ゆうべはお楽しみでしたね♪ by マリル(偽)
やがて王都へ続く平原に朝日が差し始めた時刻、腕黒巨躯の狼犬人が身動ぎ、首まわりの体毛を番の御令嬢にモフられる感触で目を覚ます。
「おはよう、中々に可愛い寝顔だったぞ。というか、そろそろ人の姿に戻ってくれ、流石の私も色々と不味い気がする」
「ッ、グルォウァアゥ ヴァグォルァアアン
(ッ、知らないうちに擬態が解けていたのか)」
眼前に翳した毛むくじゃらの右掌を薄闇の中で眺めて呟けば、当然に犬系種族の言語を理解できないアイシャは若干の困り顔ではにかんだ。
薄いキルト生地の掛け布を胸元まで手繰り寄せ、蠱惑的な小麦肌の裸身を隠して少し上から覗き込む彼女に倣い、寝惚けまなこの狼犬人バスターも筋肉質な上半身を起す。
続けて軽く左右に頭を振った後、未だ慣れない骨格変形や内臓位置が微調整される違和感を我慢して、黒髪が特徴的な大男の姿へと転じていった。
「ふむ、じっくり見ると興味深い」
「見世物じゃないし、感覚的な問題で好きになれねぇ」
少々眉を顰めつつも “人の皮を被り終えた” 武骨な大男は寝床から出て、惜しげもなく鍛え上げた巨躯を晒して大天幕に置かれた水桶の傍まで歩き、無造作に淵へ掛けられた手拭いを掴む。
それを水に浸けて強く絞り、自身の様子を見詰めていたアイシャに放り投げた。
「ふふっ、少々雑でも気遣って貰えると嬉しいものだな」
「………… すまん、次からは手渡す」
何やら嬉しそうな彼女を一瞥して、若干バツの悪い表情をしたまま頭を掻き、近場にもう一枚あった手拭いを拾う。
他愛ない雑談を交しながら身綺麗にして、互いに衣服も着こんだ後、二人は敷かれた毛織物の上に腰を下ろした。
ただ、改めて向き合うと微妙な沈黙が降り、やや気まずそうにしていた黒髪の大男が朴訥な態度で話を切り出す。
「俺は生まれた森や群れを捨てられない、それでも何か応えられる事はあるか?」
「ん、偶に会いに来てくれる程度で構わない。寧ろ、私が頻繁にリアスティーゼ王国まで赴き、中長期の予定で滞在するつもりだからな」
真剣な眼差しで紡がれた問い掛けに即応して、ハーディ家の一人娘アイシャは花が綻ぶように微笑んだ。
彼女の母親は件の森を領土に持つアレクシウス王の従姉であり、伯父は既に割譲したとは謂えども、コボルト達の集落一帯を領有していたフェリアス公爵ベルノルト・レーディンゲンである。
実は割と縁が深かったりするためアレクシウス王に形だけの爵位を強請り、伯父若しくは銀狼犬の領地にこじんまりとした別荘を立てさせて貰えば、足繁く通うことも可能だろう。
「まぁ、アイシャがそれで良いのなら……」
「うん、宜しく頼む。そして隙ありだぁ♪」
「ッ!?」
がばりと機敏な動きで年頃の御令嬢が抱き付こうとした刹那、腕黒巨躯の狼犬人に備わる “直感回避” の固有能力が発動した大男は反射的に左掌を突き、側方へ倒れ込むように上体を伏せた。
「うぁッ、何故に私を避けるのだ」
「いや、ついな……」
まさか感覚の鋭敏化に伴い、積極的な彼女に振り廻される未来までも幻視したとは言えず、恨みがましい声に言葉を濁してしまう。
中途半端に躱されて半分寄り掛かったアイシャのお腹へ右腕を廻し、姿勢を整えてやろうとすれば横合いから抱き締められるも、長居して大天幕から朝帰りする姿を衆目に晒すのは宜しくない。
故に柔らかい感触を振り切って立ち上がり、少し離れた場所に転がしていた軽装鎧を手早く着込んだところで、肩に支給品の軍用外套がそっと掛けられた。
「また朝食の席でな、バスター殿」
「あぁ、分かった」
僅かに頷いた大男が踵を返し、垂れ布の隙間から朝日が漏れ込む大天幕の出入口を潜り抜けて、幼馴染達と一緒に借受けた塒まで歩を進める。
殺風景な野営地には幾つもの天幕が立てられているが、嵩張るので全領兵を収容するには数が足りず、あぶれた者達は適当に見繕った場所で軍用外套や薄手のキルト生地など纏って身体を休めていた。
(今は夏場だからな……)
これが冬だと手持ちの衣類を二重に着込んで毛布も使う必要がある。
さらに分離独立後のアルメディア王国側には存在しないが…… ザガート共和国の中東部に広がる砂漠地帯だと寒暖差が激しいため野宿をしたら、季節に依らず明け方はガチガチと歯を鳴らして、日ノ出を待つ羽目になるのは確定事項だ。
尤も、極地特化した砂コボルトならぬ腕黒巨躯の狼犬人がそれを知る由も無く、今日も暑い日になりそうだと思いつつ天幕に戻ると、少し眠そうに朝の身支度をしていたマリル(偽)が一言。
「くぁお るぁああぉおぅ♪ (ゆうべはお楽しみでしたね♪)」
「おい、大将……」
「気にするな、通過儀礼のようなものだ」
にんまりとした狐妹に揶揄され、兄である俺にジト目を向けてきた悪友から視線を逸らして、剣帯に愛用の曲刀を鞘ごと吊るす。
視界の端では不機嫌そうに爪砥ぎをしている大型犬がいたものの、大和言葉にある “触らぬ神に祟りなし" だ。
(そう言えば、“逃がした魚は大きい” とも聞いた事がある)
相手の好意を理解した上で、敢えてランサーが幼馴染みの関係を続けていたのだとしても、複雑な想いは生じているのだろう。
拗れそうなら相談に乗るのも吝かでは無いと結論付け、傾注しながら過ごしている内に…… 総指揮官のダウド将軍に率いられた軍勢は王都エディルの郊外へ至る。
当然、一万数千の将兵がお祭り騒ぎの市街地に雪崩込む訳にいかず、各領軍は招集時と同じく壁外の穀倉地帯や放牧地の外側へ野営地を構える事になった。
なお、早々にウィアドからアレクシウス王宛の親書を貰って帰ろうとするも、彼の御仁に引き留められて友好国の使者扱いで王宮の晩餐会へ参加させられたり、ディウブ達に拉致られて人狼族の隠れ里で歓待されたりと忙しない日々に突入する。
それらの全てが終わった後、紆余曲折の末に帰路へ着いた俺達は一匹を除き、やっぱり船酔いで轟沈していた事も付け加えておこう。
いつも読んで頂き、ありがとう御座います♪
本章もこれにて完結です、読者の皆様もお疲れ様でした!!




