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聖女転生物語  作者: 神崎右京
第五章

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67、決闘の『朝』

 しゅる…と衣擦れの音が耳に響く。聖女か漆黒のお世話係のどちらかが口を開かぬ限り永遠の静寂に包まれるこの部屋の物静かな雰囲気にもだいぶ慣れてきた。

 今日は、来るべき決闘の日。聖女は、特別に設えられた聖女用の観覧席から、決闘の行方を見守ることになっていた。民衆の前に姿を現す最初の出来事が、こんなくだらない催事だとは思いもしなかったが、民草の前に出る以上、聖女としての正装を義務付けられている。今日は、いつもより早めにやって来たリアナによって、いつものごとく手早く着替えを手伝われていた。

「失礼します。今朝の空模様は、雪が降りそうでした。肌着を重ねてもよろしいでしょうか」

「はい。ありがとうございます、リアナ」

 いつもより一枚多い肌着を手に尋ねられ、礼を返す。漆黒の瞳をかすかに伏せて、中性的な美女は今日も言葉少なに着実に仕事をこなしていった。

 こうして着替えを手伝われるのにも慣れた。思い出すのは、十五年前。大貴族と同等の生活水準を約束されていたあの日々は、屋敷にいれば召使がこうして毎朝着替えを手伝うのが当たり前だった。今生でそんな扱いをされることに抵抗を覚えたのは初日だけで、今やもう何も感じることなく順応していた。

 カルヴァンが決闘を申し込み、それが受諾されてから、決行までに用意されたのは七日間――たっぷりと準備期間が設けられたのは、決闘する両者のためではなく、恐らく観客として集まる民衆のためだったのだろう。一大お祭り騒ぎとなり、街には出店が並び、決闘場には王都と近隣領地から民衆が押し寄せていた。厳しい冬を前に稼ぎ時だと商魂たくましい人間にとっては、準備期間は七日間でも足りないくらいだっただろう。それくらいの経済効果が見込める程度には、国家の一大イベントにふさわしい規模での開催が約束されていた。

 このご時世に決闘などという古臭い風習をひっぱり出してきたカルヴァンと王太子の一騎打ちの報は、風よりもはやい速度で王国中に広まった。しかも、賭ける対象が聖女ときている。

 好奇心旺盛かつ口が羽より軽い近衛兵たちの言なのか、聖女はカルヴァンとの結婚の意思を表明したことまで、国民に伝わっていた。それに対する反応は十人十色。かつての聖女と騎士団長の純愛を引き合いに出してカルヴァンとイリッツァを応援する者もいれば、第一王太子妃との離縁を申し渡して実力では決して勝ち目のない戦いを受諾し背水の陣で挑むウィリアムに感銘を受けて応援する者もいた。このご時世に女性をかけて戦うなど時代錯誤も甚だしいとフェミニズムを掲げる思想家もいれば、王族と騎士団長という権威ある立場にありながら行動が軽率すぎると批判する評論家もいた。

 だが――総じて皆、お祭り騒ぎだ。他人の不幸と色恋沙汰は、いつの時代も人々の関心を集める。どうせ、あと数年もしたら、結末がどうであれ、この出来事が創作物語として小説や詩として面白おかしく人々の関心を引くように巷に流布していくのだろう。かつて、無実の罪で無垢な少年を処刑台に上らせ王都民総出で石の雨を降らせた残虐な事件が、今や知らぬ者のいない王国きっての美談として語られているような国なのだから。

(…反吐が出るな)

 イリッツァは、しゅるしゅると小さな衣擦れの音を聞きながら、心の中で吐き捨てる。守るべき民が、これほどまでに愚かだとは、頭を抱えたくて仕方がない。

「今日は――雪、ですか」

「…いえ。降っていたわけではありません。ただ、今にも振り出しそうな空模様でした。外気もひどく冷たく――」

「…そうですか」

「寒いのは苦手でいらっしゃいますか?厚手のショールもお持ちしましょうか」

「いえ、結構です。―――雪の日には、あまり、良い思い出がないのです」

 瞳を伏せて、無表情のまま答える。十五年以上前を知る者が見れば、その横顔にフィリアの面影を見ただろう。

 冬の湖面を思わせるような薄青の瞳は冷たく凍えている。聖女の心根の奥底まで凍り付いているかのように。

(場所が中央広場っていうのも――…出来過ぎている。勘弁してくれ…)

 吐きそうな気持で独り言ちる。

 たったの7日で、当の昔に取り壊された決闘場を復興させる時間などなかった。結果、王都中央広場に簡易的な決闘場を急ごしらえで設えられることになったのだ。

 そこは――リツィード・ガエルが、かつて、無実の罪に磔刑に処された場所。あの時も、リツィードが捕らえられてから七日程度で簡易の処刑場を作られたと思い出す。どいつもこいつも、たった数日で仕事をし過ぎだ。忌々しい。

 十五年前、親友との永遠の別れを決意したあの場所で――今日、また、同じような別れに直面する可能性があるのか。

 それも、雪が降りそうだと来た。――神様はどこまでも悪趣味な演出がお好きなようだ。

(ふざけるなよ――絶対に、死なせたりしない)

 カルヴァンも――ウィリアムも。

 ウィリアムが死ねば、この国は惑う。再び、十五年前のような出来事が起きるとも限らない。ナイードの闇の魔法使い騒動の黒幕が明らかになっていない今、王位継承者が死んで揺らぐ国家を、周辺諸国に見せるのはとんでもない悪手だ。王国民を守る守護者としての役割を担う聖女が、そんなことを見過ごせるはずもない。

 そして――カルヴァンが死ぬのも、論外だ。

 それはつまり、イリッツァ・オームの心の死を意味する。その結末は――愚かな聖女と呼ばれたかつての母と同じ未来だろう。心が壊れ、聖女としての責務を果たすことが出来なくなり、結果、国が惑い、十五年前の悲劇が繰り返される。――今度は、それを救う『稀代の聖人』の出現には期待できない。

 だから、イリッツァは決めていた。

 勝敗が決したその瞬間――決闘場に乱入して、すぐに敗者の治療を行う。

 瀕死でもいい。――かすかに息さえあれば、どんな状態からでも回復させられるだけの自信があった。

 首をはねる、などの極端な勝敗の決し方はないだろう。どちらかが致命傷を負って、それがそのまま結果とされるはずだ。虫の息のその状態から、聖女の奇跡で復活させればいい。民衆の前で奇跡の御業を見せる良い見世物になるだろうから、聖女の神格化が加速するだろうことは容易に想像できたが、正直そんなことはどうでもよかった。

(最悪、一週間や二週間寝込んだっていいんだ。公務が滞るとか、そんなことくそくらえだ。絶対に回復させる)

 ぐっとリアナに気づかれないように拳を握りこむ。

 今回の決闘は――馬鹿でもわかる。ウィリアムの勝利以外で終わるはずがない。

 いくらカルヴァンが誰にも何にも縛られない、と豪語している男だとしても、まさか国家を転覆させかねないようなことを引き起こすとは思わなかった。

 だから――きっと、イリッツァが癒すことになるのは、カルヴァンなのだろう。

(大丈夫――大丈夫だ)

 聖女の魔力は無尽蔵。一度は、完全に死んだ状態から蘇らせたこともある。

(っ…カルヴァンは、絶対、誓いを護る…!)

 一瞬、喉がからからに乾いていくような錯覚を起こし、ぐっとつばを飲み込んで唇をかみしめる。

「――完了いたしました」

「あ…はい。ありがとうございます。リアナ」

 身支度が整ったことを伝えられ、はっとその声に我に返る。

「…こちらは、必要ですか…?」

 昏い光を宿した瞳で、小さな声で問いかけられ、振り返る。その手に乗せられるようにして差し出されたのは、イリッツァがここに来る日に懐に忍ばせて来てからずっと身に着けている、短剣。

 いつもは聖職者らしく肌を露出しないよう厚着になっている服の下に隠しているのだが、当然、着替えを手伝い四六時中一緒にいるリアナにまで隠しておくことはできなかった。彼女は、イリッツァがどこへ行くにもこの部屋から出るときは――部屋の中にいるときでも、寝台の中にまでこの短剣を忍ばせていることを知っていた。

「はい。ありがとうございます」

 礼を言って受け取り、いつものように懐の中へ。

「…観覧席では、王族付き近衛兵も室内におります。用心の必要はないのでは――」

「いえ。何かがあってからでは遅いので」

 きっぱりと言い切ると、リアナはその漆黒の瞳をふっと伏せた。

「かしこまりました。私も本日は傍に仕えておりますので、ご安心を」

「そうですか。…それは、安心ですね」

 ふ、とつい心が緩んで笑みが漏れる。

 もう、王城に来て半月近く。彼女とは相変わらず一往復以上のコミュニケーションをすることはなかったが、それでも、職務に忠実ながら、イリッツァの体調を慮って薬草茶を淹れてくれる彼女の心の温かさには、どこかでほっと心が緩んでいた。中性的なハスキーボイスも、聞きなれれば耳馴染みが良い。会話の量は少なくとも、確かに心が通っている気配を感じられていた。

 いつか、こんな騒動が一段落した後は、彼女の瞳に事あるごとに現れる昏い闇の正体を探って、その靄を晴らす手伝いをしてやりたい、と思うほどには、情が移っていた。

「それでは、参りましょう」

 ――十五年ぶりに訪れる、忌々しい、王都中央広場へと。

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