夜空の向こう側
いつもであれば鬱陶しいものを払うかの如く片手で叩き落とすのだが、今夜の楓には連れが二匹ほどいるためにその必要もない。
「ギィエ、アゼレッ (退け、楓ッ)」
向けられた言葉に甘えて彼女が背後へ跳躍すると、朽ちた家屋の陰から躍り出た巨躯のゴブリンが輝く大剣を振り抜き、迫る巨大な黒焔を平打ちで弾き飛ばす。
さらに廃墟の屋根上から大小二刀を握り込んだ長身痩躯のゴブリンが飛び降り、銀糸による捕縛から逃れて楓の許に向かおうとするスケルトンの頭蓋骨を右手の太刀で砕いた。
「ァアァア…ァアッ!!」
ただ、頭部を失ったくらいでアンデッドが止まる訳もなく、着地の隙を狙って両手で掴み掛かってくる。
「グッ、デトラゥズ…… (グッ、面倒だぜ……)」
首を絞められて顔を顰めた小鬼族の双剣士ソードは左手の小太刀を骨盤に突き刺して、奔らせた紫電でスケルトンの命脈たる魔力を断つと、即座に次の標的へ切り込んでいった。
その二匹の様子に満足そうな表情を浮かべた楓は高みの見物を決め込んで、こっそりと一人だけ安全圏まで後退していく。
「二人とも良い機会だから、死なない程度に頑張りなさい」
「また、勝手な事を……」
彼女の無責任な言葉を受け、小鬼族の元勇者ブレイブは流暢になってきた大陸共通語で悪態を吐きながらも大きく顎を開いた。
「コォオオォオオオッ!」
口腔に収束させた聖なる光の奔流を撃ち出し、低く浮遊する人面肉塊が放った追撃の黒焔二つを薙ぎ払って、彼は闇色の魔力を帯びた残滓が漂う最中へ突き進む。
「ガレッ、ギゥド!! (どけッ、邪魔だ!!)」
「ウァウウゥ」
立ち塞がるように歩み出たスケルトンを気に留める事無く、強引に踏み込んだブレイブが大剣の切っ先を下へ向けた脇構えから豪快な切り上げを繰り出す。
「ッ、ウァ……」
哀れな骸骨が頑強な刀身の腹側で宙空へ叩き飛ばされ、自らを構成する白骨を撒き散らした。なおも彼は止まらず、返す光刃の切り落としで奥側に佇むもう一体の頭蓋骨を砕き、骨盤までを縦に両断する。
聖光により自身を繰る闇属性の魔力も一緒に断たれ、糸が切れたように頽れるスケルトンたちを一瞥し、ソードは相棒の膂力に思わず感嘆してしまう。
「…… ギォルディアス (…… やるじゃねぇか)」
「ッア、アァ……」
小さく呟きつつも掴み掛かってくるスケルトンの腕を太刀で切り払い、懐に飛び込んで左手に構えた纏雷の小太刀で骨盤ごと宿る魔力を破砕して仕留める。
その攻勢に伴う僅かな隙を突いて、背後から別の個体がしがみ付こうとソードに飛び掛かるが……
「ギッ、ギォルゼアス!! (はッ、分かってんだよ!!)」
「ッアァ!?」
上体を前に倒して繰り出された後ろ蹴りがスケルトンの体勢を崩した刹那、振り向きざまに放たれた紫電を纏う刃が背骨諸共に闇属性の魔力を断つ。
確かな手応えを感じながら、円運動で生じた慣性に逆らわず身体を一回転させて廃村の広場を見渡せば、楓の銀糸に絡め捕られた大量の骸骨どもが足掻く中で、元凶たる人面肉塊へ斬り込むブレイブの姿が視界に入った。
「ギィオォオオォッ!! (うぉおぉおおぉッ!!)」
「グギャアァアァアァアァッ!!」
不快な金切り声で喚く人面肉塊の身体がぼこりと膨れ上がり、目障りな小鬼を握り潰そうと巨大な死肉の腕が飛び出すも、飛翔する光輝の刃が一切の抵抗を感じさせずに歪な巨腕を切り飛ばす!
「ゲギャァアァ!?」
「レゼスッ! (脆いッ!)」
好機とばかりに振るった大剣を素早く引き戻して腰だめに構え、ブレイブは醜悪な人面肉塊を貫こうと剛腕に力を籠めたが、一瞬の間隙を突くように肉塊から剥離した人面瘡が腕や肩、脇腹に噛みついて血肉を喰らわれてしまう。
さらに各部位へ取り付いた人面瘡は間髪入れずに灼熱の黒焔を吐き、血の滴る傷口を焼け爛れさせていった。
「グゥウッ!? ギギルッ!! (ぐぅうッ!? 侭よッ!!)」
此処が分水嶺と見た小鬼族の元勇者は激痛を無視して、光輝を纏う大剣で人面肉塊の中核を穿ち、刃を通じて相剋関係にある聖属性魔力の全てをぶちまける。
「ッ、ルクレ ガドァス!! (ッ、光に飲まれろ!!)」
「グギャ、ウギィイッ、ァアァア…… ッ、ウゥ、ァ…………… ゥ…………」
内側から眩い光を溢れさせてボロボロと醜悪な人面肉塊が崩れていき、銀糸に捕縛されていたスケルトンたちや、ソードが対峙していた相手も乾いた音を立てて斃れていく。
夜闇を裂く閃光が薄れた後、血塗れで膝を突いたブレイブの姿はゴブリンと言うよりも鬼人となっており、銀髪の合間から立派な二本角を覗かせていた。
通称:ブレイブ(♂)
種族:オーガライズドゴブリン
階級:ルクス・グラディアトル
技能:バトルクライ(鬼系種族強化) 中級魔法(聖) 初級魔法(火)
聖光焔斬 聖者の復活 ブレス(光・火) 角隠し(人化)
腕力強化(中 / 効果は一瞬)
称号:本好きの大剣使い
武器:焼け焦げたクレイモア
武装:レザーアーマー 魔導書『愚者の祈り』
(ぐぅ、体中に違和感があるし、痛ぇ……)
額に脂汗を浮かべつつも噛み千切られた脇腹に手を添え、治癒術式を生涯研究した聖者アストラウスの著書『愚者の祈り』に記された術式を脳裏に描き、先程までは繊細な魔力制御ができずに扱えなかった中級魔法 “リカバリィライト” を駆使して自身の欠損を補う。
「ギズ ルクアドァ…… ギゥウルズ、ギギゥ?
(傷は塞がったが…… 大丈夫なのか、ブレイブ?)」
「ッ、ゼトラス ラァスドハルトゼルァギォ
(ッ、体力をごっそり持っていかれるがな)」
疲れた表情で立ち上がるも、不意によろけたブレイブはソードの肩を借りて、静かに歩み寄ってきた楓と向き合った。
「ん、中々男前になったわね」
「…… ガドラ ディセルズ (…… それは良い事か)」
「偶には素直に喜んでも良いと思うわよ」
どういう訳か二匹の連れ合いたちは朴訥だったり、天邪鬼だったりするために人知れず溜息を吐いた後、彼女は凛とした雰囲気を纏い、瞳を伏せて透き通るような声音で鎮魂の祝詞を奏上する。
響き渡る言霊に応え、スケルトンだった白骨や打ち捨てられた遺骸から白い靄が立ち昇り、穢れを払われた純白の魂となって夜空の向こう側に還っていく。
「ギオスァギャウァ ニルスレギアル (人も小鬼も魂の色は同じだな)」
「セネドァ レドラゥレア、ギード (逝き先も似通ってるらしいぞ、ソード)」
闘いに敗れた小鬼族の村で彼女が輩の魂を送ってくれた際、同様の情景を見たのを思い出した二匹は暫し瞑目して黙祷を捧げた。
「さぁ、お前も逝きなさい」
祝詞を紡ぎ終えた楓が優しく語り掛ければ、抱かれていた幼い魂もふわりと夜空に舞う。白い尾を曳いた御霊が向かう先には下弦の月が煌々と灯っていた。
その淡い薄明りに照らされた廃村よりも少々離れた街道の傍、分厚い冬用の外套を羽織ったミュリエルが暖を取るためにモフッとした巨大な銀狼に寄り添う。
「う~ん、黒髪の綺麗な人…… 置いてきちゃったけど、良かったのかなぁ」
“大丈夫だろう、あれは規格外の化物だ”
漏れ聞こえた声へ応えるために太い指爪の一本を立て、頑張って大陸共通語を地面に綴るが…… これはかなり難しい。
それでも一々、狼混じりのコボルトに戻って念話の仮面を被るのは面倒なので、慣れるしかないと考えて文字を刻み込む。
“巻き込まれる必要は無いし、他人の事より自分の身体を休めておけ”
見張り交代の時間が来たら容赦なく起こすぞと付け加えれば彼女は大人しく黙って瞳を閉じ、厄介事に巻き込まれそうになった夜は静かに深まっていく。
なお、翌朝からの旅程では弱い魔物に出会うくらいしかトラブルは起こらず、俺たちは然したる問題もなくシュヴァルク領ヴェルハイムの町周辺まで到達した。
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