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身代わり花嫁のパティシエ、氷の公爵様に溺愛される~溶かしたのは極上の甘いお菓子ともふもふ聖獣でした~  作者: 水凪しおん


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第9話「雪嵐の来訪者と聖獣の咆哮」

 早朝のアイゼンベルク城は、騒然とした空気に包まれていた。


 分厚い城壁の外、吹き荒れる吹雪の中に、一台の馬車が停まっていたからだ。


 アイゼンベルク家の家紋ではない。見覚えのある、安っぽい塗装の馬車。


 リウが見間違えるはずもなかった。彼がここまで乗せられてきた、あの粗末な馬車と同じものだ。


「開けろ! 私はアシュト男爵だぞ! 息子の顔を見に来て何が悪い!」


 城門の前で喚き散らしているのは、紛れもなくリウの父、アシュト男爵だった。


 その後ろには、数人の雇われ護衛のような男たちが武器を携えて立っている。


 絶縁状を受け取った男爵は、逆上し、強硬手段に出たのだ。


「薬となる菓子」を手に入れるため、あるいは「商品」であるリウを連れ戻し、高く売りつけるために。


 城のホールからその様子を伺っていたリウは、ガタガタと震え出した。


 トラウマが蘇る。


 怒鳴り声。飛んでくる拳。冷たい床。


 あの日々が、追いかけてきたのだ。


「り、リウ様……」


 心配そうに声をかけるメイドたちの後ろに隠れながら、リウは耳を塞いだ。


 ブランが「がるるぅ……」と低い声で唸り、リウの足元で毛を逆立てている。


「おい、そこにいるんだろうリウ! 出てこい! 親の顔も見ないとは、どういう教育を受けているんだ!」


 男爵の声は、魔導具のマイクを使っているのか、城壁を超えて響き渡っていた。


 リウはパニックになりかけていた。


 帰らなければならないのか。また、あの地獄へ。


 せっかく見つけた幸せも、温かい場所も、全部夢だったのか。


「……うるさいな」


 その時、氷のような声がホールの空気を切り裂いた。


 大階段の上から、ジークハルトがゆっくりと降りてきたのだ。


 彼は正式な軍装に身を包み、腰には長剣を帯びている。その全身から立ち昇る魔力は、周囲の空気を歪ませるほど凄まじいものだった。


「だ、旦那様……」


 リウがすがるような目で見上げると、ジークハルトは足を止め、リウの頭を優しく撫でた。


「部屋に戻っていなさい。掃除が終わるまで」


「でも、お父様が……」


「あれは父親ではない。ただの害虫だ」


 ジークハルトはそう言い捨てると、セバスチャンに目配せをし、城門の方へと歩き出した。


 リウは、どうしても一人で部屋に戻ることができず、こっそりとその後を追った。ブランも一緒だ。


 城門が開かれると、アシュト男爵は勝ち誇ったような顔で踏み込んできた。


「やっと開けたか! まったく、無礼な……ひっ!」


 男爵の言葉は、悲鳴に変わった。


 目の前に、鬼神のごとき形相のジークハルトが立っていたからだ。


 周囲の雪が渦を巻き、ジークハルトの背後で巨大な氷龍のような形状を作り出している。


「我が領土に土足で踏み入るとは、死にたいようだな」


「あ、アイゼンベルク公爵……! わ、私は息子のリウに会いに……手紙の返事がないものだから、心配で……」


「心配? どの口が言う。お前が欲しているのは金と名誉だけだろう」


 ジークハルトが一歩踏み出すと、地面が一瞬にして凍結し、男爵たちの足元へ氷柱が走った。


 護衛たちは恐怖で武器を取り落とし、腰を抜かしている。


「り、リウ! リウはどこだ! 親に向かってこんな仕打ちをさせて、平気なのか!」


 男爵はまだ状況が理解できていないのか、あるいは恐怖で錯乱しているのか、リウの名を叫んだ。


 物陰から見ていたリウは、ビクリと体を震わせた。


 その時だった。


「ウォォォォォォォン!! 」


 天地を揺るがすような咆哮が響き渡った。


 リウの足元にいたブランが、光に包まれたかと思うと、一瞬にして巨大化したのだ。


 子犬サイズだった愛らしい姿は消え、そこには体高2メートルを超える、巨大な白狼が立っていた。


 伝説の聖獣フェンリル。その真の姿である。


 ブランは男爵たちの前に躍り出ると、その巨大な牙を剥き出しにして威嚇した。


 青い瞳は怒りに燃え、全身から聖なる吹雪を巻き起こしている。


「ひ、ひぃぃぃッ! ば、化け物……ッ! 」


 男爵たちはあまりの恐怖に失禁し、はいつくばって後退した。


「ブラン……! 」


 リウが呆然とつぶやくと、ブランはちらりとリウを振り返り、「心配ない」とでも言うように目を細めた。


 ジークハルトは、腰が抜けて動けない男爵の眼前に立ち、氷の刃をその喉元に突きつけた。


「よく聞け。リウは、もはやアシュト家の人間ではない。私の妻であり、このアイゼンベルク家の至宝だ」


 その声は、北風よりも冷たく、そして絶対的な響きを持っていた。


「二度とその薄汚い口でリウの名を呼ぶな。二度とこの地に足を踏み入れるな。……さもなくば、その身体を永遠の氷像に変えて、城門の飾りにでもしてやる」


「は、はいぃぃッ! 申し訳ございません! 二度と、二度と来ませんんんッ! 」


 男爵は泣き叫びながら許しを請うた。


 ジークハルトが顎をしゃくると、ブランが一吠えし、彼らを城外へと追い立てた。


 男爵たちは馬車に転がり込むようにして乗り込み、逃げるように去っていった。


 もう二度と、彼らがリウの前に現れることはないだろう。


 静寂が戻った城門前で、ジークハルトは振り返った。


 そこには、柱の影から涙ぐんで見ているリウの姿があった。


 ブランは元の小さなサイズに戻り、リウの足元に擦り寄っている。


「……怖がらせたな」


 ジークハルトは歩み寄り、リウを強く抱きしめた。


 冷え切った外気の中で、お互いの体温だけが温かい。


「ううん、ううん……っ、嬉しかった……。守ってくれて、ありがとう、旦那様……」


 リウはジークハルトの胸に顔を埋め、声を上げて泣いた。


 悲しみの涙ではない。過去の呪縛から解き放たれた、安堵と喜びの涙だった。


 ジークハルトはリウの背中を、子供をあやすように優しく叩き続けた。


 雪が二人を祝福するように、静かに降り積もっていく。


 これで、本当にリウは自由になったのだ。


 そして、二人の間には、もう何の障害もなくなった。


 あとは、間近に迫った「あの日」を迎えるだけだった。

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