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聖女転生物語  作者: 神崎右京
第六章

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79、漆黒の『楽園』③

「おう、ディー。元気そうだな。背も伸びたみたいだ。血色もいい。――ただ、あれだな、もう少し太ってもいいんだぞ。おい、ダンケス翁。ちゃんと食べさせているのか?」

「勿論、食べさせていますとも。しかし、いつまでたっても男とは思えぬ線の細さなのです」

「ふむ…まぁ、ちゃんと食べて健康的なら、それでいい。さぁ、ダンケス翁、報告をしてくれ。こっちは、これが楽しみで毎日生きてるんだ」

 昼過ぎにやって来たヴィクターは、供の一人もつれずにあばら家の中に入って来た。一国の皇族としてはありえない不用心さともいえるが、玄関の外にはさすがに護衛の兵がいるのだろう。幼いころから馴染んだダンケスとの久しぶりの気の置けない会話に、厳しい顔つきの軍人が同席することをヴィクターは嫌がっていた。ともすれば「閣下」と呼びかけられるような堅苦しさが嫌だというのもあるが、万が一、ランディアの出自について露見した場合、凶行に走る者がいるとも限らないという危惧もあっただろう。

 かちゃり、と薬草を煎じた茶をテーブルに二つ分並べる。森の木を斬って作った手製のテーブルは、頑丈で作り手を思わせる武骨な作りだったが、素人が作ったにしてはしっかりとした設えだった。

「僕は、今日の分の調合を済ませて来るね」

「あぁ」

 老人の言葉は少ないが、いつものことだった。ランディアは特に気にする様子もなく、笑顔で部屋を後にする。

「ちゃんと、笑って暮らせているようで何よりだ。前回の報告では、優秀だから次は魔法を教えるという話だったが、その後、どうだ」

 ドキン

 扉を閉める前に聞こえてきたヴィクターの声に、心臓が一つ音を立てる。

 そっと音が出ないように扉を閉めて――ランディアは、そのまま扉の前に膝を抱えて蹲った。

「変わらず優秀です。魔法においても、少し魔力の練り方を教えただけで、すぐに魔法を使って見せました」

「おぉ!そいつはいい。無属性じゃなかったのか。いいな、生活の幅が広がる。――で?属性は何だった?」

 ワクワクとした恩人の声に、ぐっと膝を抱えて唇をかみしめる。

「――光、でした」

「何……?」

 しん…と一瞬訪れる、沈黙。

 ぎゅぅっとこぶしを握り締めて、ランディはじっと息を殺し続けた。

「――…そうか。光、か。…それは、厄介だな」

 先ほどまでの、わくわくした声から一転、静かで硬質的な声音が響く。

(あぁ――やっぱり)

 嫌われて、しまうのだろうか。

 もう二度と、顔を見せてくれなくなったらどうしよう。

 きっと、いつか、助けてくれた恩を返すために、生涯この人のために生きようと誓ったのに――

「このまま、一般人にまぎれて生きていくなら、属性を偽り、無属性として生きていくしかないでしょう」

「あぁ――…本人には、不自由を強いて悪いが…今の状況では、それも仕方ないか…」

(え…?)

 苦いものが混じった声音は――決して、嫌悪の色は見られなかった。

 驚いて、いつの間にかうつむいてしまっていた顔を、ゆっくりと上げる。建付けの悪い木製の扉の向こうから、二人の声が響いていた。

「他国では、光魔法は日常に根付いたものなんだろう?ダンケス翁が任務で赴いた異国の話は、よく覚えている」

「はい。王国では、特別視されて聖職者の見習いになることを強要される光魔法ですが、例えばファム―ラなどでは、帝国でいうところの薬師のような役割で活躍する職業があります。医者、と呼ばれる者たちです」

「なるほど…やはり、治癒に特化するのか」

「はい。他にも、安眠や鎮静といった効果の魔法もあるようです。ゆえに、外傷だけではなく、心の病にも効果があるとか。エルム教徒でなくても、光魔法自体は使うことが出来るので、職業選択の自由が謳われているファム―ラとは特に相性が良いのでしょう」

「ほう。それは興味深い。――全く、兄上どもの石頭にはとことん困らされる。感情論も時には大事だが、それによって国益を損なうなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。光魔法が有益であるなら、ファム―ラのようにうまく活用する方法を見出すべきだ」

「…おっしゃることはわかりますが、難しいでしょうな。光魔法使いが医者となり、権力を持てば、今帝国中にあふれている薬師の立場がなくなります。治癒という点だけに特化しているのですから、当然薬師よりも治癒効果は秀でているわけです。光魔法を保護するならば、同時に職を追われる薬師の救済策も考えねば、国民は納得しないでしょう」

「そうだな。…己を偽れ、というのは心苦しいが、無意味に迫害の種をまき散らせというのも違う。ディーには、もう少し帝国が生きやすくなるまで待ってもらうしかないだろう」

「…それを成すのが、貴方様の仕事でしょう」

「――――俺は、戦さえできればそれでいいんだが」

 渋面を作っているだろうことが容易に想像できる声で、ヴィクターがつぶやく。

「御冗談を。ご兄弟の中で、誰より優秀だったあなたこそ、この国を導くのにふさわしい。そうでなければこのダンケスも、忠誠を誓ったりはいたしませぬ」

「固い固い。まったく、老人というのは堅苦しくて仕方ない。たくさんの知識を教えてくれた翁には感謝しているが、俺は玉座などというものには本当に興味がないんだ。民が餓えず、凍えず、幸せに暮らせているのなら、あとは時々血肉沸き踊る戦を楽しめれば、それでいい」

「――それも、今の状況下では叶わぬでしょう」

「…あぁ。…予期せぬ形で、最高の好敵手を失ってしまったからな」

 それは――今まで一度も、聞いたことがない声音だった。

 ドクン、と胸が鳴る。

「皇帝をはじめとする陣営は、引き続き、闇を使う方針を変えておらぬのですか」

「あぁ。…あんな歪なもの、人の手に余る。狂信的な国家主義者を選んで付与するなんて言うのも、民の愛国心を利用しているようで好きじゃない。何より――そのせいで、俺は、もう二度と、永遠に心が躍る戦が出来なくなった。兄上どもを悪く言うわけじゃないが――正直、恨んでいるさ。最高の好敵手を、俺のあずかり知らぬところで奪われたことを」

「――…口にはお気を付けください。貴方の信頼に足る部下は、もう誰一人、この世におりませぬ」

「……わかっているさ。シュヴィットを死なせたのは俺の責任だ。周りを囲むのは、兄上の息のかかった連中ばかり――せめて一人でいいから、使える側近がいるといいんだが」

 ドクン、ともう一度胸が鳴る。

 ダンケスは少し間を持たせてから、そっと口を開く。

「――――ディーを」

「何…?」

「ディーを、わしの真の後継として育てましょうか」

「――――!」

 ガタンッ

 椅子を蹴って立ち上がったらしい音が、隣の部屋から響いた。

 ダンケスは、いつもと変わらぬしゃがれた感情を感じさせない声でつづける。

「普通に生きていくには、そもそも難しい身の上でしょう。王国の血が入っていて、光魔法を使う。どのように生きるにせよ、帝国にある以上、常に己を偽り、隠し、生き続ける必要がある」

「だが――っ!」

「幸か不幸か、あの童は非常に優秀です。男には見えぬ線の細さと中性的な顔立ちは、間者として敵国にまぎれさせるにはこれ以上ない資質。鍛え方次第ですが、兵士ではなく暗殺者として育てるならば、必要なのは力よりも速さ。あの線の細さは、いっそ強みとなるでしょう。お許しさえいただければ、『瞬神』と呼ばれたわしの二つ名を受け継ぐにふさわしい男に育て上げて見せます」

「っ――口を閉じろ!」

 しん……

 部屋の中に沈黙が下りる。ドクドクと、ランディアの心臓は痛いくらいに脈打っていた。

「俺は――俺は、あいつを、そんなことをさせるために拾ったわけじゃない――!」

「ですが――」

 カタン

 一つ、物音が響いた。聞き耳を立てていた部屋の向こうが水を打ったように静まり返る。

 一瞬、自分が物音を立ててしまったのかと焦ったが、違った。音は、廊下から聞こえてきたように思えた。

「――…?」

 不審に思い、ランディアは扉を開け――

「っ――――――!?」

「黙れ。声を上げれば喉を切り裂く」

 目の前に、黒装束の見慣れぬ男が迫ったかと思った瞬間、瞬く間に背後に腕を取られ、ひやりとした冷たい感触が喉に触れた。ぞくっ…と冷たい汗が背中を伝う。

「ダンケス・ジュートはどこだ」

 押し殺した声は、くぐもっている。一瞬見えた相手の口元を覆っていた布が、声音の判別を邪魔しているのだろう。明らかに、暗殺を生業として生きている者の所業だった。

(狙いは、ヴィーじゃない…?)

 だとしたら、たまたま、ということだろう。今、ダンケスがヴィクターと一緒にいるところを見られるべきではないと判断し、ぐっと口を閉じる。

「言え」

「だっ…れが…言うもんか――!」

「貴様――!」

 ぐっと喉に押し付けられた冷たさがさらに圧力を増す。ぷつり、と嫌な音を立てると同時に、微かな灼熱が喉に走った。たらり、と一筋液体が伝う嫌な感触。

「死にたいのか――!?」

 幼子の喉を切り裂くことくらい、何とも思わぬ相手であることくらい容易に想像できたが、それでもランディアは口を開く気にはなれなかった。

「――やれやれ。わざわざこんな森の奥地まで、ご苦労なことだ」

 すぅ――と、いつの間に現れたのか、いつものように足音ひとつ立てることなく、白髪の老人が視界の端に現れた。隣の部屋から出てきたのだろう。足音ひとつ、扉を開ける物音ひとつ、立てることはなかった。

「ダンケス・ジュート――!」

 ギリッ…と後ろの黒ずくめが、歯を食いしばるのが分かった。興奮したのか、さらに刃が推し進められ、もう一筋首元を液体が伝っていく。

「そいつは、さる偉大なる御方から、わしの孫として与えられた子供だ。放してくれんか」

「孫、だと――?ふざけるな、暗殺者にそのような――」

「やれやれ。交渉決裂か。死に急ぐとは、馬鹿な男だ」

 ひゅ――――

「ぇ――」

 風が、走った。

 瞬き一つの間に、老人の姿は掻き消え――

「が――――っ…は…」

 ぶしゅぁあああああああ

「――――――!」

 唐突に降ってきた真っ赤な豪雨に、驚愕して声を飲む。へたり、とその場に頽れるようにして後ろを振り向くと、断末魔の一つも残すことなく、背後の男は喉をぱっくりと切り裂かれ、一瞬で絶命していた。

「この程度の力量で、わしを殺せると思っていたのか――現役を退いて長い身とはいえ、舐められたものだな」

 いつもの通り、眉ひとつ動かすことなく。

 いったいどこに持っていたのかすらわからない暗器を手にしたまま、冷ややかな目で、物言わぬ躯を見下ろした。

(――――すごい…)

 それは、まさに、風だった。

 これが――『瞬神』と呼ばれた、暗殺者の姿。

「――…この期に及んでも、わしの目をまっすぐに見つめる度胸は褒めてやろう。…立て。血の雨ごときで腰を抜かしておったら、わしと暮らすことなど敵わんぞ」

「う…うん……」

 まだ少し震える足を叱咤激励し、無理矢理立ち上がる。

「――終わったか?」

「はい。御身が御無事で、何よりです」

「…この家の敷地内にいて、俺の身に何かあるなんて、そんな馬鹿なことがあってたまるか」

 ヴィクターは苦笑しながら言う。それは、引退を退いて長い、と言った翁への、絶対的な信頼を表していた。

「ヴィクター様を狙ったわけではなさそうですが…念のため、今日はもうお帰りになった方が良いでしょう。森の外までお送りいたします」

「そうだな。しばらくしたら、また来よう。ディー、ゆっくり話も出来ずすまないな」

「あ、う、ううん、大丈夫。気を付けて――」

「ダンケス翁が護衛についてくれるんだ。今、俺は帝国の中で一番安全さ」

「……引退した独居老人を、買いかぶりすぎです」

 ダンケスはいつもの通り冷ややかな口調で、かつての雇い主を伴い、家を後にしていった。

 独り家に残されたランディアは、そっと、物言わぬ躯となった男を見下ろす。ごくり、と一つつばを飲み込んでから、意を決して近づいた。

 そうして、むせ返るような鼻を突く臭いが充満する血だまりの中で――九つになったばかりの少年は、決意を、固めた。



「おかえり。ヴィーは、無事?」

「あぁ。――死体は片付けておいてくれたか。なかなかどうして、肝が据わった童だ」

「うん。――あのね、ダンケス」

「何だ」

「お願いがあるんだ」

「……?」

「僕を――ダンケスの、本当の、後継者にしてほしい」

「――――――…」

「ヴィーのためなら、僕は、何でもできるよ。世界中の全員が、ヴィーの敵になったって――僕は、絶対、裏切らない。ヴィーの傍で、ヴィーのために、力を振るうよ。汚いことは、僕が請け負う。辛いことも、僕が請け負う。いっぱい勉強して、僕が、ヴィーの一番の『側近』になるよ」

「――本気で、言っているのか」

「うん。本気だ」

「……ふむ。その瞳は、どうやら本気らしい。――いいのか。途中で死んでも責任は持たんぞ」

「ふふっ…変なダンケス。最初から、そういう約束で僕を引き取ったんだろう?」

「…そうだったな。――では、明日から、さっそく訓練を始めよう。死んだ方がマシだったと思える日々が続く。覚悟しておけ」

「うん」



「――あ、そうだ」

「まだ何かあるのか」

「ダンケスのこと――これから、爺ちゃんって呼んでいい?」

「――――――…何の話だ」

「さっき、言ってくれただろう。『孫』って。――あれ、なんだか、嬉しかったんだ」

「――――」

「僕には、血のつながった家族はいないけど。――でも、ダンケスは、僕の唯一の、家族だよ」

「――――――呼び名など何でもいい。好きにしろ」

「ふふっ…ありがとう。爺ちゃん」

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