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聖女転生物語  作者: 神崎右京
第六章

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72、『翡翠』の瞳の軍人①

 二度あることは三度ある――

 そんな言葉を目にしたのは、今生になってからか、前世だったのかはもう覚えていないが。

 さすがに、一度目と二度目に目玉が飛び出るほど驚いたそれも、三度目ともなると、鼻で嗤って流せるようになるから驚きだ。



「――へぇ。こいつが、聖女か」

 ニタリ、と突然やって来た来訪者は、ぶしつけな視線を隠しもせず頭の先から足のつま先までじろじろと舐めるようにして見て、ふっと吐息だけで笑った。

 藍色の短髪に、印象的な翡翠の瞳。少し褐色の混じった肌は、帝国人らしく、王国ではほとんど見られない色だった。年の頃なら三十代半ばくらいと見受けられるが、大柄でがっしりとした体つきは、中年太りとは程遠くしっかりと引き締まっていた。見せかけの鍛錬ではなく、真の戦闘で役立つための訓練でつけられたであろう筋肉だけがしっかりとその身を覆っている。軍服につけられた階級章が、かの敵国でどれくらいの地位を表すものなのかをイリッツァに知る術などないが、きらびやかに存在を主張するその装飾の豪華さを見るに、それなりの地位にある者だろうということくらいは容易に想像することができた。

 大柄な体つきと合わせて、小柄なイリッツァの前に立てば、その威圧感はすさまじい。にやり、とどこか人を食ったような笑みに顔を歪めていても、翡翠の瞳には隙がない。

 しかし、イリッツァは真上から覗き込まれるようにしてぶつけられた、威圧感たっぷりのその不躾な視線を、ひやり、としたかつての母仕込みの冷淡な表情で受け止める。

「…ほう」

 獰猛な獣を思わせるようなオーラを発する職業軍人を前に、怯むこともなく虚勢を張ることもなく、ただ冷ややかな瞳を返されたことが意外だったのか、目の前の男は顎に手を当てるようにして感心したように口の中でつぶやいた。

「なかなか肝が据わっているようだが、思った以上にガキで驚いた。おい、こいつ、歳はいくつだ?」

「さぁ。確か、記録の中には十五歳だって書いてあった気がするけど」

「成人ギリギリじゃねぇか。王国じゃまだ未成年だろう」

 イラグエナム帝国の法律では十五歳で男女ともに成人とみなされる。目の前の男は呆れたような顔でランディアを見た。

「おいおい、本当にこんなガキを?」

「仕方ないだろ。お偉方の意向なんだから」

 肩をすくめるランディアは、『主』と呼んでいた割に口調が気安い。リアナに成りすまして潜入していた時は、完璧すぎるほどの敬語を使いこなしていたのだから、恐らく意図的な口調なのだろう。

(あくまで金のつながりしかないドライな関係なのか…?)

 それにしては少し気安い雰囲気が過ぎる気もするが、帝国流の常識だ、と言われてしまえばイリッツァにはそれを判別するすべはない。じっと静かに、己の状況を正しく判断するために、周囲の状況をうかがう。

(情報は、集められるだけ集めておく。武力よりも、勝利を左右するのは情報なんだ――って、親父もカルヴァンも言ってたしな)

 口を開くこともなく冷静に男を眺めていると、その視線に気づいたのか、翡翠の瞳がこちらを向いた。

「聖女。お前、名前は」

「――名前を名乗るときは自分から名乗れ、と帝国では教えられないのか?」

 主導権を握られたくなくて、眉ひとつ動かすことなく無表情のままぴしゃりと告げると、翡翠の瞳が少し驚いたように見開かれ――

「貴様っ――口のきき方に気を付けろ!」

「!」

 それまで黙ったまま、ただ鋭い視線を飛ばしてきていた蛇を思わせる容貌の男が、急に激昂してガッとイリッツァの顔をつかむ。頬を片手でつかむようにしてギリギリと力を入れられた。どうやら、見た目は翡翠の男よりも細身に見えるが、軍服に身を纏っているだけあって、人並み以上に力はありそうだ。

 それまでは、開いているのかいないのかわからないくらい細い線目が、激昂と共にカッと見開かれる。帝国人らしい黒い双眸が覗いた。

「自分の立場を理解していないようだな…!この御方は貴様ごときが気安く言葉を交わせる存在ではない!」

「ドナート、やめろ」

「いいえ、やめませんヴィクター様!汚らわしい王国の土をこの帝国に持ち込んだだけでも私はっ――!」

(随分なナショナリズムだな…これが、帝国軍人の基本なのか、こいつが特別強いのか…)

 クルサールと異なり、軍国主義であるイラグエナム帝国はナショナリズムが強いと聞いたことがあったが、それにしても苛烈だ。ギリッと手に力を込められて掴まれた頬が痛みを発するが、イリッツァは痛みに眉を動かすことすらなく冷ややかな目でドナートと呼ばれた蛇のような男を静かに眺めた。それがまた癪に障ったのだろうか、眼光が一段鋭くなる。

「自国では神の化身と褒めそやされたかもしれないが、今の貴様はただの捕虜だ。お前をどう扱おうと、我々の自由だということを忘れるな」

「――――…」

「生意気な目だ――…だが、今から女に飢えた男どもの巣窟に放り込んで、代わる代わる凌辱されたとしても、聖女としての力を保っていられるかな?」

 にやり、と手を離さぬまま至近距離で蛇が笑った。ぞわり、と生理的嫌悪感を催すいやらしい笑み。

 イリッツァは嫌悪感に目を眇め――本能に従った。

「失礼」

 ガッ!!!

「ぐっ――!」

 鉄輪の部分がしっかりヒットするように、腕を振り上げて思い切り相手の横っ面めがけて振りぬく。凡そ小柄な十五歳の少女とは思えぬほど芯のある打撃に、隣に立っていたヴィクターと呼ばれた上官らしき男がひゅぅっと口笛を吹いた。

 まさかそんな反撃を受けるとは思わなかったのだろう。もんどり打って倒れたドナートを冷ややかな目で見下ろしていると、後方でふっ、と吐息で嗤う音がした。ランディアのものだろう。

「残念ながら、聖女なんてただの強力な光魔法使い、っていうだけだ。先代の聖女はガキまで生んだが、普通に聖女としての役割を果たしてたのを知らないのか?」

 その身が純潔であるかどうかは、聖女としての能力に関係ない。その事実を、完全に見下した表情で淡々と告げると、殴られた頬を抑えたままドナートがギッと鋭い視線を寄越した。

「貴様っ!」

「――!」

 倒れた体制のままぐんっと大きく足払いが飛んでくる気配を察知し、咄嗟に地を蹴って飛び上がる。

(あ、しまった)

 飛んできた脚は跳躍でよけることができたが、じゃらっ…と拘束にしては長い鎖のことを失念していた。足払いに巻き込まれるようにして、鎖を引っ張られて、イリッツァは体勢を崩す。

「っ――!」

 無様に背中から倒れ込みそうになるのを、咄嗟に地面を腕で叩くことで受け身で衝撃を緩和する。

(いっ……てぇ…)

 ドンッ…と背中に衝撃が加わり、心の中で呻く。両腕も不自由なため、完全に殺すことはできなかったらしい。一瞬走った痛みに、呼吸を詰めて――

「!」

 ぐいっと手を取られ、そのままうつぶせに転がされたと思った瞬間、後ろから乱暴に髪をつかまれ無理矢理顔を上げさせられる。同時に背中に両腕を回され、体重をかけるようにして瞬く間に自由を奪われていた。荒事に慣れているのは、さすが軍人、というところか。

 チッ、と口の中で舌打ちしながら無理矢理向かされた前方を見ると、ヴィクターと呼ばれた男の靴が視界に映った。ゆっくりと近づいてきて、すっとしゃがみ込む。

「ディーから聞いてはいたが、中々どうして、お転婆なお嬢さんみたいだな」

「――――っ…」

 憎まれ口を叩こうと息を吸うと、それを防ぐようにして背後から髪を力強く引かれ、言葉を詰める。

「あれは人を殴り慣れてる拳の振り方だ。不意打ちの足払いを飛んでよけたのも、倒れるときに受け身を取るのも――お前、相当荒事に慣れてやがるな?」

「だったら、どうした…っ…お前も、ぶん殴ってやろ――っ、つ!」

 再び髪を力強く引かれ、憎まれ口が途中で中断される。

「ははは、気の強い女は嫌いじゃない。ただ、ちょいと色気が足りないな。どんなに美人でも、閨で毒でも盛られそうなのは、ちょっとな」

「…お前とそんなところに入るときは、生涯、二度と男として使い物にならないようにしてやるから覚悟しておけっ…!」

 今度は、髪を引かれても言葉を切らずに最後まで言い切った。後ろから、ドナートの苛立った舌打ちが聞こえる。

「おーおー、聖女様は怖いねぇ。まぁでも、仮にも夫婦になるんだ。もう少し仲良くやろうや」

「――――…?」

 にやりと頬を歪めて笑いながら言われ、予期せぬ単語が飛び出したことに、怪訝に眉を顰める。ヴィクターは、ふっと笑ってイリッツァの顎をつかんだ。

「お前を、俺の妻にする。第四妃だ」

「――――――――――…」

 二度あることは三度ある。

 ――もう、さすがに、驚きはなかった。

(力とか権力のある男っていうのはどうしてこう――こっちの意思は完全に無視かよ。モノ扱いしやがって)

 つい数日前にも似たような形で、娶る娶らないで揉めていた自国の男連中を思い出して苦い気持ちになる。

「もうあと二、三年すればお前さんもいい女になりそうな気がするが――正直、ガキに興味はない。しばらくは、お飾りの『お妃』をやってもらうことになるから、安心しろ」

「はっ…それは光栄だ」

 吐き捨てるように嘲笑して、翡翠の瞳を睨み付ける。

「お前たちの企みは、何だ――!」

 何か、大きな策謀が動いている予感を感じて、イリッツァは呻くように問い詰める。

 ランディアは「お偉方の意向」という言葉を用いた。ヴィクターと婚姻関係を結ばされるのは、間違いなく帝国側の何かしらの策謀の結果だろう。ガキに興味はない、と言い切っている以上、イリッツァに女性としての魅力を感じているわけではないだろうし、エルム教が迫害される帝国内に置いて、聖女としてのイリッツァが利用価値が高いとも思えなかった。

「簡単だ。お前が、自国でやろうとしていたことを、そのままこっちの国でやってくれればいい」

「何…?」

 ニッと笑われて、今度こそ本当に怪訝な声が出た。眉をひそめて、褐色の肌の男を見上げる。

 ヴィクターは、ほんの少しだけ嘲るような響きを持つ声で、静かに告げた。

「国家の奴隷となって、イラグエナムに国益をもたらせ。それだけだ。簡単だろう?」

「――――――――――…」

 皮肉めいたその言葉に、すぅっと薄青の瞳が不機嫌に細められる。

 視界の端で、ランディアが、小さく吐息を漏らして頭を振っているのが見えた。


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