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聖女転生物語  作者: 神崎右京
第六章

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74、王国の『頭脳』

 外は雨。雪になっていないのは、気温が保たれているからだろうが、夜になればわからない。

 しとしとと降り続く朝からの雨に押し込められたように、部屋の中では重苦しい沈黙が場を支配していた。

 カルヴァン・タイターはその重苦しい沈黙から逃れるように、ふと視線を巡らせる。ここは、いつもの執務室ではなく、王城の一室だった。やけに広い空間で、王城らしく真っ白に塗りつぶされた味気ない部屋。本棚が敷き詰められ、自分好みに設えさせていた馴染んだ兵舎の執務室が恋しい。穢れのない真っ白な世界に閉じ込められているようで、ただでさえ重苦しい沈黙で気が滅入るのに、さらに気分が晴れない。雨の音も、それを助長させる。

 場に集まっているのは、騎士団長のカルヴァンのほか数名。近衛兵団、兵士団それぞれの長と副団長。この国の宰相と、他国との交渉役を務める中でも特に重要なものを任される特別外交官。枢機卿団団の代表者たるアラン・フィードのほか、当然、騎士団の副団長たるダインもその屈強な体を小さな椅子に収めて苦い顔で沈黙を保っていた。

 そして、上座に座るのは――金髪碧眼の、人形のような一族。この国の最高権力者の王と、王子。さすがに王女はここにはいないが、全員が押し黙っているのは、彼らに恐縮しているせいもあるのではないか。

「――いつまでも押し黙っていても仕方がない。さっさと話を進めよう。聖女が攫われてもう五日になる」

 どうにも前に進まない議論に嫌気がさし、仕方なくカルヴァンが口火を切る。王族への忖度なんぞ、くそくらえだ。

「特別外交官。その後、帝国との状況は」

「は、はい。こちらが、向こうの要求を突っぱねたことで、向こうも引くに引けぬのか、平行線のままです。私の力不足で大変申し訳ないのですが、もはや全面戦争は避けられぬ局面に突入してしまったかと…」

「いや、貴方は悪くない。聖女様を返さぬ、殺すと脅されて、平静を保っていられる王国民などおりません。交渉の場で激昂したことは、外交官としての手腕としては非難されるかもしれませんが、王国民は全員が同じ気持ちでした。市井の民の様子を見てもそれは火を見るより明らかでしょう」

 アランがそっとフォローを入れる。そのまま、苦い顔をして言葉をつづけた。

「私とて、力不足が情けない…枢機卿団の代表たる身で、闇の魔法使いの術中に落ちていたなど――神にも国民にも顔向けが出来ず――」

「いや、それを言うなら我々近衛兵こそだ。全員が、敵国の間者をリアナ・カロッサという老婆だと思い込んでいた。そのうえ、事件が起きた時、その場にいながら何も出来ぬまま聖女様をお助けすることも叶わなかった。この無念は――」

「今は責任の所在を明らかにしている暇はないし、各自の懺悔を聞く場でもない。さっさと建設的な話を進めるぞ」

 延々と続いていきそうな関係者たちの懺悔大会を無情に打ち切って、カルヴァンは嘆息する。どいつもこいつも、誰かの『許し』を得ることが大好きな国民性のせいか、すぐに話が脱線するので、会議が全く進まない。

「交渉による武力衝突の回避が難しいことはわかった。戦争を視野に入れて動こう。そうなると、懸念点は兵団の練度だ。兵士団長、今の兵団の戦力を正確に把握しておきたい。情報を共有してくれ」

「は、はい!資料を持ってまいりました。ご覧ください」

 明らかにカルヴァンよりも一回り以上年上であろう兵士団長は、なぜか敬語で資料を配り、説明を始める。カルヴァンはざっとその資料に目を通しながら、頭の中でチェス盤を組み立てていた。

(部隊を率いることが出来る将兵クラスで、使えそうなのは――)

 冷静に頭で分析しながら、絶望的な気持ちになる。

 予想はしていたが――予想以上に、兵団の戦力に期待できない。

 それもそのはず――この十五年、兵士団は敵国との戦に出兵経験がない。いずれも騎士団の魔物討伐任務の同行ばかりだったのだ。十六年前に結んだ帝国との不平等条約のおかげで、帝国との戦がなかったこともあるが、あのアルク平原での戦いは大陸中に恐怖の物語として語りつがれた。そのせいで、帝国以外の他の国からの侵攻も一切なかったのだ。

(まぁ――…兵力で見ても策謀の結果を見ても、誰が見ても負け確実の戦だったのに、大逆転どころか、たった単騎で敵の有力将校のほとんどを皆殺しにして、自国の裏切った将校も全員躊躇なく首をはねて、敵本陣まで切り込むような化け物がいる国に喧嘩を売りたいところなんか、ないだろうな)

 あの日のリツィードは、凡そ同じ人とは思えぬ働きをした。しかも、たかだか十四歳の少年兵だ。自分が敵だったとしたら、それは恐怖でしかなかっただろう。つくづく、彼が味方で良かったと心から思う。

 稀代の聖人の事件は、恐らく周囲の国も知っているだろうが――それが、あの最強の剣士「リツィード・ガエル」と同一人物だということまで伝わっている可能性は低い。そもそも戦争当時十四歳だったリツィードは、総大将たる父親の命令で特例で中隊を率いる立場に立たされてはいたが、普段は役職がついていたわけでもない普通の兵士だ。死神のごとき活躍をした剣士が何者だったか、周辺諸国がどれだけ将校の名前をあさっても、十四歳の彼の名が出てくるはずもなかった。おそらく、その存在を正しく認識したのは、あの戦場にいた帝国だけだったろう。

 ゆえに、アルク平原の戦いを最後に、この大陸内でクルサール王国は軍事的にも最強を謳われることになった。鬼神バルド・ガエルが率いる最強の軍団は、周辺諸国から恐れられ――結果、兵士団の活躍の場は奪われていった。

 リツィードが死後張った結界のおかげで、魔物の討伐任務も一時期は非常に少なかった。兵団の活躍機会はどんどん奪われ――そして、アルク平原の戦いに参加したような当時の兵団構成員の主力人員は、リツィードの死後、自分たちの罪を受け入れられなかったかのように、軒並み退役してしまった。リアムの兄、ファムのように。

 結果、当時よりは弱体化が進んでいるだろうと予想はしていたが――兵士長が配った兵士の経歴や能力表を見ながら、カルヴァンは頭痛を覚えてこめかみを抑える。

「これは、近衛兵の精鋭もいくつか投入する羽目になるかもしれないな。王族を護る最低限の人員だけ置いて、戦力を貸してもらうことは可能か?」

「もちろんです。聖女様が攫われたのは我らの責任と、今や近衛兵は血気盛んです。志願する兵ばかりですよ」

「それはよかった。騎士団も出兵せざるを得ないだろうな。ダイン、隊を指揮できる能力があるやつを振り分けて声をかけておけ」

「はっ!」

「それから――あとは、物資の補給関係だ。宰相、武器をはじめとする流通の確保はどうなっている」

「国内の有力商人たちは全員協力的です。自分たちの持っている物資と流通の能力を惜しみなく国家に捧げる、と誓ってくれています。ただ――」

「?」

 ふっと老人といっても差し支えのない年齢に差し掛かった宰相がその表情に暗い影を落とした。カルヴァンが視線で促すと、言いづらそうに口を開く。

「物資の供給と――兵力の供給を期待して、友好国ファムーラに使いをやったのですが、色よい返事がもらえず」

「何…?」

「今回の戦は、傍観を決め込む、とのことでした。我らに味方をすることはないが、帝国にも味方しない。それでいいだろう、と」

「――――…それは…予想外だな」

 友好国、とは何だったのか。ちらり、と特別外交官の方も見やるが、己の力不足を嘆いているのか、再び沈痛な面持ちでうつむいてしまったので追及は避ける。

「昔、帝国とファムーラが戦をした時、我らの救援が間に合わず――結果、ファムーラは、当時まだ国内で力を持っていた建国者の一族の娘を帝国に差し出して負けを認めました。無理矢理結ばれた条約の中にはエルム教の信仰を禁ずる条項があったため、反発する民も多く、ファムーラから我が国に多くの移民――エルム教徒たちが流れてきました。アルク平原の戦いで我らが勝利し、帝国からファムーラへの信仰の制限を撤廃させるまで、ファムーラは帝国に一切逆らえなかった。今は、アルク以降の条約のおかげで、だいぶ自治を認められていますが、それでも、すべての干渉が無くなったわけではない。未だに一族の娘を取り返したわけでもないですし――その娘が帝国の皇帝との間に産んだ子供は、天性の戦上手として有名な将校です。ファムーラとしては、帝国との全面戦争で王国に肩入れし、万が一帝国の不興を買って、その後再び侵攻されるのを恐れているのでしょう。我らが護る、と言っても、『あの時だってそう言っていたのに間に合わなかったじゃないか』と過去の事例を出されてしまえば我々としても痛い腹がないわけではない」

 宰相の話を聞きながら、カルヴァンは嘆息しながら左耳を掻く。カルヴァン自身、半分ファムーラの血が流れている。帝国とのいざこざから移民が多い歴史はもちろん知っていたし、それによって帝国がファムーラの民にどんな無体を働いたかも、幼いころ母が悲しい顔で話していたのをぼんやりと覚えていた。

「開戦まで、そう時間はないだろう。説得は難しいか」

「はい…重ね重ね、申し訳ありません…」

「いい。自国の民で何とかする。――志願兵を募るしかないか」

 うなだれた特別外交官の青年のうじうじした空気をばっさりと切り捨ててカルヴァンはちらり、とウィリアムを見た。ウィリアムは、しっかりとうなずく。

「王族の名のもとに、志願兵を募ることを許可しよう」

「よし。なら、兵団主導で王族の印が入ったビラを全国にまき散らせ。――あとは、治癒関係だな。教会関係者の協力は取り付けられるのか?」

「もちろん。枢機卿団全員で、出兵前の兵士たちに加護を付けますよ。本陣にも有能な光魔法使いを集めるだけ集めて待機させ、運ばれてきた負傷兵に治癒魔法をかけさせます。聖水もありったけを集めて持ち込むので、魔力の枯渇も心配ありません」

 各部署の協力体制は万全らしい。

「あとは、志願兵がどれくらい集まるか、か…」

 物理的な兵力差を覆すことは出来ない。――リツィード並みの剣士がいれば別だが、あんな化け物がそんなにぽこぽこ現れるわけもない。友好国からの後押しがもらえない以上、自国内の人員で賄うしかないならば、志願兵の数が問題だっだ。

(武器の一つも持ったことのない人間を戦場に立たせるのは難しいだろう。命のやり取りに怯んで使い物にならない。退役軍人中心に声をかけて、ファムあたりに道場の門下生を集めてもらい――あぁ、それでも大した量にはなりそうにないな)

 恐らく、帝国は過去の条約で縮小を迫られた軍部のありったけを投入してくる勢いのはずだ。条約のせいで表立って兵力を保持できなかっただろうが、こっそり集めていた可能性は大いにあるし、仮に集めていなかったとしても、相手は軍国主義国家だ。国民の全男子に三年間もの徴兵を課すお国柄で、打倒王国、が染みついている。王国を倒すべく兵力を募れば、一般市民でもかなり使える男たちが集まるだろう。

(いや、発想を逆転させろ。使える奴だけを投入した作戦では勝ち目がない。使えない奴も――一般市民も戦場に立たせ、それでも使えるような策を練る)

 わずかに灰褐色の瞳を伏せて頭を巡らせていた、その時。

 バタバタバタ

「――ん…?」

 部屋の外がにわかに騒がしくなり、思考を中断して顔を上げる。それと同時に、バンッと勢いよく扉が開いた。

「しっ、失礼します!騎士団所属、リアム・カダートです!」

「どうした」

「帝国に紛れ込ませていた斥候から報告が上がってきまして――ごっ、ご報告に!」

 はっ はっ 

 よっぽど急いで走って来たのか、リアムは上がった息を隠そうともしない。見れば、全力疾走してきたはずにも関わらず、頬は上気するどころか少し青ざめている。

(嫌な予感がするな)

「落ち着け。――報告を聞こう」

「は、はいっ…!て、帝国は、出兵前に全軍を集め、出陣の儀式を行い――そこに、敵軍総大将ヴィクターが、聖女様を伴って現れたとのこと!」

 どよどよっ

 部屋の中がにわかにあわただしくなる。

「な、なんと!」「ご、御無事なのか!」「聖女様――!」

 口々にやかましく騒ぎ立てる男たちを前に、リアムが悔し気に唇をかむ。

「そ、それが――あ、あろうことか、聖女様には、両手両足に、鉄球付きの鎖が付けられており――!」

「何ぃ!!?」「ふ、ふざけるな!」「聖女様を何と心得る!」「神罰が下るぞ!」「帝国め!!!どこまでも我らを愚弄する――!」

 ざわざわざわっとさらに室内がやかましくなる。神の化身に、とんでもない不敬を働いたことが許せないのだろう。

 しかし、リアムはさらに唇を噛みしめ――ブツッと強く噛みしめられたそこから、赤い血液を垂らした。

(おいおい、何だ…?)

 リアムはとんでもなく敬虔な信者だ。聖女が、敬われるどころか人としても酷い扱いを受けて拘束されていることに怒りを覚えている――だけではないように思われた。

「それで、目的は。――何の意味もなく、出立前の軍隊の前に聖女を連れてくるわけがないだろう」

 カルヴァンは、ごった返した部屋の中で、リアムを促す。

 リアムは、悔しそうな顔で――少し、涙を浮かべて。

「っ…!そ、その場でっ…総大将ヴィクターがっ……聖女様を、第四妃にすると、宣言を――」

「「「はぁああああああああ!!!!????」」」

 今度は、カルヴァン以外の全員が一斉に同じ言葉を発した。カルヴァンは、一つ灰褐色の瞳を瞬かせただけだった。

「聖女はすでに帝国のものである、と――これで王国は、決して強気に出られない、安心して戦え、と――!」

「なんだと!!!!?」「ふ、ふざっ…ふざけるな!」「五千歩譲って――いや、五億歩譲ったとしても、第一妃だろう!!!!第四妃とは、な、なななな何事だ!!!!」「王!今すぐ出兵準備を!すぐにでも聖女様をお助けに!」「帝国軍人どもめ、我ら神の国の力を見せつけてやる!!!」

 もはや、部屋の中で冷静な判断が出来るものはほとんどいなかっただろう。全員が額に青筋を浮かべ、血気盛んな男性陣が顔を真っ赤にしながら怒声を響かせている。

 しかし、リアムの顔は晴れなかった。

「――?まだ、何かあるのか」

「だ、団長…」

 リアムの顔が、泣きそうにゆがむ。そして――ゆっくりと、信じられないことを進言するかのように、ゆっくりと、口を開いた。

「せ、聖女様との婚姻を宣言した後――く、鎖でつながれて抵抗が出来ない幼気な聖女様に、無理矢理――む、無理矢理、ヴィクターは、くっ…口づけをしたとのことです――!!!!」

「「「「な――――――!!!」」」

 再び、全員が同じ言葉を発して固まり――そのまま、絶句して、奇妙な沈黙が訪れる。

 ぱちぱち、と二つほど瞬きをした後――カルヴァンは、ゆっくりと周りを見渡した。

 全員、顎が外れるのでは、というくらい口を開けて、顔面蒼白で魂が抜けたような顔をしている。絶望のあまり、誰一人口をきけない――そんな空気に、カルヴァンは左耳を掻いた。

「――…すまない。それの、何がそんなに問題なんだ?」

「「「な――――――――何ぃいいいいいいいい!!!???」」」

 先ほどまでの沈黙はどこへやら。

 急に一致団結したかのように我に返り、男衆がカルヴァンに詰め寄る。

「貴様っ!!!く、くくく口づけをされたのだぞ!!!聖女様が、聖女様が!」「純潔を神に約束せし乙女が、異教徒の汚らわしい魔の手に染まったのだぞ!」「神の化身たる聖女様にそんなことをして――神が、異教徒だけではなく、人類そのものに神罰を下されたとしてもおかしくない――!」「あぁ、神よ、お許しください、お許しください――!」

 口々に騒ぎ立てる男たちのやかましさに、カルヴァンは目を眇めて鬱陶しそうに見返した。

(――――いや。単にあいつに口づけるだけで問題なら、とっくに世界に神罰とやらが下ってるだろ)

 初めてカルヴァンがイリッツァに口づけたのは、ナイードだ。聖水をのませるため、という口実があったものの、その後のイリッツァの話では、それも恐らく聖職者にとってはご法度の行為だったらしい。その後、馬車の中で何度も繰り返した口づけに関しては、もはや口実すらなかった。彼らの言うところの『性愛に触れる行為』というキスを、すでにイリッツァは何回もしている。

 カルヴァンは左耳を掻きながら、呆れた表情で告げる。

「そもそも、お前らが冷静になっていなさすぎる。お前たちからすれば、聖女は国賓に近しい待遇でもてなされるべき存在なんだろうが――エルム教を信仰すらしていない、光魔法使いを迫害すらするあの国が、聖女をそんな風に扱うわけがない。第三者から見れば、今のあいつはただの捕虜だ」

「ほっ…捕虜!!?捕虜だと!!!?」

 素っ頓狂な声が上がって、辟易する。

(いや――そこに気づいてなかったのか…?)

 それなのに、横の連携を強めて敵対国に当たるぞ!と言っていたのは褒められるべき美しい気概だが、ちょっとあまりに頭が緩すぎて心配になってくる。

「しかも、憎き光魔法使い、自分たちを不平等条約で縛り付けてきた敵対国の精神的支柱になっている聖女だ。それも、たかだか十五歳の少女。――女、だ」

「お…女――…なのが、何か――」

(…阿呆なのか…?こいつらは)

 宰相の呆然とした問いかけに、呆れかえってカルヴァンは続ける。

「普通に、捕まった時点で暴行の対象だろう。女なんだ、凌辱くらいされてても文句は言えない」

「「「な――――――――!!!」」」

「寝台なんてない地下牢に繋がれて、鎖と重りで体を拘束されて――まぁ、見た目も悪くないしな。憎い聖女を貶めようと思えば、力の限り犯すっていうのは、まぁ、ありがちな展開だろう。軍隊なんて男社会に生きてて女に飢えてる連中は死ぬほどいるだろうからな。そこに罪悪感を持つような連中でもないだろうし――それをしたところで、神罰が下る、なんてことを恐れるような奴らでもないだろう。神なんていないと思ってるわけだし」

 淡々と告げるカルヴァンに絶句する男たち。それを見て――カルヴァンは不愉快をあらわに眉根を寄せた。

「おい。――まさかとは思うが、処女じゃなくなったなら聖女としての価値はないから、救わなくていいとか思ってないよな?」

「なっ……」

 誰かはわからないが、小さく発せられた声に――無意識下で、そのように考えた男がいたことを悟る。

「ほう…?」

 カルヴァンの声に、昏い響きが宿った。

「お前たち、信徒の癖に、いいのか?そんなことを言って。――神の化身が、とんでもない扱いを受けているんだぞ。もとをただせば、先ほど自分たちで言っていた通り――ここにいる全員が、あいつを護れなかったせいで、今の事態は起きている。それなのに、自分の罪は棚上げして、穢れた女は放置か?それを神は許すのか?――聖女っていうのは、雑に扱ったら神罰を下されるような対象ではなかったのか?」

「ぐっ…し、しかし、口づけと性行為は全く意味合いが――」

「ほう?お前たちは忘れているようだが――確か、先代の聖女は、ガキを生んだんじゃなかったか?」

「「「――――!」」」

 ハッ…とその場にいた全員が息をのむ。

 ふっ…と昏い笑みを口の端に刻んで、カルヴァンは言い募る。

「まさか、ここにいるような年齢のお前たちが、キャベツ畑だのコウノトリだのを信じているわけでもあるまい。当然、あの聖女も、そういう行為の結果として、リツィードを授かっているわけだ。――だが、リツィードが生まれた後も、聖女の力に衰えはなかったよな…?」

「――――」

「さぁ…凌辱されたなら、助ける価値がないなんて思ったやつは、大変だな。性行為ごときでは聖女の力はなくならない。今晩からは、神罰とやらに怯えて眠れ」

「ひっ……!」

「だ、団長…やめてください、周囲がおびえていらっしゃいます…」

 何名かが膝をついて祈り始めたのを見て、リアムが控えめに声をかける。カルヴァンは嘆息して――静かに付け足した。

「しかし、相手の総大将の第四妃になると発表されたってことは、そっちの心配はなさそうだ。――確か、ヴィクターっていうのは、皇族に名を連ねる男じゃなかったか?」

「はい。第五皇子と聞いています。王位継承権はないものの、軍事関係においては幼いころから天才的な手腕を発揮し――アルク平原の戦いでも、帝国の総大将を務めたとか」

「ふん……因縁の相手っていうわけか。――まぁ、でも、腐っても皇族の男に嫁ぐ相手として選ばれたわけだ。さすがに、末端とはいえ皇族に名を連ねるのに、誰のガキかわからんような子供を産ませるようなリスクは犯さないだろう。凌辱っていう線はほぼない。拘束されて暴行くらいはされてそうだが」

 カルヴァンの言葉に、あからさまにほっとした表情を見せる男たち。酷く不愉快な気持ちのまま眉を寄せると、ウィリアムがカルヴァンの顔色を窺った。

「カルヴァン――…お前はどうして、そんなに冷静でいられる…?」

「は…?」

「お前、仮にも、聖女様に愛を囁いていた男だろう。相手の国の皇族との結婚を取り付けられたとか、口づけをされたとか、凌辱されているかもとか…そんな状態で、どうしてお前はそんなにも――」

「凌辱だのなんだのは、攫われた初日からわかってたことだ。あいつが攫われた日は、一晩中寝ることも出来ずに腸煮えくりかえってたが――そんなの、初日だけだ。今更、どうでもいい」

 軽く肩をすくめて受け流すと、ウィリアムは信じられない、といった顔をした。

「――あいつが、生きている。俺は、それだけでいい。…もちろん、あいつをさらったやつも、無理矢理キスした野郎も、手枷足枷つけて暴行した奴も、全員見つけ次第ぶっ飛ばすつもりだが――殺されてない。しかも、皇族と結婚させられるってことは、しばらくは身の安全が保障されるだろう。――生きているなら、まずは、それで」

 そして、ほんの少し瞳を伏せる。

「生きてさえいるなら、助け出せる。どんな手を使っても、助け出す。――死なれたら、話はそこまでだ。死んだ後に、処刑台にたどり着いたって、光魔法の一つも使えない俺には何もしてやれなかった」

「――――――――」

 はっ…と息をのんだのは、ウィリアムだったのか、リアムだったのか。

 カルヴァンは、瞳を伏せたまま静かに続ける。

「生きているうちに、助け出したい。どんなに祈ったって、助けてくれるかどうかわからない神様になんか、縋ってられないんだ。俺は、神頼みなんて不確実なことはしない。――確実に、自分の足であいつの下に向かい、この手であいつを助け出す。これは、俺なりの、十五年前の贖罪だ。――今度は、まだ、助けられる。永遠に不可能だと思っていた後悔を晴らす絶好のチャンスなんだ。――頼むから、誰も、水を差してくれるなよ」

 見上げた瞳は、凄みのある光を宿していた。ごくり、と誰かが唾をのむ音がする。

「――わかった。王都の志願兵については、私が直接民衆に語り掛けよう」

「――――!」

 静かな声で、ウィリアムが告げた言葉に、カルヴァンは驚いて目を見開く。

 民衆を戦争に動員する場合、王族の許可がいることは確かだが――王族が直接、民草に語り掛けることなど、ありえない。

 聖女や聖人と同じく、一般的な民衆にとっては、雲の上の人間であることに変わりはないのだから。

「私は、戦場に赴けない。私もまた――聖人リツィード様に憧れ、何もできず、無力を抱えていた一人だ。これが、あの時無力だった自分が出来る贖罪なのだとしたら、協力は惜しまぬ。――民衆にも、そのように働きかけよう。石を投げた王都民は、直接的な救いを求めて十五年、ずっと惑って来た。これが、その贖罪なのだと伝えれば、志願兵も増えよう」

 そして、ふっ…と哀しい微笑みをたたえて。

「まだまだ、カルヴァンには叶わないな」

「そう簡単に師の背中を超えられちゃ困る。――さぁ、各自やるべきことが決まったならさっさと動け。開戦は間近だ」

 周囲の男たちにげきを飛ばし、王国中があわただしく動き始めた。

「リアム、お前は待て。別の指示がある」

 同様に出ていこうとする下っ端根性の染みついた補佐官を引き留める。蜂蜜色の金髪が、驚いたように振り返った。

「帝国にまぎれさせている斥候を使って、ある頼みごとをしたい」

 ちょい、と指で近くに来るように指示して、耳元で作戦を囁く。

「――――え…?は…?それ、何の意味が――」

「お前は知らないかもしれないが…戦を制すのは、武力じゃなく――情報を制したものだ。それを、今度の戦いで見せてやろう」

 ニタリ、と人を食ったような、性格の悪い笑みを頬に刻んでカルヴァンは告げたのだった。


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