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第40話 真央の想い

「お兄ちゃん、今まで嘘をついててごめんなさい」

「嘘……?」

「私、本当はお兄ちゃんのこと、中学時代まではずっと嫌いだった」


 真央まおの意外な告白に、俺はとても驚いている。

 真央は俺のことが好きで仕方がないと、俺はずっと思っていた。

 幼少期から彼女は、俺にベッタリだったのだ。


「どういう、ことなんだ……?」

「私の前世が魔王だって事は知ってるよね? お兄ちゃんとは前世で敵同士だったっていうのも、分かるよね?」

「ああ、確かにその通りだ」

「私は生まれたときから前世の記憶があったの。もちろん、お兄ちゃんの前世が弓騎士エドガーだってことも、最初から知ってた。最初はビックリしたし、怖かったよ」


 俺が前世の記憶を取り戻したのは、つい最近の話だ。

 だがそれは、俺と英理香えりかが前世にて用いた転生魔術に、何らかの欠陥があったからなのだろう。

 あれはあくまで、仲間の魔術師が開発したプロトタイプに過ぎない。


 一方、真央の前世である魔王は、あらゆる魔術に長けていた。

 魔王は完璧な転生魔術を用いて、記憶を保ったまま江戸川真央として転生した、と考えていいだろう。


「それで、いずれお兄ちゃんに殺されるかもしれないって思った私は、お兄ちゃんに好かれるように努力したの。私に情が移って、殺せないように。前世では仲間だった勇者たちと争ってでも、私を守るように──ちなみに、殺される前にお兄ちゃんを殺さなかった理由は、もう私には人殺しをする度胸がなかったからだね」

「そうか……どうやら、その作戦は成功したようだな。確かに、俺は君を殺せない。前世で人々を苦しめてきた魔王だと分かっていても」


 俺は真央が大好きだ。

 昔から俺を頼ってくれたし、ワガママも愛おしかった。

 笑顔も怒っている顔も悲しんでいる顔も、すべてが可愛かった。

 ボディタッチとかハグとか、子供の頃のファーストキスは正直恥ずかしかったけど、男として興奮した。


 だが真央の言うとおりであれば、それはすべて計算ずくで行われていたことだったのだ。

 俺はそれを残念に思う。


「でも、真央。そんな回りくどいことをしなくても、俺は君を好きになっていた。魔王だと知っても殺さなかった──俺はそう思うんだ」

「どうして……?」

「それは俺が、真央のお兄ちゃんだからだ。家族の絆は切れないし、切りたくない。そもそも、切る必要なんてないんだ──だって真央、君には俺を殺す度胸すらなかったんだから」


 俺がそう言うと、真央は鼻をすすり始めた。

 そして涙声で呟く。


「優しいね、お兄ちゃんは……」

「優しくはない。だって俺は、あの悪逆非道な魔王を野放しにしているんだから。むしろ悪人だよ」

「ふっ……確かにそうだね」


 真央は鼻で笑った後、俺の手を繋ぐ。

 彼女の小さな手は温かく、すべすべしていた。


「でも、これだけは信じて? 私、今はお兄ちゃんのこと、他の誰よりも大好きなの。お父さんやお母さんよりも、他の男の子よりもずっと。生まれたときからお兄ちゃんのことは嫌いだったけど、だんだん好きになっていったの」

「ああ、言われなくても分かってる。俺は君のことを信じているし、大好きだ。嫌いになったりしない」

「うん……」


 真央は力なく返事した。

 俺はなにか、ズレた回答でもしてしまったのだろうか。


 真央は深呼吸をする。


「私が小学校の頃から今までずっと、男の子にモテてたっていうのは覚えてる?」

「ああ、覚えてるよ」


 そう、真央は今も昔もモテまくりである。

 小さくて可愛らしく、明るく元気で賢い女の子で、昔から人当たりがよかった。

 真央に話しかけられた男子たちは当然勘違いして、彼女のことを好きになっていった──というわけである。


 今になっても男っ気がないのが不自然なくらい、真央はモテまくっていた。


「それで中学校の時、女子のみんなから避けられるようになったの。でも、お兄ちゃんはその時助けてくれたよね?」


 あれは確か、俺が中学2年のときの話だったか。

 なんとなく廊下を歩いていると、数人の女子生徒とすれ違ったのだ。

 この時、彼女たちはこう言っていた。


 ──江戸川えどがわさんって、ちょっと男子にモテるからって調子に乗ってるよね。


 スリッパや校章の色からして、江戸川真央と同じ1年生だということは分かった。

 それに加えて、「江戸川」という名字を持つ人は多くないので、すぐに真央の陰口を言っているのだと俺は察した。


 俺は女子たちに、こう言い返してやった。


 ──言いたいことがあれば、直接本人に言ったらどうだ?

 ──人を蔑むことでしか自分を保てない矮小な人間に、真央を愚弄する資格はない。

 ──それでもなお真央を貶めるのなら、兄であるこの俺が裁きを下す。

 ──俺の真名まなはエドガー、《アーチャー》のクラスでこの身を現世うつしよに保っている……覚えておくがいい。


 圧倒されたのか、女子たちは何も言わなかった。

 ちなみにこの頃は中二病に毒されていたので、少しばかり難しい単語を使っていたりする。


 ……って、今思い出したけど、俺の中二病時代の真名は《アーチャー》エドガーだったんだな。

 黒歴史として記憶の底に封じておいたせいか、今やっと思い出したよ。


 確か、この前みんなで観に行った映画『メイガス・キラー』シリーズの設定をパク──影響されたんだったか。

 そしてそれだけじゃ芸がないからって、中学時代から弓道をやっていた由佳(ゆか)にあやかって《アーチャー》にしたんだった。


 ──恥ずっ、鳥肌立ってきた……


「お兄ちゃんが注意してくれたから、女子のみんなも『ごめんなさい』って謝ってくれたんだよ。ちょっとずつ友達もできたんだよ──その時から、お兄ちゃんのことを好きになっちゃった。あの時までは、心の中では嫌ってたのに」


 真央は苦しそうに呟く。


「お兄ちゃんは前世では敵だったから、『好きになっちゃダメ』『嫌いにならきゃ』って、自分に言い聞かせてたの……でも、そうすればするほど、胸がきゅーって苦しくなったの……」

「そうか……」

「しばらくして、私は吹っ切れた。『お兄ちゃんのことが好き』っていう自分の気持ちに、嘘をつかないようにしたの。そうしたらちょっとは楽になったけど……でも」

「でも?」

「ううん、なんでもない。忘れて」


 俺としては真央が言おうとしたことがすごく気になる。

 だが彼女の声音から察するに、今は問いただすタイミングではなさそうだ。


「お兄ちゃん……こんな私だけど、いつまでも傍にいてくれる……? 私を見捨てたりしない……?」

「ごめん……いつまでもは無理だ。社会人になったら、誰かと結婚したら、この家から出ていくことになると思う。それは真央だって同じだ。俺だって真央とずっと一緒にいたいけど、それは無理だ」


 俺は真央に対して、とても酷いことを言っていると思う。

 残酷な現実を叩きつけられた真央がどんな表情をしているか、確認する気にはなれない。


 だが、俺の手を握る真央の手が、少しばかり震えていた。


「うん……そうだよね、分かってた。だって私とお兄ちゃんは、兄妹だもの……」

「──だけど、たとえ地理的に離れていても、心だけは決して離れない」

「え……?」

「だって俺たちは、兄妹だからだ」


 そう、肉親の縁は切っても切れない関係だ。


 友人関係や恋人関係は、ちょっとしたことで揺らいでしまう。

 少しずつモヤモヤを積み重ねていき、最終的には絶交や破局に繋がっていく。

 そうでなくても進学や就職を機に疎遠になったり、遠距離恋愛中に気持ちが冷めていくことだってある。


 だが、血の繋がった家族だけは違う。

 良くも悪くも、家族は互いに支え合うものであり、迷惑を掛け合うものだ。

 たとえ嫌なことがあっても、そう簡単には縁は切れない。


 法律でも家族関係は保護されているし、何より、ずっと一緒に過ごしてきた家族なのだから──


「──だから俺は、これからも真央のことがずっと大好きだ。一緒にいられるかはわからないけど、大好きだと思う気持ちは誓って本当だ。何があっても、たとえ嫌いになったとしても、絶対に真央を見捨てたりはしない」

「お兄ちゃん……」


 真央は俺から手を離し、そして抱きついてきた。

 薔薇のような甘い香り、体温、そして柔らかい感触が俺の心拍数を上げていく。


 だが俺はそれを、拒絶する気にはなれなかった。

 今日の真央は自分の気持ちを正直に話してくれたし、こっちも少し酷いことを言ってしまったからだ。


 今日くらいは、兄に甘える妹に優しくしてあげよう。


「お兄ちゃん、ずっと大好きだよ……」


 真央は涙声で、そう言った。

 そんな彼女を優しく撫でながら、俺は眠気が来るのを布団の中で待った。


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