68、冬の日の『開戦』
急ごしらえで作られた、という割には、文献に描かれる決闘場を限りなく忠実に再現した中央広場に降り立ち、リアムは鼻の頭にしわを作った。短期間だったので、おそらく張りぼてに近い作りろうとは予想されるが、たった七日で作り上げるその技術は大したものだ。そんなものに注ぎ込む財源があるなら、報われぬ子供や貧民街で今日の飯に困っている者に炊き出しでもしてやれ、と思ってしまうのは、リアムがことさらに清貧を美徳とするエルム教に心酔しているからなのか。
「よう。お前がそっちの立会人か?」
「――エルドさん!」
後ろから掛けられた声に振り返ると、そこには見覚えのある蒼服の男が立っていた。青年、と呼ぶにはやや苦しい年齢に差し掛かった彼は、どうやらウィリアムの立会人として、今日のこの場にいるらしい。
立会人は、決闘の証人であり、審判でもある。神の名のもとに、正々堂々と決闘が執行されることを見届け、勝者を公正な目で判断することを求められる。
「俺、決闘についてなんて何も知らなかったから、立会人に選ばれた瞬間、半休取って師範に聞きに行っちゃったよ」
「はは…熱く語ってくれそうですね、兄貴」
乾いた笑いを漏らして、視線をめぐらす。ぐるりと闘技場になる個所を見下ろすように組まれた観客席には、混乱を避けるために憲兵が入場制限をかけながら少しずつ誘導しているようだが、外にはすでに観客が押し寄せているようで、遠くからお祭り騒ぎに浮かれる民衆の声が聞こえて来ていた。
「でも、エルドさんが立会人で良かった。あの、ここだけの話で相談があるんですが――」
「あぁ。皆まで言うな、わかってるよ」
こっそりと周囲の目を気にして囁こうとすると、すぐに手で制された。驚いてその顔を見ると、苦笑に近い笑みを頬に張り付けていた。
「大丈夫だ。わかってる。――こんなところで、英雄として国民にも信頼篤い優秀な王国騎士団長を喪うわけにいかない。それは、国民も、近衛兵も――当然、ウィリアム殿下もよくわかっていらっしゃるさ。愛し合うお二人を引き裂く形になるのは酷な話だが――命より大事なものなんて、ないだろう」
「あぁ――…よかった。助かります」
ペコリ、と蜂蜜色の頭を勢い良く下げると、気にするな、というようにエルドは手を振った。
すると――わぁっと頭上から特大の歓声が降ってわいた。
びっくりしてリアムが顔を上げると、座っていた座席からほぼすべての国民が腰を浮かし、興奮を隠しきれない様子で熱狂の声をまき散らしている。
「聖女様だ!」「聖女様!本物だ!!!」「美しい――!」「まるでフィリア様の再来だ!」「あぁ――神よ――感謝いたします、感謝いたします――」
口々に叫ばれる声に、民衆の視線を集めている方角へ目をやると――そこには、一際豪奢なつくりの特別な観覧席が設えられていた。
どの観覧席よりも高い位置で、すべての民を見下ろすような形なのは、その中にいるのが神の化身たる聖女だからだろうか。ガラス張りにされたその部屋に、聖女の正装に身を包んで青みがかった不思議な銀髪を美しく結い上げた少女が現れた。
そのまま、冷ややかな目で民衆を見下ろす。――ドキン、と心臓が一つ拍動した。
それは、教会で宗教画を前にした時の恐れに似た感情。
「おぉ――…」「神々しい」「聖女様…」「神よ、我らに祝福を――」
民衆も同様だったのか、先ほどまで腰を浮かしていたところから一転、全員がその場に跪き、聖印を切って聖女に祈りの形をとる。
(本当に…雲の上の人なんだな…)
その堂々たる振る舞いは、彼女が手の届かぬ特別な存在であることを示していた。狭い観覧席に、二人も蒼服を連れてその身を警護させ、お世話係らしき修道女が一人、ぴったりと寄り添うようにして傍についているその様子は、そこらの要人などとはくらべものにもならないくらいの待遇だ。
「今日は寒いってのに、ご苦労なこった。密室だから、火を焚くことも出来ないだろうに…」
「確かに」
「冷気は関節に来るんだ、ってうちの婆ちゃんよく言ってた。大丈夫かな…」
「関節…いや、失礼でしょう」
どう見ても、あの観覧席に、冷気による関節痛を心配されるような年齢の人間は見当たらない。近衛兵のうちの一人がだいぶ歴戦の猛者の風格を出しているから、恐らく結構な歳なのだろう。おそらくエルドの上官に当たるであろう人間に対して、あまりな物言いに、呆れながらリアムは思わずツッコミを入れた。
「まぁ、とっとと決闘が終わってくれりゃ大丈夫なんだが。俺らも寒いことに変わりないし、さっさと終わることを祈ろう」
「そうですね」
空を見上げると、今にも雪が降り出しそうな厚い雲のせいで太陽の位置は目視出来なかったが、うっすら伸びる影の角度で大体の時刻は測れる。
「行きましょう。そろそろ時間です」
言って、リアムは足を踏み出した。
熱狂渦巻く、王都中央広場の真中へと――
空は、灰色。
今にも雪が舞い散りそうな、憂鬱な空模様。肌を刺すような外気は、軽い嘆息と共に白く染まる。
(おまけに、因縁の場所――あいつは、大丈夫なのか?)
カルヴァンは、今から始まる決闘の行方などより、よほど銀髪の少女の精神状態の方を心配していた。
思い出すのは、馬車の中での光景。
聖女到着の歓声を、彼女は断罪の歓声と重ねて、真っ青な顔でその場に頽れ、震えていた。
(あぁ――今すぐ、決闘なんて放り出して、すぐ傍まで駆け付けたい)
根底にある過保護な自分が顔を出す。今頃、あの華奢な体で震えているのではないだろうか。必死に、気丈に、周囲が求める『聖女』を演じようと、無理をしているのではないだろうか。あの、昔から、カルヴァンが大嫌いな、作られた完璧な笑顔で。
だから、闘技場に踏み出し、押しつぶされそうな観衆の大歓声に巻き込まれた時――カルヴァンは、真っ先に聖女の居場所を探した。
(――居た)
闘技場を見下ろす形の観客席の、さらに上。全てを見下ろすかのような位置に、その観覧席はあった。
(――――――…美人だな。何度見ても)
聖女の正装に身を包み、美しく銀髪を結い上げられたその様子は、二十五年前、王立教会の中で不意の邂逅を果たしたフィリアを思い起こさせる。何度見ても、息をのむほど美しい。
そばには、この国では珍しい黒髪のお世話係らしい修道女と、少し離れたところに、蒼服が二人。かなりガタイが良く、隙のない様子だから、かなりの精鋭だろう。初めて王城を出て中央広場までやってくる聖女の護衛として、かなり贅沢な人選をしたと思われたが、その過保護っぷりはカルヴァンも望むところだ。指示したのがウィリアムなのかは知らないが、敵ながらあっぱれだ。
「開始前からよそ見とは、余裕だな。カルヴァン」
「――…あぁ。悪い。何せ、七日ぶりの逢瀬だからな。間男なんぞ、眼に入らなかった」
いつの間にか目の前に立っていた一国の王太子を前に、カルヴァンはニッと人を食ったような笑みを返す。王族相手にも全力で煽っていくスタイルにリアムが胃をキリキリさせている気配を感じながら、ゆっくりと腰に差した剣を抜き放つと、目の前のウィリアムも習うように剣を抜いた。
ひたり、とお互いに剣を構える。
(――さすが、同じ師に師事しただけのことはある)
隙のない構えは、王太子にしておくにはもったいない。まったく同じ構えを取りながら、カルヴァンは心の中でつぶやく。彼は、同じ師を持つ兄弟弟子であり――ついこの間までは、正真正銘自分の弟子でもあった。
「エルム様の御心のままに。――始め!」
信者にとっては聞きなれた文句と共に、決闘の火ぶたが切って落とされる。
ドッ
「――――――!?」
ガキィンッ
飛び出したのは、ウィリアムだった。一瞬で距離を詰め、肉薄する体に驚きながら、咄嗟に剣を切り結んでこらえる。
「おいおい…いつもの稽古は手を抜いてたのか?見違える動きだぞ」
いつもの稽古の数倍は速い加速で距離を詰めてきたウィリアムに、冷や汗をかきながら憎まれ口をたたく。ウィリアムは、いつもの聖人面の笑顔をひっこめ、無表情のまま口を開いた。
「言ったはずだ…――『決闘の最中』の魔法の使用は認めない、と」
「――なるほ、どっ!」
ガッと力任せに振りほどき、後ろに飛びのいて距離を稼ぐ。しかし、振りほどかれてもすぐに体勢を立て直し、再び瞬く間に距離を詰めて切り結ぶ。
(能力向上の光魔法――厄介、だな、くそっ!)
一度かければ、しばらく効果が持続するそれを、恐らく試合直前に自分にかけてきたのだろう。王家は全員、優れた光魔法の使い手だということをついうっかり忘れていた。今は、身体能力だけなら、カルヴァンと変わらないトップスピードで動けるだろう。
「カルヴァン――お前は、聖職者が嫌いだったろう。それが、どうしてイリッツァ様とあんなことになった?」
「さぁ?――タイプだったんだ」
ガッ ガキンッ
何度も剣を切り結ぶ。周囲は、割れるような歓声に沸いていた。
「そんな軽口をっ…私が、信じると思うか!!!」
(それなりに、本気なんだがな)
心の中で苦笑する。イリッツァが、カルヴァンにとって最高にタイプの外見をしていることは事実だ。イリッツァもそうだったが、どうにも普段の行いのせいか、誰に言ってもあまり信じてもらえない。
「カルヴァン、お前の狙いはわかっている…!リツィード様を友とし、『人』として扱ったお前の話を、何度も聞いた私は、お前が、何を考えているのか、わかっている!」
「――――…」
「だからっ…私に、譲れっ…!決して悪いようにはしない!私が、必ず、身命を賭して彼女をお守りする!イリッツァ様に、『人』としての幸せを――」
「黙れ」
ひゅ――
カルヴァンの顔から人を食ったような表情が掻き消え、剣がひらめく。一瞬、風の音が耳元でうなった――と思った次の瞬間には、ウィリアムは一瞬で遠くに吹き飛ばされていた。
「どいつもこいつも――胸糞悪い」
言葉と共に行儀悪く唾を吐き捨て、カルヴァンは悪態をついた。王都の貧民街で泥水をすすって生きたこともある彼に、お上品な『決闘』など向いていない。
その灰褐色の瞳には――形容しがたい怒りの炎が揺らいでいた。
「リツィード『様』、イリッツァ『様』――…どいつもこいつも、あいつらを本当の意味で見ちゃいない。あいつの心なんて二の次だ。そうして持ち上げられた先で、あいつがどんなに孤独に苛まれ、それを隠して笑っているか、誰一人理解しようとしやしない…!」
本当のリツィードは、イリッツァは――ただの、十五歳の、少年少女だった。
両親の愛に飢え、前世の惨い記憶に苛まれ、体を震わせていた。
それでいて――今にも吐きそうな顔で震えながらそれでも、『信徒にこんな姿を見せられない』と言って、リアムが馬車に同乗することを拒否するような女だ。その時、震えるように、縋るようにカルヴァンの真紅の装束をつかんでいたあの拳の白さを、誰一人見ることはないのだ。
「立て、ウィリアム。こんなくだらない茶番でお前を殺す気なんかないが、殺されてやるつもりもさらさらない。お前の気が済むまで、せいぜい稽古をつけてやる」
「ふっ…初めて見るな。お前が、そこまで怒っている姿を」
ゆっくりと立ち上がり、ウィリアムは再び剣を構える。
「――結婚したら、愛称で呼ぶさ」
「もし『ツィー』とか呼んでみろ。その時は国のことなんか顧みず本気で殺すからな」
昨日まで聖人面が板についていたとは思えない憎まれ口をたたかれ、びきっと青筋をたたえる。五歳も年下の男に大人げないと思わなくもないが、簡単に許容できるような問題でもなかった。
そうして再び、師弟の剣が交わる――




