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第30話 弓道場での修羅場

 翌日の放課後。


 俺は英理香えりか真央まおとともに、弓道場を訪れている。

 彼女たちと昨日交わした約定に従って、だ。


 俺は弟子である由佳に、挨拶をする。


由佳ゆか、今日もよろしく頼む」

「こちらこそ──で、どうして英理香と真央まで弓道場にいるのよ?」


 由佳はそう言いつつも、実際は俺を睨んでいる──ような気がしなくもない。


「私たちは見学に来たのです」

「そう、英理香ちゃんの言う通りだよ。お願い、見学させて?」

「見学、ねえ……真央は1年生だから歓迎するけど、英理香は2年生でしょう? 色々と面倒だと思うのよね、途中入部は」


 由佳は英理香に対し、かなり刺々しい態度を取っている。

 ただ「途中入部は面倒だから」というだけでなく、何らかの理由で英理香を敵視しているような気がしてならない。


「それに英理香、あなたは1年からずっと帰宅部だったんでしょう? 勉強をがんばってきたんじゃないの? 学年2位って聞いてるわよ?」

「いえ、私は特に順位は気にしていないので……」

「今はそう思うかもしれないけどね、いざ順位が下がってしまうとイライラするものよ? 私だってそうだもの」


 英理香は沈黙してしまった。

 やはり2年生が部活動見学をするのは無理があると、思い始めているのかもしれない。


 俺は真実を話すことにした。


「すまないな、由佳。昨日俺が夜遅く帰ってきたものだから、二人が俺を心配してくれたんだよ」

「そうなの……?」

「ああ。英理香に、『俺が由佳と乳繰り合ってる』って誤解されたんだ」


 『乳繰り合ってる』と言われたのは、実際は英理香の冗談だ。

 本当に誤解していたわけではない。

 だが英理香の心配性を強調して由佳に同情させるために、あえて嘘をついた。


 俺の言葉を聞き、由佳は顔を真っ赤にし始める。


「英理香! 言っとくけど、乳繰り合ってなんかないから! ──ま、まあ……身体をいっぱい、触られちゃったけどねっ……」

「お兄ちゃん〜? どういうことかな〜?」

「前世で恋人だった私を差し置いて……やっぱりイチャイチャしていたのではないですか」

「イチャイチャなんてしてない! 指導の一環だよ!」


 俺は心臓をバクバクさせながらも、怖い顔をしている真央や英理香たちの誤解を必死に解く。


 近くにいた男子部員たちに「人に教える時、普通ボディタッチするよな!?」と、俺は問いを投げる。

 すると「確かに身体は触るけど、あくまで同性の場合がほとんどだな。あとは女子から男子に教える時とかだけだ」とのお返事を頂いた。


 はあ……気が重い。

 周囲の視線が激アツだ。


「あ、あのっ……道場では騒がないほうがいいですよ……?」


 突如、弓道部1年の茉莉也まりやが現れる。

 元弓道部員として、先輩として、彼女の指摘はとても痛いところを突いてくれる。


「ああ、すまない。勇気がいるだろうに、ちゃんと注意してくれてありがとう」

「いえっ……そんな……ありがとうございますっ」


 茉莉也は恥ずかしそうに、俺から目をそらす。

 男子からの視線が、少し痛かった。


「こほんっ! ──話が飛んじゃったけど、見学するんだったら好きにすればっ!?」

「ありがとう、由佳ちゃん!」

「私、由佳がスランプから脱却するのを見守っています」

相羽あいばさん、真央と英理香にお茶を出してあげて」

「はい!」


 先輩である由佳の指示で、相羽茉莉也は道場の奥に引っ込む。

 そのスペースにはお茶が常備されているのだ。


弓弦ゆづる、今日もよろしく頼むわねっ……」

「ああ、任せてくれ」


 由佳は袴を掴んだり離したりしている。

 そんな彼女の力になってあげるべく、俺は気合を入れた。



◇ ◇ ◇



 礼拝が終わり、ついに本日の練習がスタートした。

 由佳は早速準備をし、射位しゃいに入って弓を構える。


 由佳は身体の重心を固定させ、弓を高く持ち上げる。

 弓を左右に押し引きしながら引き絞り、機が熟するのを待つ。


 ──弦の乾いた音とともに、矢が射出される。

 矢は大きな音を立てて、木製の的枠に突き刺さった。

 双眼鏡で見てみると的紙は破れている様子だが、昇段審査で三段に昇格するにはまだ早そうだ。


「うわ……やっちゃった」


 由佳は面倒なことになったと言わんばかりに、顔をしかめていた。


 そう、的枠にやじりが突き刺さっているこの状況は、非常に面倒だ。

 木の枠に深く食い込んでいる矢は、非常に抜きにくい。

 矢も的も壊さないように、慎重に抜く必要がある。


 由佳にそんな作業をさせるのは、はっきり言って時間の無駄だ。

 少しでも勝率を上げるために、彼女には練習に専念してもらう。


「俺が矢を抜いておくから、由佳は続けてくれ」

「でも……教えてくれるんじゃ……」

「審査まであと2週間、少しでも数をこなしておかないとダメだろう? なに、すぐに戻ってくるから、その間に練習しておくんだ」

「わ、分かったわ……ありがとう」


 恥ずかしそうに礼を言う由佳を背に、俺は道場を離れた。



◇ ◇ ◇



「由佳、おまたせ」


 無事に矢を抜く事ができた俺は、道場にいる由佳に矢を渡す。

 彼女は「やっと帰ってきた……」と、安堵の溜息をついていた。


「矢に歪みがないか、一応確認しておいてくれ」

「──ありがとう。大丈夫よ」


 矢はだいたい6本セットで販売されるが、一番安くて15,000円もする。

 つまり1本あたり2,500円以上で、高校生にとってはかなりの額だ。


 もしそれを俺が壊したとあっては面目次第もないが、由佳の表情から察するに心配はなさそうだ。


「それで、練習は捗っているか?」

「うーん……的中率は6割ってところね」


 由佳の全盛期の的中率は9割強だったため、スランプ脱却にはまだほど遠い。

 どうにか2週間後の昇段審査までに、調子を取り戻してくれればいいのだが。


「とりあえず、やって見せてくれ」

「ええ」


 由佳は射位に入り、弓を引き絞る。

 そして矢が放たれたが、的中には至らなかった。


「今回は右腕に力が入りすぎだな──」


 俺はそう言いながら由佳の右腕を触り、動作を確認させる。


「あーっ! お兄ちゃんの変態!」

「んなっ!? 俺は変態じゃない! これは指導の一環だ!」


 見学の名目で道場に足を運んでいた真央が、突如として叫びだす。

 まったく、失礼な話だ!


 ──ほら、弓道部員たちが俺を冷たい目で見始めただろうが!


「真央、弓弦の言うとおりですよ。あれは指導の一環です。前世で剣術を習っていたときも、師範に手取り足取り教えていただきました」

「そ、そうなの……?」

「そうです。口頭での説明だけで理解できると思いますか? 見取り稽古だけで上達するのでしょうか? そうは思いませんよね」

「う、うん……そうだね」


 英理香の体験談により、真央は得心したようだ。

 まあ、本当に前世で剣術を習っていたかどうかは、分からないのだが──


 でも、英理香がいてくれて本当に良かった。

 男の俺だったら、恐らく真央を説得することはできなかっただろう。


「──だから弓弦、私にも弓道を教えて下さい!」

「由佳に教えてもらうといい。俺はもう弓道部員じゃないから」

「そういうことではないのですが……弓弦に触ってほしいということです」

「それはもっとダメなやつだなっ!」


 俺と英理香はただの友達であり、不要不急のボディタッチは避けたほうがいい間柄だ。

 確かに彼女から告白されたが、一方の俺にはそんな気持ちは持てない。


 一連のやり取りを聞いて苛立ったのか、由佳はプルプルと震えていた。


「真央、英理香! あんまり茶化すと出禁にするわよっ!」

「うわあああん、ごめんなさいっ!」

「申し訳ありませんでした」


 真央と英理香は、弓道場にある畳の上で土下座する。

 真央はとても慌てた様子だったが、英理香の居住まいは凛としており様になっていた。


 由佳は彼女たちの土下座を見て「まったく……」と呟く。

 しかしこれで、平穏無事に指導を再開させられそうだ。


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