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聖女転生物語  作者: 神崎右京
第六章

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83、『二度目』のアルク平原①

 急ごしらえで張られた陣幕の中に設えられた簡素な机に、周辺一帯の地図を広げ、自軍と敵軍の布陣を並べる。

「…予想外に、敵の布陣も早かったようだな。久しぶりの戦準備に、もっと二の足を踏むかと思っていた。想定以上に帝国領に近い」

「はっ…敵もまた、士気高く好戦的なようです」

「相手さんも、中々肝が据わった総大将らしいな。バルド・ガエルと違って人心掌握とは程遠い、血も涙もない実力だけで直属の部下をまとめる男かと思っていたが――どうやら、案外国内の人望もあるらしい。兵力が、報告よりもだいぶ多い」

 苦い顔で、ヴィクターは布陣を眺める。

 想定よりも帝国近くに、敵は陣形を構えていた。つまり――こちらよりも早く戦準備を整え、予想を上回るスピードで進軍してきたことになる。

 そして、布陣している陣形から察するに――凡そ、事前に入ってきていた情報よりもたくさんの兵力がそこに集結していた。明らかに正規軍で賄ったには多すぎるそれは、少なくない量の民兵が投入されていることを意味していた。

 命のやり取りなどとは無縁の市井の民が、戦場に赴き、正規軍の布陣に加わる。王族への忠誠心が篤いのか、総大将の人望が厚いのか、それとも――聖女を人質に取る、というのはこの国家にとってそこまで深刻な事態なのか。

「今日は、天候に味方してもらえるとも思えないしな…」

 前回のアルクでは、秋の木枯らし吹き荒ぶ季節だった。早朝に出た霧にまぎれて闇の魔法使いを投入し、奇襲を仕掛けることが出来たが、今回の季節は冬。時刻はすでに昼に近づきつつあり、気温は上がるばかりの雲一つない快晴だ。視界はすこぶる良好で、おかげで敵軍の奇襲や伏兵の心配は悪天候時よりもだいぶ減るものの、それは相手も同じ条件。まっさらな状態で腹の探り合いのない両陣営の正面衝突は、潔いと言えばそれまでだが、策略家ヴィクターの強みが生きにくい戦とも言えた。

(――何より、両翼からの本陣同時襲撃難易度が上がる)

 顎に手を当てて、ヴィクターは机上の駒を睨む。いっそ、吹雪にでもなってくれれば成功確率が上がるのに、と考えても仕方のないことを考えた。

「ヴィクター様の想定通り、敵は方陣を基本とした構えのようですね」

「あぁ。初陣で、年若い軍師。しかも、練度の低い民兵を登用しているとあれば、当然だろうな」

 まるで、教科書にあるお手本のような布陣を見て、小さく嘆息する。

 本陣手前を中心に正規軍を配置し、端の方は民兵を交えた軍となっているようだ。中央軍は防御も攻撃もどちらにも転じやすくさせているのだろう。端の方の民兵の多くに弓を持たせているのも、命のやり取りに慣れていない彼らを慮ってのことだと予想された。

 ふと、耳の奥で、自由を奪われた銀髪の少女が不敵に嗤った表情を思い出した。

『――頭脳はまだ、奪えていない』

(はっ…買いかぶりだったみたいだぜ、お嬢さん)

 鼻で嗤うように息を吐く。

 過去、アルクで軍師を務めた男は、バルドを討った時に同じ隊にいた。確実に死亡を見届けたと報が入っている。事実、葬儀の記録も残っているという。

(もう二度と、あの血沸き肉躍る戦が出来ないのは、酷く残念だがな)

 今年二十になったばかりという青年軍師は、その重責にも関わらず頑張っていると言えるだろう。確かに、隙のない構えだ。中央軍の練度によっては、多少苦戦するかもしれない。

 だが――面白味は、ない。

「伝令だ。敵軍がしびれを切らして突っ込んでくるまで待機。――相手さんは、聖女を取り返したくてうずうずしてるはずだ。睨み合いにしびれを切らすのは、間違いなく向こうが先だ。それまで、絶対にこちらからは仕掛けるな」

「はっ!」

 ビシッとお手本のような敬礼をして、少年の面差しを持つ若い伝令兵が陣幕を飛び出ていく。

「両翼への伝令兵はそこに控えていろ。俺が合図したら、同時に走って、進軍開始を伝えろ」

「「はっ!」」

 相手がしびれを切らして、横長の陣形が崩れ、矢じりのような形になった時こそが好機だった。こちらの中央軍は、さすがに本陣近くには優秀な将校を数名置いているため総崩れなることはないだろうが、基本的には歩兵中心で新兵も多く、騎馬中心の敵の正規兵を相手にすれば途端に追い込まれるだろう。しかし、それより先に、民兵中心の弓兵をあっさり乗り越えて、両翼から本陣の喉笛へと帝国の精鋭兵で固めた一団が食らいつく。

 じっとその時を待っていると――

 プァーーーー

「!」

「動いた!」

 ざわっと陣内がざわめく。

 高く響く長音の喇叭は、敵軍の進軍開始を示す合図だ。両翼への伝令兵が、さっと腰を浮かす。

「待て!まだだ!まだ――もう少し、引き付けてからだ。交戦開始の合図があるまで待て!」

 ヴィクターは鋭く指示を飛ばし、走り出そうとした伝令兵を制す。長音が二つ連続して響けば、交戦開始の連絡だ。

 ヴィクターは、その甲高い音を待ちわびて――

 パパパッ パパパッ パパパッ

「「――――!!?」」

 鳴り響いたラッパの音に、陣内が騒然とする。

 この合図は――

「トラブル発生――?」

 ドナートが呆然とつぶやくのを聞きながら、ヴィクターはすぐに陣幕の外に出る。

「あっ、ヴィクター様!お待ちください!」

 慌ててドナートが追いかけてくる気配が背後にあったが、無視して陣幕をくぐる。帯剣しているし、万が一には備えている。それよりも先に、状況を把握することが何よりも大事だった。 

 戦を制すものは――情報を制すものなのだから。

 ヴィクターは陣幕の外に駆け出るようにして――己の目を、疑った。

「な――に――――?」

 呆然とした声が、口からこぼれる。

 己の軍が布陣するその先に――信じられないものが、存在していた。

「で、伝令っ伝令――!」

 速度を出すことだけを考えられて品種改良された早馬に乗った伝令兵が、慌てた様子でヴィクターの下に駆け込んでくる。

「ヴぃ、ヴィクター様!敵軍が進撃を開始した直後に――」

 歳若い伝令兵は青ざめている。

「あたり一帯に、急速に濃霧が発生!!!前方の視界が一切遮られ――」

 プァーーーー プァーーーーーー

「「――――――!」」

 先ほどまで焦がれていたその合図は――交戦開始の、合図。

(何が起きた――!?)

 思わず天を振り仰ぐ。どう見ても、快晴だ。抜けるような青さが際立つ、これ以上ない快晴だ。冬とは思えぬほどの、温かさすら感じる。

 この天候で濃霧など――自然発生するはずが、ない。

(――――いや、違う!惑うな!)

 ヴィクターは一瞬で頭を切り替え、陣幕へと急いで取って返す。

「伝令!両翼のディスキン兄弟へ伝えろ!作戦通り進軍開始!中央に起きた不測の事態は無視して、最速で本陣に斬り込み、敵総大将の首をもぎ取れ!」

「「はっ!!!」」

 鋭く飛ばされた指示に、伝令兵が二名、焦って駆け出していく。

「ヴィクター様、何がどうなって――」

「わからん。おそらく、何かしらの仕掛けを使って、人為的に霧を――霧のような何かを、作り出したんだろう。だが今大事なのは、原因究明じゃない。この霧は、こちらにとっても、好機だ。視界不良の中、両翼からの同時攻撃の成功率が上がる!」

 ぐしゃ、と前髪をかき上げながら、机上の駒を睨んでヴィクターはすぐに頭を回転させる。

「中央後方のバーン少佐の隊を前線に上げろ!濃霧で混乱しているところに突っ込んで、指揮をとらせ、陣形を立て直せ!両翼が喉元に食らいつくまで、堪えるんだ!!!」

「はっ!」

 すぐそばに控えていた伝令が全力で駆け出していく。ヴィクターは、机上の地図の上で駒を動かし、じっと戦局を睨み付けた。

(くそっ――!してやられた!) 

 騎馬中心の敵軍中央部隊が、まっすぐに進軍してきていたとして、帝国の歩兵たちも、それを睨みつけながら、しっかりと盾を構えて鉄壁の守りを発揮しようと心構えをしていたはずだった。だが、そこに、予想外の濃霧がやって来て、視界が奪われれば――当然、混乱する。その上、全く見えないところから、いきなり騎馬が現れ、槍なり剣なりを振るってくるのだ。その恐怖は、新兵も多い歩兵部隊にすぐさま伝染するだろう。

 バーン少佐は優秀な軍人だ。本人の武勇もさることながら、十六年前のアルクの戦いにも従軍経験のある、軍属になってからだいぶ歴の長い軍人だ。出兵経験も豊富で、混乱する現場でも臨機応変に対応が出来るだろうと期待しての指示だった。

 もはや、ここまで来たら、ピンチをチャンスに変えるしかない。バーン少佐の指揮に期待して、ディスキン兄弟の速力に賭けるしかなかった。

 まさに、殺るか、殺られるか。

(初陣の癖に、随分な博打好きなようだな、リアム・カダート――!)

 教科書通りの面白みのない戦になるかと思っていたが、裏をかかれたヴィクターは――

「ヴィ、ヴィクター、様…?」

 ドナートが、恐る恐る声をかける。

 ヴィクターは――――楽しそうに、笑っていた。

「ははは…ドナート、俺は楽しいぞ」

「ヴィクター様――」

「久しぶりに、ひり付く戦いの幕開けだ」

 にぃっと口角が上がっていくのを止められない。まさか、王国に、いつの間にか骨のある軍師が育っていたとは思わなかった。

「だが――所詮は、博打だ。戦略じゃない。――アルクの軍師には、ほど遠いな」

 すぃっと机上の駒を動かす。

「ディスキン兄弟の後ろに、ギーク大尉とワグナー中尉を付かせろ!ディスキン兄弟の同時攻撃の後、それぞれが連続攻撃になるように、連携して両翼からの二連撃に繋げるんだ!」

「は、はいっ!」

「バーン少佐が前衛に上がって開いた穴は、ゴルドー中佐が埋めろ!それから、ありったけの弓兵を霧のギリギリにつかせて、乱戦の奥に弓なりに打ち込ませろ!敵の狙いは波状攻撃だ――十六年前にやられた戦法を、そっくりそのまま返してやれ!」

「は…はい!」

 バタバタと伝令が走っていく。

 翡翠の瞳が、爛々と輝く。水を得た魚のように、生き生きと机上の駒を眺めていた。

(あぁ――生きてる、って感じがする)

 昔から、戦場に立っているときは、自由に息が出来る気がしていた。

 煩わしい祖国のしがらみも、兄たちとめぐらす水面下の政治的な攻防戦も、軍将校として求められる振る舞いも。

 すべてから解き放たれて――ただ、己の能力を以って、全力を尽くして戦う。

 この瞬間こそが――ヴィクターが、唯一、『自由』でいられる時間。

「さぁ――どう出る、新米軍師さんよ!!!」

 ニタリ、と片方の頬を歪めて笑い、続報を待つ。

 そして――

 パパパッ パパパッ パパパッ

「――――!!!?」

 鼓膜を揺らす喇叭の音に、耳を疑う。

 ――トラブル発生。

 喇叭の音のすぐあと――最初に帰って来たのは、右翼の伝令だった。

「何が起きた!!!?」

「は、はいっ!ディ――ディスキン少佐が、討ち死に!後続のワグナー中尉率いる軍団含め、右翼進軍は不可能!指示を待つため、一時後方に撤退を開始しております!!」

「何――――!!!!?」

 それは――陣営の誰一人、予想していなかった報告だった。

「どういうことだ!詳細を報告しろ!」

「は、はっ!濃霧の中、ディスキン少佐率いる先鋒が最大速力で進軍中――敵軍のトラップが発動!巨大な陥穽が仕掛けてあった模様で、騎馬隊は壊滅!」

「陥穽――落とし穴、だと!?」

「貴様、馬鹿を言うな!たかが落とし穴、騎馬の足を取られることはあるかもしれんが、それで進軍不可能になるなど――」

「と、とんでもない大きさの、穴なんです!!!!」

 ドナートに厳しく言い寄られ、伝令は、怯みながらも涙目で言い募った。

「騎馬がまるまる落ちてしまうくらいの、大きな穴でした!すごく広くて、騎馬をもってしても飛び越えることが出来ません!」

「何――!?」

「ディスキン少佐含む先鋒軍団は、その陥穽にすっぽりと落ちて――そ、その中に――大勢の炎の魔法使いたちが、一斉に火を放ちました!!!」

「「――――――!!!!」」

 陣営内が、全員息を飲む。

「業火に包まれる穴を前に、二の足を踏んだワグナー中尉隊に向かって、奥に控えていた民兵から、無数の矢が放たれて――どうすることも出来ず、ワグナー隊は後方に撤退!被害状況を確認、指示を待ちます!」

「ヴィ――ヴィクター様!!!!」

 陣営内がざわめき、一斉にヴィクターを振り返る。ヴィクターは――その顔から、笑みを消していた。

(おいおい――冗談、だろう)

 ひやりとした汗が一筋流れ――すぐさま、高速で頭脳が回転する。

「お前、その情報は確かか!濃霧で、しかも不意を突かれて、穴の大きさを見誤ったということはないか!?」

「な――そ、そんなはずは――」

「ありえないだろう!宣戦布告から、移動と布陣――ただでさえ、敵軍は速度を上げてこちらの予測より多くの距離を進軍してきたんだぞ!?そこまで大きな穴を、この短期間で、開戦前に事前に掘っておくことなど出来るはずがな――」

「――――――魔法だ――」

 初めて、ヴィクターの頭脳がそこに思い至り、呆然と言葉が口の端から洩れる。

「っ――――くそ!!!やられた!!!!」

 ガンッと机を力任せに叩く。陣営内の全員が、ビクッと肩を揺らした。

「開始直後の霧もそうだ!水の魔法使いを使ったんだろう…!落とし穴は、土の魔法使いの総力を決したんだ…!」

「ま、魔法――で、ですが、敵の兵力の中に、ここまでの規模のトラップを用意できるほどの強力な魔法使いがいるとは――」

「強力な魔法使いなんていらない!あいつらは――王国中の魔法使いを集めて、数で質を補えたんだからな!」

「――――――!」

 ハッと陣営内に息を飲む音が響いた。

(くそ――!なるほど、確かに有効な手段だ!)

 ギリッ…とヴィクターの奥歯が悔し気に噛みしめられる。

 民兵は、命のやり取りに慣れていない。剣を持たせ、直接敵の命を奪う瞬間を実感させれば、おびえ、士気をくじく。もとより戦力と言えるほどの練度はない連中ばかりなのだ。せいぜい、弓を持たせて精度は気にせず矢の雨を降らせる一員にするくらいしか役に立たない。――そう、思っていた。

 だが、魔法なら、別だ。

 軍人でなくても、魔法は使える。日々の生活を少し豊かにする程度の魔法しか使えないものでも――落とし穴を掘ったり、空気中に水の粒を作り出したり、といった程度の魔法なら、属性さえあれば誰でも使える。

 そして、それは――命のやり取りを、含まない。民兵でも、「聖女を取り返すための作戦」として、参加することにためらいはないだろう。

「!――――待て、左翼に伝令だ!進軍中止!!!!」

「ぁ――は、はい!!!」

 我に返ったヴィクターが叫ぶと、すぐに命令の意図を悟ったのだろう。駆け込んできたばかりの伝令兵が、慌てて再び駆け出す。

 右翼で起きたことが左翼で起きないわけがない。騎馬軍団を飲み込む落とし穴など、国中の土魔法使いを用いれば、一瞬で作成できてしまうのだろうから。

 伝令が陣幕から駆け出そうとしたところで――ドンッと外から駆け込んできた兵と鉢合わせし、転倒する。

 駆け込んできた兵に見覚えがあり――ぞっとヴィクターは肝が冷える想いを味わった。

「で、伝令っ――――ディスキン中佐率いる一団が陥穽のトラップののち魔法による水攻めに遭い、全軍討ち死に!ギーク大尉率いる左翼軍団は、膨大な矢の雨の前になすすべなく、一時撤退!」

「くそっ――!遅かったか!!!」

 尻餅をついたまま報告する伝令兵に歯噛みして、すぐに机上にかじりつくようにして頭を回転させる。

「ヴィ、ヴィクター様――」

「うるさい、ちょっと黙ってろ!今考えてる!!!」

 おろおろと情けない声を上げた将校を一喝して黙らせ、こぶしを握り込む。

(おいおい、何の悪夢だ――――どこが保守的な新米軍師だ、オイ)

 肝が冷え冷えとしていく感覚に、掌に握り込んだ爪がギリギリと食い込む。

 決して――博打、などではなかった。

 最初の敵軍の布陣を思い描く。保守的に思えたそれは、どこまでも計算しつくされた布陣だったのだ。中央に強力な正規軍を配置し、両翼には民兵中心の弓兵隊。それはそうだろう。――両翼からは、進軍など、ありえないのだから。

 最初から、帝国は、中央突破以外の道など、用意されていなかったのだ。だが、そこには――敵国の粋が詰まった、精鋭兵がいる。

(相手は、何手先まで読んでやがった――!?)

 帝国が両翼に主力を置くかどうかなど、事前にわかるはずがない。普通に考えれば、本陣の前――中央付近に落とし穴を掘っておき、そこを集中攻撃する、という手だってあったはずだ。そちらの方が、よっぽどセオリーに従っている。

 だが、王国は、あえて、両翼にトラップを作った。

 それは、事前に、ヴィクターが両翼に主力を持ってくると読んでいたからに他ならない。

(この感覚は――身に覚えがあるぞ――)

 こちらが、敵の裏をかいたと自信をもって臨んだ途端、見事に別の策でひっくり返される感覚。

 しかも――教科書には決して書かれていないような、性格の悪い、時に質の悪い悪童が考え付くような、あくどい、最高に嫌らしい一手を、最悪のタイミングで仕掛けてくる軍略。

 ふと――再び、耳の奥で、少女の声がこだまする。

『――頭脳はまだ、奪えていない』

「おいおい――…まさか、本当に、王国は死者を蘇らせる法を持ってる、なんて言わねぇよな――?」

 ぞくり、と背筋を嫌な汗が流れ伝う。

 ――十六年前の、アルクの軍師の亡霊が、因縁の地で、蘇ったようだ。

 人生で唯一――ヴィクターと同等の軍略を仕掛けてきた、最高の軍師が。

「くそっ、とりあえず、両翼の陣営を中央に援軍として進軍させろ!敵主力が全部中央に集まってるなら、バーン少佐もそろそろ堪え切れな――」

「でっ――でんれ――伝令っっ!!!」

 まるで陣営に転がり込むように――中央軍に派兵していたはずの伝令兵が戻ってくる。

「今度はなんだ!!!?」

 真っ青を通り越して、真っ白な顔色をした少年の面差し残る伝令兵に、噛みつくように声を上げる。絶対碌な報告じゃない。

 伝令兵は――今にも小便を漏らすのではないか、というほど怯え切った顔で――涙すら浮かべて、震える声を張り上げた。

「て、撤退を――撤退を、お願いしますっ――!」

「な――貴様!!!?何を言っている!?それでも帝国軍人の端くれか!!!」

 唐突な、一番下層と言ってもいい兵士からの、立場を弁えぬ信じられない進言に、ドナートがカッと怒りに顔を染め上げて怒鳴りつける。

 伝令兵は――それでも、震える声を張り上げた。

「く、来るんです――あ、あいつが――」

「何――?」

「赤銅色の、死神が――――蘇ったリツィード・ガエルが、まっすぐに、ここに、向かってきます!!!!」

「「――――――!!!!」」

 一瞬、全員が息を飲み――

「っ、は――嘘、だろ――」

 精一杯、笑い飛ばそうとしたかのようにヴィクターの口の端から洩れた言葉は――誰に拾われることもなく、虚空に消えた。

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