝ていい……?」
俺が布団を敷いている最中、枕を持った真央が俺の部屋にやってきた。
彼女はとても眠そうな表情をしており、やけに可愛らしかった。
が、真央がとんでもないことを言い出したので、俺は正直驚いていた。




