本能の侭に……
そんな長いようで短い濃密な一日が過ぎ、すっかり暗くなった部屋の中で卓上カンテラに妹の狐火を灯してもらい、俺はベッドに座って集落への帰り支度を始める。
と言っても、自前の装備以外にさほどの荷物を持ってきていないので、午後にミュリエルと一緒に出かけて買い足した復路の食料や炭、群れの仲間達へ土産として購入したヴェルハイム特産の太いソーセージを旅人用の麻袋に放り込むだけだ。
「グゥ ウォアルァアン? (もう森に帰るんだよね?)」
「がぉう、ぐるぉ ぐぅあぉるぅ (そうだ、皆が気になるからな)」
ヴェスト母娘と夕食を取った際に冬の間、実家に留まる予定のミュリエルを残して、俺たちは明日の昼下がりに発つ旨を伝えてある。
なお、真冬となれば冒険者を含む全ての者たちが塒に引き籠もり、貯えた保存食を頼りに春先まで食いつなぐため、長期的に彼女が抜けてもアレスたちに大きな問題はない。
そもそも、厳しい冬に活動する事自体が下手をすると命に関わるため、年末の今時分が人と物が行き交う限界といったところだ。
恐らく、ディークベル家の一行も早々にヴェルハイムの町を発つだろう。
「まぁ、焦らなくても狼犬人の姿に戻れば体毛で寒気を凌げるが……」
それを説明する訳にもいかないし、さっさと帰るしかないと結論付けて、ベッドの上をコロコロ転がって遊んでいた子狐妹の小さな身体を掴んで持ち上げる。
「ウキュ? (うきゅ?)」
「…… がるぅ、ぐあぅ あおうぁん (…… やはり、減量が必要だな)」
幻術 “縮小変化” で一定の体格を維持しているものの、こうしてみると質量が…… いや、曖昧な言葉で誤魔化すのはやめよう、体重がかなり増えていた。
帰り道は巨狼化して背中に乗せるのではなく、できるだけ自前の足で歩かせようと決意しながらも子狐姿の妹をベッドに降ろし、一通りの支度を済ませて麻袋の口紐を引き締める。
「こんなものか、後は……」
ひとり呟いて、先ほど脇に避けてあった指名依頼書を手に取った。
経費節約のためか、細かな文字が刻まれた小振りな羊皮紙の下部、そこに “依頼を達成した” という趣旨の文言と依頼者の署名を書き込む箇所が設けられている。この依頼の場合、原則的にミュリエルの署名が無ければ、冒険者ギルドは依頼の完遂を中々認めない。
当然、彼女がギルドへ預けてある成功報酬を受け取る事も不可能だ。
(もう日は落ちているが、忘れても厄介だな……)
追い返されたらそれまでと考えて腰を上げ、片手に羊皮紙を持ったまま部屋端の扉へと歩む。
「グルゥ ウルォオン? (あたしも一緒に行く?)」
「ぐぅ、うぉあ くぁあるぉあん…… あうるぉ ああぉおおん
(いや、好きに寛いでいてくれ…… 明かりをもらっていくぞ)」
夜目が利く妹に一言断りを入れて、人に擬態している俺は卓上カンテラの取手を掴んで薄暗い廊下に出た。
毛皮が無いために室外の寒さを多少感じて軽く身を竦め、滞在中に何度か入った事のあるミュリエルの部屋の前まで進んでいく。そこで感覚を研ぎ澄ませて微かな物音とハーブの芳香を知覚し、不在では無い事を確認して丁寧に扉を叩いた。
「夜分にすまない、少し構わないか」
「アーチャー? ちょっと待ってね……」
僅かな時間を挟んで軽い足音が聞こえ、普段着に肩掛けを羽織った彼女が姿を現して、廊下に佇んでいた此方を招き入れてくれる。
「そっち座って、ちょうど安眠に良いハーブティーを淹れていたの」
「……カモミールに隠れて微かなペパーミントの香もあるな」
「ん、人化していてもコボルトの嗅覚は健在だね…… 今度、各形態でどれくらいの差があるのか実験させてほしいかも♪」
やや面倒な事を言いつつも、ミュリエルが鉄製の三脚台に支えられた銅製容器へ革水筒から水を足すのを見遣り、それらが置かれた暖炉近くにあるテーブルの椅子に着いた。
「確か、ミラが似たようなのを持っていたな…… 火力は低いにしても便利そうだ」
青銅のエルフも愛用していた三脚台の天辺は円環状になっており、上に乗った銅製容器の底を下からオイルランプの炎が炙る。
「これは植物を煎じたりする器具だよ、ところで用件は何かな?」
「あぁ、大した事じゃない」
会話をしながらも清潔な布に追加の乾燥ハーブを包み、熱湯へ投じた彼女に羊皮紙を手渡した。
「あ、ごめんね、忘れてたよぅ」
少し申し訳なさそうな表情を見せたミュリエルは窓際のサイドテーブルまで移動し、そこにあった羽ペンとインクでさらりと署名を済ませる。
「お疲れ様です…… でも、婚約までして良かったの?」
「あくまで形式上だから、然したる問題は無いさ」
差し出された羊皮紙を懐に仕舞い、彼女が木製マグに注いだハーブティーを片手で受け取りつつも、若干気になっていた事を伝えておく。
「それよりも、曖昧に誤魔化し続けるのは感心しないな…… アデリア殿は娘を想う良い母親じゃないか」
「うぅ、それは分かってるの」
ちびりと熱いハーブティーを啜り、ミュリエルは俯いて考え込んでしまった。
(う~、お母さんへの罪悪感はあるし、明日から暫くアーチャーとも会えなくなるから…… なんか色々と寂しいかも)
偶には沈黙も良いかと木製マグを傾けて喉を潤していると、何やら唸り出していた彼女は椅子ごと肩が触れ合う距離まで身を寄せ、此方の顔を覗き込んできた。
「あ、あのね…… 少し考えたんだけど」
「いや、結構、長かったが?」
「あぅ~、ちゃんと聞いてよぅ」
反射的に突っ込みを入れてしまったが、どうやら真面目な話らしい。
「…………… 婚約の話、本当にしたら嘘を吐いている事にならないよね?」
「然りだが、それが嫌だったんじゃないのか」
縁談に肯定的なら、俺に指名依頼など持ってこないはずだ。
「でも…… アーチャーなら良いよ、現地調査とか付き合ってくれそうだし」
「いや、群れの事もあるからな…… というか、アレスたちがいるだろう」
互いに仲間たちと行動する事が多く、一緒にいられる時間は少ないものの…… 俺は未だモフモフな群れの雌たちに欲情できないため、この身が狼犬人だと理解して向けられたミュリエルの好意に気持ちが動かなくもない。
色々と問題はありそうな気もするが、嗅覚に感じる発汗などの匂いから彼女の言動に嘘偽りが無いのは理解できた。
(これもまた天祐か……)
暫く瞑目した後に腹を決め、不安と期待が入り混じった薄紅い瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
「…… 婚約の件、改めて受けよう」
「な、なんか嬉しいけど、照れるよぅ」
赤くなった顔を隠すようにポフッと胸元へ寄り掛かってきたミュリエルを受け止め、立ち上がりながら横抱きにして持ち上げた。
所謂、お姫様抱っこというモノだ……
「え、ちょっとッ、アーチャー!?」
「はッ、こちとら狼だからな! 本能の侭に征かせてもらうッ!!」
勢いと流れで狼混じりのコボルトへ転じ、突然に抱き上げられて少し手足をバタつかせた彼女をベッドまで運び、綺麗に整えられたシーツへ諸共に沈み込んでいく。
そうして、ヴェルハイムでの一夜は更けていった……
★いつも読んで頂き、ありがとう御座います(*'▽')
皆様の応援で何とか200話、50万文字に到達しました!!




