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聖女転生物語  作者: 神崎右京
第六章

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76、蘇る『恐怖』②

 しん――…と一瞬、部屋の中に沈黙が訪れる。

「どうした?急にお喋りじゃなくなったな。さっきまでの軽口はどこへいった?」

「――……お、前…」

 頬杖をついたまま見つめる薄青の瞳は、ひんやりとした温度を感じさせない色をしている。暖炉の火が焚かれた温かい部屋の中にあるにもかかわらず、ヴィクターは背筋を冷たい汗が伝い降りていくのを感じていた。

「昔対面してたのに、気づかなくて悪かった。何せ、あの時、お前は、部下に守られるようにして、真っ黒なフードで顔を隠して逃げて行っただろう?俺には顔が見えなかったんだ。見てたら、絶対に気づいた。すまないな、非礼を詫びておく」

「――――」

 無言でヴィクターはカウチから立ち上がる。カチャリ、と腰に差した剣から小さな音が鳴った。

 それは、あり得ぬ発言だった。

 総大将がヴィクターだったことは、記録をあさればすぐにわかる。帝国の軍服が黒いことを考えれば、黒い装束を纏っていたことくらいは、あてずっぽうでも言い当てられるだろう。

 だが――フードをかぶり、部下に守られるようにして逃げた、というのは――あの日、あの場にいた者にしか、絶対にわからない。

「おいおい。幼気な少女、それも結婚したばかりの妻に向かって、何だそれは?」

 青ざめた顔のまま無言で剣の柄に手をかけたヴィクターに、ふっと笑って声をかけるも、通常なら返ってくるはずの軽口は返ってこなかった。

「――――…死んだはずだ」

「ふっ…誰が?」

「死んだ、はずだ。十五年前の、あの日――確かに、あの死神は、死んだはずだ――!」

 ぐっと柄を強く握りこんで、恐怖に震える声を必死に抑えながら呻くヴィクターを、笑みを崩さぬまま見据える。

「アルク平原――…あの日は、俺もよく覚えてる。いや、最近まで正直忘れてたんだが、ちょっと夢に見て、久しぶりに思い出した。悪いな、俺にとって、別にあの戦い、大して特別でも何でもなかったんだ」

 ぞっ…

 ヴィクターの顔が青ざめる。肝のあたりが形容しがたい冷たさを主張していた。この冷たさは――十六年前、一度だけ、経験した。

「開戦して、三日目の朝だったな。霧が出ていた。…初日と二日目も、お前の軍は見事な策略を巡らせていた。柔軟に素早く形を変える陣形、盤石な布陣、予期せぬ伏兵…帝国って強ぇな、って思ったのはさすがに覚えてる。まぁ、その二日間は、中央の本陣前に配置されてたから、俺はあまり出る幕なかったんだが」

「――その二日で勝負がつかなかったから、しびれを切らして、切り札を出さざるを得なくなったんだ。俺の策略に、同程度でついてきた軍師は、あれが初めてだった」

「ははっ…今度会ったら、本人に伝えておくよ。本人は、あの戦い、不服そうだったけどな」

 ぞくり、と再びヴィクターの背筋が凍る。

 今、目の前の少女が何を言っているのか――理解できるようで、理解できない。いや、理解したくないと脳が拒否しているのか。

「でも――そうか。十六年目にしてやっと、あの戦いの裏側がわかった。感謝するよ。――急に裏切った騎士団の連中は、闇の魔法で操られてたんだな」

「――――…」

 ごくり、とヴィクターはつばを飲み込んだだけだったが、その沈黙を肯定と受け取り、イリッツァは小さく嘆息する。

 美しさは、度を超すと恐怖へと変わる、と言ったのは誰だったか――

 イリッツァの整った顔立ちは、確かに百戦錬磨の軍人を恐怖のどん底に叩き落としていた。

「だとしたら、悪いことをした。当時の俺は、今よりもっと信仰とかそういう価値観に対して頑なで――人生経験も少なかったんだから大目に見てほしいんだが――神の戦力たる誇り高き騎士が、王国に弓を引くなんて、許せなかったんだ。当時は『人らしさ』っていうのもよくわかってなかったし。しかも、戦いが始まって三日目。最初の二日で目まぐるしく展開する高度なお互いの軍事戦略についていくので精一杯で、前線の兵士は皆疲弊してた。士気を保つのも苦労していたタイミングで、頼りになるはずの騎士団が、少なくない兵力を全部率いたままで寝返ったという報は、軍の中を衝撃をもって駆け巡った。神に命をささげたはずの騎士が、神の代行者を名乗る王国を裏切ることはもちろん、まさか、挙句の果てに異教徒に与するなんて――許せるわけがなかったんだ、当時の俺には。…あの、鬼みたいに怖いけど、指揮官としては死ぬほど優秀で軍の内部では人望の塊だった親父に盾突く神経もわからなかったし。――正直、お前の国の将校を殺すより、優先して首をはねた気がする。でも、あれが操られてたんなら、あいつらは人並み以上に信心深かった可能性があるんだろ。悪いことをした。ちゃんと天に昇ってたら、許してくれるといいんだが」

「――――…お、前は…何を、言っている…?」

「何…って。お前たちが聞きたいって言ったんだろう?――俺の、身の上話を」

 ひやり、と氷を思わせる美しい笑顔で、イリッツァが笑う。

「っ――――!」

 バッと得体のしれぬ恐怖に耐えかね、衝動的にヴィクターが抜剣した。

「おいおい、丸腰で拘束されてる相手に抜剣か?捕虜、それもたかだが十五の少女に向かって?帝国軍人様は、非人道的にもほどがあるようだ」

「お、お前は何者だ――!」

「イリッツァ・オームだよ。調べたんだろう?俺の経歴」

 わざと相手を苛立たせるように、あえて煙に巻くような言葉を選ぶ。

(――…本気で、トラウマなんだな。あの日のこと)

 心の中でつぶやいて、ふっと思わず笑みが漏れる。獰猛な獣のようなオーラを漂わせ、威厳あふれる余裕の態度だったヴィクターが、今はまるで生まれたての小鹿のように、恐怖に震えて顔を真っ青にしている様は、見ていて胸がすく思いだった。

「し、死人が、蘇るなど――ありえない」

「さてね。世の中には不思議なことがあるもんだ。――調べたんなら知っているだろう?一回死んだ王国騎士団長は、死の淵から復活したぞ」

「――!」

「もしも、死人をよみがえらせる術があるとして――あの国で、今、誰を優先してよみがえらせるか、と言われれば、間違いなくリツィード・ガエルだ。国民は、ランディアが逃げ出したあの日のことを死ぬほど悔いて何とか罪を贖いたいと懇願しているし、あれが一人いたら――帝国の戦上手とやらが攻めて来ても、策の一つもなくごり押しで勝てる。あいつがいるだけで、帝国はもちろん、それ以外の国からも、王国への軍事侵略は永劫ありえない。そうだろう?」

「そ、れは――」

「俺は、間違って女の身体に入っちまったが――男の身体に入ったリツィード・ガエルが、因縁の地での再戦に、出てこないと、いいな?」

「っ――!」

 そして、ふっ…とその顔から表情を消す。

「忘れるなよ。お前は、俺の、敵だ。――卑怯な手で、親父を殺し、当時まだ十五歳だった俺自身を殺した。人の国を、続いていたであろう人の未来を、横から入って来て、滅茶苦茶にしやがったんだ。しかも、別に、何か罪を犯したわけでもない。あの日のアルクで、俺たちは、軍人だった。仕事をしただけだ。そしてお前も――仕事をしただけだった。そしてお前は、単純に――負けただけだ。戦で。実力で」

「だ、黙れ…」

「それが、戦とは関係のないところで、闇討ちして当時の指揮官を暗殺する?戦に無関係な民間人を操って、裁判にかけて無実の罪で剣士を裁いて殺す?はっ――…戦上手が聞いてあきれる。何が、美学だ。笑わせるな。お前は、尻尾を巻いて、逃げたんだ。アルクでも――そのあとも。お前は結局、直接対決をあきらめたんだろう?親父とも俺とも、まともにやり合う勇気がなかった」

「黙れっ…」

「お前はいつも、自分の手では何もできないんだな。本陣で偉そうに戦略を練って、部下に命令を下していれば、戦上手と称えられる。さすがは皇族様だ。汚いことも、全て手を下すのは、ランディアたち若い部下たちだ。アルクでも――お前を逃がしたのは、自分の命を盾にした青年将校の覚悟だった。俺が逃がしてやったのは、あの将校の覚悟がすさまじかったから、それに免じてやっただけ――」

「黙れ!!!」

(来た――!)

 恐怖が極まりすぎたのか、怒りが恐怖を凌駕したのか。

 ヴィクターは抜剣した刃を力任せに上段から振り抜く。イリッツァは素早くその剣筋を読み、己の手の鎖を上段にかざして――

 ガキィン!

「待った!――待ってよ、落ち着いて。ヴィーらしくない」

「っ…ディー…?」

 ハッ ハッ

 大した運動をしたわけでもないのに荒くなった息の合間で、ヴィクターが小さく声を上げる。

 彼の剣は、風のように現れたランディアによって受け止められていた。

(速い――…さすが、だな)

 まさに、漆黒の風だった。剣を受け止めているその暗器がいつの間に手に現れたのか、イリッツァにはわからなかった。しかも、剣を受け止めているのとは逆の手で、イリッツァの鎖をつかんで軽く自由を奪っているところもさすがとしか言えない。

「こいつが、本当にリツィード・ガエルなのか、狂った妄想野郎なのかは知らないけど――冷静になってよ。アンタの恐怖を必要以上にあおって、冷静さを欠かせて、剣を抜かせて、立ち回りで鎖を斬らせることがこいつの目的だ。いつもの冷静なヴィーなら、こんな初歩的な作戦に引っかかったりしないだろ」

「――――…」

「昔から、耳に胼胝ができるくらい、『赤銅色の死神』の話は聞いてきたから、アンタの気持ちもわかるけどさ。ちょっと、落ち着いて」

 完全に狙いを読まれていたらしいので、ふっと力を抜いて手をだらりと下ろす。剣で断ち切ってくれればラッキーだし、それが叶わなくても鎖で剣を絡め取って己の物にするくらいは狙っていた。剣さえ手に入れられれば、選択肢は無数に広がる。

「――…そう、だな。悪かった。俺らしく、なかった」

「うん。…いいよ」

 しばし合わなかった息を整え、呻くように言った後、ヴィクターは剣を柄へと収めた。軽く微笑んだランディアは、そのままくるり、とイリッツァを振り返る。

「さて。――死者が蘇る、なんて、さすがに信じられないけど、僕はナイードで実際に蘇るところを監察者として見てるからね。妄言だ冗談だと切って捨てるには、ちょっと難しい。しかも――ナイードで君が見せた剣は、確かに普通じゃなかった。あれはまさに、芸術の剣だ。魔物とはいえ、命を奪うことにまったく躊躇しないどころか、血しぶきの中を平然とした顔で――むしろ、爛々と輝いた瞳で進むさまは、まさに、怪談めいた伝説のリツィード・ガエルと言えるかもね」

「信じるのか?」

「さぁ。でも、どんなに君が優れた剣士だったとしても、今君が持っている身体は、当時の屈強な鍛え抜かれた剣士の身体じゃなく、重りを付けられたか弱い少女だ。おまけに、国民の勝手な期待に応えるように理想的な聖女の仮面をかぶって、間者に出されたお茶を訝しみながらも好意を無碍にできずに飲んじゃうくらいにお人好しな奴なのも、僕は知ってる」

「…褒められてる…のか?貶されてんのか?」

「どうだろうね。僕にもわからないや」

 ふるふる、と頭を振った後、ランディアはため息を吐いてからイリッツァを見た。

「悪いけれど、ますます君をここから出せなくなった。万が一、君が言うように、リツィード・ガエルの魂――なのか、記憶なのかわからないけれど――をよみがえらせて、他の人間に植え付けるような悪魔のような手法を王国が持っていたとして、それが敵国にあるなら、これ以上ないほどの脅威だ。正直、今の帝国に、あの死神を抑える術はない――そうだろう?」

「あぁ…」

「――って、総大将が言ってるんだ。それに、そんなバカげたこと――噂でも流れただけで、大変だ。うちの、肝っ玉座りまくってる総大将ですら、こんな状態になるんだよ?一般兵なんて、皆小便ちびって蜘蛛の子を散らすように敵前逃亡間違いなしだ。そうなれば――今度は、『こっちには聖女がいるから手出しは出来ない』じゃなくて、『こっちにもリツィードの魂はあるから恐れるな』と兵士を鼓舞することになるだろうね。まったく、頭が混乱する事態だ」

 軽くこめかみを抑えて、大仰にため息を吐く姿は、芝居掛かってはいたが、おそらく半分は本音だろう。ランディアなりに、状況をなんとか飲み込もうとしているらしい。

「悪いけれど、もう、兵士とは金輪際関わらせられない。余計なことを言われたくないからね」

「…好きにすればいい。どうせ俺に、自由はないんだろう」

「まぁ、そうだけど。しばらくは、僕とお茶を楽しむ日々に逆戻りだね」

「はっ…」

 鼻で嗤って、ソファに身を投げるようにして体を預ける。鉄球のせいか、ぼすんっと予想以上に重たい音がした。

「さっさと行けよ。もう出兵するんだろう。その青ざめた情けない顔で、せいぜい部下の不安を煽ってこればいい」

「っ……戦争が終わったら、覚えておけ――!」

 捨て台詞を吐いて、ヴィクターはくるりと踵を返す。因縁の相手と同じ空気を少しでも吸っていたくない、とでもいいうかのように。

 バタンッと勢いよく閉められた扉を眺め、ため息を吐くと――同時に、隣からも、大きなため息が聞こえた。ふと見上げると、黒曜石の切れ長の瞳が、呆れたようにイリッツァを見下ろしている。

「何だよ」

「なんで君、そんなに喧嘩ばっかり売るの?もともと、そんなに喧嘩っ早い性格でもないだろう?王国にいたときは、猫をかぶっていたとはいえ、さすがに本質すら見抜けないほどじゃないよ、僕。…数日間いただけだったけど、あの神殿の奥の生活は異常だった。あんな、非人道的な行いが当たり前に行われているのも驚きだったけど――それに当たり前に従ってたイリッツァも、異常だと思ってた。最初は、非人道的な行いすらも受け入れる慈愛の心とやらを持っているのかなと思ったけど、こっちに来てからは、やたら自分の待遇に不満を言うし、殴られたり危ない目に遭うこともいとわず抵抗してばっかりだ。どうにも、君の考えが読めない」

「――…俺は、確かに剣士だったけど、根底の考え方は、昔も今も聖職者だからな。人には愛を持って接するべきだと思っているし、孤独や不幸に震える人間がいれば、手を取ってやりたいと思う。神様を信仰しているとか関係なく。だから、王国民が聖人を不当に罰したことを悔いて、自分たちは幸福になる資格なんかないんだと不幸の道に突っ走ろうとしているなら、そんなことする必要ないぞって伝えてやりたいし――俺が、神殿の奥でひっそり異質な暮らしを受け入れさえすれば国民が幸せになるなら、別に、それくらいはどうでもいい。でも、ここにいる奴らは違うだろ。…暴力で支配することでしか、他人と理解し合えないと思ってる。最初から、向こうが穏便に対話による交渉を求めてきたなら、俺も別に歯向かったりしない。俺の大事な国民を殺して、無理矢理攫って、拘束して自由を奪って――それを当然だ、って言っているやつ相手に、態度を軟化させる方が無理だろう。――知らないのか?リツィード・ガエルは、石を投げた国民すら救った男だぞ。どんなに王国の端っこにいようが、顔すら見たことない相手だろうが――それが王国民であれば、無条件の慈悲と愛を与える稀代の聖人サマらしい」

「ふふっ…確かに、そうだったね。――謝るよ。君の大事な国民を、僕は四人も殺してしまった」

「ああ。――謝ってくれたなら、いい。許すさ。――聖女様は、『許し』を与えるのが仕事だからな」

 ふわり、と笑みを浮かべる。先ほどまで、ヴィクターを相手にしていた時とは正反対の、柔らかな微笑み。

 ランディアはそれを見て苦笑して――口を開いた。

「じゃあ、そんな、『許し』を与えることが仕事の聖女様に、お願いがあるんだけど」

「ん?――…なんだ?」

「――ヴィーを、許してやってくれないか。あいつも、好きで、君と君を取り巻く運命を、滅茶苦茶にしたわけじゃなかったんだ」

 今まで、その顔には仮面のような笑みしか張り付けていなかったランディアが、少し哀しそうに、眉を下げた。

 その表情に、イリッツァは少し考える。

「それは――聞いてみてから、だな」

「ふふ、ありがとう。…あぁ、僕は神様なんて信じていないし、エルム教なんて大嫌いなんだけど――君を前にして、許しを請うて頭を垂れる信者の気持ちが、今、なんとなくわかったかもしれないな」

 そうして、ランディアは静かに再び口を開く。

 彼が知る、異国の土地での物語を。

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