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聖女転生物語  作者: 神崎右京
第五章

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63、『無自覚』な独占欲②

「――――団長、イリッツァさんのこと――好き、ですよね…?」

「――――――はぁ?」

 眉間に、これ以上ないほどのしわを刻んで、カルヴァンは思い切り怪訝な声を上げた。あまりに不機嫌そうな声に、びくっと肩を揺らした後――それでも、リアムは何とか言葉をつづける。

「や、だ、だって…ここに来るまでの道中とか、滅茶苦茶いちゃついてたし――」

「命を救われて惚れた、なんていう突拍子もないストーリーに説得力持たせないといけなかったからな。お前はともかく、新人の騎士たちにも事情を話して口裏合わせろとは言えないだろう」

「で、でも――団長、明らかに、イリッツァさんと一緒にいるときだけ雰囲気違うし――」

「まぁ――付き合いが長いからな」

 ごまかすように小さく答える。さすがに、ここについては詳細を語れない。

「じゃ、じゃぁ――あの、独占欲は何だったんですか」

「――独占欲?」

 何のことを指しているのかわからない単語が飛び出し、疑問符を挙げる。いつの間にか、部屋に差し込む西日はゆっくりと赤く染まり始めていた。

「え、無自覚…ですか?もしかして」

「…何の話だ」

「――イリッツァさんのこと、独占したくないんですか?」

「――――だから、何の話だ」

 要領を得ない補佐官の言葉に、苛立ちをにじませてこめかみを抑える。なんだか、酷く頭が痛い。

「い、いや…えっと、本当に――いや、何でもありません。大丈夫です。無自覚なら、いいんです」

「だから何の――」

「失礼しました。忘れてください」

 話を打ち切られてしまっては、追求できない。釈然としない想いを抱えたまま、カルヴァンは口を閉ざした。

「お前が何を勘違いしているのか知らないが――あいつとは、もうずいぶんと長いこと、親友とか、家族に近い付き合いだった。救うためとはいえ結婚なんぞするのはお互い戸惑いがあったが――他の誰かと結婚して、俺とは今まで通りの気安い関係でいられるなら、願ったりかなったりだ」

「そ…そう、なんですね」

「あいつも、断ってないんだろう。――満更でもないんじゃないか」

「え…でも、保留って」

「嫌なら断るだろう。断り文句なんていくらでもある。神の化身と呼ばれている聖女なんだし、そもそも聖女じゃなくても聖職者だ。お前と結婚するつもりなんかない、とはっきりきっぱり断ればいい。それをせずに保留ってことは、満更でもないんだろう。人生で初めて本気の求愛をされて、しかもあのキラキラ王子が相手だし、どうせ免疫なくて頭が混乱しすぎたからいったん保留にしたとか、そういう感じに決まってる」

 己の孤独と不幸にはとことん鈍感な奴であることは、カルヴァンが誰よりもよく知っている。お前を救い出したいんだと熱弁されたところで、すげなく断って自ら孤独の道を進もうとすることを、つい数日前に身をもって体験していた。

 カルヴァンは、そのかたくなな態度を崩すのに、カルヴァン自身の『不幸』と『命』をちらつかせ、脅すように説得した。そこまでしてやっと、初めて、頑なに「独りで孤独に聖女として生きる」という選択肢を手放させることができた。

 それが、王太子は、普通に求婚するだけで――

「まぁ、正真正銘の"王子様"だしな」

「――へ?」

「何でもない」

 すぃっと視線を逸らせて追及を避ける。余計なことを言った自覚があった。

 どうにもさっきから調子が狂う。

「とりあえず、今日の仕事はもう終わった。明日は朝から王城に行くんだろう。――お前も、最近の睡眠不足を解消するために早く寝ておけ」

「え、あ、は、はい…」

 しっしっと面倒くさそうに手を振って促すと、リアムは返事をして扉へと向かい――ぴたり、とその直前で足を止めた。

「――あの」

「なんだ。まだ何かあるのか?」

「自分でも、答えなんてないし、それなのにこんなこと言う資格ないと思っていますが」

「――?」

 礼儀には厳しいリアムにしては珍しく、上官に背を向けたまま語られる言葉に、疑問符を挙げる。

 リアムは、横顔だけで振り返り、口を開いた。

「――このままじゃ、イリッツァさんが、可哀想です」

「は――?」

「きっと、イリッツァさんが返事を保留にしてるのは、明日――…」

「――――――?」

 後半は掠れて消えてしまい、上手く聞き取れない。怪訝な顔でしばらく蜂蜜色のつむじを見つめていたが、彼は一つ大きく嘆息してから、振り返った。

 少しだけ――意地悪な、笑みで。

「ちゃんと、想像したほうがいいですよ、団長」

「何をだ」

「きっと、明日を逃したら、もう月単位でイリッツァさんにはお会いできません。殿下とのご婚姻は、今、目下企画されている聖女降誕祭までに滞りなく処置が済んで、きっと祭りに合わせて大々的に広報されて王国中が祝宴に沸くでしょう」

「それがどうした」

「いいんですか?――イリッツァさん、王太子殿下の前で、求婚されて、目を白黒させて驚いたり、困ったように眉を下げた表情をしてたりしてたらしいです」

 ぴくっ――

 無意識に、手が痙攣するかのように反応した。

 ふ…と気づけば、いつの間にか西日は完全に沈んでしまったのか、部屋はだいぶ薄暗くなっていた。

「あんな表情もするんだな、と、殿下はおっしゃって――まさか、あの、聖人かと思うくらいの人間味のないあの殿下が、「ますます惚れた」なんて、俗っぽいことを言うとは思いませんでした。臣下に無意識で惚気るなんて、相当ぐっと来たんですかね。まぁでも、気持ちはわかります。くるくる変わるイリッツァさんの表情、滅茶苦茶かわいいですもんね」

「――――…」

「信徒の前では聖女らしくしなくちゃ、と思って一生懸命表情を作ってるのも、健気と思えば、いじらしくて可愛らしい。それなのに、ついうっかり素を出す感じで笑ったりするのを見ると、こう、心臓が鷲づかみにされたようになります。イリッツァさんの笑い方、ちょっと特徴的ですよね。声を出さずに、吐息を漏らすみたいに、ははっ…って可愛く笑うあれです。そう思いません?」

「――――」

 夕闇が近づいてきて、二人の表情の判別が、お互いつかなくなる。

 黄昏時の陰鬱な闇を利用して、リアムは上官相手にするには憚られる表情で言い募る。――最高に、悪い、笑み。

「でも、一番ぐっと来たのはやっぱり――団長が死んだと思って、イリッツァさんが号泣してたあの夜ですかね。あの時は必死でそれどころじゃなかったですけど――いっつも優しい笑顔だったイリッツァさんが、取り乱して、号泣して、聖女の聖印を隠すことすら忘れて、『嫌だ』『置いてかないで』『独りにしないで』って泣き縋る姿は、今から思い出せば本当に――」

「リアム」

 ひやりっ――

 冬の夜の外気など生易しく感じるほどの冷たい声が飛ぶ。

「―――――――――俺は、聞いてないぞ。そんな報告」

「あれ、そうでしたっけ」

 一瞬で、なぜかじっとりと全身に噴き出した汗を感じながら、何とかリアムは声をつづけた。

「何せ、羨ましくて、ちょっと悔しかったんです。あんな美少女に、あんな風に泣いて縋られて――あぁ、でも」

 ふ、と口の端に、笑みを浮かべる。

「今回の話がまとまって、二人が愛し合う夫婦となるのなら――もし、殿下が崩御されたら、またあんな風に、何もかもを投げ捨ててイリッツァさんに縋ってもらえるかと思うと、羨ましくてたまりませんね」

 しん――…と、奇妙な沈黙が下りる。薄闇の中に溶け込んだ互いの表情は、そう大して離れた距離にいるわけでもないのに、判別することが出来ない。

「ちゃんと、想像したほうがいいですよ、団長。――それだけです。では」

 リアムは一方的に言い切って、今度こそあっさりと扉から姿を消した。逃げるようだったのは、恐らくカルヴァンの機嫌を誰より聡く察知する能力を持っているからこそだろう。



 ――――――そうして、冒頭に戻る。



 薄暗い部屋の中で、カルヴァンはじっと額を抑えた。

(――――――無自覚、だったな。確かに)

 静かに、先ほどのリアムの言を、今更ながらに認める。

 退出間際のリアムの言葉は、強烈に利いた。

「まさか――自分がこんな、器の小さい男だとは」

 呆れて、ソファに沈み込むようにして座り込み、絶望的な想いで天を仰ぐ。

 イリッツァが見せる表情を、リアムが一つ一つ挙げていって――

 ――苛立ちが、隠しきれなかった。

 十五年前は、カルヴァンの前でなければ見せなかった『人』らしい表情。それが、転生して、日常的に誰にでも見せるようになった――それは、まぎれもなく、彼女にとって良いことのはずなのに。

 ――自分だけが、知っていた表情だったのに、なんて。

 そんなことを考える男じゃないと、思っていた。

「……はぁ…」

 口から洩れる嘆息は、弱弱しく部屋に響く。

 一応、部下からの諫言もどきだ。言われたとおり、リアムが退室してから、想像してみた。なるべくリアルに、頑張って。

 ウィリアムが、例えば病か何かで倒れたとして――それに縋り付いて、号泣するイリッツァ。

 『お願い』『置いていかないで』『傍にいて』と子供みたいに泣きじゃくるその顔は、あの時馬車で見せた――

「――――――」

 一瞬――本気で、剣をひっつかんで王城までウィリアムを殺しに行きそうになった。

 あんな風に必死に縋る彼女の口から、『ヴィー』以外の名前が溢れるところなど、想像するだけで胸の辺りがムカムカする。

「…リアムが見ただけでも、ムカつくのに…」

 あの、世界で一番かわいい表情だけは――なぜか、自分だけのものだと、当たり前に信じていた。

 彼女が、あんな風に泣いて縋るのは自分だけなんだと――そんな取り乱した姿を見せてくれるのも、自分だけなんだと、どこかで、高をくくっていた。二十五年もかかって、初めて『置いていかないで』と泣いて縋ってくれたあの事実が嬉しすぎて、少しばかり浮かれていたのかもしれない。

 冷静に考えれば、『カルヴァンがもしも死んだら』と考えるだけであの号泣だ。実際に死んだというあの当日は、あの時以上に取り乱して泣いていただろう。その時傍にいたというリアムが彼女のその様子を見たというのも、頷ける。

 ただ――頭では理解できるのに、感情が追い付いていかない。

 手元に剣がなくてよかった。――さっき、もし剣を持っていたら、ついうっかり、反射的にリアムの首をはねていたかもしれない。

「……何を、考えてるんだ、俺は」

 イリッツァの結婚を反対する要素などどこにもない。一つ一つの事象を検討すれば、正直、カルヴァンが相手でもウィリアムが相手でも、結果は大して変わらない。本気で女として惚れ抜いて、今の妃と離縁してでも、とまで望まれているなら、ウィリアムの方が"幸せ"にしてくれるんじゃないか、と思うから、このままウィリアムとくっつけばいいと、脳は結論を出している。

 だが――

「――…落ち着け」

 自分で自分に言い聞かせるようにして、額を覆う。――大嫌いな光魔法にすら縋らないと、今は冷静に物事を考えられない。

 リアルに思い描けば思い描くほど――吐き気がする。

 ウィリアムの前で、今までカルヴァンにしか見せなかった表情を見せるイリッツァ。何なら、今までカルヴァンが見たこともないような表情だって見るだろう。イリッツァを第一妃として、生涯彼女以外をめとらない、ということは――世継ぎも、彼女との間で作ると公言したも同然だ。カルヴァンは、逆立ちしたって夜の営みのときにイリッツァがどんな顔をするかなんて拝めない。だが、結婚するとはそういうことだ。カルヴァンが知らないイリッツァの新しい表情を、他の男が引き出していく。

(――――――あ。想像以上にムカつくな。これ)

 びきっとこめかみに青筋が浮かぶをの自覚する。

 今すぐ、夜の闇にまぎれて王城に忍び込み、イリッツァを神殿から攫って来たくなる。

 何故だろう――今、無性に、あいつに、会いたい。

 『ヴィー』と呼んで、無邪気に笑ってほしい。――安心したい。これは俺のものなんだと、確認したい。

「――――俺のもの、じゃないだろ…」

 自分の発想に呆れかえって再び項垂れて額を覆う。

 今すぐ抱きしめて、キスをして、自分以外の誰にもまだ見せていないはずの、あの羞恥に真っ赤に染まった表情を見たい。この独占欲を、今すぐ満たしてほしい。

 そんな発想をした自分が信じられず、天を仰いだ。

 これではまるで――自分まで本気で、イリッツァに、惚れているようではないか。

「勘弁してくれ――…」

 絶望的な声で呻く。

 きっと、たぶん、イリッツァには、理解してもらえない。彼女に知られたら、きっと、ドン引きされる。ドン引きされるだけならまだいい。冷静に、まじめに受け取られて、真摯に誠実に「ごめん。お前の気持ちには答えられない」と聖女の仮面ではねつけられて、さっさと神殿の奥に引っ込んでいってしまいかねない。それだけは絶対に御免だ。

「あぁ、くそ――リアムのやつ、今度たんまりと厄介な仕事を押し付けてやる…」

 気づきたくなどなかった謎の独占欲を自覚させた張本人を思い浮かべ、完全に八つ当たり以外の何物でもない発言をしてから、カルヴァンは何度も額を覆ってイリッツァを思い描く。

 明日は、なるべく、今日のことを思い出さないようにしよう。いざとなったらこうして額を覆って魔法に頼ってでも冷静を保とう。

 冷静に考えれば――イリッツァがウィリアムと婚姻関係になること自体は、悪いことなど一つもない。カルヴァンが、この謎の感情だけを飲み込むことが出来れば、それは、イリッツァにとってもウィリアムにとっても、国民にとっても嬉しいことのはずなのだから。


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