49、ちょうど良い『落としどころ』②
ガタン ガタン
馬車が悪路に入ったのか、揺れが少し激しくなる。車輪の音が狭い車内に振動とともに響いていた。
恐らく色恋に関してはこの国で一、二を争うほどの潔癖な少女は、その一言を尋ねるのに、それなりの勇気をもって問いかけたのだろう。聖職者ということを抜きにしても、元・同性として暮らした十年があり、つい昨日までは本当に友人としか思っていなかった相手にする確認としては、一般人であってもそれなりに勇気が必要だったかもしれない。
だが、相手が悪かったのか――誰より親しい間柄だからこそ、隠し事などなく本音で返してきたその返答を聞いて、イリッツァは一瞬硬直し――
ビキッ
(――――あ。怒った)
世界一の美少女の美しい顔に浮かんだ青筋を見て、カルヴァンはのんきにそんな感想を抱く。思わずにやりと口元が緩みそうになったが、さすがに今それをすると自分の剣を奪われて刺されかねないので必死に力を込めてやり過ごす。相手は世界最強の剣士だ。剣を持たせるわけにはいかない。
リツィードと初めて出逢った時は、まるで人形のように決まった表情しか張り付けていなかった。カルヴァンと交流するうちに少しずつその表情は増えていったのは確かだったが、それでも、圧倒的に一般人と比べればその表情は少なかった。再会して、何の因果か性別を変えて女になっていた親友は、昔と異なり、くるくると表情を変える。――顔の造形は、大して昔と変わらないのに。
それが、カルヴァンには面白くて仕方がない。昔、どんなに手を伸ばしてもするりとどこかに逃げていきそうだった男が――今、こうして、手を握り返すと約束して、すぐ目の前にいる。くるくると、今まで見たことのない表情を見せて、心のままに――『人』らしい反応をしている。
イリッツァは、知らないだろう。――それが、どれほどカルヴァンにとって大切なことなのか。
「ふっ…ふっざけんな!お前、好きでもない奴に結婚申し込んだのかよ!」
先ほどまで羞恥で染めていた頬を、今度は怒りのために赤く染め上げ激昂する様子を、内心笑いながら眺める。――いい。とても、『人』らしい、表情。
(これ、永遠に見ていられるな)
キャンキャンと騒ぐ少女を前に目を眇める。ついうっかり口元の力が緩んで、ニッと勝手に笑みの形を作ったのを見て、イリッツァは唇をわななかせる。
「お、お前っ――!ひ、人に、キ、キスまでしといて、そんな――!」
「あー、はいはい。悪かった悪かった」
本気で激昂したイリッツァで遊ぶのはこのあたりにすべきだろう。長すぎる付き合いは、お互いのギリギリの引き際も察するのに十分だった。
軽く手をあげてイリッツァの勢いを制止して、珍しくまともに向き合う。――カルヴァンにとって、女という生き物にここまで真面目に向き合うのは、人生初めてだった。それだけで十二分に誠実な対応と認めてほしいところだが、どうやら目の前の少女にはその考えはあまり理解されないらしい。
「お前の質問についてだが――正直、『好き』とかは、よくわからん。まぁ、嫌いではないし、人としては好きなんだろうが――一般的な、恋愛感情としての『好き』なのかと言われれば、よくわからない。――そもそも、人生で、そんな風に思った相手と出逢ったことがない」
「な――」
正直な胸の内を吐露しながら、左耳を軽く掻く。
「ただ、現状でお互いの要望の落としどころとして、結婚するのが一番いいとは思っている。王都に着く前にお前を無理矢理拉致することも考えたが――まぁ、お前は抵抗するだろうし。仮に、口先三寸で丸め込んで、お前も納得の上で連れ出せたとして――きっと、その後俺と一緒に来たところで、お前は一生、聖女としての責務から逃げたことを後悔するだろう」
「それは―――そう、だけど…」
「…まぁ、そうなったとしても、この道を選んでよかったと思わせられるように努力はするつもりではあったが。他に、リスクが少なくてお互いの利が叶う案があるなら、先にそっちを試した方がいい。お前を連れて逃げ出すのはいつでも出来る」
「ぅ――…」
イリッツァは小さく呻いて瞼を伏せる。当たり前のように言ってのけたカルヴァンの言葉に込められた、大きすぎる友愛を感じ、気恥ずかしさと喜びが胸に押し寄せた。
恋愛かどうかはわからないが――間違いなく、友愛はあるのだ。
それも――規格外なほどに、大きな、愛が。
「俺の中で、お前はやっぱり『リツィード』だ。親友で、守るべき存在だと思ってる。昔守れなかった分、今生では何があっても守り通すと決めている。ただ――まぁ、形式上結婚するなら、面倒事を避けるためにも、外の目があるところでは、それらしく振舞う必要があるとも思っている。――そもそも、このご時世で、いくら前例があるとはいえ、聖女を嫁に迎えたいなんて言い出して、すんなり認めてもらえる気がしない。なら、それらしいストーリーが必要だろう」
「す、すとーりぃ…?」
「例えば――命を救ってもらって、世紀の大恋愛に落ちた、とか」
「――――――――――え。お前が?」
思い切り半眼で胡乱げに言われ、渋面を作る。
「失礼な奴だな。――俺が一番、そう思っている」
嘆息したカルヴァンにつられるように、イリッツァも小さく嘆息した。
カルヴァンの性格をよく知る者なら、そんなストーリーとやらは、ただただ胡散臭いだけだ。
そもそも、女に命を救われて恩義を感じる、というのが怪しい。相手が美人ならそれを口実に迫って抱くくらいのことを十五年前の彼ならしてもおかしくないが、そこに心などこもっていないだろう。しかも、相手が聖職者――その頂点にある、聖女ときた。なるべくなら近寄りたくない、と避けて通る相手だ。思い返せば、イリッツァがリツィードだと知らなかった時には、「何でも好きなものを調達して与える」と色気も素っ気も感謝の念も感じられない発言をしていた。あれこそが、本来のカルヴァンの対応なのだろう。
「王や教会関係者を納得させるには、ゴリ押しでも何でもやるしかないだろう。お前に普通に女として惚れて求婚するような奴がいるなら、そいつとくっつけるシナリオを用意してもいいが――聖女様にそんな感情を抱くなんて、人ではないとまで言い切る連中しかこの国にはいない。――まぁ幸い、人の心や気持ちなんて証明出来ない。いくら胡散臭くても、信じられなくても、お互いに愛し合っているんだと言い切って無理矢理認めさせる。――師匠も、当時、似たようなことやったらしいじゃないか」
「う゛――…うーん…確かに…まぁ、あの二人の場合はたぶん本気でお互い惚れてたんだと思うけど…」
カルヴァンが言うところの『前例』――リツィードの両親の結婚は、それは国中を巻き込んですったもんだしたと聞く。当時は、年始の祭典で王国中の人間が集まる聖女の加護を賜る儀式の最中――いきなり表れた英雄が跪いてミオソティスの花と共に永遠の愛を誓い、求婚したという。突然の公開プロポーズに民衆はどよめき――その場で聖女が驚きながらも確かにうなずいたことで、祭典などどうでもよくなるくらいの大混乱が巻き起こった。
神聖で美しい愛の誓いに感動し、身分など関係なく結婚を認めるべきだと主張するもの。孤高の存在である聖女を俗世に落とすなど言語道断だと反対する教会関係者。
最終的に、結婚を認められないならこのまま二人で国外逃亡すると英雄に脅され――当時の国王は、涙目で二人の婚姻を認めざるを得なかった、と聞く。その後は、小説や詩といった様々な形態で、二人の愛の物語の創作が国中で行われ、フィリアが『愚かな聖女』のレッテルを張られて死亡するまで、国中の誰もが憧れる理想の夫婦像として広まっていくのは、また別の話だ。
「幸い、お前、外見はこれ以上なく整っているから、まぁ、一目惚れしたとか言っても何とかなるだろう。――年齢的に、俺が、この上なく変態扱いされるくらいで」
「――――――――あー……確かに…」
額を覆って本気で嫌そうに呻くカルヴァンに、ひくっと頬を引きつらせて答える。三十歳で十五歳の少女に一目惚れして求婚するなど、十七~二十歳の間でほとんどが結婚を済ませてしまうこの国では異常以外の何物でもない。
「えーーーっと…あっ、逆に考えれば、結婚しなかった理由が幼女趣味だったからだって思われていいんじゃないか?」
「それの何のどこが"いい"んだ、阿呆…」
必死のフォローを入れてみるが、それはそれは絶望的な声でつぶやきうなだれる親友に困った顔で眉を下げる。国中の憧れの的だった騎士団長が幼女趣味だったなど、間違いなく、世間体的に死ぬ。若いころに散々浮名を流した身からしても、それはさすがに不名誉極まりない称号なのだろう。
だが――心底嫌そうに呻いてはいるが、カルヴァンは決してその選択肢を避けようとはしない。自分の世間体が酷いことになったとしても、それがイリッツァを救うために必要なことだと思っている以上、彼は甘んじてそれを受け入れる方を選ぶのだろう。
彼の友愛は、普段の様子からは予想もつかないほど、重い。それが――嬉しい、なんて、困ったものだ。
「だから、まぁ…お前にも、付き合ってもらう必要がある」
「へ?」
「俺の一方的な想いだけなら、突っぱねられて終わりだ。お互いに愛し合っていて、結婚できないなら国外逃亡も辞さない――って、まぁ、師匠の二番煎じなわけだが、前例がある以上、前よりも断りにくいだろう。…拒否されたら、本当に国外逃亡すればいいだけだしな」
「ぅ――…」
左耳を掻いて当たり前のように言うカルヴァンに、小さく呻き、うつむく。イリッツァが『後悔』しないように、きっと彼からしたら本当に面倒以外の何物でもないこの茶番を行ってくれるというのだろう。嬉しいと思うのは、申し訳ないとわかっていても、心の奥にかすかな灯がともるのは避けられなかった。
「だから、キスの一つや二つでグダグダ言ってる場合じゃないだろう。慣れろ」
「っ――そ、それとこれとは話が別だろっ…!」
かぁっと頬を染めて、慌てて反論する。カルヴァンは不機嫌そうに眉根を寄せた。
「何が別なんだ。一緒だ」
「い、いいいいい今しなくても、いいだろっ…」
イリッツァの反論に、はぁ、と面倒そうにため息をついて、カルヴァンは物わかりの悪い親友を諭す。
「あのな。王都に着いたら、まず間違いなく、最初にお前だけ王城の奥に引っ張って行かれる。あの誰も入れない神殿で身を清めるだのなんだの、お前の母親が来ていた聖女の法衣とか着せられて、なんだかよくわからない儀式とかされる」
「う…それは、想像、つく、けど――…」
「俺は俺で、騎士団の遠征の後処理がある。死んだ団員も多いし、もう戦士としてはやっていけない重傷者の今後についても処理する必要がある。闇の魔法使いなんていう国家の重罪人の処理も決めなきゃならん。面倒事はリアムに大半を丸投げするにしても、団長の仕事って言うのはそれなりにある」
一瞬、可哀想な童顔の補佐官の、日ごろから続く理不尽な扱いを感じさせる発言があったが、一応突っ込まないでそのまま先を聴く。
「最低限の処理だけ済ませてから、王に謁見しに行く。遠征の報告だ。魔物討伐は、神の使命に沿う任務だから、報告の場には、王族と聖女、教会関係者――枢機卿団の誰かが必ず同席する。――そこで初めて、俺はその場の全員に報告するわけだ。お前とはお互い愛し合っている仲で、速やかに結婚したいから認めろ、と」
「――――…」
「一日か、二日か。わからないが、直前の打ち合わせなんか一切ない状態で臨むことになる。そんな状態で――」
カルヴァンは、灰褐色の瞳に呆れをにじませながら、半眼で親友を眺めた。
「いきなり俺が、他人の目のあるところで熱烈にお前を口説いたとして、お前、冷静に芝居が打てるのか?」
「う゛っ……」
「抱き寄せただけで真っ赤になって抵抗しそうだろ、お前」
「う゛ぅっ…」
「万が一キスなんかしたら、引っ叩かれかねない」
「~~~~~~っ」
「だから、言ってるんだ。――慣れろ。俺に心底惚れてる女になりきれ」
「むっ…無茶言うな…」
へにょ、と眉がこれ以上なく下がるのを見て、カルヴァンは呆れた顔のまま手を伸ばし、ぐいっとイリッツァの腕を引っ張った。
「ぅわっ!?」
勢いのまま、真っ赤な騎士装束の胸に飛び込むように倒れ込む。ドキン、と一つ胸が鳴る音が聞こえた。
「まっ、ままま待っ…」
「待つわけないだろ。さっさと慣れろ。…窓から部下が覗いても、察して目をそらすくらいの芝居を打てるようになれ」
「そっ、そそそそんなん無――」
言って、顔を上げて慌てて車窓を見ると――バチッと外にいたリアムの鼈甲の瞳と目が合う。死ぬほど見開かれたその瞳は、目の前の光景が信じられないのか、顔色も血の気が引くほど蒼白だ。きっと、彼は、正しく状況を認識したのだろう。――カルヴァンが、聖女に、無茶を言って無礼を働いている、と。
「ほら見ろ。リアムにすら信用されていない」
「だだだだだってっ…!」
頬がこの上なく紅潮してうまく言葉が出て来ない。そもそも、友人とはいえ、一応今は異性だ。その異性の胸に抱かれている――公衆の目がある場所で。
目を白黒させるイリッツァに嘆息して、さらりと手触りの良い銀髪をかき上げ、その耳に唇を寄せる。
「ひゃっ…」
「色気のない声だな」
「~~~~~っ」
低く響く声が囁くように吐息を漏らし、ぞわり、と背中が泡立つ。どこか笑んだような響きがあるのはわかっていたが、反論することも出来ずにぎゅっと瞳を閉じた。
「ツィー。――愛してる」
「っ――――…!」
囁かれた耳が熱い。決して、色恋の情が混ざった告白ではないとわかっていても、声音に含まれた色香が、熱が、妙な錯覚を引き起こす。ふるっ…と閉じた瞼と一緒に、薄い肩が頼りなさげに揺れた。
カルヴァンは、そんなイリッツァをじっと眺め――
(これは――――――友愛、だよな…?)
誰にも気づかれないように、心の中で、小さく自問したのだった。




